人はみな 逝くものなれば われひとり
風に起ちたり 真野の萱原
西浦朋盛
「真野の萱原」は、笠郎女が「陸奥の真野の萱原遠けども面影にして見ゆといふものを」(万葉集・369)と詠った歌枕の地で、いまでは福島第1原発の放射能に汚染されてしまった福島県南相馬市にある。
手許に西浦朋盛著『かあさん ごめん』(株式会社パレード、2015年)という詩歌集がある。西浦さんとは互いのブログの読者で、短いコメントのやりとりもあるが、あまりプライベートなことは話題にはならない。この本にも、まえがきもあとがきも経歴も記されていない。短歌と俳句と詩だけが収録されている。
書名が表わしているように、詩歌の主題は亡母への思いである。それは、誤診によって適切な治療が受けられず、長い闘病生活を送らざるを得なかった著者を終生守り続けた母への思いであり、津波と原発事故で故郷を離れざるを得なかったその避難生活の途次で亡くなった母への慚愧の思いが綴られている。
誤診とも 知らざるままに 闘病の
十七年は 無為に過ぎ去る
死いくたび 経ながらさがし 求めし名
アスペルギルス 肺真菌症
母ついに わがくるしみを 告げずして
吾をまもる日々 護れるいのち
うつし世に 母あればこそ ある我ぞ
母なかりせば あらざるいのち
にくみても あまりある 原発事故の
放射線 ははと山河を ころす
唯一の いきる根拠を 奪い去る
原発事故は みとめたくない
仮設にも 仏壇はある 位牌もが
母の名記す かなしきかたち
福島から離れた地で原発に反対しているといえども、その私が西浦さんの痛切な心情をすっかりと受け止められるはずもなく、ただ黙々と紡がれた言葉を読みこんでいるだけである。長い闘病生活に苦しんでいる人たち(健康に生きている人たちもだが)を、さらに放射能汚染で故郷からも追い出すなどということがふたたび起きないように強く願いながら……
窓をあけると十一月
十一月の秋風が
白く老いた秋風が
ふくれあがる
そっと見ているわたしだ
この、どこまでふくれるだろう
鉛筆の芯、絶えるばかりである
他者の格調を許すばかりである
いまもとめているものは
久しくもとめられてきたものばかりである
荒川洋治「故事の迷蒙」部分 [1]
私たちが「いまもとめているものは」すべての原発の廃棄である。戦争法制やTPPも一緒に反対するのは、人を殺したり殺させたりしないこと、勤め人も農民も老人も若者も健康で豊かに暮らせるようにと「久しくもとめられてきたものばかり」を求め続けているだけだ。
晩秋の街は電飾に飾られているが、私たち50人のデモの列を歓迎しているわけではなさそうだ。人々に街に出てくるように、そこかしこの店で消費に励むように誘っているだけだ。格差社会、貧困大国と呼ばれるような国になって、年収200万円以下が1000万人を超えたというニュースが流れているのに、どうしたことだろうと訝かってしまう光景だ。
年金生活になって、消費とは次第に縁遠くなっている私でも本屋には行く。そこの「哲学・思想」の棚にはスピリチュアルなる本ばかりが並び、いつから子ども騙しのインチキが哲学だの思想と呼ばれるようになったのか、ここでも年寄りは消費から遠ざけられているようだ。
子ども騙しのインチキで思い出したが、最近、放射能関連のインチキがネットで流れている。一つは、ある種の電解水が放射能を減らすというもので、もう一つは放射能を食べる細菌がいるという話だ。どちらも、核反応と化学反応、あるいは生化学における反応プロセスでの桁違いのエネルギー差に対する無知が生んだ幻想である。
科学者が言ってるわけでもなく「病理科学」とも呼べない程度の話なのだが、反原発の立場らしい人の中にもリツィートしたりシェアしたりする人がいる。私は「啓蒙の物理学者」だとか「教養ある物理学者」であることを自らに禁じてきたこともあって、仔細に論じたり批判したりするつもりはさらさらないのだが、放射能を心配するあまり、引っかけられる人がいないようにとは願っている。
[1] 荒川洋治「詩集 醜仮廬」『荒川洋治全詩集1971-2000』(思潮社 2001年)p.163。
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