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三武将ゆかりの地

2019-07-09 10:52:35 | 金華山:岐阜城
三武将ゆかりの地

道三が築き、信長が受け継いだ岐阜城で
光秀は乱世を駆け抜ける。

光秀・道三・信長が織りなす新たな物語
戦国武将ゆかりの地
岐阜

明智光秀公ゆかりの地

立政寺


岐阜城
岐阜城はかつて稲葉山城と称しており。
斎藤道三公の居城であった。
特に岐阜城の名を天下に示したのは
永禄十年(1567年)八月
織田信長公がこの城を攻略し、
この地方一帯を平定、地名を
『井ノ口』から『岐阜』
と改称し、天下統一の拠点とした。

斎藤道三公ゆかりの地

常在寺


道三塚

織田信長公ゆかりの地

崇福寺


織田信長公居館跡



麒麟がくる
岐阜
大河ドラマ館

開設期間
令和2年1月〜令和3年1月

岐阜市 まちなか歩き 道三の道

2019-06-15 09:56:33 | 金華山:岐阜城
岐阜市
まちなか歩き
道三の道

国盗りを成し遂げた
斎藤道三公が築いた
「城下町」の足跡をたどる

下克上を果たし、
美濃の国を手中に収めた斎藤道三。
道三が礎を築いた稲葉城には、
明智光秀も有能な家臣として
仕えていたといわれる。
その時代を想像しながら、
足跡をたどる。

道三コース
外周約2.8キロ
約40分

1 . 岐阜市歴史博物館

2. 道三時代の石垣

3. 丸山

4. 惣構の土塁

5. 美濃六庚申堂

6. 東材木町

7. 百曲り通

8. 七曲通

9. 桶川堀

10. 常在時

レンタサイクルコース

道三塚

鷺山城跡

岐阜市 まちなか歩き 信長の道

2019-06-09 15:10:17 | 金華山:岐阜城
岐阜市 まちなか歩き
信長の道

天下布武を掲げ
織田信長公が描いた
夢の足跡をたどる

永禄10年(1567年)に斎藤道三の孫
斎藤龍興を追放し、
稲葉山城を手に入れた織田信長は、
地名を「井ノ口」から「岐阜」に改め、
以後9年間にわたり、この地を天下統一の拠点とした。
その足跡をたどり、信長の夢に思いをはせる。

信長コース
外周約5、3キロ
約160分

金華山ロープウェーを往復利用すれば
約85分短縮できます。

信長コース

①岐阜市歴史博物館

②織田信長公居館跡

③信長時代の石垣

④岐阜城(稲葉山城)

⑤日本遺産 信長居館 発掘調査案内所

⑥若き日の信長像

⑦川原町界隈


レンタルサイクルコース

⑨靱屋町(うつぼやちょう) 空穂屋町

⑩善光寺

11 長良川うかいミュージアム

12 崇福寺

⑧新町

岐阜市 まちなか歩き 戦国の道

2019-06-04 16:55:52 | 金華山:岐阜城
岐阜市
まちなか歩き
戦国の道

戦国武将の夢を追う
天下を制する拠点を踏み行く

戦国時代
美濃を制するものは天下を制す
謳われたその拠点が岐阜
井の口
だった。

岐阜城(稲葉山城)を拠点に
まちの礎を築いた

斎藤道三公.織田信長公の足跡や
金華山.清流長良川の豊かな自然、
川湊の風情が残るまちなみなどを
散策することで光秀や帰蝶が生きた
時代に想いをはせる。



基本コース
外周約2.5キロ
約40分

岐阜城コース
金華山ロープウェー 約4分

七曲り登山道 約60分
めい想の小径 約50分

道三期 石垣発見

2019-05-29 18:28:08 | 金華山:岐阜城
これまでの2ヶ年で、 新たな石垣を合計約30ヶ所発見。
  石材は全て金華山を構成するチャート
 ※調査成果は今後、報告書にまとめる予定
→中でも、今回発見した、裏門周辺における巨石列や石垣は、 これまで謎に包まれていた裏門の構造解明につながる大発見

2 裏門周辺の詳しい調査成果
 
・ 水手道(めい想の小径)と鼻高ハイキングコースの 分岐点において、信長期の巨石列や石垣、 道三期の石垣を確認。
・ 絵図(「稲葉城址之図」)に描かれる裏門周辺の石垣と 位置が対応。
⇒水の手道沿いに信長期の巨石列(石材9石)
最も大きい石材 長さ140cm×高さ160cm

裏門の巨石列(信長期)

