かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

『「モネ 風景を見る眼」展』 国立西洋美術館

2014年02月11日 | 展覧会

【2014年1月29日】

 モネの絵をたくさん見ることができると、単純に喜び勇んで会場を歩き始めてから奇妙な感じになってきた。「どうもモネらしくないなあ」と思うような絵がある。ある絵の前に来て、「違う。これはクールベだ」とやっと気付いたのだ。
 その時まで、じつに精緻で写実的なシャルル・メリヨンの銅版画を見ては、「モネといえども線描の版画ではこんなふうに描くのか」だとか、「大胆な色彩の風景画もあるんだ」とゴッホの絵を見ながら通り過ぎていたのである。なんという鑑賞力。

 私は、会場に掲げられている説明文をほとんど読まない。作品リストは必ずもらうが、作品と対応させて見るということがない。音声ガイドというのも借りたことがない(外国の美術館では2回ほど借りたが)。
 私は、自分の鑑賞眼というか審美眼というものに自信がないのである。あらかじめ何らかの情報をインプットしてしまうと、それに引きずられてしまうのだ。

 気付くのが遅すぎた。これは「モネ展」なのだが、国立西洋美術館とポーラ美術館の所蔵品の中からモネを中心として、関連する同時代の作品を集めたものだった。やり直しである。入口付近まで戻って、画家名を確認しながらの鑑賞とする。
 それはそれで、楽しい鑑賞の仕方に気付いた。たとえば、さっき間違えたゴッホの絵と似たような構図のモネの絵がある。つまり、モネの絵とモネ以外の画家の絵を1:1で対応させて見ると、いっそう興味深そうなのである。

  最後まで全部見てから、対応しそうな絵をチェックして、戻って確認する。一度だけの確認ですむほど記憶力がよくないので、会場を数回往復する羽目になった。順路に従えば2回階段を上り下りして展示室を移動するので、8回は階段を上り下りしたはずである。展覧会場は衰えてきた肉体鍛錬の場にもなった。


【上】クロード・モネ《波立つプールヴィルの海》1897年、油彩/カンヴァス、
73.5×101.0cm、国立西洋美術館(松方コレクション)(図録 [1]、p. 82)。

【下】ギュスターヴ・クールベ《波》1870年頃、油彩/カンヴァス、
72.5×92.5cm、国立西洋美術館(松方コレクション) (図録、p. 84)。

 モネの絵と並べて際立つ差があるのはクールベである。「波立つ」とわざわざ形容されたモネの波に比べれば、ただ「波」とだけ素っ気なく名付けられたクールベの絵の波立ち方はすさまじい。
 写実を重んじたクールベと、印象といういわば空気感を大事にしたモネの絵の間には,同じようなモティーフでもこれだけ違うのである。これだけ違ってしまうと、どちらが好み、などというごく単純な審美すら成り立たない。

 「印象派の技法――筆触分割――は、1869年にモネとルノワールによって、パリ郊外の行楽地ラ・グルヌイエールで完成されたという」と岩崎余帆子が解説(図録、p. 14)で述べているが、そのルノワールの絵と並べてみよう。

【左】クロード・モネ《サン=ジェルマンの森の中で》1882年、油彩/カンヴァス、81×65 cm、
吉野石膏株式会社(山形美術館に寄託) [2]。

【右】ピエール=オーギュスト・ルノワール《木かげ》1880年頃、油彩/カンヴァス、55.8×46.3cm、
国立西洋美術館(松方コレクション) (図録、p. 70)。

 ルノワールの《木かげ》の展示を見て、『印象派を超えて 点描の画家たち』という展覧会で見た同じような構図のモネの絵を思い出した。《サン=ジェルマンの森の中で》である。ともに茂る木の枝が覆い被さって続いている森の道の絵である。
 色彩を見れば季節が違うようだが、あえて比較すれば、モネは幻想的で、ルノワールはやや写実的に見える。モネの絵は、見る者を誘い込むような森の道がまるで緑の洞窟のようで、そこをくぐってから開ける世界を期待させるかのようだ。
 モネは、構図的に自然を変容させているばかりではなく、その色彩構成が幻想性を生み出しているのだと思う。明るい道が、いったんほの暗くなって続き、ずっと奥でふたたび明るくなっているという構成が絶妙である。

