【2016年11月29日】
仙台市立図書館は仙台メディアテークの3階にあって、エスカレーターを使って登っていく途中の2階の通路にたくさんのポスターが懸けられている。その中に「松本俊介と野田英夫」の一枚があった。大川美術館のある桐生市には一度も足を踏み入れたことはなかったことも、迷うことなく見に行こうと決めた理由の一つである。そう決めたら気分がそぞろになって、その日は一冊の本も借りずに帰って来た。
松本俊介の絵が気に入って、とても気になるという時期があった。生誕100年の記念展が岩手県立美術館で開かれたときに盛岡まで出かけた。巡回展で、その後宮城県美術館でも開かれたので、もう一度見に行った。洲之内徹や窪島誠一郎の本ばかりではなく、俊介自身が書いた『人間風景』や坂井忠康や村上善男など俊介について書かれた本も読んでみた。
いくつかの本に、松本俊介の絵と野田英夫やジョージ・グロスの絵の共通点を指摘する記述があり、それぞれ画集を手に入れて眺めたりもした。その共通点というのが、松本俊介の絵の中でも私がとくに気に入っていた都会を描いたシリーズのモンタージュ手法なのだった。同じモンタージュ手法でもグロスのものとはかなり異なっていると思ったが、野田英夫のそれとの比較は興味深いものだった。色彩感覚はかなり異なっているものの、空間(イメージ)の重ね合わせ方がよく似ているのである。
ジョージ・グロスの作品を実際に見たことはない。野田英夫の絵は、横浜美術館で見た一点だけである。私が美術展だけを目的として出かけられるのはせいぜい関東近辺までなので、松本俊介と野田英夫の二人展が開かれるのが桐生市だったのは都合が良かった。何よりも美術展のポスターを見かけた偶然が幸いだったということだろう。
いま、手許に「松本俊介と野田英夫」展の図録 [1] の他に、松本俊介 [2] と野田英夫 [3] のそれぞれの図録がある。以下に引用する図版は、そのいずれかからのものである。
野田英夫《初冬》1932年、油彩/カンヴァス、40.5×51.2cm、信濃デッサン館 (『野田&多毛津』 p. 21)。
仙台駅で乗ったのは小山では止まらない「やまびこ」だったので、宇都宮で新幹線を降りて東北本線に乗り継ぎ、小山で両毛線に乗り換えて桐生駅に向かった。
桐生駅から北に歩き、上毛電鉄の西桐生駅を過ぎて道が右へ曲がっていくあたりで左の案内板に従って細道に入る。車の通れない住宅地の急な坂道を上り切ると水道山公園の下の道に出る。その道沿いに大川美術館の玄関があり、建物は下方の斜面に沿って何階かの層を重ねている。入館した階には所蔵作品の展示があり、一段下ると野田英夫の作品から展示が始まっていた。
最初に見た作品が《初冬》で、図録で見ていた作品だが、それとは奇妙に異なる強い印象を受けた。坂道に沿って並ぶ家並の向こうに湾らしい光景が広がり、空には白雲が浮かぶ。言葉でそう書くと明るい光景のようで、比較的暗い色調の絵にもかかわらず図録ではあまり暗いという印象はなかった。
実物の絵の方が図録より明るい色調のように感じるのだが、「このくっきりとした暗さはどうしたことだろう」というのが最初の感想だった。それは、強いコントラストで描かれた姉妹らしい二人の女性の効果に違いない。前傾姿勢で先を急ぐらしい姉、林檎を手に持つ幼い妹の眼は強いまなざしで画家を見つめている。本来は明るいはずの風景を暗い色調で描くことと二人の女性が画面にもたらしている物語性が、この絵の(私にとっての)強い印象の理由だろうと思ったのだった。
野田英夫《汽車のある風景》1937年、油彩/カンヴァス、33.8×24.0cm、
信濃デッサン館 (『野田&多毛津』 p. 34)。
《汽車のある風景》は、松本俊介の都会シリーズのモンタージュ手法との比較で眺めていた作品の一つである。ジョージ・グロスのモンタージュはパーツの境界がはっきりしていて、松本俊介のそれは空間が重層するように描かれている。
野田英夫の絵ではパーツの重なりぐあいは松本俊介ほど多くはない。とくにこの《汽車のある風景》では重層化はほとんど見られないが、グロスほど境界がはっきりしているわけでもない。
野田英夫の《汽車のある風景》などの絵や松本俊介の都会シリーズがもつ時間軸と空間軸における多重断面の重なりに惹かれる理由をずっと考えてきた。おそらく、それは「近代」の表象ではないか。とくに松本俊介は「近代」に強く固執していたように思える。
松本俊介が盛岡から上京して東京の中でイメージ化されていった「近代」は、仙台近郊の片田舎で膨らましていた私の「近代」といくぶん重なっているのではないか。野田英夫の「近代」にはアメリカがあって、「近代」がいっそう具象性を帯びるのだが、松本俊介の「近代」には憧れや空想の要素があって、私にはそれが「切なさ」のような思いとして伝わってくるのである。
野田英夫《ポキプシー》1937年頃、油彩/カンヴァス、33.8×24.0cm、大川美術館 (『松本&野田』 p. 8)。
モンタージュ手法で描かれた作品は、ある時代の画家の心象風景として興味深い(かといってそのパーツごとの細部の意味や連関を読み解くことは難しいのだが)。ただ、図録作品を眺めている限りでは、野田英夫自身はモンタージュ手法にこだわっているという印象はあまり強くない。代表作と言われる《ムーヴィングマン》の習作を見てもそういう印象が強い。
《ポキプシー》もモンタージュ手法で描かれた作品と色調がよく似ていて、この絵の前に立った時には同系列の作品ではないかと思ったのだが、描かれない余白を利用した美しい風景画である。工場や運河という近代的風物は松本俊介もよく描いたが、煙や排ガスで薄汚れた建物と工場排水で濁った運河という常識的なイメージを超えて、美しい風景として描かれていることに凡庸な精神は驚くのである。
