かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (18)

2024年11月09日 | 脱原発

201618

 先史学者で社会文化人類学者でもあるアンドレ・ルロワ=グーランの『身ぶりと言葉』は、人類の発生から現在までの進化の過程を生物学的、社会学的、文化論的に説き起こした大作であるが、そこで解明されている人類の進化は興味深く、かつ悲劇的である。ルロワ=グーランは、1964年の著書の中ですでに次のように述べている。

 現在でも、適応は終っていない。進化は新しい段階、脳を外化する段階に及びはじめ、厳密に生活技術の観点からすれば、転換はすでに行われている。〔……〕時間・空間の縮小、行動リズムの増大、一酸化炭素や産業公害への不適応、放射能の浸透性などは、長いこと人間のものと思われてきた環境に、人間が生理的に適応できるかどうかという奇妙な問題を提示している。十全に進歩を利用しているのは社会だけだ、ということにならないかどうか、自問してみることもできよう。個人としての人間は、すでに時代遅れの有機体であって、小脳や喚脳、手足のように役には立つが、人類の下部構造として背景に退き、〈進化〉は人間よりも人類に興味をもっているのではなかろうか。その上このことは、人類という種と動物種の同一性を確認するに他ならない。動物種については、種の到達点だけが考察の対象になるからである。 [1]

 ヒューマニズム(人間中心主義)は、完全に沈黙せざるを得ない。人間が作り出した一酸化炭素や産業公害や放射能によって、個別の人間ではなく、人類が適応可能かどうか問われている。いまや、個人の私(たち)は時代遅れの有機体に過ぎないという。つまり、一酸化炭素や産業公害、放射能へ私たちの身体的適応は絶対に追いつかないということだ。
 一酸化炭素(地球温暖化)の問題も放射能(原発、原水爆)の問題も、その反人類的な本質は明らかにされているにもかかわらず、資本主義を是とする国家群は解決を拒否している。産業公害もまたインドや中国の大気汚染を見る限り、地球規模の解決の見通しは立っていない(国家権力群は解決しようともしない)。この国家権力群は、ネグリ&ハートに倣って《帝国》と呼ぶと概念的にはすっきりと納まるようだ。
 人類の進化と適応が重大な危機に直面していることを、ルロワ=グーランの記述で辿っているとき、息抜きで読んだはずの詩集の中に、人類どころか地球そのものの墓碑銘が記されていた。

〈墓碑銘〉
太陽が滅び進化のはてに赤色巨星となり白色矮星と化した その億年の大昔
太陽系の惑星((地球))に人類という生物が住み
他に比類なき智能を具有し 火星を探査し月に資源を漁り
宇宙を往来するほどの科学の粋を極めたが
文明から精神を欠落して五蘊皆空を悟らず
権力者のムレが互いに国家を樹てて領土と富を諍い
そして遂に夢魔の生きものと化し
漂える宇宙の塵となった 

  「百鬼夜行の世界の闇に冥府の雨が降っている」(部分)[2]

 「そして」なのか「だから」なのかは措くとして、私たちは五蘊を駆使して、原発に反対し、その国家の政策に反対し、今年初めてのデモを歩き、そのデモを終え、明日のさらなる行動へと繋げるのである。

[1] アンドレ・ルロワ=グーラン(荒木亨訳)『身ぶりと言葉』(筑摩書房、2012年) pp. 400-1
[2]
尾花仙朔『晩鐘』(思潮社、2015年) pp. 126-7



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〈読書メモ〉 『現代詩文庫114 新井豊美詩集』(思潮社、1994年)

2024年11月05日 | 読書

……からの距離は雑草にふちどられ
おきさった形象はひび割れている

風がとだえる
道路の両側から庄しよせる熱気の壁が
白い都市の相貌をゆがめる

吐息と汗のいちめんの澱みに
ひしめきあう不定形のものたちが
音をたててくずれ
飛沫をあげ
やがて
遠のき
………
わたしの中心から一個の錘をおろすと
それは水面をかすかにゆるがせて
増水した黒い容積のなかに消えるが
骨の層に達するまえに
糸は切れ
関係を失ったものの反動だけが
そのとき確実にわたしを超えたのだ

路上にポリバケツ
〈像〉とは一皿の空白だと
わたしはすべり落ちた匙を
今朝の食卓にもどした
  崖と隧道と遠近法と
  うなずくものすべてを
  おまえの小さな指で
  ゆびさしたとしても
  表層を漂う
  浮標にすぎない
欠けた皿とナイフを並べ
果実の薄い皮をむけば
うすももいろの芯と
むしくった核 と

