岐阜城で
信長の天守台石垣が見つかりました。
織田信長の居城、岐阜城がある岐阜市の金華山の山頂で、12月、信長が築いたと見られる天守閣の土台、「天守台」の石垣が初めて見つかり、岐阜市は「安土城につながる天守閣の起源を考える上で重要な発見だ」としています。
7日、岐阜市の柴橋正直市長が記者会見で明らかにしました。
石垣が見つかったのは現在の岐阜城の天守閣の西側で、市が発掘調査を進めていた12月下旬、地表に出ていた大きな石の周りを掘り進めたところ、長さ1メートル80センチ、高さ70センチの石垣が見つかりました。
信長の時代以降に主流となった、大きな石の隙間に間詰石という小さな石を詰める方法で造られていることから、市は信長が築いたものと見ています。
現在の天守台の石垣は明治43年に再建された際に積み直されたもので、これまで信長の時代のものは残っていないと考えられていましたが、今回見つかった石垣は江戸時代前期に描かれたと見られる絵図「稲葉城趾之図」のものと同じ位置にあり、市は「安土城につながる天守閣の起源を考える上で重要な発見だ」としています。
岐阜市教育委員会社会教育課の内堀信雄課長は「今後も発掘調査を進め、信長が目指した城づくりの重要な部分を明らかにしたい」と話しています。
岐阜市は1月14日から18日まで、現地を一般に公開することにしています。
織田信長の居城、岐阜城がある岐阜市の金華山の山頂で、12月、信長が築いたと見られる天守閣の土台、「天守台」の石垣が初めて見つかり、岐阜市は「安土城につながる天守閣の起源を考える上で重要な発見だ」としています。
7日、岐阜市の柴橋正直市長が記者会見で明らかにしました。
石垣が見つかったのは現在の岐阜城の天守閣の西側で、市が発掘調査を進めていた12月下旬、地表に出ていた大きな石の周りを掘り進めたところ、長さ1メートル80センチ、高さ70センチの石垣が見つかりました。
信長の時代以降に主流となった、大きな石の隙間に間詰石という小さな石を詰める方法で造られていることから、市は信長が築いたものと見ています。
現在の天守台の石垣は明治43年に再建された際に積み直されたもので、これまで信長の時代のものは残っていないと考えられていましたが、今回見つかった石垣は江戸時代前期に描かれたと見られる絵図「稲葉城趾之図」のものと同じ位置にあり、市は「安土城につながる天守閣の起源を考える上で重要な発見だ」としています。
岐阜市教育委員会社会教育課の内堀信雄課長は「今後も発掘調査を進め、信長が目指した城づくりの重要な部分を明らかにしたい」と話しています。
岐阜市は1月14日から18日まで、現地を一般に公開することにしています。
現地公開現地公開について
令和2年1月14日(火)~1月18日(土)
10:00~12:00 13:00~15:00
雨天中止(史跡岐阜城跡Twitter、岐阜公園内発掘案内所でご確認下さい)
令和2年1月14日(火)~1月18日(土)
10:00~12:00 13:00~15:00
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