昨年、NHKテレビで放送していた日本女性についての調査結果によると、「20代、30代、・・・、70代のすべての年齢層において、日本女性は男性に比べて生きづらいと感じている」ということである。NHKの放送では、一般に女性が生きづらい理由として、社会の中の実質的な支配階層は、「大学卒以上の学歴があり、終身雇用の制度をもつ会社又は団体に正規員として勤務する家庭をもつ男性」であり、この枠から外れた多くの者は生きづらいとしている。もちろん、この枠を外れた人々の中で優雅に生活している人も少なくないであろうが、多数の男性群、女性群について統計をとると、上記のような結果になるということである。
タイム誌10/26号の米国女性に関する記事によると、「女性は、より多くの自由、より多くの教育、より多くの経済力を獲得するとき、前よりも不幸になる」と述べている。そして、「この事実は、老若を問わず、子供か成人か、既婚者か否か、学歴があるか否か、就職しているか否かに係わらず、すべてのセクターの女性に当てはまる。」としている。タイム誌の記事では、男性支配の社会には言及していないが、以下のように、社会は特に女性に対してより強いストレスを与えていると述べている: 「女性運動(ウーマン・リブ運動のことであろう)は、結果的に女性の幸福につながるものではなかった。(中略) グローバル経済にとりまかれた現代の生活は、だれにとってもストレスの多いものであるが、とりわけ、長時間労働をさせられたうえ家事までより多く負担させられる女性にとってストレスの多いものである。」
ここで、典型的な女性を未婚者と既婚者に分け、既婚者を専業主婦と共稼ぎ女性のカテゴリに分け、各々の生きづらさを対応する身分の男性と比較することによって上記の事情を検証してみよう。まず、未婚女性は、職場では同僚の未婚男性に比べて満足度が低いと考えられるが、家事の面では同等男性とほぼ同じ条件とみてよいだろう。次に、既婚女性のうち専業主婦は、その夫が彼女よりは支配的とみられるから、彼よりは満足度が低いであろう。共稼ぎ女性は、職場ではその夫たる彼より満足度が低いと考えられ、家事の面では彼より多くの負担を担うことになり易く彼より満足度が低いものと推察される。以上の結果をまとめると、典型的な女性は、いずれのカテゴリでも対応する男性より生きづらいと言えるであろう。
国連機関が公表した女性の活躍度を示す「ジェンダー・エンパワーメント指数(GEM)」が、日本は109ヵ国・地域中の57位であり、ホンジュラス、ベネズエラ、キルギスより下位との結果が出ている。また、世界経済フォーラムがまとめた「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数(GGI)によると、日本は134ヵ国中75位との結果が出ている。ただし、このような統計データはこの記事の本題と直接関係ありません。
なるほど。卑近な例で言えば、職場の女性が同等の男性に比べて昇進や待遇面で差別されているとして訴訟するケースは過去に何件もあったが、男性側が逆の立場でこの種の訴訟をするという話は聞いたことがない。また、女性は、男性からセクハラを受けやすいというハンディがあるが、男性がセクハラを受けるということはほとんど皆無であろう。
女性の立場は、以上のような状況にあることが分かった。そうであるからと言って、世の男性たる者、女性に同情することもないし、特にフェミニストになる必要はないと思う。上記のように、すべての年齢層にみられる男女性差は、2500年前に孔子が婦女子を養いがたき者と断じて以来、基本的に変わっていない。何故かと言えば、胎児形成の後期に、男性の大脳はその睾丸から分泌される男性ホルモンにさらされるが、女性の大脳はそうではなく、これによって男女間で大脳の神経ネットワーク形成に違いが生じ、主としてこの男女差が社会生活において性差となって現れるためである。はっきり言って、一般的に女性は、男性よりも社会性が欠如するために上記のような性差となると考えてよいと思う。しかし、このような性差は、すべて自然の営みがもたらす必然的な帰結であるので、女性がコンプレックスを感じる必要もない。男女間に優劣はないし、原則として男女が平等の権利を有すること、もちろんである。
しかし、そうは言っても、男性たる者、特に支配階層にある男性は、女性に対して威圧的になるべきではなく、意識しなくとも、単に男性が存在するだけで女性には支配的と感じられるということを認識しておいた方がよいと思う。
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