人に生じるストレスを低減するために、音楽療法が行われている。人が適当な音楽を聴くことによって、心身の圧迫感や硬直状態が軽減され、リラクセーションの効果が期待される。
音楽は、音響物理学的には、和音を基準とする垂直成分に対し、時間軸上のゆらぎ(fluctuation)を水平成分とする時系列情報である、と定義される。そして、クラシック音楽やセラピーミュージックに内在する1/f型ゆらぎが療法的効果をもたらしているらしいという説が有力である。
地球的、あるいは宇宙的規模の物理現象、例えば、気温の長期変動、地球の自転速度の変化、年間の雨量のばらつき、太陽黒点の活動、海の波のリズム、宇宙線の強度変化などにも、1/f型パワースペクトルを示すゆらぎ現象が存在していることが発見されている。近年、それらの大自然にあらかじめ存在している現象の中に生息する生物が、生命を維持していくために活動させている体内臓器、器官の運動にも1/f型ゆらぎが存在していることが発見されるに至り、自然界の物理法則と生体との関わりが論じられるようになった。例えば、心臓の鼓動も速くなったり遅くなったり、不規則にゆらいでいるが、心拍周期の変動を長時間に亘って測定し、そのパワースペクトルを調べると、1/fに近い結果が得られるという。
そうであれば、クラシック音楽などに内在する1/f型ゆらぎが、大脳の神経細胞に作用して、大脳がその1/fゆらぎに同調するような活動を誘起し、人を心地よい精神状態に導く、と考えるのが自然である。
しかしながら、1/fゆらぎというものだけにこだわると、雑音でも何でも1/fをもつ現象ならばよいのか、ということになり、音楽がもつ特徴が切り捨てられることになる。また、音楽あるいは1/fゆらぎをもつ音楽を取り込んだ大脳がどのようなプロセスを伴って活動するのかのメカニズムが明らかになっていない。
音楽心理学あるいは音楽療法の学問的基礎が単に広くゆらぎ現象に適用されるパワースペクトルの計算式で終わってしまうのでは、心もとない。これでは、理屈はどうであれ、音楽が療法的効果をもたらすのならそれでいいではないか、という結果オーライの考えが透けて見える。これでは、音楽療法が先行し、学問的基礎は単なる付け足しの気休めの類となる。それならば、学問の代わりにおまじないの類をもってきてもよいわけだが、おまじないの代わりにもっともらしい数式をもってきた方が音楽療法の信用度が高くなるということか。やはり、音楽療法がもたらす効果はうんぬんという説明のほかに、そのバックグラウンドとなる思想が欲しいのである。
実は、1960~1980年代に欧米を中心として、科学的方法、特に心理物理学に基づいた音楽心理学や音響心理学が精力的に研究された。この年代では、コンピュータなどの電子機器が実験のためのツールとして手軽に利用できることになったことと、その当時、電子ピアノ、シンセサイザなどの電子楽器やオーディオ機器の開発のためにはこの分野の心理学がほとんど必須と言える程に必要になったためであろう。電子楽器やオーディオ機器もほぼ完成の域に達するとともに、これらの心理学に関する研究も一段落した状態で現在に至っているように見える。
音楽療法や1/fゆらぎに焦点が当てられたのは、上記年代の後のようであるが、音楽療法だからと言って心理物理学的な基礎を欠くのは、やはり物足りない。そこで、せめてもと思い、以下、音楽がもつ主要な特徴である和音と1/fゆらぎとの関係について考察することにした。科学的事実としては、何も目新しさはないが、和音とは何かを具体例で確認しておくのも将来の進展に向けての第一歩ではなかろうか。
ピアニストがレの音を弾くと、147ヘルツの周波数をもつ空気の振動を聞くことになるが、実は、これを基音として、その2倍、3倍、4倍、・・・の周波数をもつ振動も合わせて聞いていることになる。そして、レの2倍音は、1オクターブ上のレの基音と合致し、両者はもっとも協和的な音程となる。
純正律的な音程において、レ-ファ#、レ-ファ、レ-ラ、レ-ソ、レ-シなどは、協和的音程をもつ和音と言われる。そこで、ファの弦の長さをレの弦の長さの5/6にすれば、ファの基音をレの基音の6/5の数比をもつ周波数に設定することができる。また、ファ#の弦の長さをレの弦の長さの4/5にすれば、ファ#の基音をレの基音の5/4の周波数に設定することができる。同様にして、ラ、ソ、シの基音をレの基音のそれぞれ3/2、4/3、5/3の周波数に設定することができる。
このような設定に基づいて、和音レ-ファ#の間で同一周波数をもつ倍音間の関係を探すと、ファ#の4倍音がレの5倍音に合致することがわかる。また、レ-ファの倍音間では、ファの5倍音がレの6倍音に合致する。レ-ラについては、ラの2倍音がレの3倍音に合致するという強い同期性をもつ。同様にして、レ-ソでは、ソの3倍音がレの4倍音に合致する。また、レ-シでは、シの3倍音がレの5倍音に合致する。
次に、レ-ファ#-ラのような長3和音についてはどうか。レ-ファ#とレ-ラについての同期性については、すでに調べたから、残るのはファ#-ラ間の同期性についてである。ファ#-ラについて倍音間の関係を探すと、ラの5倍音がファ#の6倍音に合致することがわかる。そうすると、レ-ファ#-ラの間で協和的音程が成立することが確認できる。また、短3和音レ-ファ-ラについても、レ-ファとレ-ラについての同期性は分かったので、残りはファ-ラの同期性である。ファ-ラの倍音関係は、ラの4倍音がファの5倍音に合致することがわかる。そうすると、レ-ファ-ラの間で協和的音程が成立することが確かめられた。同様にして、和音ソ-シ-レについては、ソ-シについての倍音関係を調べると、シの4倍音がソの5倍音に合致することがわかるので、ソ-シ-レの間で協和的音程が成立する。
それでは、レ-ソ-ラについてはどうか。レ-ソとレ-ラについては強い同期性をもつので、レ-ソ-ラについて協和的音程を期待したくなるが、ソ-ラは2度で隣り合った音程であり、非協和的な音程と言われる。ソ-ラの倍音関係については、ラの8倍音がやっとソの9倍音に合致する同期性しかない。この合致する周波数のパワースペクトルが弱すぎるというよりも、ソ-ラは人間が聴き分け可能な4~6倍音の周波数帯で協和的な音程が成立しないことが不協和音の理由のようである。レ-ラ-シについても、同様の理由で不協和音となる。ラ-シの倍音関係をみると、シの15倍音がやっとラの17倍音に合致する同期性しかない。
以上の考察をまとめると、複数の音の間で比較的パワースペクトルの強い同一の周波数成分が同期して響くとき、協和的音程となることがわかる。そうであれば、和音と1/fゆらぎとの関係について説明するまでもない。このfとは、少なくとも同期する同一周波数の音響に他ならないのであるから。
さらに、1/fゆらぎを越えて、音楽がもつメロディ、ダイナミックス、リズムなどの特徴が大脳の中の神経活動のプロセスにどう反映されるのかを明らかにするようなモデルが望まれる。
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