「薄桜鬼」の二次小説です。
作者様・出版社様とは一切関係ありません。
二次創作・BLが苦手な方はご注意ください。
―いいかい、“あのお城”には決して行ってはいけないよ。
―どうして?
―あそこには、恐ろしい化物が棲んでいるんだよ。化物に見つかったら、取って食われてしまうよ、だから・・
また、懐かしい夢を見た。
この村に古くから伝わる、“あの城”に纏わる伝説。
“森の奥にある美しい城に棲むのは、恐ろしい化物だ。”
(あの伝説は、本当なのかしら?)
「千鶴、いつまで寝てるんだい、さっさと起きな!」
階下から奥様の怒声が聞こえて来て、雪村千鶴はモゾモゾとシーツの中から出て、溜息を吐きながら“制服”に着替えた。
「今日はお寝坊さんだね?」
「すいません。」
「さっさと厨房の手伝いをしな。」
「はい。」
千鶴がこのホテルでメイドとして働き始めてから、もう半年となる。
彼女が生まれ故郷であるこの村にやって来たのは、父・綱道の看病と介護の為だった。
幼い頃に母を病で亡くした千鶴にとって、綱道は唯一人の肉親だった。
「千鶴・・お前に伝えたい事がある・・」
「なに、父様?」
「お前は・・わたしの子ではない。お前は15年前、さる高貴な御方からお預かりした・・」
「じゃぁ、わたしには本当の父様と母様が居るの?」
「あぁ・・そうだ。千鶴、これを・・」
死に間際、綱道は千鶴にある物を渡した。
それは、美しいピンク・サファイアのネックレスだった。
「このネックレスが、お前を必ず本当の両親の元へと導いてくれる・・」
「父様、嫌よ目を開けて、父様ぁ~!」
父亡き後、一人になった千鶴は、このホテルで住み込みのメイドとして働き始めた。
メイドの仕事はきついし、オーナー夫婦は厳しいが、他に行く所がないので、耐えるしかなかった。
「今夜は大きなパーティーがあるんだってさ!」
「へぇ。でもあたしらには、一生縁のない世界さ。」
「まぁ、暫くはあのケチ夫婦の機嫌が良くなりゃいいさ。」
「給料も弾んで貰えるし・・」
「さてと、今日もしっかりと働こうかね。」
同僚達の話を聞きながら、千鶴は黙々と働いていた。
休憩時間、千鶴が同僚達と軽い昼食を取っていると、そこへ支配人のマリウスがやって来た。
「チヅル、君宛の手紙が届いていたよ。」
「ありがとうございます。」
マリウスから手紙を受け取った千鶴は、差出人の名前が書いていない事に気づいた。
「恋文かい?」
「さぁ・・」
千鶴がそう言いながら便箋の封を開けると、その中からダイヤモンドを鏤めた美しい鍵が出て来た。
“これが、あなたが求める真実への鍵です。”
(何なのかしら、この鍵?)
「千鶴、ちょっと林檎を買って来て。」
「はい。」
ホテルの裏口から出た千鶴を、建物の陰からフードを被った男が見ていた。
「毎度あり~!」
雪が舞い散る中、千鶴は林檎が詰まった紙袋を手に、青果店からホテルへと戻っていく途中、誰かが自分の名を呼んでいる事に気づいた。
(気の所為かしら?)
「・・見つけたぞ。」
男はそう呟くと、雪の中へと消えた。
パーティーは、盛況だった。
新聞でよく見かける著名人や都会の貴族達が集まり、招待客たちの合間を縫うようにして彼らに給仕をしていた。
「きゃぁっ!」
千鶴が忙しく招待客達にワインを注いでいると、彼女はバランスを崩し、招待客のスーツにワインを掛けてしまった。
「も、申し訳ありません!」
「・・ここは、わたしに任せておきなさい。」
そう言った男は、丸眼鏡越しに千鶴に向かって微笑んだ。
「山南様、どうかなさいましたか?」
「いいえ、少しはしゃいでしまって、ワインをこぼしてしまいました。」
「まぁ、それは大変ですね!さぁ、こちらへどうぞ。」
「すいません。」
(あの人、助けてくれたのかしら?)
