浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

救いに条件出されたらお手上げ

2024-01-04 20:49:09 | お知らせ

今朝は、発送作業は、事務員さんにお任せして、私は、朝からパソコンに向かって、事務仕事をこなしました。今日は、焦らず、一つ一つ着実にスムーズにこなせました。午後からは、1月2日は、天気が雨でしたので、丁寧にお参りが出来なかったので、あらためて、新年法要のやり直しをしようと決めて、本堂や永代供養墓や歴代住職のお墓でも読経を勤めました。しかし、今日、あらためて、思ったことがあります。今日は、特別、高価なお線香でお参りしたのですが、良い香りのお線香は、心に安らぎを与えてくれます。その後、作業着に着替えて、前から気になっていた、雨どいの掃除を始めたのですが、山盛りにどんぐりが詰まっていて、笑ってしまいました(写真撮っておけばよかった)。作業していたら、今日は、それほど、寒くもなく、むしろ、暑くなってきました。何だか、まだ、冬ではないような気もします。まだ、本堂もエアコンだけで、ヒーターを出していません。いつもなら、上からエアコン、下からヒーターでないと、本堂の中は広いので暖かくなりません。

今日、コピー機の修理にも来てくれました。最近は、コピーの機械に修理依頼のボタンがあり、試しに押してみたら、本当に、来てくれました。やはり、故障していたようで、助かりました、一番困るのは、どういうわけか、修理の方が来ると不思議と正常に作動することです。当たり前ですが、修理の方は、私が呼ばないと来てくれません。私が、いくら、心で「お願いします、コピー機を修理してください」と念じてもダメです。阿弥陀如来は違いますよ、私がお願いしたわけでもないのに、私が前世においても、そのまた前世においても、私を呼び続けて下さっていたのです。しかし、私は、南無阿弥陀仏に出会えなかったのです、理由は、私がはねつけていたのです、死んだら終わりだと思っていたのかもしれません。しかし、この度、人間に生まれることが出来て、浄土真宗のお寺に生まれて、僧侶になって、ようやく、阿弥陀如来に出会うことが出来ました。あやうく、この度も、虚しい人生になるところを、出会わせて頂きました。南無阿弥陀仏は、必ずお浄土に救うの如来の呼び声です。南無阿弥陀仏の意味を知ったら、今、救われます。今が臨終でも間に合うのです。今日は、意味が分からなかったら、また、来月、聞きに来てくださいではダメなのです。来月まで生きている保証などありません。いつでも、臨終法話でなければなりません。今、聞いて、今、助かる。これが、浄土真宗です。南無阿弥陀仏に出会うことがなかったら、長生きしても意味はありません。この世は、みんな、長生きすれば幸せだと思っていますが、違います。いくら長生きしても南無阿弥陀仏に出会うことがなければ、六道輪廻です。迷いの世界に堕ちていくだけです。そもそも、夫婦でも親子でも、みんな、独りです。独りで産まれ、独りで死んでいくのです。次の生で、また、夫婦となり、親子となる確率は、ゼロではありませんが、まず、ありません。みんな行いが違いますし、そもそも、前世の記憶は無くなっています。しかし、南無阿弥陀仏に出会ったら、また、出会うことが出来ます。南無阿弥陀仏は、阿弥陀如来の呼び声です。「あなたは救われているのですよ」と告げる声です。これから救われるのではありません、既に救われているのです。阿弥陀如来は声の仏様となって、私の口にあらわれ出てくるのです。南無阿弥陀仏を聞いたら、それで、人生いつ終わっても、人生の目的は達成されたのです。でも、絶対の幸福とは、お浄土に生まれ仏様と成った時しかいいません。この世は、やはり、苦しみの世界のままです、もちろん、幸せな時もあります。でも、それが永遠に続くようになどと願わない方が良いのです。その幸せを失いたくない気持ちが返って不幸にもなるのです。私も、死にたくないし、長生きしたいし、病気になるし、思い通りいかないのは嫌だし、喧嘩もします、でも、阿弥陀如来は、私の生き方に対して、ああしろこうしろとは、救いの条件を出されません。そのままのあなたを救うと言われます、有難いことです、条件出されたら、私はお手上げです。


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