■逆ソクラテス/伊坂幸太郎 2021.2.15
装丁も素敵な 『逆ソクラテス』。
この物語のようにゆたかな人間関係と幸せ一杯な少年時代なら、戻りたいな、とも思う。
自身の少年時代はどうだったか。人並みに楽しかったこと、悲しかったことがあっただろうに、思い出すのは苦しかったこと。
ふり返って、面白かったことは余りわき出てこない。
みなさんは、如何ですか。
少年時代の物語を読んで、何時も思うことは、彼ら彼女たちの その後 です。
この物語でも、分かった子もいれば、分からない子もいる。
安斎君、近藤修君、渋谷亜矢ちゃん、高城かれんちゃん、戻れないあの日々を、思い出を大切に胸に抱いて大人の毎日を生きているのでしょうか。
ぼくは、その後を想像してみる。ぼくの少年時代の誰彼を重ね合わせて。
■逆ソクラテス
安斎についての思い出には、濃淡がある。四月、転校生としてクラスにやってきた時の彼は輪郭のはつきりしない影のようにしか思い出せないのだが、放課後の校庭で、「俺は、そうは思わない」と土田に言い返した安斎の表情は、くっきりと頭に残っている。
草壁の姿が、少し遠くに見えた。
その頃の彼の唯一の楽しみは、家で観るプロ野球中継で、本塁打やファインプレイを見ると、その恰好を真似していたらしかった。野球選手の活躍を無理やり自分と重ね合わせ、つまらない現実を忘れたかったのかもしれない。
「土田はそう思うんだろ。ただ、俺は、そうは思わない。女みたいな男だろうが、男みたいな女だろうが、おかしくはない。地球に人間、何人いると思ってんの。いろんな人がいるのが当然だろ。土田みたいな人間もいる」
「今まであちこちの学校に通ったけどさ、どこにでもいるんだよ。『それってダサい』とか、『これは格好悪い』とか、決めつけて偉そうにする奴が」
「そういうものなのかな」
■スロウではない
五十メートル走は依然として続いている。一番背の高い近藤修が走ると、まわりから歓声が上がる。
学級委員を務め、僕たちにも優しく、見た目も悪くない。近藤修のようになりたい、と思ったことはなかったが、なぜならそのようなことを思うのは自身に対する裏切りだと分かっていたからだが、近藤修は学校が毎日楽しいんだろうな、と想像したことは何度もあった。
ビリになったら謝る、とはかなり理不尽なお題だったが、目標ができると人はそれなりに張り切るのかもしれない。俺たちは、「ビリにならないように」を合言葉に、それまで以上に練習に精を出した。
「いくら今つらくても、未来で笑っている自分がいるなせら、心強いだろうな、と思いました」
そうか、と磯憲は穏やかにうなずいた。
写真の中の彼らが笑っていることに僕は嬉しくなり、小学生から今の今まで彼らが親交を持ち続けていることに幸福を覚えた。同時に、その彼らの共有してきた時間に、自分は参加できてなかったことに気づかされ、体に穴が開くかのような寂しさに襲われる。
あの時にはもはや戻れないのだ、という当たり前の事実を突き付けられ、胸が苦しくなる。
「どうして泣いてるんだ」磯憲が訊ねてくる。
■非オプティマス
「そうそう」福生は満足そうだ。「重要なのは」
「なのは」「弱みを握ること」
はあ、としか言いようのない僕とは対照的に、彼は、政治家と戦う新聞記者のように顔を引き締めた。「オプティマスプライムの言う、有名な台詞知ってる?」
「何」
「『私にいい考えがある』」
オプティマスプライムがそう言うと、大体うまくいかないのだ、とは後に知った。
■アンスポーツマンライフ
「そういう風に言われると聞き流しちゃうんですよ。怖い、と思う感覚が違うのかな。わたしも困ってるんですけど」
三津桜の母親はいつも、お伽の国で暮らしているかのような、のんびりした口調だったものだから、理屈でコーチを言い負かそうとしているようには感じなかった。実際に、三津桜にはそういった性質があるらしかった。
磯憲も似たようなことは言った。「無理はしないほうがいい。派手なプレイよりも、地道な動きを、真面目に繰り返すほうがよっぽど強いんだ」と。ただ、「だけどもし」とも続けた。
だけどもし、試合中、次のプレイで試合の流れが変わると信じたら、その時はやってみろ。それはギャンブルじゃなくて、チャレンジだ。試合は俺や親のためじゃなくて、おまえたちのものだ。自分の人生で、チャレンジするのは自分の権利だよ。
「うまくいかなかったら、後でみんなに謝ればいい。」
大事な時だというのに、周りを見渡し、そして躊躇するのが、僕だ。「一歩踏み出せない歩君!」というフレーズが頭をよぎる。幼稚園の頃、口の悪い誰か、園児かその保護者に言われたのだ。言った本人は、面白い表現だと思ったのかもしれないが、僕の体にはそれが呪いの言葉のように残っている。
『バスケの世界では、残り一分を何というか知ってるか?』
「永遠」
「そうだよ、永遠。バスケの最後の一分が永遠なんだから、俺たちの人生の残りは、あんたのだって、余裕で、永遠だよ」
『 逆ソクラテス/伊坂幸太郎/集英社 』
装丁も素敵な 『逆ソクラテス』。
