■終わりなき夜に少女は 240819
クリス・ウィタカー『終わりなき夜に少女は』を読みました。
ぼくには、面白いミステリというより、青春小説でした。
文学が人生を語るものとすれば、p293 「32 グレイスの美少女」は、人生を語る素敵な章でした。
一読に値しました。
クリス・ウィタカーの作品を読むのは二冊目。初は、『われら闇より天を見る』。
この世からあの世まで毎日毎晩つづくような心労。子供なんて、最良の場合は自慢の種になるけれど、聖書にもあるとおり、“誇る心は躓きにいたる” から、どっちにしても親はクソ溜めに落ちる。
ルーメン牧師が電動車椅子で会堂内にはいってくると、会衆はルーメンがもはやここの牧師ではないにもかかわらず起立した。最初の発作は軽いもので、舌がもつれるようになったのと、一方の肩が下がったぐらいだった。けれども二度目は危うく死ぬところだった。医者は見放したが、一年後、牧師は電動車椅子で町を走りまわっていた。車体はまっ白で、片面にミケランジェロの〈アダムの創造〉が美しく細密に描かれている。グレイスの人々から町の救い主への贈り物だった。
ノアの聞いたところでは、その支払いのために教会の基金が取り崩されたという。
車椅子に乗ってはいたし、背中か少々丸まってもいたが、ルーメン牧師はあいかわらずその潤んだ灰色の目で会堂内を沈黙させた。牧師は長年のあいだ聖ルカ教会とその会衆に強権をふるってきたのだ。それが自分の務めだといわんばかりに厳しい裁きをくだし、寛大な裁きは自分に深く頭を垂れる人々に限定して。
レインはフロントガラスのむこうを見つめたが、見えるのは切れ目のない夜の闇ばかりだった。
「不思議だよね、グレイスってさ」とノアは言った。「不思議な町だよ。日曜日になるとみんな教会へ行ってさ。酒と週末の罪のにおいをぷんぷんさせながら、それを赦してくださいと祈ったあと、また同じことをするんだから。毎週毎週。きょうはパーヴの親父さんも来てたよ。エンジェルの座ってる後ろのほうに隠れてた。教会なんかになんの用があるってんだ、あんな男が?」
「自分のろくでなしぶりが恥ずかしくなったんじやない?」
「そうかもしれないけど。だからなんだっての? あんな悪党は天国になんか絶対はいれないはずなんだから。だって、あんなやつがはいれるなら、神様なんてなんの意味があるのさ」
レインはドアをあけて車からおりた。
「自分がここにいないみたいに感じることはあるか?」ブラックは訊いた。
「あたしは人生のほとんどを、どこか別の場所にいられたらと思いなから生きてきたけどね。それがあんたの言ってることなら」
「おれが言ってるのは、ときどき自分が部屋にいないみたいな気がするってことだ。外を漂ってるのかもしれんが、自分で自分は見えない。自分の体は、この世界の一部じゃないんだ。ほかの人間が住んでる世界の一部じゃ…………ミルクやラスティと馬鹿話をして、悪いやつらを追いかけいても」ブラックは目をこすった。
ピーチは顔をあげて頬をブラックの頬にこすりつけ、耳元に口を寄せた。「なぜと訊いたら、なんて答える?」
「そのyの字の尻尾はくるんと巻いてる」
ピーチはにっこりした。 「罪悪感ね」
「自分がしてきたことと、するべきだったことへのな。そんなに見え見えか?」
ピーチは激しくキスをした。
レインはカットオフのジーンズで手を拭い、藍色の生地に涙の筋を残した。ふたたび天井を見あげ、いったいどのくらいの人がこれまでここにひざまずいて泣いたのだろうと考えた。教会とは、うれしいにつけ悲しいにつけ涙を流す場所だ。希望と絶望の場所、最初に相談する場所であり、最後に頼る場所でもある。そんな両極端にボビーはどうやって耐えているのだろう。きっと信仰心と関係があるにちがいない。レインは信仰心というものの自分なりの理解と格闘した。何がそれを駆りたて、何が
