えりも町郷土資料館ほろいずみ水産の館のBlogです。

襟裳岬やえりもの様子や資料館ほろいずみの活動を紹介しています。

えりも町文化財保存活用計画のワークショップ③

2023年10月18日 16時55分23秒 | えりも町文化財保存活用地域計画作成に取り組んでいます
令和5年(2023)10月28日 アイヌ文化部会ワークショップが開催されました。
福祉センターにて、えりも町のアイヌ文化や地名について説明を聞いた後、巡検に出かけました。

歌別川の河口から漁港へ向けて、この近くには以前「クッフルエ大明神」の石碑と社がありました。意味は、赤い崖。


東洋地区の「油駒チャシ跡遺跡」、北海道内には多くのチャシがありますが、ここは長方形で外に壕が掘られています。発掘調査がされていないので、チャシでない可能性もあるかもしれません。存命なら100歳を越える方が語った「子どもの頃、森の中を歩いていくと、そこだけ木がなく平らで、アイヌが動物の毛皮を干していた」の記録があります。

(立ち入りには許可を得ています)

東洋地区のヲショロスケ、ここには「いじわるじいさん」の伝説があります。
海の難所「襟裳岬」を避けるため、イタオマチップ(板つづり船)を、ここで陸揚げし、荷物もろとも西海岸のヲゴシ(小越:現襟裳岬地区)へ運んだことに由来する地名。


国名勝ピリカノカ襟裳岬ヲンネエンルム。アイヌ民族の聖地的な場所として指定された。北海道内に12か所あります。「ヲンネ」は、大老の、偉大なるという意味があり、それだけ素晴らしい岬ということでしょうか?

松浦武四郎は、「アイヌは神様のひげとしてここのコンブは採らない」と記録しています。

百人浜にある「一石一字塔」は、江戸時代の1806年に奉納されました。蝦夷三官寺の一つ様似町等澍院の住職が法要を執り行い、仏法の力を蝦夷地に知らしめた、なる旨の碑文が刻まれていますぅ。シトウの近くにあります。


「シトウ」はアイヌ語で「本当の沼」という意味です。しかし、昭和40年代の観光ブームの時に国鉄バスのバスガイド用に、えりも町史に記載されている伝説から創作された悲恋物語から「悲恋沼」と呼ばれるようになりました。松浦武四郎やその他の著述者、絵図にも「シトウ」と記載されています。
えりも町郷土資料館では「シトウ」と呼ぶよう奨励していきます。

福祉センターに戻り意見交換。今年、えりも町に引っ越しされてきたアイヌ民族の方はえりも町は素晴らし~~と、アイヌによって影響を受けた文化がえりもにはある!と述べられました。






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