浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

父が90歳を迎えて

2023-06-28 16:43:21 | 日記

昨日は、父のお祝いがあり、その前に、いつもの梅作業やタケノコ作業を終え、もう、無いだろうと、梅の木の下を見ると、また、4粒落ちていました。いまだに、取り残しがあるのです。収穫してから、もう一か月たちます。あと、一か月たつと、最後の仕上げの梅干しです。梅の天日干しを三日三晩します。これで、今年の作業も終了です。昨晩は、また、夕方からお通夜にお参りさせて頂きました。お通夜が終わって、寺に戻っても、少し明るい感じでした。残りのタケノコ作業を暗闇の中やりました。父は、90歳になりました。60歳で、定年退職を迎えましたので、あれから、30年がたちました、横浜の翠嵐高校の校長が最後のお勤めでした。住職と教員という、いわゆる二足の草鞋状態が、長く続いたのです。父が定年になった時には、私は、既に、父の代わりに、お坊さんを勤めておりました。母が、私に、「お勤めご苦労様でした」と言ってあげてね、と言われたのをいまだに覚えていますが、恥ずかしくて、言えなかったように記憶しております。定年になった父でしたが、その後、決して、のんびりは出来ていませんでした。その頃、法徳寺は、忙しくなっていたからです。私が、副住職になる前は、暇な寺だったのです、年間で、葬儀は一件しかなかった年もあったほどです。私が、葬儀社さんや霊園さんにお願いして、浄土真宗本願寺派のお客様がいらっしゃれば、ご葬儀やご法事を何でもお受けしまうと、お願いに回り、もともと、浄土真宗がとても少ない地域だったので、結構、紹介して下さるようになりました。そうすると、またたくまに、多忙な寺になり、私一人では、人出が足りず、私の知り合いのご住職に頼んでおりましたが、忙しい時は、どこも同じで、断られてしまうことも多く、困っていたのです。そのタイミングで、父が退職になって、私としては、本当に、助かりました。それでも、時々は、母と旅行に行ったりもしていましたが、ずいぶん、お寺の住職を頑張ってくれていました。私の長男が、龍谷大学を卒業し、直ぐに、副住職となりお寺を手伝ってくれるようになったので、80歳を過ぎて、ほぼ、寺の事は引退しましたが、それまで、頑張ってくれました。90歳となっても、未だに、頭は冴えています。新聞は3紙すべてに目を通しています。健康寿命を延ばすのは、ウオーキングよりも読書と聞いたことがありますが、そのとおりかもしれません。さすがに、若いころからの歩きすぎで、足腰はかなり、衰えてしまいましたが、頭脳は若いように思います。私や長男の行動を、見守るのではなく、監視し、常に目を光らせています。少しでも、寺のことで、いい加減なことをすると、すぐに、指示の手紙が来ます。いまだに、怖い父です。90歳のお祝いが、「卒寿」と聞いて、由来を調べようかとインターネットで検索しようかと思いましたが、やめました。漢字の意味通りの意味なら、何だか、寂しいのです。親鸞聖人も90歳まで長生きされましたので、並びました。私は、ふと、どうなるのだろうかと思いました、父を超えられるのか超えられないのか、こればっかりは、分かりません。そして、怖い父は、これから、後、何年長生きするのだろうか、そして、いつまで、私にとって、怖い父なのだろうか。


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