この物語のようにゆたかな人間関係と幸せ一杯な少年時代なら、戻りたいな、とも思う。
自身の少年時代はどうだったか。人並みに楽しかったこと、悲しかったことがあっただろうに、思い出すのは苦しかったこと。
ふり返って、面白かったことは余りわき出てこない。
みなさんは、如何ですか。
少年時代の物語を読んで、何時も思うことは、彼ら彼女たちの その後 です。
この物語でも、分かった子もいれば、分からない子もいる。
安斎君、近藤修君、渋谷亜矢ちゃん、高城かれんちゃん、戻れないあの日々を、思い出を大切に胸に抱いて大人の毎日を生きているのでしょうか。
ぼくは、その後を想像してみる。ぼくの少年時代の誰彼を重ね合わせて。
■逆ソクラテス
安斎についての思い出には、濃淡がある。四月、転校生としてクラスにやってきた時の彼は輪郭のはつきりしない影のようにしか思い出せないのだが、放課後の校庭で、「俺は、そうは思わない」と土田に言い返した安斎の表情は、くっきりと頭に残っている。
草壁の姿が、少し遠くに見えた。
その頃の彼の唯一の楽しみは、家で観るプロ野球中継で、本塁打やファインプレイを見ると、その恰好を真似していたらしかった。野球選手の活躍を無理やり自分と重ね合わせ、つまらない現実を忘れたかったのかもしれない。
「土田はそう思うんだろ。ただ、俺は、そうは思わない。女みたいな男だろうが、男みたいな女だろうが、おかしくはない。地球に人間、何人いると思ってんの。いろんな人がいるのが当然だろ。土田みたいな人間もいる」
「今まであちこちの学校に通ったけどさ、どこにでもいるんだよ。『それってダサい』とか、『これは格好悪い』とか、決めつけて偉そうにする奴が」
「そういうものなのかな」
■スロウではない
五十メートル走は依然として続いている。一番背の高い近藤修が走ると、まわりから歓声が上がる。
学級委員を務め、僕たちにも優しく、見た目も悪くない。近藤修のようになりたい、と思ったことはなかったが、なぜならそのようなことを思うのは自身に対する裏切りだと分かっていたからだが、近藤修は学校が毎日楽しいんだろうな、と想像したことは何度もあった。
ビリになったら謝る、とはかなり理不尽なお題だったが、目標ができると人はそれなりに張り切るのかもしれない。俺たちは、「ビリにならないように」を合言葉に、それまで以上に練習に精を出した。
「いくら今つらくても、未来で笑っている自分がいるなせら、心強いだろうな、と思いました」
そうか、と磯憲は穏やかにうなずいた。
写真の中の彼らが笑っていることに僕は嬉しくなり、小学生から今の今まで彼らが親交を持ち続けていることに幸福を覚えた。同時に、その彼らの共有してきた時間に、自分は参加できてなかったことに気づかされ、体に穴が開くかのような寂しさに襲われる。
あの時にはもはや戻れないのだ、という当たり前の事実を突き付けられ、胸が苦しくなる。
「どうして泣いてるんだ」磯憲が訊ねてくる。
■非オプティマス
「そうそう」福生は満足そうだ。「重要なのは」
「なのは」「弱みを握ること」
はあ、としか言いようのない僕とは対照的に、彼は、政治家と戦う新聞記者のように顔を引き締めた。「オプティマスプライムの言う、有名な台詞知ってる?」
「何」
「『私にいい考えがある』」
オプティマスプライムがそう言うと、大体うまくいかないのだ、とは後に知った。
■アンスポーツマンライフ
「そういう風に言われると聞き流しちゃうんですよ。怖い、と思う感覚が違うのかな。わたしも困ってるんですけど」
三津桜の母親はいつも、お伽の国で暮らしているかのような、のんびりした口調だったものだから、理屈でコーチを言い負かそうとしているようには感じなかった。実際に、三津桜にはそういった性質があるらしかった。
磯憲も似たようなことは言った。「無理はしないほうがいい。派手なプレイよりも、地道な動きを、真面目に繰り返すほうがよっぽど強いんだ」と。ただ、「だけどもし」とも続けた。
だけどもし、試合中、次のプレイで試合の流れが変わると信じたら、その時はやってみろ。それはギャンブルじゃなくて、チャレンジだ。試合は俺や親のためじゃなくて、おまえたちのものだ。自分の人生で、チャレンジするのは自分の権利だよ。
「うまくいかなかったら、後でみんなに謝ればいい。」
大事な時だというのに、周りを見渡し、そして躊躇するのが、僕だ。「一歩踏み出せない歩君!」というフレーズが頭をよぎる。幼稚園の頃、口の悪い誰か、園児かその保護者に言われたのだ。言った本人は、面白い表現だと思ったのかもしれないが、僕の体にはそれが呪いの言葉のように残っている。
『バスケの世界では、残り一分を何というか知ってるか?』
「永遠」
「そうだよ、永遠。バスケの最後の一分が永遠なんだから、俺たちの人生の残りは、あんたのだって、余裕で、永遠だよ」
『 逆ソクラテス/伊坂幸太郎/集英社 』
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