「はぁ~、疲れた!」
「明日も早いから、さっさと寝るか!」
「お休み~!」
千鶴は疲れた身体を引き摺りながら、使用人部屋へと向かった。
すると、彼女のベッドの上には、美しい薔薇の花が一輪、置かれていた。
―午前0時、森の奥の城でお待ちしております。 T―
「本当に、よろしかったのですか?」
「何の話だ?」
「どうやら、もうすぐあなたにかけられた“呪い”が解ける日が来たようですね。」
「・・うるさい。」
「もう夕食の用意は整いました。」
「わかった。」
美しい顔をした主の後ろに付き従いながら、あの丸眼鏡の男―山南敬助は溜息を吐いた。
この城で彼が暮らし始めてから、200年以上の歳月が経っていた。
「トシさん、遅かったね。」
「あぁ・・」
この城の主・土方歳三はそう言うとワインを飲みながら、“あの日”の事を思い出していた。
“あの日”―歳三は30歳の誕生日を貴族達に盛大に祝って貰っていた。
しかし、彼は何とか自分に取り入ろうとする貴族達の下心に気づいていたので、大道芸人達や道化師の芸を見てもつまらなそうな顔をしていた。
「殿下、どうなさったのです?」
「少し疲れた。」
「まぁ、それはいけませんわ。少しお部屋でお休みになった方がよろしいのでは?」
「あぁ、そうする・・」
歳三は乳母にそう言われて、少し自室で休む事にした。
暫く経った頃、歳三が大広間に戻ると、そこには誰も―道化師達や自分に媚を売る貴族達、そして国王夫妻を含め一人残らず突然まるで魔法にかかったかのように姿を消していた。
「これは、一体・・」
「お前が望んでいた事を、わたしがしてやっただけだ。」
カツン、という靴音が大理石の床に高らかに響いた後、一人の老婆が歳三の前に現れた。
「何だ、貴様!?」
「お前は一人になりたいのだろう?お前はいつもつまらなさそうな顔をしている。」
「それは・・」
「一夜の宿をわたしにお貸し頂けないでしょうか?」
「てめぇ、ふざけるな!」
「お前は美しいが、傲慢だね。」
老婆はそう言うと、己の頭上で杖を一振りさせた。
すると、皺がれた彼女の顔は、絶世の美女のそれへと変身した。
「ほぉ、悪くねぇ・・」
「卑しくて傲慢なお前を改心させる為には、お前をこの城に閉じ込めておいてやろう。」
「何だと、てめぇ・・」
「せいぜい、一人になって己の傲慢さを思い知るがいい!」
魔女はそう叫ぶと、煙のように掻き消えた。
「畜生!」
雪と氷に閉ざされた美しい城に、歳三は独り取り残された。
最初は独り気楽でいいと呑気に構えていたが、やがて独りで居る事に歳三は耐えられなくなった。
そんな中、城に二人の男がやって来た。
二人は山南敬助、井上源三郎とそれぞれ名乗った。
「二人共、どうしてここへ?」
「噂を聞いてやって来ました。」
「噂?」
「“この城には恐ろしい化物が居る”というものです。」
山南の言葉を聞いて、歳三はそれを鼻で笑った。
「それで?お前達、噂を確めに来ただけではねぇだろう?」
「えぇ。実は私たちは、ヴァチカンから派遣された神父なのです。」
「神父様がこの俺に何の用だ?告解なんてする気はねぇぜ。」
「エクソシストー悪魔祓いをご存知ですか?」
「俺には聖水も銀の銃弾も効かねぇぜ。」
「それは試してみなければわからないでしょう?」
山南はそう言って笑うと、いきなり発砲した。
「馬鹿野郎、急に攻撃してくる奴が居るかぁ!」
「ここに居ますよ。」
「ふん、面白ぇ。相手になってやらぁっ!」
山南の銃撃をかわした歳三は、そう叫んで嗤うと腰に帯びている愛刀の鯉口を切った。
