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岐阜城石垣発掘調査について

2018-06-17 09:14:21 | 金華山:岐阜城
 岐阜市教育委員会は秋ごろから、金華山の山頂近くにある岐阜城の石垣の発掘調査に着手します。



山頂部の本格的な発掘調査は初めてで。
発掘作業の様子は一般公開し、観光資源として活用します。


 調査地点は、ロープウェーの山頂駅から天守方向へ約100メートル先の場所で、
登山道に隣接する斜面。
土を掘り起こし、石垣の詳細な形状を明らかにします。
調査範囲は最大で約200平方メートルを想定し、案内看板やのぼりを掲げて観光客らにPRする構想。

 
 金華山では山麓で、戦国武将織田信長の居館跡の発掘調査が一段落。中腹でも岐阜城の石垣群が新たに発見されたことが5月に発表され、話題となった。柴橋正直市長は「山頂にも本物が残っている。山麓部の調査はめどが立ったので、山頂部の整備に軸足を移したい」と市長就任前から話していた。
 山頂部は樹木を伐採し、城郭としての景観も向上させる。


 市教委は「観光客が大勢通る場所で発掘を公開するのでインパクトがあるだろう。岐阜城の魅力を全国に発信したい」と意気込んでいる。


新しい石垣が見つかりました!

2018-05-10 07:12:33 | 金華山:岐阜城
新しい石垣が見つかりました!

岐阜 NEWS WEB
岐阜放送局 トップ
岐阜城 山の中腹にも石垣発見
05月09日 19時21分
岐阜城のある岐阜市の金華山の中腹で巨大な石を使った石垣が見つかり、岐阜市は「織田信長が山の中腹にも重要な建物を造っていた可能性がある」としています。
新たに石垣が見つかったのは標高329メートルの金華山の北西側、標高150メートルほどの山の中腹で、岐阜市が4月にかけてこれまで調査していなかった登山道から離れた場所を調査する中で見つかりました。

石垣は3つが横に並ぶように合わせて38メートルあり、使われている石材は、大きいもので、長さ2メートル70センチ、高さ60センチと金華山で見つかったものの中で最も大きいということです。
金華山ではこれまで山頂の岐阜城付近とふもとにある織田信長の館の2か所で石垣が見つかっていますが、それ以外で見つかったのは初めてです。

岐阜市は「城下町からの眺めを重視していたとみられ、信長が権力のシンボルとして重要な建物を造っていたのではないか」としています。

標高50メートルほどの所には約50メートルにわたって大きな石が並んでいるのも見つかり、岐阜市は江戸時代の古文書にある岐阜城の最後の城主、織田秀信の別荘跡ではないかとしています。

岐阜市教育委員会社会教育課の高橋方紀さんは「想定外の大きな発見で驚いている。頂上の城と山麓の館という二元構造の概念を考え直す必要が出てきたと思う」と話しています。

朱色の三重塔、黄金色のツブラジイ、白色の花 なんじゃもんじゃの花

2018-04-29 16:35:00 | 金華山:岐阜城
朱色の三重塔
黄金色のつぶらじい
白色の花 ナンジャモンジャの木

岐阜公園 三重塔
Gifu Park

この三重塔は、大正天皇即位の記念事業で岐阜市が大正5年に建設したものである。 建設費は5500円(当時)で、 資材として濃尾地震で被災した長良橋の古材が使われた。 内部には弘法大師などがまつられている。 2005年に登録有形文化財に登録された。

山嶺を金色に染める椎の森

岐阜市中心部にそびえる金華山。江戸時代には天領となり、一般の入山や伐採が禁じられた。明治は御料林、戦後は国有林として保護され、自然本来の変遷を遂げたこの山には、鬱々蒼々としたツブラジイの天然林が広がる。ツブラジイはブナ科シイ属の照葉常緑樹で、毎年5月頃に淡黄色の花を咲かせる。西日に照らされた花々が山を黄金色に染めたことから「金華山」の由来になったともいわれ、昭和47年に市の木として選定された。

明治時代、東京の青山練兵場
 (今の明治神宮外苑)の
 道路沿いに
 このなんじゃもんじゃの木があり、
 名前がわからなかったので
 「何の木じゃ?」とか
 呼ばれているうちに
 いつのまにか
 「なんじゃもんじゃ?」
 という
 変わった名前になってしまった♪

