ゆめ未来     

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唐牛伝/敗者の戦後漂流 佐野眞一

2016年11月19日 | もう一冊読んでみた
唐牛伝   2016.11.19

 今週は、この1冊。
 唐牛伝

唐牛伝』のp389に一枚の写真がある。
タイトルは、「83年11月、ガン再発で再入院する前に自宅でパーティー。左は真喜子夫人(撮影/藤森秀郎)」。
右に、唐牛、中央はたぶん、島成郎と思われる。
実に良い写真だ、映っている人の人柄がうかがえる。
ぼくの想像していた通りの表情で、それがうれしい。

 ----唐牛氏の好きだった愛唱歌を枕もとでずっと歌ってあげたと聞きました。
 「本人にはちゃんと聞こえているはずだから、歌をたくさん歌ってくださいってお医者さんから言われたものですから、小林旭とかてんこ盛りに歌いましたね」


唐牛とつき合いのあった友人たちの、彼を失った悲しみの大きさがよく表された話がある。

 通夜の客たちの「唐牛、なんで47歳やそこらで死んだんだ」という思いが、誰にもぶつけようのない怒りとなって爆発したんだろう。
 それを鎮めたのは、やはり真喜子夫人だった。真喜子夫人は真っ青な顔で、「祭壇だけは壊さないで。後は何をやってもいいけど」と声をふるわせた。


唐牛とは、どんな人物だったのだろうか。

 ----唐牛は北海道出身ですが、それと正反対の南海の孤島の喜界島に移り住んだ。水はあっていたんですかね。
 「あっていたんじゃないですかね。唐牛さんは北海道というより、大陸的なイメージでした。色を出さない人だったから、色のあるところに行けば、その色に変えられるんじゃないですか」

 島成郎は前掲の「文藝春秋」の手記(「唐牛健太郎の壮烈な戦死」)で<言葉によって表現する詩人もいるが、彼の場合は行動や生活そのもの、その生き方で詩を表したように思えます>と述べている。

 「とにかく、誰にも優しかった。特に女性にはね。けれど本当は寂しがり屋だったと僕は思っています。彼は父(てて)なし子でしょ」

 唐牛にはかなり暴露趣味があったように思える。


唐牛について、皆が口をそろえて言う。

 ----唐牛はたらしこみの名人だったと、みんな言いますからね。

 それにしても、田中清玄しかり、田岡一雄しかり、そして徳田虎雄しかり……唐牛は"大物食い"というか、個性が強烈すぎて辟易とする人物に近づきたがる性癖を生来持っていたようである。

唐牛は、蒸発する。

 1967年に公開された今村昌平監督の「人間蒸発」は、高度経済成長以降、組織や家族からの軋轢から逃げ出そうとする人々が急増したことをモチーフにしている。

 <昭和四十四年の春まだ浅い頃、唐牛は「ヨットの学校の校長先生みたいなことをやっているのはもう飽き飽きした」と言い放ち、奥さんとも離婚して、蒸発してしまった。>


唐牛は、なぜ四国八十八ヶ所霊場めぐりに出かけたのか。

 「69年2月、四国八十八ヶ所霊場めぐりに出発。このとき以後現夫人・真喜子同行す」(『追想集』年譜)

 秋田明大氏
 山本義隆氏
沢山の若者達の「その後」について、ぼくは、学生運動には深く係わらなかったが、同時代を生きたひとりとして関心がある。
それで、この本を読んでみた。

 『 唐牛伝/佐野眞一/小学館 』



楽しみにしていた日本酒の放送が、今日11月19日(土)あります。

  ※BSフジ 「酒旅 ~そのSAKEに逢いにいく~」

   2016年11月19日(土) 16時~18時   放送 PR
   富山県
   羽根屋・吉乃友 "再放送"
   広島県
   今田酒造・美和桜酒造



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