そして
敏捷に動く素足を追って閱へと入りこめば閽の手はわたしの眼をおおい鼻孔   をふさぎ臆病なおまえが身を隠す筒状の迷路の夜々はにがくいっそう息苦しく長いのだ 穿たれた裂目に塗りこめられてゆくものは歳月だけではない 上へ上へと白いしっくいによって塗りかためられたかの幻想の島々を思い描くならばどのような悪意と妄想のあおざめた神々がよみがえるであろうか
名づけられることを拒否する名なき島々の岬をめぐる環碟と回路と
  「波動」(詩集〈波動〉)部分 (pp. 8-9)

 詩集の最初に置かれた「波動」という詩の前半部分である。言葉の使い方、表現手法にびっくりするほど感嘆もしたのだが、戸惑いも大きくて少し腰が引けてこの詩集から撤退した方がよいのではないか、そんな気もしたのである。
 「路上にポリバケツ/〈像〉とは一皿の空白だと/わたしはすべり落ちた匙を/今朝の食卓にもどした」という4行に詰め込まれた技法には確かに驚かされ、感心もした。1行目にはシュールレアリズム風のイメージ、2行目には思いっきり観念的な命題、3、4行目にはごくごく日常的な動作の描写が描かれている。とても感心したのだが、どうもうまく心がついていけないのである。
 1行目の「……からの距離は雑草にふちどられ」にも驚かされた。その距離が問題になるような重要な対象が隠されていて、その欠落感を抱えたまま次行へ移らざるを得ない。詩の後半部で「あなた」が出てきて、たぶん「……」は「あなた」ではないかと想像するのだが、欠落感は解消しないのである。
 もう一つ、「おきさった形象」とか「白い都市の相貌」という言葉にアーバン・モダニズム(こんな言葉があるかどうか知らない。もしかしたら私の勝手な創作かもしれないが)の匂いがしてこれにも腰が引けたのである。ポストモダニズムがあらゆる価値を相対化した後で、都会的で小洒落た言葉遣いやファッション(言葉も含めて)があたかも価値あるかのように流行り始めたころ、田舎者の私は強く反発し、リキッドモダンなる時代になってもその感覚が続いていて、腰が引けてしまうのである。
 しかし、詩集の2番目に掲載された次の「薄暮」という詩で、私の印象は一変する。

わたしたちはすこし不機嫌に
黙っている

雑踏のなかで
パンの包をもって
改札口を出る人とすれちがう

長いプラット・ホー厶の先端へ
かたむく名もない夕ぐれから
夕ぐれへと気ぜわしく羽搏きながら
移り棲むほの暗い疲労と
もうひとつ
消滅した一日と
そして都市の重い扉を出る電車の
車内広告に燃えつきる太陽は
どこの地の
太陽か
遠い国では火をふく戦乱があり
近い国では圧政があり
わが地上には
薄暮の貧しい連带がある

混雑する市場や丘の上の集合住宅の眼をいっとき明るくかがやかす燈火はわたしたちを幸せにする?
ごらん どの窓からも真昼間の雲と洗濯物はとりこまれ下着はたたまれ 食卓をめぐって子供らのはずんだ声と若い母親の優しい叱り声が でもひとつだけ燈がともらない窓がここにもあって そこからまた夜が拡がろうとしているなら?

屋上にぬけるもうだれもいない階段の踊場に その上につき出たアンテナの林に たち去りがたげにとどまっているのは沈黙と夢のぬけがらだけだ 奥多摩方面の
遠い山々の稜線にはまだ
かすかな明るみがあり

電車はいま
町はずれの河を渡る
  「薄暮」(詩集〈波動〉)全文 (pp. 10-11)

 いい詩である。一日の仕事が終わった夕暮れ時、電車で帰宅する都会人の1時間やそこらの物語である。車内広告の写真から遠い異国や隣国の政情のこと、私たち貧しい者の連帯に思いを致し、電車の窓から見えるアパートメントの窓々の灯火の有無から幸せな家庭とおそらくは崩壊した家庭とを想像する。
 机の前や書斎や研究室だけから哲学や思想が生まれるわけではない。人は日常の繰り返しの生活の中でありきたりな振る舞いをしながら、あらゆることを考え、想いを進めることができるし、それが私たちの思想や情念となるのだ。この詩にはそういう主張がある、と私は読んだのである。
 そして、「奥多摩方面の/遠い山々の稜線にはまだ/かすかな明るみがあり//電車はいま/町はずれの河を渡る」という詩の終わり方がとても良い。さりげない率直な描写が主題をよく浮き立たせていると思う。
 この詩集に載せられた最初の2編の詩だけでもずいぶんと考えさせられたが、それ以降を読み進めると、この詩人はじつに多才(私にとって多才という言葉は褒め言葉ではないのだが、ここでは文字通り)だということがよく見えてくる。単に多才というよりも、想世界の多重性、異なった世界の時空間が詩人の精神の中に美しく折り重なっているように見える。

