かわたれどきの頁繰り

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『パスキン展――エコール・ド・パリの貴公子』 パナソニック汐留ミュージアム

2015年01月30日 | 鑑賞

【2015年1月29日】

 ジュール・パスキンは、初見の画家である。図録 [1] に掲載されているローズマリー・ナポリターノの「パスキン、モンパルナスからモンマルトルへ」という評伝にしたがっておさらいをしておく(以下、引用のページは図録の掲載ページである)。

 1885年にブルガリアで裕福なユダヤ人のブルジョワ家庭で生まれたパスキンは、ウイーンで中等教育を受けた後、ミュンヘンに移り、風刺画家として評価を受ける。
 20歳の時、パリに移る。「20世紀初頭の芸術の中心パリには、シャガールやスーティン、モディリアーニ、キスリングに続いて、フジタ(藤田嗣治)もやってきた」 (p. 9)。足繁く通ったパリの美術館では「18世紀の放埒な作品」を好み、頻繁に引っ越しを繰り返し、ノルマンディーやベルギー、遠くチュニジアまで旅をした。
 1914年、第1次世界大戦が始まるとニューヨークに移り、滞米中にルイジアナ、ニューオーリンズ、フロリダ、キューバなどを旅した。大戦終了後の1920年にパリに戻った。
 パリでは、毎晩のように友人たちとのパーティーや夜遊びに暮れ、南仏やチュニジアへも出かけた。しかし、「悩ましく、満たされることのない、憂鬱な存在。亡命者だったパスキンは、自らユダヤ人であることを強く主張しないが、反ユダヤ主義には深く傷ついている様子だった。アルコールや麻薬、そしてセックスという悪魔の生け贄になった」 (p. 11)
 1930年6月、ジュール・パスキンは、モンマルトルのアトリエで縊死した。享年45歳であった。「三つの丘のプリンス、さすらいのユダヤ人、ドナウのアメリカ人、千夜一夜物語のプリンス、放蕩息子―作家や美術批評家の友人たちにそんな風に評されたパスキンは、モンパルナスの芸術共同体の中で特別な地位を与えられた」 (p. 9) のだという。

 私は展覧会会場で絵画のタイトル以外はほとんど文字を読まない。それで、美術展ではパスキンの評伝などまったく知らないままに彼の絵画を見たのである。あらかじめいろいろなことを知っておけば、より絵画を楽しめ、理解できるかも知れないのだが、思い込みや先入観で絵を見ることを怖れているのである。ありていに言えば、自分の感受力に自信がないのである。何の知識もなく絵を見て、何も感じないのならそのまま諦めていいと思っている。


【左】《ミュンヘンの少女》1903年、鉛筆・紙、35.3×23cm、パリ市立近代美術館 (図録、p. 83)。
【中】《女の肖像》1903年、木炭・サンギーヌ・紙、40×27cm、個人蔵、パリ(図録、p. 84)。
【右】《チョコレート》1907年、水彩・紙、31×21cm、個人蔵、パリ(図録、p. 88)。

 展示は、ミュンヘン時代の初期の作品から始まる。1番目の絵は《ミュンヘンの少女》で、きっちりと丁寧に仕上げられた素描はとてもリアルな少女像である。
 ところが2番目の展示は《女の肖像》である。きっちりとしたデッサンには違いないが、どこか女性の醸し出す雰囲気、周囲の空気感まで描こうとしている印象を受ける絵である。
 さらに、2枚の絵をおいて《チョコレート》が現われる。風刺画や挿絵をたくさん描いたパスキンがこのような絵を描くことは不思議でも何でもないが、立て続けにとても印象の異なる三つの作品を見せられて、なにかわくわくする感じがしたのだ。女性の描き方、とらえ方における感性のバンド(帯域)がとても広いのではないかと期待感が湧いたのである。


《キューバでの集い》1915/17年、油彩・カンヴァス、92×73cm、
個人蔵 (図録、p. 41)。

 肖像画や裸婦像をいくつか見ながら歩を進めると、急に画調の変わった《キューバでの集い》が現われる。色調は、前後の絵とそれほど変わらないが、キュビズム風の人物の描き方に強い印象を受けたのである。
 会場に入って最初に受けた女性像における感性の広さに加え、キュビズムまで取り込んだ造形性がどのような展開を見せるのか。そんな期待をしたのだが、残念ながら、キュビズムのフレーバーが漂う絵は《キューバでの集い》だけで終ってしまった。


【左】《ジャネット》1923/25年、油彩・カンヴァス、73.2×60.3cm、
カンブレー美術館(ルーベ市立美術館に寄託) (図録、p. 43)。

【右】《ヴィーナスの後ろ姿》1925/28年、油彩・カンヴァス、81×65cm、
パリ市立美術館 (図録、p. 46)。

 パスキンの絵で圧倒的に多い主題は、女性像である。その中で、《ジャネット》と《ヴィーナスの後ろ姿》は、比較的明瞭な輪郭で描かれ、力強さというか存在感を感じさせる女性像である。とくに、《ヴィーナスの後ろ姿》の迫力ある女性の肢体に目を奪われた。


