ひと頃、「無縁社会」という言葉が使われた。
「過失」や「無作為」や「偶然」などによって、すでに死亡していた高齢者が、戸籍上では生きていたという事象が発覚した。
少ない例として、「親の年金」を不正に受け取ろうとして、多年にわたって「親の死」を届け出なかった例もあった。
そんな『時、世間では「無縁社会」を喧伝した。
ここのところ、「老人夫婦」や「老人親子」や「若い母子」などが、相次いで死亡していた例が報道された。
被災地の仮説住宅にも、そのような例があった。
中には「餓死」のケースもあった。
マスコミは「孤立死」を声高に叫んだ。
周囲から孤立していたり、頑張りすぎていたり、気の毒なケースが多かった。
多くの人は、孤立を好んで生活していない。周囲と関わりながら生活したいとは思っている。
そうは思いながらも、関わりを持つことにためらってしまう人もいる。
都会ほど、そんな傾向が強いようだ。
「見守って欲しい!しかし、深い関わりはイヤ!」
都会には闇の部分がありそうだ。
社会は病んでいるのだろうか。
別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。
ご覧いただけると嬉しいです。
→ こちら