《2017年6月2日》
この5月24日に大道寺将司死刑囚が東京拘置所で亡くなった。病んでいた多発性骨髄腫による。極左暴力集団とかテロリストと呼ばれるが、彼は「彼の革命」の途次で獄死したのである。
辺見庸さんの文章で彼が俳句を作っていて全句集[1]を出版したことを知った。作句年順に編まれた全句集だが、彼の死を知って読み直している。今回は、2012年の最後の句から時間を遡るように読み始めたのだが、2011年からの頁に次のような句が出てくる。
新玉(あらたま)の年や原発捨てきらず (p. 185)
無主物を凍てし山河に撒き散らす (p. 185)
風さやぐ原発の地に秋深し (p. 181)
日盛りの地に突き刺さる放射線 (p. 179)
原発に追はるる民や木下闇(こしたやみ) (p. 177)
加害者となる被曝地の凍返(いてかえ)る (p. 174)
必ずしも出来のいい俳句ばかりではない(と私はおもう)が、私たちが反原発、脱原発を唱え、動き始めたころ、獄中の彼は私などと同じような原発への思いを抱いていたことは記しておきたい。「原発に追はるる民や木下闇」は、私たちのモチベーションの基底そのものではないか。
辺見庸さんは、『棺一基 大道寺将司全句集』に序文と跋文を書いている。その序文のなかで全句集の書名が採られた句を紹介している。
棺一基(かんいっき)四顧(しこ)茫々と霞みけり (p. 123)
この棺は、「絞首刑に処された」人のためのもので、棺の人に彼は留置場の庭などで会ったことだろうと辺見さんは推測している。そしてこう書いている。
棺一基は、寒き春に震えながら流れてゆく凍える舟のような表象であった。そうであるならば、俳人の眼はどこにあったのか。かれの躰は作句のただなかにあって、どこに位置したのだろう。眼も躰も、一基の棺の外にあったと同時に、粗末な窓なしの木棺のなかにもあり、だからこそ俳句として仮構された末期の眼には、見えるものすべてが茫々と白く昏く霞んでいたのではないだろうか。この句から察するに、大道寺将司はおそらく死の風に乗ろうとしている。死の川にむかい傾ぎ、暮れていこうとしている。かれはこれまでもそのように死に備えようとしてきたし、いまも備えようとしている。そう感じられてならない。(pp. 15-6)
読み直していて、私には次のような句によって痛いほどの強い印象が刻み込まれるのだった。
おほいなる錯誤の沙汰や名残雪 (p. 122)
ゆきあひの風のふるへを挽歌とす (p. 118)
[1] 『棺一基 大道寺将司全句集』(太田出版、2012年)。
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