すべてをすっかり透きとおらせるためには
魂は透きとおったレンズを持たねばならないが
透きとおったレンズを持つためには
あわれな病者を野に追いやらねばならない
黄金色の麦畑を描くために画家は
彼の病む耳を切り落さねばならなかつた
そして鉛の弾丸と一緒に
光の海に飛び込んでしまった

わたしの手のひらの感情線は繊細で
たくさんの小枝に別れているのに
このさまざまな枝のなかから
ただ一本を
選び取る困難を免れることはできない
空に向って垂直に伸びている枝か
重く曲って地に這う枝か
いずれにせよわたしたちの根は
永遠に地を離れることを許されていないとしても
そのことがいっそう
人間の空を美しくしている

古い足跡の上にも
春になるとたんぽぽの花が咲き
こんな小さな花にさえ
向日性のあることがわたしを
深く感動させる
  「光の声」(詩集〈波動〉)部分 (pp. 14-15)

 「あわれな病者を野に追いやらねばならない」というフレーズにはいくぶん疑問符が付くが、すぐ後のゴッホについての記述から、それがたとえ悲劇的であっても透き通った精神のために己の中のなにものかを捨て去らねばならないという意味だろうと理解できる。無数にある感情線の枝分かれの1本を選ばざるを得ないのは、様々な感情を人は有するがその時々において一つの強い感情が際立つことは避けられないのだ。
 「いずれにせよわたしたちの根は/永遠に地を離れることを許されていないとしても/そのことがいっそう/人間の空を美しくしている」や「古い足跡の上にも/春になるとたんぽぽの花が咲き/こんな小さな花にさえ/向日性のあることがわたしを/深く感動させる」という詩句は、人間存在のありようとして逃れようのない宿命のごときものが美しい世界を形づくることへの反語的なみごとな表象だと思う。
 次の「岬」という詩にも、「光の声」と同じように特別な素材に依存せずに人間の想念、想いの深さを表現した(私にとっては)とても好もしい詩である。

そこでは
えいえん という観念が垂直に
光の雨に打たれている

野茨の白く咲く道を
かわいた風が駆けぬけて
視界は遥か高空へ傾いてゆく
畑や森
崖や隧道
家々やカモメたちの寂しい岸壁を乗せ
うつくしいめまいのように

終点の岬で
バスをおりた
最後のひとりが車道をよこぎり
ひとつの影が日射しをさえぎる
小指ほどの世界の果てまで
ひとはながい自分の影をひきずってゆき
カラの車体は
かるがると世界の裏側へまがってゆく

ひとは
ここに来て願うだろう
吹きすぎる風をとらえることを
いっしゅん という観念が手の中で
かたちある光となってかがやくことを
そのささやかな幻の頭上に
純粋な白い雲がしばらくはとどまることを
祈るだろう

のばされるまなざしが
ひとつの港
ひとつのまち
ひとつの窓
ひとりの天使と赤銷びたひとつの錨
果てという果てを通りぬけ 世界の
中心へとどくことを
  「岬」(詩集〈半島を吹く風の歌〉)全文 (pp. 60-61)

 一方で、散文詩の形式をとった物語と呼べるような詩もある。私にとって散文詩は、文字通り散文であって詩とは思えないということがしばしばあって、いくぶん避けたい気分がするのだが、「海辺の祭り」を引き込まれて読むことになった。

