先日、親友のK君と昼食をともにした。
当然のことだが、後輩たちとの話題とは中身がだいぶ違う。
K君から、
「幾つまで生きるつもりだい?」 と問われた。いささか軽い質問だ。
「喜寿ごろまでかなあ」と私は答えた。喜寿つまり77歳なら、あと数年に満たない。
「おれの親父、92歳まで生きたからなあ。まだ25年以上もあるよ」
何気ない遣り取りだった。
私は77歳で死にたいと思っているわけではない。
丈夫で生きられるのであれば、80歳も90歳までも生きたい。
健康に自信がなかった。だからそんな答えになった。病に伏せ、カミさんや子供たちに苦労をかけたくなかったのだ。
しかし、不遜な自分に気づいた。死に時や死にざまなどを、自分では決められないのだ。それは大きな天地の神の役割ではないか。生きる願望を持つことは許されるが、生命の期限を決めてはいけない。
不遜は厳に慎むべし。天地の神を冒涜することになる。
しかしなあ。つい、病弱な我が身を思ってしまう。
まあ精一杯、死に神から身を隠そうか。
密かなる蛍袋のいのちかな 鵯 一平
ホタルブクロは、童心をくすぐりそうな花。
目立つ咲き方をしていない。木陰などにひっそりと咲いている。
あの袋を借りて、死に神の探索から、いっときでも身を隠そうか。
今日もまた、愚にもつかない戯れ句。しかし、これもまた一つの真情でもあります。
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ホタル袋に身を隠す
いいものを見つけましたね
どんな写真場面でもひよどりさんの手にかかると「なるほど納得!」になってしまいます
透きとおった魔法の玉を持っているのではないかしら? ふふ
死ぬときは選べませんね
その通りです
せいぜい可愛いおばあさんになることを努力します
おもしろいですね。
わたしもひろこーぼさんと同じように、
かわいいおばあさんになることに頑張ります。
わたしも今日はホタルブクロをUPました。
いい句ですね~。写真と同じ「蛍袋」を備前の花瓶に差しているんだけど 今度の句会にまに会うかどうか?
まだ自分の心情を詠むところまでいきません。
本当にいい隠れ場所を見つけました。
あとは、ジーッと息をひそめていればオーケーです。
しかし、見つかるときはダメですね。
神はお見通しです。
可愛いお婆ちゃんではなく、憎めないいたずら魔女にでもなったら如何ですか。
身を隠したっていっときです。
なにしろ神様はお見通しですからね。
ひろこーぼさんにも申しあげたのですが、
可愛いおばあちゃんではなく、魅力的ないたずら魔女にでもなったほうがお似合いですよ。
ホタルブクロの花に寄せる、ひよどりさんの思いがしっかりと伝わりました。
>目立つ咲き方をしていない。木陰などにひっそりと咲いている。
昨日も仕事の会議で、侃々諤々の激論となり、今一つ後味の良くない思いを抱えての帰宅でした。グイグイ、ご自分の存在感を精一杯示そうという発言者もいれば、全体を見渡し冷静に判断している賢者もいる。議論の落とし所はどこなのか、が見定められないままの空転した会議でした。
ひよどりさんに紹介いただいたホタルブクロの生き方、しっかり学ばせていただきます。私も、自分は生かされているんだ、という思いを再確認し、次週の会議に臨みたいと思います。
私のは戯れ句。
気持ちでイッパイイッパイです。
いろいろな詠み方があっていいのではないかと、
勝手にそのように思っております。
会議ではさまざまな立場や、個人的な主義主張もあり、
我執に捉えられて抜けられない人もいるので、イヤですね。
それに、「空気を読む」ことだけを考えている人もいて、
なかなか決しないことが多い。
ご苦労が多いことでしょう。
「会議の目的は何だっけ」、と、一度クールになってもらうのも一つの方法かも知れませんね。
ホタルブクロの中とはまた優雅な・・・
私は洞穴のような所に潜りたいと思うことがあります。
でもじめじめしてイヤでしょうね。
隠れ場所なんてどこにもありません。
ひよどりさんらしい思いつきですね。ロマンチストですね。
健康な人は過信してかえって短命なことがありますが、
病弱な人のほうが気をつけるのでかえって長生きだといわれて
いるようです。
母は今93歳ですが、母の両親は短命でした。
寿命-こればかりはわかりませんねぇ。