それを失わせるのか。そして、人生の基盤にするほど信仰にしがみつくなんて、どうすればできるのだろうと不思議に思った。
「ときどきあたし、小さかったころのことを忘れちゃう。人生かいまとは全然ちがったころのことを。
それはいい日々だってことになってる。楽な時代だってことに。もしそれが事実だったら、この先どんな悲惨な人生が待ってるのかなって思っちゃう」
「きみはだいじょうぶだよ、レイン」
「なんにも知らないくせに」
「それはそうだけど、たださ、目に浮かぶんだ----」
「何が? 何が目に浮かぶわけよ」。レインは問いつめた。
ノアはじっと下を向いていた。「小ぎれいな家がさ。ヘルズゲートのむこう側に建ちならんでるやつみたいな。ブルックテールの小ぎれいな地区に。ペンキを塗った柵があって。子供がふたり見える。たぶん双子だな----どっちも男の子だけど。きみはケーキなんかを焼くのが得意になってるかもしれない」
顔を上げたとき、ノアは笑みの尻尾をつかまえたような気がしたが、レインはすぐ顔をそむけてしまった。
ブラックはビュイックからおりた。
「ブラック」とノアは言った。
ブラックはふり返った。
「考えてたんだけどさ、こんなことがあったから。あんたがあれを……親父の件を、自分のせいだと思ってるのは知ってるよ。でもさ、お袋が病気になったとき、最後におれ、お袋に言われたんだ。あんたについていけって。あんたほどいい人は世の中にいないって」
ブラックは外の嵐を見つめた。
「人はいったん道を見失ったからって、もう一度見つけられないわけじゃないんだな」
ブラックは手を伸ばしてノアの肩をぎゅっとつかむと、身をひるがえしてパトロールカーのほうへ走っていった。
『 終わりなき夜に少女は/クリス・ウィタカー/鈴木恵訳/早川書房 』
クリス・ウィタカー『終わりなき夜に少女は』を読みました。
ぼくには、面白いミステリというより、青春小説でした。
文学が人生を語るものとすれば、p293 「32 グレイスの美少女」は、人生を語る素敵な章でした。
一読に値しました。
クリス・ウィタカーの作品を読むのは二冊目。初は、『われら闇より天を見る』。
この世からあの世まで毎日毎晩つづくような心労。子供なんて、最良の場合は自慢の種になるけれど、聖書にもあるとおり、“誇る心は躓きにいたる” から、どっちにしても親はクソ溜めに落ちる。
ルーメン牧師が電動車椅子で会堂内にはいってくると、会衆はルーメンがもはやここの牧師ではないにもかかわらず起立した。最初の発作は軽いもので、舌がもつれるようになったのと、一方の肩が下がったぐらいだった。けれども二度目は危うく死ぬところだった。医者は見放したが、一年後、牧師は電動車椅子で町を走りまわっていた。車体はまっ白で、片面にミケランジェロの〈アダムの創造〉が美しく細密に描かれている。グレイスの人々から町の救い主への贈り物だった。
ノアの聞いたところでは、その支払いのために教会の基金が取り崩されたという。
車椅子に乗ってはいたし、背中か少々丸まってもいたが、ルーメン牧師はあいかわらずその潤んだ灰色の目で会堂内を沈黙させた。牧師は長年のあいだ聖ルカ教会とその会衆に強権をふるってきたのだ。それが自分の務めだといわんばかりに厳しい裁きをくだし、寛大な裁きは自分に深く頭を垂れる人々に限定して。
レインはフロントガラスのむこうを見つめたが、見えるのは切れ目のない夜の闇ばかりだった。
「不思議だよね、グレイスってさ」とノアは言った。「不思議な町だよ。日曜日になるとみんな教会へ行ってさ。酒と週末の罪のにおいをぷんぷんさせながら、それを赦してくださいと祈ったあと、また同じことをするんだから。毎週毎週。きょうはパーヴの親父さんも来てたよ。エンジェルの座ってる後ろのほうに隠れてた。教会なんかになんの用があるってんだ、あんな男が?」
