遅まきながらの見田宗介である。いまをときめく大澤真幸が自著の中でしばしば見田宗介の論文を引用している。大澤真幸は見田宗介の教えを受けていた、つまり見田宗介の学生だったのである。
大澤真幸を読みながら、見田宗介の『社会学入門』と『現代社会の理論』は必須だな、と思いながらずっと読まずにきた。義務感のようなものが漂うと、かえって手が出しにくいのだ。
この本は、時間つぶしの本屋で目の前にあった。何を探そうと思ったわけでもなくふらふらと書籍棚の前を漂っていたときなので、ほとんど何も考えずに手にとったのである。
「読まねばならない」と考えていたことは、結果的には正しかった。現在に至ってしまえば、とくに目新しい切り口や人目を引く概念用語があるわけではないが、ここには「社会」理解の基本がある。構造主義であれ、ポスト・コロニアリズムであれ、カルチュラル・スタディーズであれ、きらびやかな「用語」を掲げたがる傾向の強い日本の論壇の中では、じつに貴重である、と私は思っている。
著者自身が本書の「おわりに」で次のように述べている。
情報化/消費化社会の転回という、この本に記したような方向は、現状をそのままよしとする人びとからは、あまりにも「理想主義的」であるという批判をうけるだろうし、反対に、革命的な転覆を志す人びとからは、あまりにも「現実肯定的」であるという批判をうけることになるだろう。 (p. 180)
最終的に右に行くか、左に行くか、革命的か、反動的か、そういったことをあらかじめ措定しないことは、「学」ないしは「知」の本性でなければならない。「中庸が大事」などという戯けたことを言っているのではない。
むかし、高橋和巳は「行く先はどうであれ、行けるところまで行こう」という意味のことを言って、全共闘の学生たちとの議論に望んだ、という。当時、本で読んだか、噂で聞いたか、経緯そのものは忘れてしまったが、新鮮な驚きであった。全共闘の学生たちであれ、私であれ、たぶんその頃は「結論」しか持っていなかったのではないかと思う。
本書は、「情報化/消費化社会」として現代社会を捉える。そして、大量生産/大量消費は、必然的に環境の臨界/資源の臨界へと到達する。環境の臨界は、水俣病を典型とする環境破壊へ進み、資源の臨界は後進地域(国)資源の簒奪へと向かう。後進地域(国)への公害型産業の進出は、環境の臨界/資源の臨界のもっとも象徴的な典型であろう。つまり、「情報化/消費化社会」は、そのまま現代社会における重要な問題としての環境問題、南北問題そのものなのだ。
本書には、ジョルジュ・バタイユとジャン・ボードリヤールの「消費」概念をベースにした大変興味深い議論もある。しかし、現在の日本の情況とのアナロジカルな対称という意味で一番惹かれたのは、「水俣病」に関する記述である。
一九五九年一一月一二日、厚生省の水俣病食中毒部会は、「水俣病は水侯湾およびその周辺に生息する魚介類を大量に摂取することによって起こる主として中枢神経系統の障害される中毒性疾患であり、その主因をなすものはある種の有機水銀化合物である」と答申をおこなった。 (p. 56)
「水俣病」事件史の決定的な分岐点である、一九五九年一一月という時点は、巨視的な社会構造の変動という視点からみても、決定的な屈折点だった。前述のとおり、もしこの時点で、厚生省側の調査結果が封じられずに活かされていれば、悲惨な被害の大半部分は、未然に防ぐことができた。六年後の一九六五年六月には、新潟の阿賀野川流域で「第二水俣病」が発見されたが、その原因は、昭和電工鹿瀬工場の、チッソ水俣工場と全く同じ、アセトアルデヒド工場であった。 (p. 59)
けれども、この処置はされなかった。翌一一月一三日の閣議で、厚生大臣からこの答申が報告されると、時の通産大臣池田勇人氏は、水俣病の原因が企業の公害であると断定するのは「早計」であると異例の発言をする。肥料生産の関係工程の操業を停止することは、ここに強力な政策的意思をもって「留保」されたまま、その後九年間にわたって、廃水の排出は続行される。アセトアルデヒドの生産量はこれ以降かえって増大し、一九六〇年代後半に至るまで湾内の水銀量を増加しつづけ、新しい患者を発生しつづける。 (p. 56)
