震災直後、街を行く人の服装は、そりゃージミだった。
まず、ヒール履いているひとがいない!
確実にいない!
いたかもしれないが、あんまり出会う確率が低くて、結果見かけていない。
それからジャージ姿が圧倒的に多い。
メガネさんも多い。
背中になんか背負っている人はかなり多い。
それもこれも状況を考えれば当然のことだった。
停電・断水でお風呂に入れた人はほとんどいないのだ。お化粧なんて出来るわけがない。コンタクト装用者だって消毒のし様がない。
これがメガネさんの多い理由だろう。
洗濯もままならない。手間のかかる服はあっても着れないのだ。
そして、毎日どこかのお店で並ばなければならない。
ヒールなんて疲れて疲れて履いていらんないだろう。背中に何かを背負っている理由もお店に並ぶことと関係がある。
みんな一様に大きなバッグを持ったり背負ったりしている。
ときどきネギやゴボウ、大根がはみ出していたりする。
こういうところでも「ああ、恐慌なのかな」と思ってしまう。
僕も大きなトートバッグを抱えてずいぶん歩いたし、ずいぶん並んだ。
駅前の鶏肉屋さんでは、身を切るようなビル風のなか並んで、お肉を1Kgゲットした。
ふくらんだトートバッグを抱えて帰るとき、だれかに狙われないかと疑心暗鬼になったが、幸い仙台では略奪の話は一切なかった。
「みんなで助け合おう」、というと大げさだが、それなりに「困っている人」を出来る範囲で手助けしよう、また必要以上に「困った話」を作らないようにしよう、という意識は、確実にあったと思う。
だれもが心の中では想像以上に傷ついていたのだろう。直接的な被害に遭わなくても、だ。
自分もずいぶん涙っぽくなった。犠牲者の話をきくと目が赤くなってしまう。
次男Mは、いまや家に一人で居られなくなってしまった。余震が怖いのだという。
一人で留守番しなければならない状況だと、さっさと自転車に乗って遊びに行ってしまう。集中力もない。
「PTSD」というと大げさかもしれないが、今ケアしてあげないと、心の傷が残るような気がする。
僕の職場は小規模作業所だが、ここでも「PTSD]と思われる利用者が急に増えた。
作業に集中していない、不可解な行動を繰り返す、自傷、多傷、妄想。
いま、ここは修羅場である。
「り災しょうめいしょ」と書きなぐった紙を突き出されたときには、どう対応してよいかわからなかった。
いま「恐慌」がほぼ収束し、以前のような「他者を困らせない」思考は表立って出てこなくなった。
みんなキレイな格好をして、ヒールの高いクツを履いている。もう、ジャージ姿で大きなバッグを背負っている人も見かけない。
世間が一定の落ち着きをとりもどしてしまうと、今度は心の傷も隠されたままになってしまう。ウチの子もそうだが、いまこそ注意深く接しなければならない。
僕自身も、ダメージは決して「ない」と断言しないことにしている。
泣けるところでは、泣いたっていいと思う。疲れたら、疲れた、と言おうと思う。
同じ理解を他者にも示していきたい。
まず、ヒール履いているひとがいない!
確実にいない!
いたかもしれないが、あんまり出会う確率が低くて、結果見かけていない。
それからジャージ姿が圧倒的に多い。
メガネさんも多い。
背中になんか背負っている人はかなり多い。
それもこれも状況を考えれば当然のことだった。
停電・断水でお風呂に入れた人はほとんどいないのだ。お化粧なんて出来るわけがない。コンタクト装用者だって消毒のし様がない。
これがメガネさんの多い理由だろう。
洗濯もままならない。手間のかかる服はあっても着れないのだ。
そして、毎日どこかのお店で並ばなければならない。
ヒールなんて疲れて疲れて履いていらんないだろう。背中に何かを背負っている理由もお店に並ぶことと関係がある。
みんな一様に大きなバッグを持ったり背負ったりしている。
ときどきネギやゴボウ、大根がはみ出していたりする。
こういうところでも「ああ、恐慌なのかな」と思ってしまう。
僕も大きなトートバッグを抱えてずいぶん歩いたし、ずいぶん並んだ。
駅前の鶏肉屋さんでは、身を切るようなビル風のなか並んで、お肉を1Kgゲットした。
ふくらんだトートバッグを抱えて帰るとき、だれかに狙われないかと疑心暗鬼になったが、幸い仙台では略奪の話は一切なかった。
「みんなで助け合おう」、というと大げさだが、それなりに「困っている人」を出来る範囲で手助けしよう、また必要以上に「困った話」を作らないようにしよう、という意識は、確実にあったと思う。
だれもが心の中では想像以上に傷ついていたのだろう。直接的な被害に遭わなくても、だ。
自分もずいぶん涙っぽくなった。犠牲者の話をきくと目が赤くなってしまう。
次男Mは、いまや家に一人で居られなくなってしまった。余震が怖いのだという。
一人で留守番しなければならない状況だと、さっさと自転車に乗って遊びに行ってしまう。集中力もない。
「PTSD」というと大げさかもしれないが、今ケアしてあげないと、心の傷が残るような気がする。
僕の職場は小規模作業所だが、ここでも「PTSD]と思われる利用者が急に増えた。
作業に集中していない、不可解な行動を繰り返す、自傷、多傷、妄想。
いま、ここは修羅場である。
「り災しょうめいしょ」と書きなぐった紙を突き出されたときには、どう対応してよいかわからなかった。
いま「恐慌」がほぼ収束し、以前のような「他者を困らせない」思考は表立って出てこなくなった。
みんなキレイな格好をして、ヒールの高いクツを履いている。もう、ジャージ姿で大きなバッグを背負っている人も見かけない。
世間が一定の落ち着きをとりもどしてしまうと、今度は心の傷も隠されたままになってしまう。ウチの子もそうだが、いまこそ注意深く接しなければならない。
僕自身も、ダメージは決して「ない」と断言しないことにしている。
泣けるところでは、泣いたっていいと思う。疲れたら、疲れた、と言おうと思う。
同じ理解を他者にも示していきたい。