《2017年10月27日》
先ごろ、「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」訴訟で国や東電の責任を明確に認める福島地裁の判決が出されたが、「子ども脱被爆裁判」も福島地裁で行われている。その第12回口頭弁論で新潟に妻子を非難させている福島大学准教授の荒木田岳さんの弁論内容が『民の声新聞』で紹介されている。
「政府や福島県が(原発)事故前に定められていた原発事故対応の手続きを守らなかったゆえに、避ける事が出来たはずの被曝を住民、とりわけ子どもたちに強要した。その責任は重大だ」
〔……〕「住民をいかに被曝から守るか、という原子力防災の目的はないがしろにされ、住民は情報の隠蔽ゆえに被曝を避ける事が出来なかったのです」と訴えた。
原発事故後の放射線モニタリング一つとっても、実測と予測の二方向で放射線の拡散を調べるよう事細かく決められていたはずだった。「『緊急時環境放射線モニタリング指針』(以下、指針)では、計測する場所も使用する機器も、計測方法も細かく決められていた。それは乾電池一個、鉛筆一本にまで及んでいた」。そうして得られたデータに従えば、福島県民にばかりでなく、さらに広い範囲の住民に対して避難が呼びかけられたはずだと指摘する。とりわけ、荒木田さんが重視しているのが、ウランが核分裂する際に発生する「テルル132」だ。
「福島県原子力センターは2011年3月12日の朝には大熊町や浪江町で、昼過ぎには南相馬市で自然界に存在しないテルル132を検出していた。それが意味するのはメルトダウンの蓋然性であり、住民被曝の可能性。しかし福島県はこのデータを隠蔽し、住民の避難に活かさなかった」
データの隠蔽ばかりではない。いわば、サボタージュとでも呼ぶべきことも行われていた。原発事故以前に定められていた除染(スクリーニング)基準値が被曝現場でどのようにごまかされ、被ばくにつながったか。そうした事情は、『見捨てられた初期被曝』[1] に詳しい。
福島事故で起きたこと、行われたことは、政府や県や電力会社がいまどのような被ばく防護基準や対策をそれらしく作成したとしても、住民の安全のためにそれが守られる保証はないということを示している。
原発事故が起きたら、被ばく限度を1mSv/yから20mSv/yに引き上げてしまうように法律そのものを変えてしまう。そのような政府の安全対策を信じることは難しい。再び事故が起きたら、また法律を好きなように改ざんして政府や行政はサボタージュを決め込むだろうと考えるのは、ごくごく自然な論理的帰結である。
引き続いている裁判において、政府や自治体の責任を厳しく問うこと以外にこうした事態を防ぐ手立てはない。もちろん、政権をそっくり変えて、行政の体質に根本的なメスを入れる方法がもっとも正しいことだろう。だが、今度の選挙結果は、それは先延ばしにせざるを得ない手段であることを示している。それが残念である。
[1] study2007『見擦れられた初期被曝』(岩波書店、2015年)。
街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)
日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