⇒隅角部に信長期の石垣(2段分残存)
石材 長さ80cm×高さ30cm
⇒鼻高方面に道三期の石垣(2、3段分残存)
    石垣残存長180cm、高さ90cm
石材 長さ20~50cm×高さ15~30cm
裏門の石垣(道三期)


◎ 一ノ門だけでなく、裏門も巨石列により虎口(出入口)を造っている。
信長は自分の城の入口を大きな石で表示し、見せる城づくりを行ったのではないか。
◎ 山上の中心部は信長が大きく改変したと考えられていたが、 裏門でも斎藤段階の石垣が見つかったことにより、信長段階の改修に組み合わせて、 斎藤段階の石垣も引き続き利用していることが明らかになった。

金華山上部 『信長の石垣』

2018-11-27 09:37:52 | 金華山:岐阜城


岐阜市教育委員会は12/26、金華山上部の発掘調査で、
岐阜城天守閣の周辺で見つかっている石垣の一部は、
織田信長が城主だった1567〜76年に築かれたと発表しました。

信長が岐阜城にいた頃、
山上部に石垣が張り巡らされていた
可能性が高まった。
としています。

信長期に築かれた石垣等を確認しました!

現地見学について
                            

11月27日(火曜日)~12月1日(土曜日)
10時00分~12時00分 13時00分~15時00分の間

担当者が現地に常駐し、随時説明します。
(雨天中止、中止の際はこのホームページ上でお知らせいたします。)

※鉄の矢じりは、11月29日(木曜日)~12月3日(月曜日)の間、
岐阜公園内の発掘調査案内所にて展示します。
https://sites.google.com/site/hakutuanaijo/

平成30年度発掘調査の概要

〈所在地〉  岐阜城山上部
〈調査場所〉 馬場~二ノ門の間の登山道周辺の2ヶ所
      (ロープウェー山頂駅から天守閣までの道沿いの中間地点です)
〈調査期間〉 平成30年10月24日~平成30年12月1日(予定)
〈調査面積〉 約140平方メートル
〈調査目的〉 石垣の基礎構造及び関連遺構の確認

発掘調査でわかったこと

◎信長期に築かれた石垣を確認(1区)
石垣石材が比較的大きく、 石材の間に間詰石(まづめいし)を入念に入れて
構築している。
→山麓の信長公居館の石垣と共通する特徴

※『稲葉城趾之図』(伊奈波神社所蔵)に描かれた石垣と対応すると考えられる
  ⇒中腹の石垣に続き、今回も現地との対比ができたことで、絵図の信頼性がより高まった。



◎岐阜城跡で初めて鉄の矢じりを発見(2区)
 鉄鏃(てつぞく)の長さ14.6cm、幅2.0cm  
→慶長5年(1600)8月23日の関ヶ原の戦いの前哨戦で使用された可能性がある。

遺物は軒平瓦、飾り瓦、鉄鏃など コンテナ4箱、破片数約500点が出土
 

石垣発掘調査

2018-10-27 08:25:25 | 金華山:岐阜城
岐阜市教育委員会は24日、岐阜城がある金華山上部の発掘調査を始めた。山上部の本格的調査は初めてで、調査期間は約1か月。これまで詳細が明らかではなかった、織田信長が造ったとされる岐阜城の石垣の構造解明や、新たな遺構の発見につなげたい考えだ。

 発掘調査が行われるのは、岐阜城天守閣から約100メートル下った二ノ門前の登山道沿い。登山道付近にある石垣の周辺を発掘するほか、落ち葉や土などを除去して、遺構を探索する。金華山ではこれまで、山麓部や中腹の調査が行われ、金箔きんぱくの瓦や庭園の遺構などが発見されていたが、山上部の本格的な調査は行われていなかった。

 山上部の石垣について、市教委社会教育課は「信長以前の城主だった斎藤氏が造った石垣は、小さい石を積み上げたもの。今回調査する石垣は、使われている石が大きいことなどから、信長が造ったと考えられる」としている。市教委は今回の調査で、安土城に移る前に造られた「信長の石垣」の構造を明らかにすることを目指している。

 今回の調査は、「本物志向の観光まちづくり」を掲げる柴橋正直市長の意向で、観光客にも見られるよう公開で行われる。調査は毎週水曜~日曜日の午前9時15分~午後3時45分に行われ(雨天中止)、登山道から見学できる。

 柴橋市長は24日の定例記者会見で、「市民の皆さんにも我々の財産はすばらしいと感じてほしい。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)による情報の拡散にも期待している」と述べた。

 また、市は金華山中腹で今年新たに発見された石垣の見学会を12月1日に実施することも明らかにした。応募の詳細などは、市ホームページで来週以降に公表する。(増実健一)

2018年10月25日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
読売新聞より