浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

人間は騙せても仏様は騙せない

2024-01-21 12:05:00 | お知らせ
人間は、肩書、地位や名誉、お金があるないで、人を判断します。見た目もそうです。キチンとした身なりの方と、汚れた身なりをしている方のどちらを、信用するかといえば
、私は、見た目で判断してしまいがちです。しかし、見た目で騙されてしまうのが私です。また、私は、声でも騙されます、この人は優しい声だなぁ、きっと優しい方なんだろうなぁ。逆に、この人は怖い声だなぁ。きっと悪い人なんだろうなぁと思うのです。私も自分自身を少しでも、良い人間に見せようと必死で笑顔を作り、見た目をキチンとし、キチンとした服装を着て、何とか他人をごまかします。高価な袈裟、衣を着ていると見た目は、立派な僧侶に見えるものです。私は昔、僧侶も見た目が大事!きちんとした高価な衣を着なきゃだめよ!とある住職からアドバイスをいただきましたが、私はその時はそんなの嘘だ!と思ったのですが、本当に現実はそうでした。確かに、ご法事に、高価な衣を着ていくと、みんなが褒めるのです、なんて立派な美しい衣ですねと、私自身を褒めるのではなく、衣をよく褒められました。立派な衣を着ていると、位の高い立派な僧侶に見えるようです。しかし、人間は誤魔化せても、仏様だけはごまかせません。何を考えているのか、何を企んでいるのか、全てを見通しです。仏教とは、自らの姿を知ることであると、言われます。自分では、自らを全部、分かったつもりで生きてますが、私たちは自分のことをほとんど、わかっていないのではないでしょうか、何よりも、この世に何のために生まれてきたのでしょうか?生まれる前は、どのような状態だったのでしょうか?そして、死んだらどこへ行くのでしょうか?自分のことなのに何もわかりません。そして、自分よりも、よく私をご存知の方が仏様です。仏様の前では、いくら、善人に振る舞っても、全て見抜かれています。仏様の前で、手を合わせている姿は、見た目は、とても美しいものですが、心は煩悩にまみれ、自分中心で物事を考え、自分の幸せしか願っていないのです。阿弥陀如来は全部お見通しです。人間同士であれば、相手の本心がわかったら、すぐに喧嘩になってしまいます。または、夫婦であればすぐに別れてしまいます。お互い相手の本心がわからないからこそ、何とか、うまくやっていけてるだけの話です。阿弥陀如来様は、私の全てを見抜いて、だからこそ、救わずにはおかないと、はたらいてくださいます。私の本心を全て見抜いても、見捨てないと働いてくださる。仏様は、本当にありがたいものでございます。だからこそ、安心してお任せし、安心して命終わっていける道が開かれるのです。私の命は、明日を保証されていません。いつでも臨終です。でも、救いは先に届いています。それが、南無阿弥陀仏の阿弥陀如来弥陀の呼び声です。合掌




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イライラした方には関わりたくない

2024-01-20 10:31:00 | お知らせ
世の中には、様々な理由でイライラしている人がいます。自分がイライラしているのが当然の権利だと言わんばかりです。それは、仕方がないことなのです、世の中は、自分の思い通りには行かないことばかりですから、しかし、その人の周りの方や、その人が車を運転していると、周りの人は、大変迷惑を被ります。自分がライラしていることすら気づいていません、周りに迷惑をかけていることもわかりません、逆に「なんでお前たちはそんなにのんびりしているんだ」と言わんばかりでございます。そう言っている、私も自分がイライラしている時はそうなります。だから、お互い様です。しかし、イライラしている人の周りには、できるだけ近づかないことです。「触らぬ神に祟りなしでございます」仏様は祟りなどいたしません!自分のイライラした行いが、いつか自分に返ってくるだけです。仏様が祟りをもたらすのではなく、自分で受けていくのです。仏様は私たちが、縁があれば、何をしてかすか、わからぬ者だと言うことを、知らしめてくださいます。