「わたしの銃に剣で勝てると思いますか!?」
「やってみなきゃ、わかんねぇだろうが!」
「いいでしょう・・その勝負、受けて立ちましょう!」
山南はそう言って笑うと、歳三を見た。
歳三は自分の近くに立っていた大理石の像が、粉々に砕け散ったのを見た。
歳三は巧みに山南の銃弾をかわしながら、反撃する機会を狙っていた。
「おや、どうしました?もう終わりですか?」
「ぬかせ!」
歳三はそう叫ぶと、山南に刃を向けた。
山南は拳銃の引き金を引いたが、弾切れだった。
「もしかして、逃げ回っていたのは弾切れになるのを待って・・」
「俺が、闇雲に逃げ回っていたと思うか?」
「そうですか。ならば、もうこれ以上あなたと戦う必要はありませんね。」
山南はそう言って拳銃を下ろし、歳三の前に恭しい仕草で跪いた。
「どうか、わたしをあなた様の下僕にして下さいませ。」
「騙すのなら、わざとらしい事をするな。」
歳三がそう言って冷たい視線を山南の方へと投げると、彼は歳三の手の甲に接吻した。
「お一人だと、城の管理が大変でしょう。それに、家事も。」
「坊さんが家事なんかするのか?」
「わたし達は神に仕え、己の身を清めるのが務めです。源さんは、料理ができますから、暫くあなたはひもじい思いをしなくて済みますよ。」
「これから、よろしくお願いいたします。」
「あぁ、頼む。」
こうして、神父二人と永遠の命の呪いを掛けられた王子との、奇妙な同居生活が始まったのである。
午前0時、千鶴は降りしきる雪の中、静かに街を歩いていた。
首には、あのダイヤモンドの鍵を提げて。
ベッドの上に置かれた一輪の薔薇と手紙の意味を知りたくて、彼女はあの城へと向かっていた。
城へと近づくにつれ、彼女の脳裏にある光景が甦った。
それはまだ千鶴が幼い頃、両親に連れられて初めてこの村へとやって来た夏の日の事だった。
その日、千鶴は村の子供達と共に、あの城へと肝試しに行ったのだった。
“幽霊なんて居るの?”
“まさかぁ。”
そんな事を話しながら、彼女達は城の柵を乗り越え、荒れた庭園へと入ったのだった。
(あぁ、ここだわ。)
千鶴は、固く閉ざされた城門の鍵穴にあの鍵を挿し込むと、門は音もなく開いた。
「すいませ~ん、誰か居ませんか?」
あの時、美しい緑の芝生に覆われていた芝生は、雪で白く染まっていた。
―君、誰?
美しい薔薇に囲まれ、一人の少女がそう言いながら千鶴を紫の瞳で見た。
―あなたは、一体・・
千鶴が“あの日”の事を思い出していると、前方から足音が聞こえて来た。
(誰か来る・・)
千鶴は、そっと近くの茂みに身を隠した。
すると、二人分の足音が聞こえて来たかと思うと、庭に二人の男達がやって来た。
一人は肩先まで切り揃えられた黒髪に、薄茶の瞳をした男。
そしてもう一人は、艶やかな黒髪に、美しい紫の瞳をした男。
(あの人、まさか・・)
「そこに、誰か居るのか?」
「あ・・」
「てめぇ、何者だ?」
黒髪の男はそう言うと、恐怖に震える千鶴を睨みつけた。
「ご主人様、そのようなお顔をご婦人の前でなさってはいけませんよ。」
「あぁ!?」
「あ、あなたは・・」
「また会えましたね、お嬢さん。」
山南はそう言うと、千鶴に優しく微笑んだ。
「さぁ、こんな所で立ち話をするのも何ですから、中でお茶でも如何ですか?」
「は、はい・・」
「山南さん!」
「彼の事はお気になさらず、どうぞ。」
千鶴は少し気後れしながらも、山南と共に城の中へと入った。
“待って、お兄様!”
