「猿留山道」は、寛政十一年(1799年)に開削された北海道における最初の官製道路の一つで、重要な文化財であることから、平成21年(2009年)4月1日に町指定文化財第8号に指定されました。
江戸時代末に蝦夷地(北海道・北方四島など)周辺に出没する外国船(ロシア、アメリカ)などから、蝦夷地を警備するために、情報伝達や物資運搬などが早急にお声なるように、陸路の整備が幕府によって行われ、沼見峠にある石碑2体(妙見神、馬頭歓世音菩薩)は、場所請負人が建立したものです。
平成30年(2018年)2月13日には、猿留山道と石碑2体が国史跡に格上げ指定されました。
戦後、新たに開削された区間は、町文化財に指定しています。
教育委員会では、「猿留山道」を知ってもらうため、年1回(10月頃)に「猿留山道を歩く会」を開催しています。
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※「猿留山道を歩く会」の様子
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※沼見峠の石碑2体(左:妙見神、右:馬頭歓世音菩薩)
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※沼見峠から「豊似湖」を見下ろす
江戸時代末に蝦夷地(北海道・北方四島など)周辺に出没する外国船(ロシア、アメリカ)などから、蝦夷地を警備するために、情報伝達や物資運搬などが早急にお声なるように、陸路の整備が幕府によって行われ、沼見峠にある石碑2体(妙見神、馬頭歓世音菩薩)は、場所請負人が建立したものです。
平成30年(2018年)2月13日には、猿留山道と石碑2体が国史跡に格上げ指定されました。
戦後、新たに開削された区間は、町文化財に指定しています。
教育委員会では、「猿留山道」を知ってもらうため、年1回(10月頃)に「猿留山道を歩く会」を開催しています。
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※「猿留山道を歩く会」の様子
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※沼見峠の石碑2体(左:妙見神、右:馬頭歓世音菩薩)
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※沼見峠から「豊似湖」を見下ろす
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