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自分の不安はお節介につながる

2024-01-19 20:46:00 | お知らせ

人間誰しもが、子供の心配や、孫の心配、妻の心配、夫の心配をします。特に、家族への心配事は、日常茶飯だと思います。私、最近、気づいたのが、心配をする時は、たいてい、自分自身が、今、不安を抱えてる時なのです。自分に、何の心配もないときは、家族の心配もしないのです。なぜなら、自分がしっかりしてるから、何かあっても、自分がなんとかしてあげられると思うからです。しかし、自分が不安な時は、大抵、家族の事まで、なんでも心配になり、おせっかいと言われます。ですから、自分の不安を、家族に置き換えているだけです。それは、家族の為ではなく、自分の心配事の為です。偽という漢字は、人の為と書いて偽です。私の思いは、自分の不安からきているから、偽物です。みんなに気を配り、不安がっているのは、それは、自分の不安が源ではないですか?まずは、自分の不安を解決することが先決なのだと思います。私も、山に行って、気分が良くなれば、余計なお節介もしなくなります。

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いつもニコニコ顔はやめよう

2024-01-18 10:23:00 | お知らせ
いつもニコニコしている人は、良い人に見えます。逆に怖い顔している人は、悪い人に見えます。しかし、それは私たちの錯覚です。心では、何を考えているのかはわからないのが人間です。いつもニコニコと仲良さそうにしていたご夫婦が、突然、離婚される事はよく聞きます。でもそれは突然では無いのです。お互いそのご夫婦は無理をされていたのです。逆に、お互い何も話さず、お互い怖い顔している夫婦が、実はとても絆が強かったりいたします。私たちは、すぐ見た目で騙されます。無理に、笑顔振りまく必要は無いのです。私たちの行いは、心がコントロールしています、心が明るい時は自然に笑顔が出るものです。逆に悩みを抱えたり、不安な時は笑顔など出ないはずです。でも世間体を気にして、良い人を演じて、無理に笑顔を作っている人が多いのだと思います。しかしそれはいつか限界が来ます。お互い無理に笑わないようにしましょう。よく笑顔は、健康の源、無理にでも笑いましょう。そう事が、本でよく書いてありますが、私はどうも信用できません。私も心が明るい時はブログのネタも明るくなります。不安なときちょっとイラッとした時、ブログのネタはつい愚痴っぽくなります。そんな時は、皆さんの気分を害する恐れがありますので読まないようにしてください。よろしくお願いします。

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自慢話ききたくない

2024-01-17 22:37:00 | お知らせ
私、阪神淡路大震災が起こった年に、浄土真宗本願寺派の布教使の資格をいただきました。私の同窓生には、今では、人気布教使となり、全国を飛び回っている方もいらっしゃいます。私も、昔はよく他のお寺さんにいかせていただき、お説教をさせていただいていましたが、最近は、法徳寺だけになってしまいました。布教使さんの話を、聴聞させていただいていると、ほとんどの布教使さんが、自分の自慢話はしません。逆に自分が失敗した話、困った話、家族と喧嘩をした話、ご門徒さんとうまくいかなかった話、そういうお話をされることが多いです。なぜなら、人間は、他人の失敗談が大好きです。自慢話など聞きたくもありません。それがちゃんと布教使さんはわかっているからです。法話に限ったことではなく、友人や知人との日ごろの会話の中でも、自慢話ばかりする人は嫌われます。それよりも波瀾万丈の失敗ばかりの人生でも諦めず、一生懸命生きてきた話は、とても聞いていて楽しいものです。そういう人は人気者です、周りに人が自然に集まります。自慢話する人の周りには、人は去っていきます。しかし、自分が自慢話をしていることに気がつかないのは1番厄介な人です。常に謙虚でいなければ、人間関係はうまくいきません。しかし、そう言っている、私も、いつの間にやら、自慢していたりするものなのです。困ったものです。

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