【上】クロード・モネ《ジヴェルニーの積みわら》1884年、油彩/カンヴァス、
66.1×81.3cm、ポーラ美術館(図録、p. 61)。

【下】ピエール=オーギュスト・ルノワール《エッソワの風景、早朝》1901年頃、
油彩/カンヴァス、72.5×92.5cm、ポーラ美術館(図録、p. 74)。

 もう一組、ルノワールとの対比を見て見よう。《ジヴェルニーの積みわら》の前にはジャン=バティスト=カミーユ・コローの絵が数点並べられ、モネは農村を自然の一部としての風景として描き、コローはそこに生きる農民の暮らしも取り込んだ農村の姿として描くという対比を、展示によって示している。
 そこでは、「モネが風景に人物を描き入れないのは、人物が引き起こす、何らかの意味合いを排除するため」(図録、p. 48)と解説されている。風景画への物語性の拒否なのだ。
 それではルノアールが風景に配した人物はどうなのだろう。コローとは違って、物語性は弱い。むしろ、風景と同等の美的審級を人間の姿に与えていると考える方が、ルノワールの他の画業との通性がいいと思う。

 ここで気になるのは、ルノワールの描く木の、というより葉の茂りの質量感なのだ。モネの並木とは決定的に違う。モネの木々の葉の茂りは、その間を風が吹き抜けていくようで自然感に満ちている。《エッソワの風景、早朝》の右端の1本の木を見る限り、二人は同じ種類の樹木の並木を描いているように見えるのだが。
 ルノワールからモネへの風景画の変化を延長させると、その先にはアルフレッド・シスレーの風景画があるように思える。正直に言えば、シスレーの風景画の方が私の好みだ。

【上】クロード・モネ《グランド・ジャット島》1878年、油彩/カンヴァス、
56.3×74.5cm、ポーラ美術館(図録、p. 28)。

【下】フィンセント・ファン・ゴッホ《ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋》1888年、
油彩/カンヴァス、46.8×51.3cm、ポーラ美術館(図録、p. 42)。

 同じ川岸の風景である。色彩感がまったく違う。空の色も、水の色も、土の色も違う。モネとゴッホの名前を並べてしまえば、その違いをそのまま納得できそうである。
 人物の扱いも違う。モネの人物は風景の一部、極端な言い方をすれば、ゴッホの絵の中の煙突と同じような美的位置を与えられているにすぎない。ゴッホの場合は風景画でありながら、そこで人間が何をしているのかという形で、人間への執着がきちんと描かれている、そんなふうに思えるのだ。

【上】クロード・モネ《セーヌ河の日没、冬》1880年、油彩/カンヴァス、
60.6×81.1cm、ポーラ美術館(図録、p. 79)。

【下】オディロン・ルドン《ブルターニュの海》 油彩/カンヴァス、3
4.0×50.1cm、ポーラ美術館(図録、p. 124)。

 《セーヌ河の日没、冬》になると、有名な《印象・日の出》に対する思い込みもあって、感心して眺め入るばかりだが、ルドンの《ブルターニュの海》と奇妙な共通点があることに気付く。どちらも水面や空の光の変化を「大胆な色彩と平面的な筆致」(図録、p. 14)で描いていて、夕景の「空気感」の圧倒的な描写に成功している。
 ある種、茫洋とした空気感こそがこの二つの絵の価値だと思うのだが、奇妙なことにモネは小さな島と数本の木々、ルドンは鋭い岩山を風景の左端に配したうえで、空や海とは違って写実的に描いている。そのため、空や水面に拡がる夕景の空気感がいっそう際立っているように見えるのだ。《印象・日の出》では、小舟とその上の人物の影が同じような役割を果たしていると考えればいいのではなかろうか。

【上】クロード・モネ《サルーテ運河》1908年、油彩/カンヴァス、
100.2×65.2cm、ポーラ美術館(図録、p. 172)。
【下】アンリ・ギョーム・マルタン《ヴェネツィアの大運河》1910年、油彩/カルトン、
34.0×50.1cm、国立西洋美術館(松方コレクション)(図録、p. 124)。

