浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

人生はそんなに長くない貴重な日々

2024-01-26 21:31:00 | お知らせ
コロナ禍があり、通夜葬儀の形が大きく変化した事は、何度も書かせていただいています。また、終活と言われる、自分の死に対しての準備もされている方が多くなりました。仏壇じまいや墓じまい、身辺整理いろいろございます。私も、今まで面倒だと思いながらも、付き合いでやってきたことなど、どんどん辞めています。年賀状も数年前に全部辞めました。そのため、年賀状だけの友人関係は全部終わりました。そもそも私は友情と言うものを信用していません。そして、どんどん身軽になっています。なぜ、今まで面倒だと思いながらもやっていたのかと言えば、結局は、他人に嫌われたくないからです、他人にどう思われてしまうかが不安だからです。しかし、嫌な事は嫌と言おう、面倒な事は面倒と思ってやめよう、そう心に決めました。そう思うのは、人間、いつ死ぬかわからないということです。結局、いつまでも生きていると思うから、面倒なことでも仕方がないとやっていただけです。いつ死ぬかわからない、貴重な1日1日を無駄にしてはいけません。死ね時に、もっと、他人の目を気にして生きれば良かったと思う方はいないはずです。結局、私たちは1人で生まれてきて1人で死んでいくのです。他人にどう思われようが、結局は1人です。しかし、どんなことがあろうとも、あなたを1人にはさせないと、私1人に願いをかけてくれている阿弥陀如来と出会えた事は、私にとって大きな安心であり、よりどころです。どうか、皆さんよく言われることですが、他人に嫌われる勇気を持ちましょう。どんなに、嫌われても、阿弥陀如来だけは見捨てないとはたらいてくださっています。法徳寺との付き合いも、面倒だと思ったら、いつでも遠慮なく言ってください。いつでも、喜んで承知しましたとご返事いたします。

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お経を現代語訳で称えてもありがたくない

2024-01-25 20:59:00 | お知らせ
今週は、連日ご葬儀をお受けしており、忙しい毎日でございます。お坊さんが忙しいのは、決して良いことでは無いのですが、この寒い時期は仕方がございません。法徳寺 は、新しくご縁をいただく方が多いのですが、その方の故郷をお聞きすると、1番多いのが九州の方です。なぜ、九州に浄土真宗が多いのかは謎なのです。今、大変な被害を受けている能登半島も、大変、浄土真宗が多いところだと聞いております。
さて、通夜や葬儀で読経を勤めておりますと、お経の1文字1文字が、とてもありがたく思えるのです。漢文で書かれているため、私も、意味のわからないところも、たくさんございますが、幼い頃から慣れ親しんだお経の響きは、意味は、わからなくとも聞いているだけで、ありがたい気持ちになります。一時期、意味不明な漢文でなく、現代語訳でお経を称える僧侶の方がいらっしゃいまして、私も試してみようかと思ったのですが、やめておきました。私は、漢文のままに称えるのが1番ありがたいのでございます。幼き頃から慣れ親しんだ、漢文のお経の響きが1番でございます。とは申しましても、聞いていても、さっぱり意味はわかりません。でもそれが良いのです。洋楽も、そのアーティストの国の言葉のままお聞かせいただくのが1番良いのです。歌詞を日本語にしたら、その曲はダメになります。
そのために、浄土真宗は法話があるのです。読経は仏徳讃嘆です。仏様の救いを褒め、讃え、感謝をするものです。亡き方を成仏させるための呪文ではございません。

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今日の境内

2024-01-24 21:32:00 | お知らせ
境内には、たくさんの梅の木がありますが、木によって毎年、花の咲く時期がずれていて、長い期間楽しめます。梅の木を見ながら、今年もまた5月ごろから梅の収穫をし、梅干しを漬けるのは大変だなぁと考えます。去年は400キロを超えて、本当に大変でした。さぁ、今年は何キロ収穫でしょうか。

境内には、紅梅もありますが梅干しにはあまり向かないようです。

水仙もあちらこちらに咲いています。




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任せたら文句言えない

2024-01-23 21:16:00 | お知らせ
仕事や、旅行の計画でも、何か、悪い結果が起きたとき、私は最初からこうなると思っていたんだとか、後から、そのようなことを言う方がいらっしゃいますが、言われた方は、かなり、ショックです。最初から、上手くいかないと思うとは言わずに、結果だけを見て、そのような意見を言うのは、大変、卑怯なやり方です。結果だけを見て、そのようなことを言うのは誰でも言えることです。人生は、何が起こるかわかりません。どのような結果になるかはやってみなければ分かりません。何も意見を言わないのは、任せたということです。任せたら、結果はどうであれ何も言う権利はありません。
浄土真宗の救いは、阿弥陀如来に全てを、お任せすることです。任せたということは、私は、一切、手出しをしないということです。私が、救われるのか、救われないかは、私の決めることではない。阿弥陀様が決めてくださることです。是非、お互い結果を恐れずにやりたいことをやりましょう。後悔先に立たずです。いつ命終わるのかわからない命です。生きているのは今しかありません。

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仏様の休診日はないのです

2024-01-22 22:09:00 | お知らせ
お寺も、いよいよ忙しい毎日です。毎年、この時期はどうしてもご葬儀が多くなります。葬儀社さんに聞くと、どこの火葬場も、毎日満員だそうです。私も、体調を崩さぬよう勤めて参りたいと思います。それにしても、私の知らないだけかもしれませんが、お医者様が、今日は体調が悪いから病院をお休みしますと言うのを聞いたことがありません。お医者様も人間ですから、風邪をひくこともあるでしょうし、体調が悪いこともあるでしょうに、今日は、体調が悪く、臨時休業ですは聞いたことがございません。何か特別な薬でもあるのだろうかと思ってしまいます。阿弥陀如来の救いも、お休みはありません。今日はちょっと体調が悪いからとか、今日はちょっと忙しいから、あなたまで、救うことができません。と言う話はありません。いつでもどこでも、私のいるここに、阿弥陀如来ははたらいてくださいます。24時間365日、私が忘れていても忘れてくださらない如来様です。いつでも救いは間に合っているのです。私の手出しする事は何もありません。すべて、私が救われる救われないの仕事は、私の心配することではないのです。全部、仏様の仕事でございます。たとえ今が臨終でも救いは間に合っています。

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