岬で。
水揚げされたばかりの魚の眼が大きく見開かれて 色の深い空がのぞく。その海の窓をくぐり抜けて祭り囃の聞こえる方角へ小走りにゆく。
小さなまちの小さな祭り。

張りぼての鉾を先頭に 花飾りをつけた山車が草いきれの中をねり歩き 白装束の鬼面のアニたちの榊を乗せたあばれ神輿が景気よく海になだれこんだ。

老人たちが笛。
子供らが太鼓。

魚たちの眼球がいちれつに連なり みずいろの吹き流しになって流れてゆく。
おくれて来た夏のおくれて来た祭り。

わたしは忘れられようとしている わたしがそこにいるのに。
烏賊つりの火が明滅してその夏は長かった。ははがいて赤ん坊がいて遠雷の音が響いた。窓の裏側を熱い闇が帯状の霧となって流れ火がばんやりと揺れていた。あれが祭りだったのだ 多分。
小さな部屋の小さな星祭り。願いごとを書かなかった短冊。形而下へ墜ち続ける矩形の夕凪。忘れないで。伯母がいて年寄りがいて女たちがいて 腐敗した魚の臭気がどぶ沿いに緩やかに漂うそのまちでわたしたちのひねこびた赤ん坊は指を吸いつづけいつまでも大きくなれない。

わたしは手紙を書く。現象の向こう側へ避暑地からの手紙に似せてさり気なく。
岬で見た魚たちの蒼い眼球のこと。踊る女たちのこと。醉酊したたくましいアニたちのこと。驟雨と虹と植物になって繁茂してゆく鳥たちについても。
彼等は永遠に楽園の島にいて帰って来ない。
祭りが通りすぎる。道が急に白く乾く。わたしは急がねばならない。
わたしがいてわたしが忘れられる。ははがいてははが忘れられる。赤ん坊がいて赤ん坊が忘れられる。小さなまちの小さな祭り 長い長い夏 すべてが。
  「海辺の祭り」(詩集〈河口まで〉)全文 (pp. 21-22)

 読んでみれば、これは散文詩ではない。1行が長いだけのことで、言葉は明らかに詩のリズムをもって繋がれていくとても良い詩なのである。山育ちの私には海辺の祭りのイメージが薄いけれども、ここに描かれる祭りと人々の描写は懐かしくリアルである。祭りの場にいる(あるいは眺めている)自分と祭りの人々との距離が語られ、そして「祭りが通りすぎる。」からの最終部分で、人生における緊急性と忘却が語られる。
 「海辺の祭り」が過去の記憶を丁寧にたどることで生じる過去への想念を語っているとすれば、「グリューネヴァルト頌」は現前するイーゼンハイム祭壇画から喚起される過去の物語が語られる。いや正しくは、現在と過去が重複して語られるということだろう。

この祭壇画を見てもっとも心をひかれた部分がキリストの凄惨な磔刑像のリアリズムではなく 支えられた腕のなかで殆ど気を失った聖母の蒼白な顔でもなく それ自体はなにをも意味せぬ女の身体の一部分 かつての娼婦マグダラのマリアの背をおおう豊かな金髮であったのは不思議なことのように思われる。鼓動を止めた男の肉体の上に酸鼻に開く傷口にも頭部に鋭くくい込む茨の太い棘にも母の悲哀の涙にも 場面の劇的構成のすべてにわたしの関心はうすかった。ひとり両腕を祈る形にさしのべ苦悩をあからさまにする現世の女の弓なりにしなう背中から腰へ野獣の鬚よりも色濃く波打つ金髮は流れた。暗い空の下に荒漠と拡がるの背景の 褐色を带びた濃緑色の中世空間にはげしいコントラストとなって輝く一房の髮。その即物的な力がわたしをこの祭壇画へと引きよせていたのだ。

 復員した父をまじえたわたしたち家族の戦後の貧しい寄食生活の細部をいま思いおこすことはすでにまれである。
 その頃わたしは僥倖のように二匹の仔山羊を飼っていたのだが 母の出産を前にそのうちの一匹を父は屠殺した。父の振り上げたハンマーでみけんを砕かれた仔山羊が三、四歩飛び上がるようにして倒れ四肢をのばし全身を痙攣させて死ぬまでの一部始終をわたしは凝視していたからいまでも場面を眼の奥に再現することは容易だが その瞬間の幼いけものの悲鳴 鼻孔からどっと流れ出した鮮血の色を思うことはまれである。

 より美しい一匹を残し美しくない一匹の命を手放したことへのわたしの最初の罪の意識を反芻しくり返し手を洗う密かな性癖もいつか消えた。
 その山羊のすべてを食べつくし赤ん坊が生まれてわたしたち家族はあの戦後という時代を無数の小さな罪とひき換えに生き抜いてきた。