【左】野田英夫《男》1937年頃、鉛筆/紙、18.7×12.1cm、大川美術館 (『松本&野田』、p. 27)。
【右】野田英夫《リトルガール》1932年、リトグラフ/紙、32.8×20.5cm、個人像 (『松本&野田』 p. 16)。
野田作品には人物画も多いが、展示作品の中の人物画のなかで最も強い印象を受けたのが《男》と題された素描画だった。眼の描き方に惹かれたのである。この人物の実存を顕わすものはこの両眼しかないかのような描き方である。
同じような伏し目の少女を描いたのが《リトルガール》で、素描の《男》とは違って、存在というよりは少女の気性の顕われのようだ。
私の手許にある図録に含まれていた多くの人物画を眺めていた限りでは、このような印象の人物はほとんどないといってよい。少しばかり大げさだが、私のなかではもう一つの野田英夫の発見と言ってよい。
松本俊介《街》1938年、油彩/合板、131.0×163.0cm、大川美術館 (『松本』p. 53)。
松本俊介作品は、《街》で始まっていた。私のお気に入りの都会シリーズに含まれる作品である。モンタージュ手法で描かれているが、松本作品としては比較的構成がシンプルである。
都会シリーズの松本作品は青を基調とした色彩で描かれているが、《汽車のある風景》もそうだがモンタージュ手法の野田作品は褐色-黄色系の色彩で描かれることが多い。その色彩感覚から(大胆に言ってしまえば)松本俊介の繊細さ、傷つきやすさのような精神を感じる。野田英夫の場合は、松本より線は太いが近代的合理性と否応なく向き合っている不安のようなものを感じてしまう。
松本俊介《運河風景a》1941年、鉛筆、コンテ/紙、38.0×45.70cm、
大川美術館 (『松本』 p. 162)。
松本作品には、運河やそれに架かる橋などを描いた一連の作品があり、《運河風景a》もその一つである。aは、まったく同じ主題、手法で描かれた《運河風景》と区別するための記号だろう。
青を基調とする都会シリーズは1938~40年頃に描かれているが、運河や橋、「Y市の橋」シリーズなどの作品はそれ以降の時代に描かれている。松本俊介の絵には、そのような時代的変遷を見る楽しみもある。
松本俊介《ニコライ堂の横の道》1941年頃、油彩/板、38.0×45.5cm、
大川美術館 (『松本』 p. 197)。
松本俊介にはニコライ堂を描いた作品も多い。神田川に架かる聖橋、聖橋からニコライ堂の東を上る坂道と一緒に描かれることが多いが、《ニコライ堂の横の道》に描かれている塔は大聖堂ではなく現在はなくなった小聖堂と思われる。
ニコライ堂というのは、私にとっても奇妙な感じで惹かれる対象だが、明らかに「近代」以前を喚起させる建物である。知識としての東欧の中世のイメージが、ヨーロッパ全体そのものを近代的表象として受け止めてしまっていることが、私の奇妙な(いびつな)「近代」を形成しているのかもしれない。
しかし、松本俊介にとってのニコライ堂は造形的な魅力を持つ建築物として描かれたとされている。ニコライ堂と一緒に描かれる聖橋などの全景が実景とは異なり、ある種のモンタージュ的合成として描かれていることがある。それが戦後の抽象的な松本作品の理解につながるのではないかという指摘である(『松本』 p. 194)。
【上】野田英夫《野尻の花》1938年、油彩/ボード、33.0×24.0cm、
信濃デッサン館 (『松本&野田』 p. 8)。
【下】松本俊介《建物(青)》1948年、油彩/カンヴァス、24.0×33.0cm、
大川美術館 (『松本』 p. 232)。
松本俊介は1948年に36歳で亡くなり、野田英夫は1939年に30歳で亡くなった。ともに夭逝の画家である。この美術展には、奇しくもこの夭折の画家二人の遺作がそろって展示されていた。野田英夫の《野尻の花》と松本俊介の《建物(青)》である。
野田英夫も《野尻の花》は初めて見る作品だが、窪島誠一郎の『漂泊――日系画家野田英夫の生涯』という本に紹介されていたのを見たことがある。ほんとうに若くして亡くなった画家の遺作として強い印象が残っている。西欧近代に向き合い続けた眼差しの先に日本の野辺の花々があったというのはどこか象徴的だと感じながら、いったいどんな精神を象徴しているのか、今の私には判然としない。
松本俊介の《建物(青)》は都会シリーズと同じような色彩で描かれているが、褐色系の色で描かれた同じ主題の《建物》という作品があって、都会シリーズへの単純な回帰などではないことがはっきりしている。ここでもやはり造形的な美への関心が強いということだろう。
同じ時期に描かれて、やはり遺作に近いと言われている「彫刻と女」も新しい松本俊介を予感させる作品なのだが、松本にせよ、野田にせよ、夭逝した芸術家の失われた未来というのはとても気にかかるものだ(言っても詮無いことだが)。
[1] 『松本俊介と野田英夫――大川美術館収蔵作品を中心として』(以下、『松本&野田』)(大川美術館、2016年)。
[2] 『松本俊介展』(以下、『松本』) (NHKプラネット東北、NHKプロモーション、2012年)。
[3] 『壁画帰郷記念展 野田英夫そして多毛津忠蔵』(以下、『野田&多毛津』)(熊本県立美術館、平成4年)。
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