【左】《椅子にもたれる少女》1928年、油彩・カンヴァス、81×65cm、個人蔵、パリ (図録、p. 62)。
【右】《テーブルのリュシーの肖像》1928年、油彩・カンヴァス、80×58cm、個人蔵 (図録、p. 63)。


《幼い女優》1927年、油彩・カンヴァス、73×92cm、個人蔵、パリ (図録、p. 60)。

 《椅子にもたれる少女》と《テーブルのリュシーの肖像》は、私にとってはかなり好もしい絵である。パスキンの女性像の中では比較的女性の表情に力点が置かれているように見える。若い頃にきっちりと描いた《ミュンヘンの少女》に表現された感性を受け継ぎ、成長させたように思われるのである。
 そのうえで、人物の衣装、テーブル、背景などは独特な空気感を帯びるような描き方なのである。初っぱなに見た《ミュンヘンの少女》と《女の肖像》が異なった感性によるのではないかと思ったのだったが、ここでは完全に統合された感性になっている。これは、パスキンという個性に属することで当然のことなのだが、初めの印象が印象だっただけにそんな思いがしたのだ。

 《幼い女優》も、《テーブルのリュシーの肖像》や《椅子にもたれる少女》と同じような印象を受ける絵だが、色彩がもう少し鮮明な感じになっていっそう好もしい。


《二人のジプシー女》1929年、油彩・カンヴァス、92×73cm、
ジャスティ・アストラップ、UK (図録、p. 73)。

 《二人のジプシー女》の解説では、「世界中を放浪し続けたパスキン」は「彷徨えるユダヤ人」と呼ばれたという。漂白の人生を送ったパスキンはジプシー(ロマ)と呼ばれる「流浪の民に自らの資質を重ね合わせ、共感とエキゾチシズムとを託している」(p. 72) ということである。
 私には到底そこまでは読み取れないが、パスキンにとっては晩年に近いこの作品は、白色に近い部分が発色して、かすかに輝いているような印象が強い。この色彩感覚はパスキン独特のものにちがいない。そう思える。


《三人の裸婦》1930年、油彩・カンヴァス、81×100cm、北海道立近代美術館 (図録、p. 81)。

 《三人の裸婦》は最晩年(といっても45歳だが)、自死の年の作品である。《二人のジプシー女》で受けたパスキン独特の色感はさらに強調されている。「真珠母色の淡い色彩が生む朦朧とした空気」 (p. 81) だと図録で評されている。
 18歳の時に描いた《女の肖像》の空気感は、《三人の裸婦》として完成したのである。

 パスキン最晩年の作品を見終えれば美術展は終りであるが、パスキンの絵画のラインから少しならず外れたような印象の絵が気にかかっていた。《ラザロと悪徳金持ち》という絵である。


《ラザロと悪徳金持ち》1923年、インク・紙、50×65cm、個人蔵、パリ (図録、p. 94)。

 《ラザロと悪徳金持ち》は、風刺画や挿絵を特異としたパスキンにとってはとくに異常な作品と言うわけにはいかないだろうが、人物をここまでデフォルメした作品は展示中ではこの1品だけだった。
 何よりも気になったのは、デフォルメの方向がいつかどこかで見たように思ったことだ。アール・ブリュット、あるいはアウトサイダー・アート、または素朴派とカテゴライズされる分野の絵のなかに雰囲気がよく似ているものがあったように思ったのである。


【左】ルイ・ステー《身振りをする6人》1937年、インク・紙、44.0×58.0cm、[2]。
【右】木元博俊《人の身体27》1989~2008年、色鉛筆、ボールペン・紙、177×230cm [3]。

 帰宅してから画集を探して見たが、もちろん《ラザロと悪徳金持ち》にそっくりな絵が見つかるわけがない。たとえば、ルイ・ステーの《身振りをする6人》や木元博俊の《人の身体27》が描く人物造形が、強いて言えば、似た印象を与えると言えそうではある。
 パスキンは、その他の絵に描いたようなリアルな人物の肉体からデフォルメの結果として《ラザロと悪徳金持ち》に至る。いっぽう、アール・ブリュットの画家たちは、(おそらくは)直接的に絵に近い人体把握をしていて、(これも、おそらくは)絵に描こうとする際の具象化作用の結果として《身振りをする6人》や《人の身体27》に至っていると考えることが出来よう。
 パスキンとアール・ブリュットの画家たちの出発点はずっと離れており、変容のベクトルは逆向きだが、いずれどんどん近づき、ついには出会って同じ想空間で切り結ぶようになるのではないか。それはprobableではないかも知れないが、possibleであろう。その可能性こそが芸術の豊かな可能性なのだ。そんな想像をした。

 

[1] 『パスキン展』図録(以下、『図録』)(ホワイトインターナショナル、2014年)。
[2]『アンリ・ルソーから始まる ―素朴派とアウトサイダーズの世界』(世田谷美術館、2013年) p. 89。
[3] 『アール・ブリュット・ジャポネ』(現代企画室、2011年) p. 52。

 

 



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