かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (27)

2025年02月07日 | 脱原発

2017年4月30日

 3月12日の「福島原発事故を忘れない3・12アクション」の集会で、「脱原発をめざす宮城県議の会」の中嶋廉さんが女川原発再稼働へ向けた宮城県の動きを報告してくれたが、その中に原発事故時の避難路に設置されるゲートモニターを1台から7台に増設する予算措置が講じられているという話があった。
 ゲートモニターというのは、原発事故から避難する人や車の放射能汚染をスクリーニングする場所に設置される。放射能物質を取り扱う管理区域から外に出るときに身体や持ち出し物品の汚染を調べることと同等である。それには二つの目的がある。放射能に汚染された人を発見し、速やかに除染することによってそれ以上の被曝を防ぐとともに人体や車などによって放射能がそれ以上拡散することを防ぐことを目的とする。
 管理区域で汚染検査をするところにはシャワー室やさまざまな除染用薬品、用具が供えらえている。当然ながら、ゲートモニターにもそのような設備が必要になる。いっせいに避難してくる大勢の車や人に対応しなければならないので相当な設備になるはずだ(実際にどの程度の設備を作る予定なのかまだ知らないのだけれども)。
 ただ、福島事故の避難者の放射能汚染スクリーニングで起きたことを考えると、ゲートモニターがほんとうに機能するにはそれに関わる人間(行政)がどう行動するかに依存しているとしか言いようがない。岩波科学ライブラリーに『見捨てられた初期被曝』 [1] という本があって、東電1F事故の直後における初期被曝の測定はきわめて限定的で、いわば被曝者は「見捨てられた」に等しい状態だったことが証言されている。
 事故が発生した時点で、日本における汚染限度は1平方センチメートルあたり40Bq(管理区域外持ち出しの場合は4Bqで運用)と定められていた。これは大口径GM計数管で10,000cpm(counts per minute)程度となるため、人体の除染基準を13,000cpmと定めていた。
 ところが、現場で汚染スクリーニングを行っていた福島県は、地震による断水などで除染のための水が不足していることを理由に、除染基準を13,000cpmから1桁近く大きい100,000cpmに引き上げてしまった。初期被曝を防ぐことが短半減期のヨウ素131の内部被曝による甲状腺がん防止にきわめて大切のことなのだが、水不足を理由に大勢の人たちの将来が見捨てられたのである。
 さらに、かってに100,000cpmに引き上げた福島県の決定を国が追認して、厚生労働省が自治体に「10万cpm以上は部分除染、10万cpm以下は心のケア」とを通知するに至った。被曝を防ぐのは「心」なのである。甲状腺がんは、心の弱い人間に発症するとでも言うのだろうか。これらの悲劇的な経過は、3月11日の地震発生から3月21日の間になされたものだ。
 政府が法によって安全基準を定めていても、いったん事故による緊急事態が発生すれば、その基準を政府自体が恣意的に変更してしまうということが起きた。それが意味するのは、さまざまな社会事象にたいして法によって国民を守るべき基準が作られていても、その基準にはまったく信頼性がないということを意味している。「これこれの安全基準、これこれの安全対策を責任をもって実施します」などと言う役人の言葉を信じろというのは無理であることを意味しているのだ。


 


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