浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

末法には末法の救いがあります

2024-03-15 20:26:00 | お知らせ
浄土真宗では、私たちに、この現世での生き方に注文をつけません。良い行いをしなさい、嘘をついてはいけません、殺生をしてはいけませんと、これが守れたら救われますよと、注文を付けてくれた方が、分かりやすいと思います。しかしながら、もし、それが救いの条件ならば大変です。生き方に注文しないのは、私たちの過去世での宿業が、私の生き方を決めているからであります。たとえば、良い行いをしなさいと言われなくても、自然にされる方もいれば、したくても出来ない方もいます。浄土真宗が、生き方を説かないのは、そこに理由があるのです。みんなに優しくしなさい言うのは、簡単でありますが、それが出来ない、思い通りに生きられない私たちの宿業(過去の行い)が関係しているのです。しかし、阿弥陀如来には救いに条件がないのです。良い行いをしなさい。嘘をついてはいけません。殺生をしてはいけません言う事は簡単でありますが、それができない者こそが、救いの目当てであります。般若心経を、浄土真宗では読経しない事は、ご存知の方も多いと思います。どんな内容が説かれているかは、ネットを検索すれば、たくさん出てきます。般若は、智慧のこと、智慧は、煩悩の火が消えた状態、仏さまにしかないお心、清らかで穢れのない心です。智慧があれば、この世を、楽に生きられます。煩悩が、私たちを苦しめている根源だからであります。般若心経は、ありがたいお経でありますが、私の救いの道では無いのであります。この世に、生きている間に、煩悩をなくすことなど絶対に出来ません。般若心経を写経しても、読経しても、煩悩は無くせません。まして、先祖供養とは、全くかけ離れた内容です。今の世は、末法の時代です。末法とは、教えがあるだけで、修行して悟りをひらく者がいない時代のことです。末法では、阿弥陀如来の他力の救いしか、救われる道は無いのであります。私には、般若心経で、六道輪廻を解脱し、仏となる道は無いのであります。どんなに内容が崇高でありがたくても、自分が救われなければ意味がないのであります。




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