  「何でふ物ぢゃ」
 →「なんじゅうものじゃ?」
 →「なんじゃもんじゃ?」

ブラタモリのロケ地をめぐる金華山登山

2018-04-18 07:46:12 | 金華山:岐阜城

「まちなか歴史クイズウォーク~信長公の足跡をたどり、ブラタモリのロケ地をめぐる金華山登山~」



かつて信長公が多くの賓客にみせた長良川の鵜飼をはじめ、天下統一の足掛かりとした金華山山頂の岐阜城と、
美しい庭園があったとされる山麓の巨館跡など、金華山周辺には多くの信長公ゆかりの地が残っています。
 NHKの「ブラタモリ」でタモリさんがあるいたロケ地をめぐるウォーキングにでかけませんか。


◆開 催 日   
:平成30年5月19日(土曜日)
 荒天の場合、5月26日(土曜日)に順延


◆集合場所  :岐阜公園総合案内所

◆案 内 人   :高橋 方紀(社会教育課 歴史遺産活用推進係長)

◆内  容   
:【第1部】歴史公園「宣教師のみた信長公と岐阜城」
 時間:午前9時30分~10時00分
 場所:岐阜公園総合案内所前広場

【第2部】ブラタモリのロケ地をめぐる金華山登山
 時間:午前10時10分~午後0時30分
 コース:岐阜公園総合案内所~信長公居館跡~七曲登山道~金華山山頂

 ※信長公居館跡では、タブレット端末による再現CGをご体験いただけます。
 ※金華山山頂までは、七曲登山道を通る登山となります。

 ※登山終了後は、金華山山頂で自由解散となります。

◆所要時間  :3時間程度

◆定  員   :30人

◆参 加 料   :無料

◆申込方法  :郵便番号、住所、氏名、生年月日、電話番号、ご家族・ご友人と 参加希望の方は、その方の氏名、生年月日を記入し、郵便はがき・FAX・E-メールのいずれかにて歴史まちづくり課にお申込みください。

締め切りは5月2日(水曜日)必着とさせていただきます。

※申込者多数の場合は抽選となります。結果は全員に郵送で通知いたします

         


岐阜城 城主変遷

2018-03-08 07:03:34 | 金華山:岐阜城

岐阜県岐阜市にあった山城(やまじろ)。同市指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。戦国時代、道三・義龍・龍興の斎藤氏3代が居城とし、美濃を制圧した織田信長が一時期居城とした城である。


長良川河畔の独立峰、金華山(標高328.9m、旧名稲葉山、古くは井口山ともよばれた)にあった城郭で、織田信長が岐阜城と改名するまでは稲葉山城と呼ばれていた。鎌倉時代初めの1201年(建仁1)に二階堂行政が稲葉山に砦を築いたのが岐阜城の始まりといわれる。



この砦はその後廃棄されたが、15世紀の中頃、美濃の守護代斎藤利永が、かつての城塞跡を修復して居城とした。



1525年(大永5)、斎藤氏家臣の長井長弘と長井新左衛門尉が謀叛を起こして稲葉山城を攻撃し、稲葉山城は長井氏の支配下に置かれ、新左衛門尉が城主となった。新左衛門尉の子が長井新九郎規秀(後の斎藤道三)である。道三は1533年(天文2)に家督を継いで稲葉山城の城主となり、斎藤氏の養子となって斎藤利政と名前を改め、美濃国の守護代を継いだ。道三は1539年(天文8)、金華山山頂に城の建設を行い、1541年(天文10)には守護の土岐頼芸を追放して大名としての実質的な権力を掌握した。



利政(道三)はその後も稲葉山城を居城としたため、この城は美濃の中心となった。1544年(天文13)、利政は家督を嫡男の斎藤義龍に譲り、



剃髪して道三と号した。道三はその後も実権を掌握していたが、しだいに義龍との対立が大きくなり、1556年(弘治2)には父子の間に長良川の戦いが起こり、道三は義龍に討ち取られた。義龍はその後、東美濃に侵攻した尾張の織田信長と対立し武力衝突を繰り返すが、1561年(永禄4)に義龍は急死し、斎藤龍興が13歳で家督を継ぎ、城主となった。


この年、十四条の戦いに勝利した織田信長は稲葉山城を攻めたが敗退している。1567年(永禄10)、信長は西美濃三人衆の内応により稲葉山城下に侵攻して稲葉山城の戦いが行われた。この戦いで、龍興は城を捨てて伊勢長島に逃れ、織田氏が稲葉山城を占拠した。信長は居城を小牧山城(愛知県小牧市)から稲葉山城に移して、稲葉山城と城下を岐阜と改め、この城を拠点に天下統一に乗り出した。