 死体がずり落ちてくる全重量を左右上方にのびきった腕の先端で掌に打ち込まれた犬釘が支え 裂けてゆく傷からしたたる血潮が横木の上にどす黒く凝固しはじめている。井戸端に吊された仔山羊は血を抜かれ皮を剝がされたちまち数個の肉片と化した。重い皮表紙の徽くさい頁を繰って描かれたひとりの男の殺害の現場に逃れがたくひき寄せられながらそのとき わたしはおしよせる死と罪の強迫観念から逃れて太陽の光に似たものの持つ生命力を本能的に選びとろうとしていたのだろうか。ひたすら 金色の髮のリアリズムに心われつづけた子供の無意識は。

 イーゼンハイムの この極限の構図のなかに女の波打つ毛髮のひとすじひとすじを執着をこめて描写した画家。あなたにとってその輝きの意味とはなにか。生きることの罪と生命の官能をつなぐ金色のほそいみちすじのありかがいまここにかすかに見えている。
  「グリューネヴァルト頌」(詩集〈いすろまにあ〉)全文 (pp. 47-48)

 私はイーゼンハイム祭壇画の実物を見たことはないのだが、キリストの磔刑が描かれる絵画ではいつもマグダラのマリアに目を魅かれる(聖母子像にしばしば一緒に描かれる幼い洗礼者ヨハネにも魅かれるが)。マリアの「豊かな金髪」に心をひかれた詩人とは異なり、私の場合はいつもマリアの美しさに惹かれるのだが。
 詩は、祭壇画の主題からは少し離れた細部から、「わたしたち家族の戦後の貧しい寄食生活の細部」が想起される構成だが、実際には二つの時空は全く独立しているかの如く描かれている。「より美しい一匹を残し美しくない一匹の命を手放したことへのわたしの最初の罪の意識を反芻しくり返し手を洗う密かな性癖もいつか消えた。/その山羊のすべてを食べつくし赤ん坊が生まれてわたしたち家族はあの戦後という時代を無数の小さな罪とひき換えに生き抜いてきた。」という過去は鮮烈に響く。私にも似たような過去の記憶があるが、この詩句は過去の経験の有無にかかわらず響くだろうと思う(戦争、敗戦、戦後を理解するうえでもそうあってほしい)。
 最後に、この詩人の想世界の中で私から見たら極北と思えるほど遠い世界を見ておくことにする。

海からの白い道を彼女は歩いて来た。運河にかけられた橋を渡った。彼女は微笑しわたしは微笑をかえす。なにかが色づきなにかがあたたかくふくらむ。新しい汐の匂いがしてわたしたちは一つに溶けあう。いっしょね。とわたしはいう。いっしょね?

魚市場の前で西へゆくははに出会った。腰を深く曲げて灰色の眼をした彼女はやさしく ひどく年老いていた。またいつかの祭の日 幟の立つ田舎びた商店街のにぎわいを 幼児の手を引いてゆくうら若い彼女を見た。そばかすのある丸顔に疲労のけだるい影がすけて見えた。

家々の台所に立つ家ごとの彼女らは タぐれの魚の白い腹を裂き俎板についた血を腰を洗う手つきでたんねんに流していた。よく動く細い指で長い髮をすき きりりとたばねた。子らを産んだ涼しい女陰をさっぱりと閉じて戸口をみがいた。

彼女らはいつも遠いところから来る。彼女らは微笑しわたしは微笑をかえす。いっしょね? けれどわたしは 〈そこ〉に帰ることができない。わたしはどこへゆくのか。鏡の前で髮をとかし口紅を拭いファスナーをおろす。何千日目かの同じような夜。わたしはまたしても裂かれてゆく魚だ。折れた指だ。産まない性。黒い水の中で〈……〉とど声もたてずに平べったくなる。
  「西へゆく」(詩集〈いすろまにあ〉)全文 (pp. 33-34)

 私が理解しようとしても理解できない女性性というものがあるだろう。いや、観念的には理解できる気分になること(ところ)もある。だが、情念はどこまで行っても後れを取っている感じがする。女性詩人が書く詩にはそんな部分が含まれていて、それが私にとって魅力のようにも思えるのである。
 しかし、これは性差の問題ではないのかもしれない。私たちは、性差にかかわらず「他者」の中にどうしても届かない精神や情念があることを知っている。だからこそ、「他者」は「他者と」して向き合わねばならないのであり、そうであればこそ、私たちが共有する象徴としての言葉、詩を含めた芸術の計り知れない価値があると考えられるのだ。
 であれば、「西へゆく」のなかの「わたし」へ限りなくアプローチすることに私が新井豊美という詩人の作品を読む正しい意味があるということになるのだが、どうにも遠い道のりのように見えているのがなんとも口惜しい。



