長良川温泉 ホテルパーク

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岐阜周辺お城巡り 墨俣一夜城編

2014-06-30 21:29:05 | 岐阜周辺お城巡り
築城時期は不明である。
長良川西岸の洲股(墨俣)の地は交通上・戦略上の要地で、戦国時代以前からしばしば合戦の舞台となっていた
(墨俣川の戦い)。

斎藤氏側で築いた城は斎藤利為らが城主を務めた。また、1561年(永禄4年)ないし1566年(永禄9年)の織田信長による美濃侵攻にあたって、

木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)がわずかな期間でこの地に城を築いたと伝えられている。

これがいわゆる墨俣一夜城であるが、不明な点が多く、様々な議論がある。

現在、墨俣城跡の北西側は一夜城跡として公園に整備されている。

公園内には大垣城の天守を模した墨俣一夜城歴史資料館が建てられているが、史実上の外観とは異なる、

また、公園内にある白鬚神社(式内社荒方神社の説がある)には境内社として模擬天守閣が築かれたさいに分祀された豊国神社があり、豊臣秀吉が祀られている。

岐阜周辺お城巡り 加納城編

2014-06-30 21:14:55 | 岐阜周辺お城巡り
加納城は2重の堀をもつ、南北に細長い城(南北約600メートル、東西約300メートル)であり、城の大手門は北側にあり、中山道に面し、大手門前で屈曲する構成となっていた。内堀は本丸を取り囲む形で配置され、外堀は、荒田川(東側)、清水川(北側)、長刀堀(西側:現在の加納長刀堀(かのうなぎなたぼり))、加納中学校付近に南の外堀があった。

本丸は方形を成し、そこから外枡形が突出している。これは初期徳川系城郭の特徴とされており、「加納城型」とも呼ばれている。主な曲輪として本丸とその西に二ノ丸、北に厩曲輪・三ノ丸、南に大藪曲輪がある。

本丸に天守台はあったが天守は建てられず、代わりに二ノ丸に御三階櫓が建てられていた。当初は天守の建設が予定されていたが、名古屋城に天守が建設された為に必要が消えて造られなかったという。この城の石垣には加工するにはあまり適さないチャートが使われている。

城下町・加納は、東に配置された武家地と、北側にある中山道53番目の宿場である加納宿。

御三階櫓
御三階櫓は、享保13年(1728年)に書かれた城絵図[1]によれば独立式層塔型3重4階である。二ノ丸の東北隅に建てられ、現存当時は「お三階」と呼ばれていた。 慶長6年(1601年)廃城となった岐阜城山頂にあった天守を移築したものと伝えられ、絵図面からは、東西面と南北面とで柱間寸法に違いがあるなど改変の跡と見られる構造が覗える。[2]

享保13年に落雷による大火で焼失し、そのまま廃藩置県を迎える。現在は同地に岐阜地方気象台がある。

歴史・沿革編集

前期加納城
文安2年(1445年)に川手城の備えのため、土岐氏の家宰の斎藤利永によって沓井城として築城された。船田合戦では斎藤妙純の居城となっていた。しかし、天文7年(1538年)にはすでに廃城となっている。

後期加納城
関ヶ原合戦の結果、それまで岐阜城を本拠地にしていた織田秀信(信長の孫息子)が追放され、慶長6年(1601年)に岐阜城は破却された。そして、都市名は関ヶ原合戦前の「岐阜」から「加納」に改名され、岐阜城の代わりとして翌1602年7月1日から加納城が築城され、9月に徳川家康の義理の息子である奥平氏が入城した時には本丸・二ノ丸は完成していたようである。縄張は徳川家康自身が行ったとされ、普請奉行は本多忠勝とし近隣の大名を動員した。いわゆる天下普請である。建材は主に岐阜城のものが用いられ、岐阜城天守を二ノ丸御三階櫓として利用したと伝えられる。加納城は加納藩の藩主の居城となり、慶長7年(1603年)に奥平信昌が入った後、奥平氏の居城となった。

寛永9年(1632年)に奥平忠隆が死去、嫡子がいないために改易されると従兄弟の大久保忠職が入城、一時的に城主となる。その後の寛永16年(1639年)に戸田光重が入城、3代にわたり城主を務めるが移封され、宝永8年(1711年)に安藤信友の居城となった。さらに時代が下って宝暦5年(1755年)に永井信陳が加納藩主となり、明治維新に至るまで永井氏の居城となった。

近代
明治4年(1871年)、廃藩置県によって加納県の県庁が置かれたが、同年11月に岐阜県へ合併した。翌、明治5年(1872年)、廃城令により城は廃城処分となり建物は破却。城門などは売却された。明治33年(1900年)、岐阜県師範学校が跡地に置かれ、本丸跡を運動場とした。明治39年(1906年)三の丸跡に加納尋常小学校が移転される。昭和14年(1939年)、本丸跡が陸軍第51航空師団司令部となり、戦後は昭和29年(1954年)から昭和50年(1975年)まで自衛隊の駐屯地が置かれるなどした後、昭和58年(1983年)10月28日に加納城跡として国の史跡に指定された。

近年の発掘調査で枡形や前期加納城の土塁・礎石の跡、埋没した石垣や井戸跡、多くの土器などが出土した。遺構は調査後に埋め戻され、現在では加納公園(本丸跡)と周辺に石垣、堀跡などがわずかに見られるのみである。

季節のミニ会席のご案内

2014-06-30 19:53:53 | 季節のお料理
季節のミニ会席
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11:30~14:00 3,564円(サ・税込・3名様以上おひとり様)
6月16日~

★お献立

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・前菜 五種盛り 小鉢、こはだ寿司、鮎味噌、
鮎笹巻き、枝豆
・造り 二種盛り 環八、鮪
・焼物 鮎清流焼き 岐阜産鮎
・凌ぎ 冷し豆腐 蟹、若芽
・小鍋 鱧鍋 鱧、野菜
・揚げ物 海老チリ 海老春巻き、野菜
・止椀 赤味噌仕立て
・食事
ご飯 香の物
・水物
レアチーズプリンカクテル
※仕入れにより料理内容・器が変更になる場合がございます。


(2名様の場合おひとり様 税込4.000円となります。)
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