1576年(天正4)、安土城を築いて居城を移した信長は嫡子の信忠に岐阜城と美濃・尾張の2ヵ国、および織田家の家督を譲った。



信忠は岐阜城のさらなる整備・改修を行った。1582年(天正10)6月、信長と岐阜城主の嫡男信忠は本能寺の変で死去した。その直後、信忠家臣の斎藤利堯が岐阜城を乗っ取ったが、明智光秀が羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に敗れると織田信孝(信長三男)に降伏。清洲会議により信孝が美濃国と岐阜城を相続することになった。



信孝は秀吉と対立し、2度にわたって蜂起したが秀吉に敗れ、1583年(天正11)に切腹させられた。同年、池田恒興が大垣城(大垣市)に入城すると、恒興の嫡男元助が岐阜城に入城した。



さらに1584年(天正12)、小牧・長久手の戦いで池田恒興と元助が討ち死にすると、恒興の二男池田輝政が入城して居城とした。



1591年(天正19)、輝政が転封すると、織田秀信(信長の嫡孫、信忠の嫡男)が岐阜13万石の領主として岐阜城に入城した。







1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いで、信秀は石田三成の挙兵に呼応して西軍に与した。このため、秀信が立て籠もった岐阜城は、関ヶ原の戦い前夜に福島正則や池田輝政らに攻められて落城した。戦いの翌年の1601年(慶長6)、徳川家康は岐阜城の廃城を決めた。


家康は本多忠勝や奥平信昌に命じて、新たに加納城(岐阜市)を築かせたが、その際、岐阜城の天守や櫓などは加納城に移されたといわれている。1910年(明治43)、岐阜城跡に復興天守が建設され、1956年(昭和31)には鉄筋コンクリート造の3層4階建ての天守に立て替えられ(模擬天守の内部は資料館になっている)、1975年(昭和50)には隅櫓(すみやぐら)(岐阜城資料館)が完成している。


現在、城跡は岐阜公園として整備されている。園内には曲輪(くるわ)・石垣・土塁・井戸などの遺構とともに、天守閣・冠木門・隅櫓の模擬建造物がある。


また、山麓には信長の居館跡があり冠木門と土塁が復元されているほか、近くに歴史博物館がある。JR東海道本線岐阜駅、あるいは名鉄名古屋本線名鉄岐阜駅からバスで岐阜公園・歴史博物館前下車、金華山ロープウェーに乗り換え約3分で金華山頂駅下車、徒歩約8分

(金華山頂の天守まで)。◇古くは稲葉山城とよばれた。

日本百名月

2018-02-20 11:18:43 | 金華山:岐阜城
日本百名月

認定登録題26号 【種別:B類】

「岐阜城にのぼる月」 (岐阜県岐阜市)

岐阜城にのぼる月
岐阜城は標高329メートルの金華山山頂に位置。天守の最上階は360度展望のパノラマ夜景が楽しめるスポットとしても知られ、期間限定で夜間開場も行なっている。天候に恵まれれば、岐阜市街はもちろん、名古屋市街はもとより、広く濃尾平野全体を見渡すことができる。夜景を楽しむためには金華山ロープウェーを利用して訪れる。

今回認定された岐阜城は名月撮影の人気スポットとして写真愛好家からも元々人気が高い場所であった。岐阜城の背景に名月がのぼる光景は、まるで築城された時代を彷彿とさせるようなインパクトを醸し出し、贅沢な月と夜城の競演を魅せている。また中秋の名月である8月15日は、450年前に織田信長が岐阜に入城した日と同じであるという一説も有名な言い伝えだ。

ブラタモリ 岐阜に来た。

2017-11-20 06:54:39 | 金華山:岐阜城
タモリ、東京を出て•••
岐阜に来た。

#92 岐阜 ~岐阜は 信長が夢見た“平和の都”!?~


総合 2017年12月2日(土)午後7時30分~8時15分
放送決定!

ブラタモリ、岐阜へ!
今回の舞台は、織田信長の城下町として知られる岐阜県岐阜市。いまから450年前、信長はこの町を拠点に天下統一に乗り出しました。実は「岐阜」という名前をつけたのも、信長なんです。

でもそんな岐阜が、信長が夢見た「平和の都」だったって、いったいどういうことでしょう?タモリさんが、岐阜の町をブラブラ歩いて、意外な信長の素顔を解き明かします。
岐阜といえば、鵜をつかって鮎をとる鵜飼。夜の長良川に船を浮かべて楽しむ鵜飼を、信長は「おもてなし」に使っていたってホント?信長も味わったという鵜飼の鮎をタモリさんも舌鼓!
そして長良川のほとりの岐阜城へ。かわいいリスと標高329mの金華山にそびえ立つ石垣が物語る、信長流「戦わずして勝つ平和な城」のヒミツとは?さらに山のふもとにあったという「地上の楽園」で明らかになった衝撃の事実、信長もタモリさんと同じ地形マニアだった!?

