浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

浄土真宗のお寺とは

2024-02-27 21:08:00 | お知らせ

法徳寺は、浄土真宗本願寺派に属しております。500年の歴史の中で真宗大谷派(東本願寺)に属していた時代もあったようであります。いわば、フランチャイズに加盟し、フランチャイズ料を支払い、看板を出させていただいています。当たり前ですが、浄土真宗本願寺派に属していなければ、看板は出せないのであります。本山は、京都堀川通りにある西本願寺であります。そして、トップは、現在、第25代門主大谷光淳さまであります。ご門主さまは、まだ新門様(次の代のご門主)の時に法徳寺にお立ち寄りいただいたことがございました。西本願寺も東本願寺も元は1つでしたから、両方とも、親鸞聖人の血脈で、代々受け継がれています。浄土真宗の寺院の特徴として、他の宗派にはない世襲性があります。他の宗派は、今でこそ血縁がおおくなりましたが、明治時代までは妻帯が許されておりませんでしたので、法脈で受け継がれていらっしゃったと聞いております。浄土真宗は、親鸞聖人が、日本で初めて肉食妻帯をされた僧侶でいらっしゃいましたから、ほとんどの寺院では、世襲制で受け継がれているのであります。ですから、檀家、門徒さまとは、代々結びつきが強いのが特徴なのであります。浄土真宗本願寺派には、教区という行政区が全国にあります。法徳寺は、東京教区相模組に属しています。そして教区からは、教区会議員という議員さんが選出され、西本願寺で定期的に宗会が開かれ、宗門の方向性は全てこの宗会で決定されるのであります。宗派には宗門法規という規則があり、それに反すれば僧籍剥奪もあります。東京には、東京本社とも言える築地本願寺がございます。もともと築地本願寺は浅草にあったのですが、江戸時代の大火事で焼けてしまい、幕府から今ある場所に移るように命じられました。しかし、その場所は海だったのであります。そこで佃島の門徒集が、海を埋め立てそこに本願寺が建てられたのであります。その為、築地本願寺と言われるようになりました。現在あるインド風建築は、有名な建築家伊東忠太によって設計されたものです。私はどこかに旅行した時、浄土真宗本願寺派のお寺を見つけると、とても嬉しくなります。ここでも親鸞聖人の教えが代々伝わっているんだなぁと思うと本当にありがたく思います。西本願寺では、定期的に、大きな法要があります、昨年は、親鸞聖人ご誕生850年立教開宗800年慶讃法要がございました。本山に行きますと、北海道から来てるお寺さん、九州や沖縄からもたくさんいらしてました、日本のどこでも、同じ南無阿弥陀仏を称える方がいらっしゃるのです。そのすべての方から出てくる南無阿弥陀仏は、阿弥陀如来が救いを私たちにお告げ下さっているお言葉ありますから、ありがたいことですと聞かせていただくのであります。お寺を継続していくのは、これから、難しい時代だとよく言われますが、そんなのは、今に始まったことではありません。100年前、200年前も同じであります。それでも、その時代の住職の努力と創意工夫、そして何より、檀家さんや門徒さんの協力で、お寺は続いてきたのであります。これからも、100年200年先も続いていくと、私は思います。昔、ある研修会で、林業を営む家業の方は、100回忌、200回忌を勤めると聞かされて驚いたことがあります。今、自分たちが生活ができるのは、100年前、自分の先祖が木を植えてくれたからだ。それが、今、私たちの生活を支えてくれていると言う感謝の気持ちからだそうであります。私も100年前、200年前、貧しい時代であっても、浄土真宗の教えを、絶やさず伝えてくださった、先人のお心をこれからも大切にしていきたいと思います。浄土真宗のお寺の最も特徴は、毎月、法話会が開催されていることだと思います。ある講師の先生は、法話会のない浄土真宗のお寺は必要ないと、はっきりとおっしゃっていました。浄土真宗のお寺は、僧侶の修行の場ではありません。ですから、山奥にあると言う事は、まずありません。ほとんどが街中の人々が、いつでも阿弥陀如来の救いを聞かせていただける場所に建っているのであります。


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