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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(26)

2024年11月04日 | 脱原発

2015年7月17日

 今日は、二つのデモをはしごする。一つは「安保法案ゼッタイ廃案! 7.17緊急県民集会」、もう一つはいつもの「脱原発みやぎ金曜デモ」である。ザックに括り付けるプラカードも裏表でそれぞれのデモに使えるように作った。
 当然のことだが、ここずっと安全保障関連法案と呼称する戦争推進法案をめぐるニュースばかりが体の周囲に立ちこめているような具合である。法案が衆議院で強行採決されたこともあるが、それに至るまでの国会での政治家の言説、あるいはマスコミに登場する言説にたいがいの人々は、苛立っていたのではなかろうか。
 少なくとも、私が政治家の言語と私(たち)の言語との隔絶にあらためて驚かされ、苛立っていたのは確かである。それは、法案が衆議院を通ったということよりも、現実の政治問題に関するコミュニケーションの可能性の欠如によるところが大なのだ。
 このコミュニケーションの不可能性は、私たちの側に問題があるのか。けっしてそうではない。首相、外務相、防衛相の国会答弁が応答の態をなしていないことを考えても、政治家の知的劣化によるとしか言いようがない。
 もっと正直に言ってしまえば、あのような知的劣化物を対象に自分の人生の時間を浪費するのが口惜しいのである。しかし、その知的劣化物が権力を握ってしまったがゆえに、どれもこれもきちんと対応しなければならない不幸が恨めしいのである。その辺のネトウヨの雑言(ほとんど同じレベルだが)のようには無視できないのだ。
 たとえば、首相補佐官の磯崎陽輔参議院議員がツィッター上で若い女性に論破されてその女性をブロックして逃亡しただとか、安倍首相が私的なネット放送で対談相手の丸川珠代参議院議員のネトウヨ情報にあおられて民主党の辻本清美衆議院議員を中傷して陳謝したとか、程度の低いニュースが流れてくる。こんなことがあっても、とくに誰も恥ずべきことだと思っていないらしいのだ。
 「恥ずかしさが哲学の出発点である」とスティグレールは語っていたが、自公政権の政治家にはきっと恥の概念は存在していないのだろう。ましてや、哲学だとか思想を求めるのは、「馬の耳に念仏」どころか「馬に念仏を唱えさせる」ほどに困難だろう。いくら私でもそんなことはとっくに諦めている。
 あるいは、政権の支持率が逆転してから政権批判へと態度を翻したマスコミが増えたなどというニュースが流れる。しかし、実態は何も改善しない。普段から権力批判の視座をもって自らの論理を鍛えていないマスコミが態度を翻してみたところでどのような力が発揮できるというのか。「人は、日々自分で掘りあげた塹壕の中でしか戦えない」と断じたのは吉本隆明だっただろうか。
 結局は、ニュースに惑わされることなく、自らの行いとして一人ひとりが意思表示をするしかないという単純な結論しか出てこない。私は、政治家にも政治にも向いていないのである。
 そういえば、国会議事堂前の抗議の最中に二人の逮捕者が出たというニュースが流れた。一人は警察官の肩を押した(こづいた?)ことで、もう一人は警察官の胸ぐらを掴んだということだったらしい(警察発表によるマスコミ報道なので真偽は定かではないが)。
 もちろん、けっして褒めることはできないが、苛立つ我が身からすればむしろ同情の気持ちが湧く。あまり批難する気分も批判する気分もないのだ。むしろ、救援体制がどうなっているのかを心配している。
 どうやら私は、いつのまにかサルトルの徒ではなくフーコーの徒に近いらしい。逸脱、あるいはディオニソス的心性のなかにも人間の真実があると思っているのである。 
  
 じつは今日の朝くらいまでずっと考えていたブログのネタがあった。「反戦歌」と「レーニン」と「深夜食堂」で、三題噺ができないかとあれこれ考えていた。
 何のことはない。数日前まで読んでいた塚本邦雄の『定本 夕暮の諧調』に取り上げられていた坪野哲久の反戦短歌と白井聡さんの『未完のレーニン』、それにテレビの再放送で見ていた「深夜食堂」という連続ドラマをくっつけようと思ったのだが、これはどう考えても脱原発に結びつけようがない。反戦と革命という点において、前の「戦争法案ゼッタイ廃案」のデモの流れの中の話である。「深夜食堂」は、どちらかと言えば社会の底辺に近いところで生きる都会人の現代版の人情ドラマである。深夜12時から営業する食堂で繰り広げられるドラマでは、もちろん政治も社会問題も戦争もあからさまには出てこない。新宿ゴールデン街の夜中の〈日常〉が満ちている人情話だ。
 そんなドラマの1シーンにかの有名な渡辺白泉の「戦争が廊下の奧に立っていた」という俳句を重ねると、〈日常〉を襲う戦争のリアリティがいっそう深く味わえるのではないかと思ったのが、そもそもの初めである。そんなときに、塚本邦雄の本に坪野哲久が取り上げられていたのを読んだのだ。残念ながら、かつての私の抜き書きメモの中にはたった一首だけ坪野哲久の歌が記されているだけだった。