“あらあら、そんなに走ったら転んでしまうわよ。”
“本当に、・・・様は殿下がお好きなんですね。”
“えぇ、本当に。”
千鶴が城の中に入ると、彼女の前に自分と良く似た少女を遠くから眺めている女性と、彼女の侍女と思しき若い女性の幻を見た。
「どうか、されましたか?」
「いいえ。」
「さぁ、どうぞ。」
「あの、さっきの方は・・」
「ご主人様なら、先程拗ねてお部屋に引き籠もってしまいました。」
「え・・」
「いつもの事です。」
山南はニコニコとそう言って笑いながら、千鶴の前に淹れ立ての紅茶と、焼き立てのレイヤー・ケーキを置いた。
「うわぁ、美味しそう!」
「久しぶりに作ったので、味は保証できませんが。」
「頂きます。」
山南が切り分けてくれたレイヤー・ケーキを千鶴が一口食べると、口の中に程良い甘さが広がった。
「如何です?」
「甘くて、美味しいです!」
「まぁ、それは良かった。」
「トシさん、いい加減機嫌を直してくれよ。」
「うるせぇ。」
山南と千鶴が楽しそうにお茶を飲んでいる頃、歳三は自室に引き籠もっていた。
幼少の頃から、何か気に喰わない事があると拗ねて自室から暫く出ないという癖がついてしまった。
(困ったねぇ・・)
あの魔女から呪いを掛けられる前、歳三は曲がりなりにも一国の王子として多くの者に傅かれ、わがまま放題に育って来たので、傲慢な性格は中々直らないだろうと、井上は溜息を吐きながら主の部屋の前から去った。
「あの、このお城にいらっしゃるのは・・」
「わたしとあの方、そしてわたしの同僚の源さんの三人しか住んでいませんよ。」
「それはどうして・・」
「今からおよそ約200年前・・この城には、国王一家・・国王と王妃、そして見目麗しい王子、そして沢山の使用人が住んでいました。王子は賢く美しかったのですが、その美しさ故に傲慢でわがままな性格でした。それを見かねた魔女が、王子にある呪いを掛けたのです。」
「その、呪いは・・」
「独りになりたいちいう王子の願いを叶える為、魔女はこの広い城内に居た全ての人間を魔法で消してしまったのです。」
山南の話は、この地で古くから伝わるあの言い伝えの内容と同じものだった。
「あなたも、この城に纏わる伝説を聞いたことがあるでしょう?」
「はい。この城には恐ろしい化け物が棲んでいると・・でも、棲んでいるのは、あなた方だったのですね。」
「えぇ。それにしても、自分であなたをここへ招いておいて、いつまで経っても部屋から出て来ないつもりですかねぇ?」
「え?」
「今あなたが首に提げているダイヤモンドの鍵は、ご主人様があなたに贈った物なんですよ。」
「どうして・・」
「さぁね・・さてと、今夜は遅いのでこちらに泊まっていきなさい。」
「あの、いいんですか?」
「構いませんよ。」
とても楽しいお茶会の後、千鶴は山南に案内されある部屋へと入った。
そこは、ピンクを基調とした落ち着いた雰囲気がする部屋だった。
「ここは、どなたのお部屋なのですか?」
「国王陛下のお部屋ですよ。陛下はピンクが一番好きな色だったそうですよ。」
「そうなのですか。」
「ちなみに、ご主人様が一番好きな色は赤です。」
では、おやすみなさい、と山南は千鶴にそう言うと部屋の扉を閉めた。
「失礼いたします。」
「おい、勝手に入って来るな!」
「“お薬”の時間ですよ。」
「そこに置いておけ。」
(まだ、拗ねていらっしゃるようですね。)
山南が溜息を吐きながら寝台の近くのテーブルの上に薬と水が入ったゴブレットを載せた盆を置いて部屋から出て行こうとした時、天蓋の向こう側から呻き声が聞こえた。
「ご主人様?」
「薬・・薬を・・」
「さぁ、飲んで下さい!」
山南は慌てて天蓋を開けると、苦しそうに胸を掻き毟る歳三に薬を飲ませた。
「済まねぇな、山南さん・・」
「いいんですよ。ゆっくり休んで下さい。」
「あぁ・・」
「では、失礼致します。」
山南が歳三の寝室から出ると、源さんがやって来た。
「また、“あれ”か?」
「はい。」
魔女から呪いを掛けられてから、歳三はよく体調を崩すようになった。
200年間、自分達は体調を崩す事はなかったのだが、歳三はここ最近心臓の具合が悪いようで、今日みたいに気圧の変化が激しい日は、体調に波があった。
そればかりではなく、精神の浮き沈みが激しく、体調の悪さと精神の落ち込みが重なると、歳三は一日中寝室に引き籠もってしまう事が良くあった。
「こればかりは、どうもね。」
「そうですね。それよりも、ご主人様に呪いを掛けた魔女の消息は、まだわからないのですか?」
「あぁ。呪いを解くヒントが、何か見つかればいいんだが・・」
「わたし達も、休みましょう。」
「そうだね。」
山南と源さんが窓の外を見ると、白い霧がこの城を包もうとしていた。
「はぁ、はぁっ・・」
白い霧に包まれた森の中を、一人の男が息を切らしながら走っていた。
遠くから、狼のような唸り声が聞こえて来た。
(まだ、死にたくない!)
