「お任せします。よろしくお願いします。」
お医者様の入院計画書に署名したのはマタギ本人である。
今回のような病気の治療や回復のためには、自分勝手な思い込みや生兵法は禁物。
先生の出してくれる処方に身を任せて過ごすべきなのだ。
関係ないけどドクターヘリ
ところが、時が進むにつれてじっとしていられなくなってくるんですね。
手術が終わって、日数を経るにしたがって、自分の体調が変わってきたことに気付くと、うずうずし始めるんですね。
「あらあ、手術の痕も綺麗になってきましたね。」
とか、
「なんだか、すごく順調に回復しているみたいですよ。」
なんて言われる。
自分自身にも、なんとなくそういう実感がある。
そうなると、じゃあ、次は何をすればいいんだろうと、勝手に思考が働き始めてしまうのだ。
ところが、先生はそんなに慌てない。
だったら次は、という一手を語ってくれないのだ。
「マタギさんの経過は良好ですね。私も、マタギさんに関しては全く心配していませんので。」
ここまでは語ってくれる。
毎日1回ぐらいは飛び立っていきます
つまり、「マタギさんは心配だったと思うけど、もう心配いらないからね。」というメッセージに留まっているのだ。
こっちとしては、せっかく傷口が塞がったんだから、次はもう一歩踏み出して食事とか運動とかの計画が変わってくるはずだよな、みたいなことを考え始めている。
でも、先生の方は、患者の変化に気付いても軽々には動いてくれません。
治療なんて、生き物、良い日もあれば悪い日だってあるだろうし、目先のことに目を奪われていたら、誰が舵を取るんだというところだろう。
ついでに言うと、マタギの経過を見てくれる先生方も嬉しそうなんですよ。
でも、迂闊に口を滑らせたりしない。
そりゃあ、そうだよね。只今治療の真っ最中。ここで方針や計画を転換させて、あとで落胆させてしまったら、お互いの信頼関係に大きなひびが入ってしまうってもんだ。
結構スマートで格好いいです
こっちとしても、頭では分かっているつもり。
でもねえ、これだけ拘束の多い生活を送っている中で、自分の身体に明るい兆しが見えたら、心が浮き立ってきてしまいます。
・・・それでも、
粛々と
任せたからには、信じ切る。
それが大人の対応ってものよのう。
でも、なんだか言い出しそう。
「それなら、次は?」
みんながんばっているんだよなあ
未熟者よ 慌てずに。 落ち着いて、落ち着いて
すばらしい回復力のようでよかったですね。
でも・・・・今は我慢のしどきですよ(笑)
なかなかこれができないのですが、神様がくれた「お休み」の時だと思って・・・・・ほどほどに頑張ってくださいね。
お大事にネ。
マタギさんの元気な様子、うれしいです。