胸元に銃剣突きつけられても怯まぬかああ今のおれは怯むと思ふ
              坪野哲久 [1]

 こういう歌を抜き書きで残しておくのは、こういう歌を自分に突きつけておかないと臆病で愚かな私はどこまでも頽落していくのではないかという怖れがあるからである。
 さて、塚本の本から坪野哲久の短歌二首を引用しておこう [2]。

きやつらは婪(むさぼ)るなきか若者の大いなる死を誰かつぐなふ

議事堂を遠目にみつつ通へれどこころ富みたる一つだになき

 戦争は若者の死をむさぼるのであり、かつても今も戦争を推し進める法案を議事堂では採決している。今、その議事堂の前では、法案に抗議してSEALDsの若者たちが豊かな感性に満ちた反対運動を重ねている。そして、若者たちが動き出したことに感動している多くの大人がいる。私もその一人だ。
 いま若者たちが取り組んでいるのは戦争法案反対という政治イッシュウだけだが、社会の変革への1歩を踏み出していることには違いない。そこに大きな可能性を見いだすのは、白井さんがレーニンの思想の中に指摘した「革命の現実性」そのものが見えるからではないか。この場合、もちろん〈革命〉を社会の〈変革〉に置き換えた方が誤解がないだろう。
 かつてマルクス主義は、革命は歴史的必然であるとして「革命の必然性」を説いた。しかし、白井さんが指摘するレーニンは、革命は現に今ここに存在しているのだと考える。「「客観的必然性=革命」を世界そのものとみなすということである。こうして「革命の必然性」は「革命の現実性」に転化する」と白井さんは述べている [3]。それは、「必然的な未来」を私たちの現在がすでに包含しているということだ。
 間違ってしまうかもしれないが、もう少し具体的にいえば、私たち老人は「子どもや孫のために戦争のない国を遺したい」と考えるが、若者は「自分たちは戦争のない現在(=未来)を生きたい」と考えている。若者たちの運動は、必然的に彼らの未来を現在の中に包含した運動、「変革の現実性」を具えているのだ。私が豊かな可能性を彼らの運動に見るのはそのためだ。
 そして、彼らの未来は彼らのものなのだから、基本的には、応援しながら見守るしかできないような気もしている。少なくとも、大人ぶったりお節介をしたりして邪魔にだけはならないようにしなければならない。

[1] 現代日本文學大系95巻『現代歌集』(筑摩書房 昭和48年)p. 261。
[2] 塚本邦雄『定本 夕暮の諧調』(本阿弥書店、1988年)p. 149。
[3] 白井聡『未完のレーニン――〈力〉の思想を読む』(講談社、2007年)p. 50。

 

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【メモ―フクシマ以後】 原発をめぐるいくぶん私的なこと(9)

2024年11月02日 | 脱原発

2016年4月8日

 去年の8月30日、安保(戦争)法案に反対する国会前の大集会で聴いた「民衆の歌」がずっと耳に残っている。自由に身動きができないほどの人混みの流れに押されながら、自由の森学園の高校生たちが合唱する切れ切れの歌声が、音楽に低い感度しか持たない私の心にもどういうわけか強く残っている。そのとき、闘いの歌は、こんなにも若々しい声で歌われるのがいいと思ったのだった。歌声そのものが希望のようなのだ。

戦う者の歌が聞えるか
鼓動があのドラムと響きあえば
新たに熱い命が始まる
明日が来た時 そうさ明日が

 犬とのっそりのっそり散歩しながら、ユーチューブでその歌を探し出して聴いたりする。若い時には、多くの闘いの歌を聴いた。中には、経験とその記憶から歌うことを躊躇うようになった歌もある。「民衆の歌」にはそういう過去の記憶がない。それが良かったのかもしれない。