 運河や港、船の絵といえば、ジョルジュ・スーラやポール・シニャックの絵と並べればよいのだが、ここでは私にとってあまり馴染みのないアンリ・ギョーム・マルタンの《ヴェネツィアの大運河》を、モネの《サルーテ運河》と並べてみる。
 マルタンの絵は点描技法とはいえ、スーラやシニャックのような機械的な繰り返し配置の点描技法ではなく、より自然な空気感があって、私にとってはスーラやシニャックより好もしいものだ。
 モネにいたっては、スーラやシニャックの絵と比べれば一目瞭然だが、すでに点描画法を越えているとしか言いようがない。そんな大胆な色彩配置を施していることが、《サルーテ運河》の運河壁や建物が水に溶けこんでしまったかのような描き方にも顕われている。あたかも街並みが水面に浮かび上がっているかのような奇妙な感覚を与えている。

【左】クロード・モネ《睡蓮》1907年、油彩/カンヴァス、93.3×89.2cm、
ポーラ美術館(図録、p. 141)。

【右】クロード・モネ《睡蓮》1916年、油彩/カンヴァス、200.5×201.0cm、
国立西洋美術館(松方コレクション)(図録、p. 142)。

 モネといえば《睡蓮》だが、もちろん私は、モネと対比させうるような睡蓮を描いた画家を知らない。だから、ここではモネとモネを対比させてみる。
 二つの絵の描かれた時期には7年の隔たりがある。後年の《睡蓮》の筆致が大胆になっているのは、モネの技法の年代的変化に対応しているように思える。しかし、より強い色彩で描かれていることも年代的変化によるものかは、私には分らない。
 むしろ、同じモティーフ、構図でありながら、色彩感がこれだけ違うのは、画家が持つ分光の才能、いわば多様な分光器を持っていることに例えることができるのではないか。しかし、この例えの問題は、画家があるモティーフを抱いてカンヴァスの前に立ったとき、自動的(無意識)に採用する分光器が選ばれているのか、あるいは、明確な意志を持って分光器を選択しているのか、私には分らないことだ。
 いずれにしても、画家は自然を多様な色彩構成で眺めることができ、描くことができる、ということだろう。

【左】エミール・ガレ《クロッカス文花器》1898年、ガラス、44.4×11.2cm、
ポーラ美術館(図録、p. 147)。

【中】エミール・ガレ《イヌサフラン文花器》1900年頃、ガラス、25.8×10.3×8.2cm、
ポーラ美術館(図録、p. 148)。

【右】エミール・ガレ《ナラ文花器》1900年頃、ガラス、22.4×8.0cm、
ポーラ美術館(図録、p. 149)。

 エミール・ガレの5点のガラス器が展示されていたので、3点を挙げておく。初めはモネ以外の絵が展示されていることすら思っていなかった私にしてみれば、ガレの器が展示されているとは思いもよらないことで、なにか付録で大当たりした気分である。
 本や雑誌、時にはテレビでガレの器を見ることは多いが、実物を見ることはほとんどない。ガラス器よりははるかに陶磁器が好きな私でも、ガレは特別である。日本の陶磁器のような馴染みやすさはないが、かといって、西洋の器にしばしば感じる他者性(異文化性)のような感じもない。うまく表現できそうにないのだが、いわば私の美の審級のはざまをするっと抜けていって、胸の奥底におさまってしまうような、そんな感じなのだ。

 

[1]『モネ、風景をみる眼 ―19世紀フランス風景画の革新』(以下、図録)(TBSテレビ、2013年)。
[2] 『印象派を超えて 点描の画家たち』(東京新聞、NHK,NHKプロモーション、2013年) p. 29。



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2 コメント

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無題 (一読者)
2016-11-05 01:04:27
モネの「サン=ジェルマンの森の中で」について調べていて貴方の所へ行き着きました。率直かつ真摯なご意見が的確な審美眼に基づいて表されていて気が付く事が多く、大変有益でした。私見を言わせて頂ければモネは他の画家と比較して色の感じ方がどこかおかしい様に思えます。光がよく見えていたのではないでしょうか。
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Re:無題 (hj_ondr)
2016-11-05 08:00:21
人間の眼を分光器に例えると、確かにモネは幾つかの分光器を持っていてその時々で使う分光器が異なっているような印象を受けますね。
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