なんで土岐麻子さんが自分の来世なのかを考えていたら
歌声が柔らかいけれど無機的というか現世や自分自身に執着が無いような
印象を受けるからだろう
その意味で「来世の歌声」と感じたのかもしれない
反対のイメージを考えてみると演歌というのは現世や自分に執着してるような
印象を受ける(別に悪い意味ではないが)
同じような来世的な声としては大貫妙子さんの歌声も同じ部類かもしれない
コンサートはミサのようだといわれる
歌にしても絵にしても、技術が有って上手なほうが良いけれど
それだけでは無い何か華のような味のようなものが無いと
人にうったえる力は無いのかもしれない
歌声が柔らかいけれど無機的というか現世や自分自身に執着が無いような
印象を受けるからだろう
その意味で「来世の歌声」と感じたのかもしれない
反対のイメージを考えてみると演歌というのは現世や自分に執着してるような
印象を受ける(別に悪い意味ではないが)
同じような来世的な声としては大貫妙子さんの歌声も同じ部類かもしれない
コンサートはミサのようだといわれる
歌にしても絵にしても、技術が有って上手なほうが良いけれど
それだけでは無い何か華のような味のようなものが無いと
人にうったえる力は無いのかもしれない