この一九五九年の「留保」が解除されて、政府がはじめてこの公害の原因を正式に認めたのは、九年後、一九六八年九月二六日の、「政府見解」とよばれるものであった。それがどのような時点であつたかをみると、一九五九年一一月からの九年の「留保」の意味が、いっそう明確にみえてくる。
第一に、原田正純の指摘するように、チッソと同型のアセトアルデヒド関係工場は、この一九六八年を以て、相次いで最終的に生産を中止している。時代の基本的な流れであった、電気化学から石油化学への転換の中で、この年旧式の製造工程が、最終的に「用済み」となったのである。つまり、被害を予防することにとっては全く意味がなくなった時点になって、初めて原因が認定されている。生産の効率優先という政策のテレオノミー(目的指向)の、露骨な貫徹である。
第二にいっそう巨視的にみると、この一九六八年、日本のGNPは初めてヨーロッパ諸国を抜いて、自由世界第二位の「ゆたかな社会」を達成している。貨幣的な指標で測定される限りにおいては、この時期の日本は史上で「最も成功した資本主義国」として、大衆消費社会の展開を実現している。
水俣の汚染公害は、新潟の昭和電工による「第二水俣病」、四日市の石油コンビナートによる汚染、富山の神通川下流一帯のイタイイタイ病等と並んで、この大衆消費社会の繁栄の、もうひとつの創世記である。 (p. 59-61)
これが「水俣病」公害の「経緯」と「結果」と「理由」である。「情報化/消費化社会」へと突き進む社会が、池田勇人という政治家を通じて資本主義の冷徹な論理を貫徹させたのである。そこでは水俣や新潟の人々の命は考慮されたことはないのだ。
そしていま、野田佳彦は「原発」問題において、「水俣病」問題における池田勇人になろうとしているのではないか。原発がどれだけの被害をもたらすかは、すでに厖大な被害者を出していて明白このうえもない。これは窒素工場のたれ流す有機水銀が原因であることが明らかになっていたことと等価である。
菅直人のように政府内部から「脱原発」の言説(厚生省が水銀原因説を認めたことと等価)があるにもかかわらず、がむしゃらに原発再稼働を宣言している。論理的破綻を政治的権力によって踏みにじるという姿において、池田勇人と野田佳彦は完全な相似形をなしている。
さらに、大事故が起きたにもかかわらず、工業後進地域(国)に原発を輸出しようとしている事実は、見田宗介になぞらえて言えば、新しい南北問題を生みだすだろう。
私の想像はもっと前に進む。
いかに後進国といえども、さすがに事故を起こした日本の原発を輸入しようとするほど愚かでない(そうでもないか)と思うけれども、ネグリ&ハートにしたがえば、日本を含む先進資本主義国家は《帝国》として振る舞うだろう。つまり、《帝国》の一員としてどこかの国が原発を売りつけるだろう。そして、かつて公害産業を押しつけたように、「放射性廃棄物処理施設」や「最終処分施設」もセットにされるに違いない。
そして、数十年後のあるとき、代替エネルギーによって国内の産業維持のめどが立ったとき(国民の生活維持のめどではない)、日本国政府は「脱原発宣言」をする。大量に出た放射性廃棄物は、資本でがんじがらめにされた後進国に「輸出」することになる(これは危険な原発を後進地域の福島や福井に押しつけ、交付金でがんじがらめにした構図と同じである)。
「脱原発宣言」が出るとき、「あのとき止めておけばこんなに原発事故による被害が拡大していなかったのに」と悔いる破目に陥っているのではなかろうか。何度かの原発事故があって現在の10倍以上の被害者が出るということになっても、たぶん政府は原発を止めない。「生産の効率優先という政策のテレオノミー(目的指向)の、露骨な貫徹」を貫くであろう。
これは私の想像の過剰だろうか。いずれにせよ、この想像は、政治家も、私たちも、先進国の国民も、後進国の国民も、つまりは全ての人間が歴史から学ばない、ということを前提にしている。そんなことはないと思いたいのだが、私が歴史から学んだことは、皮肉にも「人は歴史から学ばない、学ぼうとしない」ということである。そうでなければヒットラー張りの右翼ポピュリスト政治家が次から次に選挙で選ばれてくるはずがないのである。
そうではなくて、やはりネグリ&ハートのいう《マルチチュード》としての私たちの叛乱が功を奏するという事態が来るのであろうか。