昨日はみぞれの朝でした。
四月のみぞれは数年ぶりだったようです。
そのような天候の中、天皇陛下、皇后陛下がパラオにご出発。ありがたいことだと思います。
過去、日本の統治下にあったのですが、幸いにも大統領はじめ国民の皆さんが親日的だそうで、安堵しております。
終戦を迎えた時、私は小学五年生(当時は国民学校)。もちろん何も知りませんでした。
しかし、中国大陸で戦死したらしい叔父と、南方の諸島で戦死したらしい叔父がおりました。きっと大苦戦だったのだろうと思います。
それだけに、天皇陛下、皇后陛下の慰霊のお心には、深く感じるところがあります。
当時の日本軍に対し、さまざまな非難や批判があります。
国土に攻め込まれた国にとっては、大変な苦難の日々だったと思います。
南京大虐殺や従軍慰安婦問題が、今もって大きな非難の的となっております。
すべてとは言いませんが、反日の材料に使われている面もありそうです。
今日はそのことには触れません。
ただ、そのような非難渦巻く中だけに、パラオの人たちの日本に対する好感情には、とても嬉しくありがたく思いました。
慰霊塔に頭を垂れて下さった天皇陛下、皇后陛下に、私は心からお礼を申し上げます。
お二人のお姿を拝見するにつけ、とても痛ましく感じます。
足元も覚束ないほどのご様子。
にもかかわらず、慰霊の旅を続けておられる両陛下に、
心からお礼を申し上げたいと思います。
終戦時、小学校5年生の私にとって、
特攻隊のお兄ちゃんたちに対し、
「身代わりになって死んでくれた英霊」という意識があります。
なにしろ、「天皇陛下万歳」と叫んで死ぬことは、
私たちに定められた運命だと思っておりましたから。
幼かったのですね。
戦死しなかったぶん、戦争をしない賢い日本造りが私たちの課題となりました。
以前から、災害地へ行かれる両陛下のお姿に、
常ならぬ御心を感じさせられておりました。
不躾なことながら、年代がほぼ同じの私にとって、
先の戦争に対する感じ方に共感するところがあるように思います。
戦死した人たちは、天皇陛下に身を捧げたことになりました。
軍国少年だった私は、子供ながらに、お国のために身を捧げるつもりでおりました。
数年早く生まれていたら、きっと特攻隊に志願していたと思います。
幸いにして敗けたので、死なずに済みました。
戦争は悪です。
如何にして戦争を避けるか?
日本人の知恵と覚悟が問われます。
そうしないと居られないお気持ちなのだろうと察します。
もっとユックリとした毎日をお送りして欲しいと思いますが、そうして居られないのでしょう。
二度と戦争を仕掛けてはいけません。
受けてもいけません。
常に平和を願うことなのだと思いますね。
年老いた、と言っては失礼ですが天皇皇后両陛下の頭を下げられる姿に心打たれました。
現地の方々の歓迎の様子にホッとする思い、そして長年当地で暮らしておられるのに日本語の達者なことにも驚きました。
戦争は大きな傷を受けるだけで何ももたらしてはくれません。
どっちが悪い、なんて誰にも言えないと思います。
当事者同士、どちらも悪いのですから・・・。
二度と悲劇を繰り返して欲しくないですね。