そして信長の町づくりの痕跡をさがして繁華街へ。長良川の水運で岐阜へと運ばれた「和紙」が、信長がめざした平和の切り札だった?和紙をつかった岐阜の伝統工芸品「水うちわ」づくりにタモリさんがチャレンジ!さらに信長が岐阜の繁栄をめざして立ち上げたプロジェクト「楽市楽座」はどこにあった?古地図片手に昔からの道をたどった先でタモリさんが見つけた、信長の野望のあかしとは?


NHKオンラインより

信長 岐阜入城450年

2017-01-20 21:36:20 | 金華山:岐阜城
本日の中日新聞より。

岐阜城の石垣、ジオラマで復活 金華山ロープウェー山麓駅に展示
金華山の山上部に石垣をよみがえらせたジオラマに見入る来場者=岐阜市のぎふ金華山ロープウェー山麓駅で

 戦国時代に、金華山(岐阜市)山頂の岐阜城を取り巻くように築かれた石垣を復元したらこうなる-。有志のお城ファンでつくる「岐阜城山上石垣整備推進協議会」が制作したジオラマ模型の展示が、ぎふ金華山ロープウェーの山麓駅で十九日、始まった。メンバーは「織田信長の岐阜入城から四百五十年の節目の年に、岐阜城の将来像を考えてもらえたら」と意気込んでいる。

 ジオラマは八十センチ四方。山上のロープウェー駅から天守閣に至る一帯を、五百分の一の大きさで表現している。戦後に造られた展望台やリス村もあるが、実際の様子と違うのは、山上部を覆っている木々を取り払い、所々に石垣を復活させている点だ。

 岐阜城は一五六七年に美濃を攻略した織田信長が約十年間、拠点にした。廃城になった江戸時代の絵図には、天守跡の北西側に三重の石垣が描かれている。協議会の代表を務める岐阜市の柴田正義さん(44)らは現地に足を運び、絵図の通りの石垣跡を確認した。

 信長の時代の金華山は岩肌が露出していたとみられ、三重の石垣は「麓から見上げる者を威圧する効果を狙って、信長が築かせたのだろう」と柴田さんはみている。昨年一月に二十人ほどで結成した協議会は、現状では埋もれたり崩れたりしているこれらの石垣を、市が調査して復元するべきだと提案している。

 そこで「実現した場合のイメージが湧くように」と、ジオラマ作りを計画。インターネットで賛同者から資金を募ったところ、約八十万円が集まった。福岡県の城郭模型の専門家に金華山の測量データなどを提供し、制作してもらった。石垣の配置には、メンバーによる現地調査の結果を反映させた。

 現在立っている天守閣は一九五六(昭和三十一)年にコンクリートで復元されたもの。「信長が造った“本物”の石垣で岐阜城の観光を盛り上げるべきだ」と柴田さん。「実現には長い時間がかかりそうだが、地道に共感を広げていきたい」と話している。

 ジオラマはイベントに出品する時などを除き、当面は山麓駅で展示する。

 (木下大資)


初日の出は岐阜城へ

2016-12-23 07:17:13 | 金華山:岐阜城
信長公450

周年期間のオープニングを飾る「岐阜城初日の出」

いよいよ織田信長公岐阜入城・岐阜命名450年の記念の年となる2017年が始まります。周年期間のオープニングを飾るのは「岐阜城初日の出」です。
1月1日(日)は午前6時30分から岐阜城を早朝開館し、信長公おもてなし武将隊が来訪者の方をお出迎えします。

また1月1日から3日までの岐阜城入場者の中から、抽選で100名様に信長公岐阜入城・岐阜命名450年記念「天下布武の印鑑」をプレゼントします。
記念すべき2017年のスタートに、信長公が450年前に見ていたであろう岐阜城からの初日の出をご覧になってみてはいかがでしょうか。

岐阜城初日の出

 午前6時15分から 信長公おもてなし武将隊によるお出迎え
 午前6時30分から 岐阜城早朝開館 

 ※ 平成28年1月1日の初日の出は午前7時02分