「自分のろくでなしぶりが恥ずかしくなったんじやない?」
「そうかもしれないけど。だからなんだっての? あんな悪党は天国になんか絶対はいれないはずなんだから。だって、あんなやつがはいれるなら、神様なんてなんの意味があるのさ」
レインはドアをあけて車からおりた。
「自分がここにいないみたいに感じることはあるか?」ブラックは訊いた。
「あたしは人生のほとんどを、どこか別の場所にいられたらと思いなから生きてきたけどね。それがあんたの言ってることなら」
「おれが言ってるのは、ときどき自分が部屋にいないみたいな気がするってことだ。外を漂ってるのかもしれんが、自分で自分は見えない。自分の体は、この世界の一部じゃないんだ。ほかの人間が住んでる世界の一部じゃ…………ミルクやラスティと馬鹿話をして、悪いやつらを追いかけいても」ブラックは目をこすった。
ピーチは顔をあげて頬をブラックの頬にこすりつけ、耳元に口を寄せた。「なぜと訊いたら、なんて答える?」
「そのyの字の尻尾はくるんと巻いてる」
ピーチはにっこりした。 「罪悪感ね」
「自分がしてきたことと、するべきだったことへのな。そんなに見え見えか?」
ピーチは激しくキスをした。
レインはカットオフのジーンズで手を拭い、藍色の生地に涙の筋を残した。ふたたび天井を見あげ、いったいどのくらいの人がこれまでここにひざまずいて泣いたのだろうと考えた。教会とは、うれしいにつけ悲しいにつけ涙を流す場所だ。希望と絶望の場所、最初に相談する場所であり、最後に頼る場所でもある。そんな両極端にボビーはどうやって耐えているのだろう。きっと信仰心と関係があるにちがいない。レインは信仰心というものの自分なりの理解と格闘した。何がそれを駆りたて、何が
それを失わせるのか。そして、人生の基盤にするほど信仰にしがみつくなんて、どうすればできるのだろうと不思議に思った。
「ときどきあたし、小さかったころのことを忘れちゃう。人生かいまとは全然ちがったころのことを。
それはいい日々だってことになってる。楽な時代だってことに。もしそれが事実だったら、この先どんな悲惨な人生が待ってるのかなって思っちゃう」
「きみはだいじょうぶだよ、レイン」
「なんにも知らないくせに」
「それはそうだけど、たださ、目に浮かぶんだ----」
「何が? 何が目に浮かぶわけよ」。レインは問いつめた。
ノアはじっと下を向いていた。「小ぎれいな家がさ。ヘルズゲートのむこう側に建ちならんでるやつみたいな。ブルックテールの小ぎれいな地区に。ペンキを塗った柵があって。子供がふたり見える。たぶん双子だな----どっちも男の子だけど。きみはケーキなんかを焼くのが得意になってるかもしれない」
顔を上げたとき、ノアは笑みの尻尾をつかまえたような気がしたが、レインはすぐ顔をそむけてしまった。
ブラックはビュイックからおりた。
「ブラック」とノアは言った。
ブラックはふり返った。
「考えてたんだけどさ、こんなことがあったから。あんたがあれを……親父の件を、自分のせいだと思ってるのは知ってるよ。でもさ、お袋が病気になったとき、最後におれ、お袋に言われたんだ。あんたについていけって。あんたほどいい人は世の中にいないって」
ブラックは外の嵐を見つめた。
「人はいったん道を見失ったからって、もう一度見つけられないわけじゃないんだな」
ブラックは手を伸ばしてノアの肩をぎゅっとつかむと、身をひるがえしてパトロールカーのほうへ走っていった。
『 終わりなき夜に少女は/クリス・ウィタカー/鈴木恵訳/早川書房 』
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