勝手にしろ!好きにしろ!出ていけ!。皆さんはそんな言葉を、相手に浴びせたり、逆に、言われたりすることがあると思います。そんな時、「すいませんでした」「申し訳なかった」と謝る方はいません。売り言葉に買い言葉、「はいわかりました、今までお世話になりました」。それで決別であります。私たちの人間関係と言うのは、そんなものであります。親子の関係は、次の日には、また普段通りになったりするものであります。しかし、他人とは、勝手にしろと言われて、次の日に何でもなかったと言うわけにはいきません、覆水盆にかえらずと言われる通り、これで、永遠の別れであります。阿弥陀如来が法蔵菩薩という修行者であった時、私が修行の末、仏様になるときに、この願いが、成し遂げられないうちは、仏とは名のらないと誓わられたのが48の誓願と言われます。その中の第18願の中に、「心から信じ喜び、お浄土にまいらせて頂けると信じて、10声の念仏を称えるものを救う」と誓わられています。しかし、その最後に、五逆罪(ネットで調べてみてください)と仏教を否定した者は、除くと説かれているのであります。つまり、すべてのものを救うとは、誓われてません。しかし、浄土真宗の教えでは、抑止文と言われ、除かれるのではなく、抑止する、「やるなよ」という解釈です。抑止しなければ、それをやってしまう者が救いの目当てだといただくのであります。親鸞聖人の教えの代表は悪人正機と言われ、悪人が1番の救いの目当てであると言われる根拠であります。私たち人間関係は、全ての者と仲良くしたりすることはできないのであります。自分の思い通りにならない、相手に対して、勝手にしろ!と拒絶するわけでありますが、阿弥陀如来はすべてのものを拒絶しないのです。むしろ、拒絶するものこそ、救いの目当てであると、おはたらきくださる仏様なのであります。そんな仏様は、どこにもいらっしゃらないのであります。
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