ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

ベトナムの振り返り②

2018-01-09 | 雑念
(昨日のつづき)

その2週間に想いを馳せると、彼らは前半自らの心の火種を信じているのか、人間が熱を帯びた生命体であることを忘れたような目で僕を眺めているように感じた。その視線に僕は「一筋縄ではいかん」と直感する。そしてそれは現実となっていく。

俯き加減な人、キョロキョロ周りを気にする人、意気込みと期待の入り混じる複雑な表情の人、何も考えずに人任せのような人、初めての人たちに圧倒される人、他人に負けたくない虚栄心の塊のような人、中にはやる気に満ち溢れていた人もいるだろう。少数派であることは明白だった。

多くのメンバーに何かしらの注意信号が灯ることになる。あらゆる人種が好き勝手にあらぬ方向を向き、それぞれを敵対視するような警戒心に包まれている。それはアイスブレイクをするチームビルディングファシリテーター(TFT)として何度も見て、それを繋げてきた自信と実績がその不安を取り除くことができると確信していた。

しかし日を追う毎に、本質をストレートに伝えようとすればするほどに彼らはカタツムリのように殻の中に引っ込んでしまうような感覚を感じていく。本当に彼らはそんな気持ちでここに居るのだろうか?

最終日にその時を振り返って彼らは言う。「宗教団体のそれ?」「本当にPVのような涙が流せるの?」それらの本音は本当の彼らの心の中だったのだ。僕が感じた彼らの導入部は「不信感の塊」だったのだ。

その不安要素をもっと早く取り除いてシンプルに学びの場であること、自分自身が作り出す人生の素晴らしさを体験し、実践できるような場作りをしなければいけない。僕に足りなかったのはその早めのアプローチであったのだ。(前回も同じことを言っていたような)

彼らの不安要素の一部を取り除くだけで、学びや気づきが早く訪れてたのではないかという今となっては正解もわからない課題をもらった。頭脳明晰な警戒心の強い小動物のような彼らには、人を素直に信じる事が出来ないある種インターネットの世界が周りにあるような映画「マトリックス」(この例えも古いらしい)な違和感があるのかもしれない。

結果的に最終プレゼンに向かい、そこから解放された彼らのクロージングでの振り返りを聴くと前半で心配する不完全燃焼な彼らへの思いは消え、日本に帰ってからの人生を自ら切り開く程の熱い想いを感じた。

そして結果的に(なぜか)ターム全体のつながりに関しても少し難しさを感じていた僕の見立てと裏腹に妙に通じ合い、嘘じゃない本物のつながりを感じているようだった。

それが彼ららしいといえばその通りである。

続く