浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

人生はゲーム

2024-02-21 22:20:00 | お知らせ

皆さんは、見知らぬ方から、この世に、何のために生まれてきたのですか?そして、必ず、死んでいくのに、なぜ生きるのですか?そんな質問をされたら、この人、怪しいきっと何かの宗教の勧誘だわと、警戒されると思います。しかしながら、真実の宗教は、この問いの答えを持つ宗教であります。逆に偽の宗教には、誰でも楽に出会うことができます。真実の宗教には、出会うことは、稀な事です。だからこそ、今も私たちは迷いの中にいるのであります。日本人のほとんどの方は、偽の宗教で人生をごまかして、そして命を終わっていくのです。まず、そのような会話を、お友達同士などでする事は無いと思います。人間に生まれてきた目的は、幸せになるためと瀬戸内寂聴さんはおっしゃっていました。本当にその通りです、しかし、浄土真宗では、その幸せは、お浄土に生まれ仏様になることです。そう言われてもきっと多くの方は、その話しのどこが幸せなのですか?と思われると思います。私たちの幸せと言うのは、この世でお金に困らず、家族に恵まれ、友達に恵まれ、健康で長生きそれが幸せだと思っているからです。そして、死ぬのは、未来の話。未来の話を、今する必要がどこにあるのですか?と思われると思いますが、死は未来の話ではありません、今の話であります。仏教は、未来の話をしないのであります。前読んだ本に、「人生とは、必ず、ゲームオーバーになるゲームをしているようなものです。」と書いてありました。私はそれを読んだとき、救われた気持ちがいたしました。どんなに、頑張っても、どんなに楽しんでも、いつかはゲームオーバーになるのです。人生とは、それぐらいに考えたほうが、気が楽だと教えてくれました。人生を真剣に考えれば考えるほど、思い通りには行かず、計算通りには行かず、苦しみが増すだけでありませんか?そんな時人生はゲームなんだと、そのように思ってみて下さい。しかし、ゲームですが、楽しんだほうが良いのです。真剣にやった方が面白いのです。そして、ゲームには、人生と同じように様々な困難が待ち受けていますが、少しでもそのゲームが長続きするように頑張ってみてください。ゲームを、自分なりに楽しめば良いのであります。ゲームオーバーになっても、残念に思う必要はありません、なぜなら、必ずゲームオーバーになるようにプログラムされているのですから。そして、浄土真宗の救いは、既に今、阿弥陀如来の救いの中にある。いつゲームオーバーになっても、私の受け持ちではありません、阿弥陀如来にお任せであります。ゲームオーバーになったら、どうしようなどとゲーム中に心配してたら、楽しめません。私の心配事ではありません。受け持ちは阿弥陀如来であります。私が心配することを自力心といいます。蓮如上人は、「自力の心をふりすてて」とお示しくださっています。
そろそろ、梅の花も散り始めました。そして、木には小さな実がつき始めています。私たちも、お浄土で、成仏(仏果)をさせて頂くのです。



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