浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

縁起と供養

2023-06-11 20:46:16 | 法話

今朝も梅雨空のお寺でした。自分がやりたいことを、時間がない、暇がないと理由をつけては、我慢して、先延ばしにする方が多いと思います。私は、数多くの葬儀にお参りするので、ご遺族の後悔の言葉は身にしみます。人生で後悔することの中で、もっと自分らしく生きたかった、会社や家族や周りにどう思われようとも、やりたいことをやればよかった。と思う方は多いと聞きます。もっと、家族を大切にすればよかった、大切な方と、もっと、旅行に行きたかった、もっと、子供と遊びにいけば良かったと思う人も多いと思います。後悔先に立たずです。でも、どんな生き方をしても後悔するのが、人間です。もっと、違う生き方があったのではないか、違う、選択があったのではないかなどと考えたりしませんか。でも、私は、一つだけ、私の人生に間違いはなかったと思えるのは、お寺に生まれ、住職になったことです。お寺に生まれたからといっても、必ず、住職になる必要はなく、僧侶にならなくても良いのです。私の知り合いでも、経営者になった方もいるし、医者に成った方もいるし、弁護士になった方もおります。でも、私の知る方は、皆、住職には成らなかったけれども、お寺に生まれ、浄土真宗の教えに出会えたことが、仕事にいかせると話されています。たとえば、仏教の教えの中でも有名な縁起という考え方です。縁起が悪いといいますが、その使い方は、間違いです。縁起とは、世の中のすべては、お互いがつながりあっている、助け合っているという考えです。縁起とは、とても、有難い教えです。おかげさまという言葉に繋がる言葉です。おかげさまは、目には見えなくても、みんなのおかげで、私は生かされているのです。お医者様も、患者さんが居なかったら、廃業です。お医者さまは、患者さまがいるから、病院が成り立つのです。数年前、テレビCMのコピーに「世の中は、誰かの仕事で成り立っている」というのがありました。私は、そのとおりだと思いました。でも、世の中の多くの方は、働かないと食べていけないから仕方がないと思うのかもしれません。しかし、みんなのおかげで、自分は生かされている、だから、自分も働くことで、恩返しをさせてもらっていると考えると、少し、世の中の見方が変わります。昨日、ホームページの事で、どうしても、わからないことがありました。でも、土日だし、問い合わせても、対応してくれないだろうとは思ったのですが、電話をしてみましたら、ちゃんと、繋がり、丁寧に対応してくださいました。そして、めでたく、謎が解けました、大変、有難く感じました。私も葬儀や法事を勤め、感謝されると嬉しいものです。お互いが相手の事を思いやる気持ちが、供養(共に養う)という言葉の意味だと思います。日本は、とても、良い国です。それは、知らず知らずのうちに、仏教の教えが日常の中に浸透しているからだと思います。


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