列に入れよ 我らの味方に
砦の向こうに世界がある
戦え それが自由への道

 かつて「自由」という一点に結集する民衆がいた。いま、高度な消費社会で政治的イッシューは拡散し、ファッションのように誂えられたイッシューを消費するばかりのようだ。しかし、分散から集結へと様相が変わりつつあるように見える。原発と戦争法制と辺野古は、かつての「自由」の現代的表象のようだ。



2016年4月24日

溶けさうな大きなあをさを空と言ひその空を歓ぶ春ふかくして
              河野裕子 [1]

 咲き残る桜もまだ少し見ることができる四月最後の日曜日、とても暖かな日になった。8時半に家を出て、上天気の空を見上げながら、「今日は遊ぶ暇がないなぁ」とちょっと悔しく思い、植え替えが遅れているいくつかの花木のことなども思い出した。
 町内会の総会があって、その会場設営を手伝おうと早々と家を出たのだが、私が着いた時には準備が終わっていて何もすることがないのだった。総会が終わり、昼食をとりながら反省会をして、家に戻ると午後1時半である。
 急いで着替えて、家を出直し、元鍛冶丁公園の午後2時の集会にはなんとか間に合ったが、もう汗だくである。ザックからカメラを取り出し、そのスペースにジャケットを詰め込んで顔をあげたら、集会は5、6人のゴミ拾いから始まっているのだった(ゴミのほとんどは煙草の吸殻だ)。
 「ゴミ拾いの皆さんもこちらにお集まりください」という言葉で、集会が始まった。天気の良い休日は参加者が少ないというのは経験が教えてくれる。今日も少ないな、と思っていたのだが、気が付かないうちに増えていて、デモが始まると45人になっていた。私が見ていたかぎりでは、4人の人が一番町でデモの列に加わった。
 一番町に出て、陽に輝いてやけに明るい人混みの中を歩き出して、とつぜん思い出したことがある。まだだいぶ若かったころ、こんなにも明るい昼日中の街で、人も風景も急速に遠ざかっていくように見え、なぜ私は人々からも風景からもずっと離れて一人で歩いているのだろう、と思うことがあった。たびたびそんな気分に陥っていたのに、今はまったくそんなことはない。いつごろから起きなくなったのかも記憶にない。たぶん、何十年もなかったのだ。デモの列を追いかけながら、そんなことを思い出していたのだったが、そのうちに陽が翳ってしまった。

行きずりの 誰かが誰かに話しかける
この人があの人で
あの人がこの人であってもいいのだ
こんなにゐるのに たった一人のひとがゐない
(……)
こんなにゐるから さびしいのだ 完璧に
しびれるほどに
(こんなに似てゐて 誰かは誰かをわからないから)
何をしてもわかられる心配はないから
みち足りて こどくなのだ
       吉原幸子「街」部分 [2]

 一番町広瀬通り角ではYMCAの若い人たちが熊本地震災害への救援金を呼び掛けていた。何人かはデモの列に手を振り、私たちのコーラーは「熊本地震災害の救援金カンパを行っています。ご協力ください」とトラメガを使って市民に呼び掛けるという交歓シーンもあった。
 まだ若い緑だが、青葉通りのケヤキは葉が茂りだした。まもなく5月、青葉若葉の季節が仙台では一番いい季節だと、私は思い続けている。心落ち着かない桜の季節が終わって、仙台の街中の緑色は奥州山地の山々に続くようになる。
 私は桜が嫌いなわけではないのだが、芥川賞を受賞した青山七恵の小説の一節に次のような文章があって、この若い神経症に苦笑しつつも少しばかり共感できるのはたしかだ。

 駅前の桜並木で、白い花びらがはらはらこちらに散ってくるのがうっとうしい。春なんて中途半端な季節はいらない。晴れていてもなんだか肌寒い日ばかりで、じらされているようなのが気に障る。冬が終わったらいきなり夏が来ればいい。花見がどうだとか、ふきのとうや菜の花や新たまねぎがおいしい、なんて聞くと、浮かれるなと怒鳴りたくなる。自分はそんなものには踊らされない、と無意味に力んでしまう。
          青山七恵『ひとり日和』から [3]

[1] 河野裕子『歌集 紅(こう)』(ながらみ書房、1991年)p. 13。
[2] 吉原幸子「詩集 夏の墓」『吉原幸子全詩 I』(思潮社 1981年)p.208。
[3] 青山七恵『ひとり日和』(河出書房新社、eBookJapan電子書籍版) p. 14。


 


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