男が森の中を走っていると、そこへ何処からともなく数頭の猟犬が彼の前に現れた。
男の悲鳴が、森にこだました。
―ねぇ、森で人が殺されたってさ!
―何でも、遺体の損傷が激しくて、身元が判らないんだってさ・・
―それよりもあの子、何処に行っちまったんだろうねぇ?
村人達は、森の奥で殺された男の事と、四日前に姿を消した千鶴の事を色々と噂をしていた。
そんな事も知らず、千鶴は城で源さんと家事に勤しんでいた。
「いやぁ、助かるよ。今まで山南さんと二人だけで城の掃除をしたりしていたからね。」
「そうなのですか・・あの人、土方さんは今どちらに?」
「トシさんは、少し身体の具合が悪いみたいでね・・」
「えっ、それは・・」
「大丈夫だよ。“いつもの事”だから。」
「“いつもの事”?」
「昨夜山南さんから聞いたと思うけれど、トシさんは魔女に“孤独の呪い”をかけられてから、体調を崩すようになってね。」
「その呪いを解く方法はあるのですか?」
「今の所、ないね。わたしと山南さんが必死に呪いを解くヒントを探しているんだが・・」
源さんはそう言うと、溜息を吐いた。
「それにしても君、村には戻らなくてもいいのかい?」
「あの、帰り道がわからないんです・・」
「そうなのか。この山道には狼が多いから、気を付けないとね。」
「暫く、こちらに置いて頂けないでしょうか?ご迷惑はお掛けしませんから・・」
「勿論だよ。トシさんにはわたしから言っておくよ。」
「ありがとうございます!」
こうして、千鶴は暫く城に滞在する事になった。
「何だって、あの娘をここに住まわせるだって!?」
「まぁまぁトシさん、彼女が居てくれた方が何かと助かるし、“あいつら”に見つかるよりは良いだろう?」
「勝手にしろ!」
歳三はそう言うと、頭からシーツを被って不貞寝してしまった。
「雪村千鶴と申します。改めてよろしくお願い致します!」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね。」
山南と源さんは二人共千鶴を歓迎してその日の夜にご馳走を作ってくれたが、その席には歳三の姿はなかった。
「トシさんの事はわたし達に任せて、君は早く休みなさい。」
「はい、わかりました・・」
モヤモヤとした気持ちを抱えながら、千鶴は部屋に戻って休んだ。
「ご主人様、“お薬”の時間ですよ。」
「わかった・・」
歳三は少し気怠そうな様子でベッドから起き上がった。
「今日は辛そうですね。」
「あぁ・・」
そう言った歳三の顔は、病的な程蒼褪めていた。
心臓の具合は一進一退の状態だが、歳三が抱えているものはもっと深刻な“別のもの”だった。
それは―
「山南さん・・」
「わかりました。」
山南はそう言うと、己の首筋を歳三の前に晒した。
「済まねぇ・・」
「いえ、いいんですよ。」
歳三は、山南の白い首筋に歯を立てた。
心臓の病の他に、歳三は吸血衝動を抱えていた。
「森の奥で、一人の男が殺されていましたよ。」
「そいつは・・」
「彼は、“あの者達”の仲間ではありません。」
「そうか・・」
「あなたに呪いを掛けた魔女が、もう見つかりそうですよ。」
「それは本当か?」
「えぇ。」
「そうか・・」
歳三はそう言うと、ベッドに横たわった。
「最近、ますます体調が悪くなっているようですが・・」
「そうか。どうもこの季節になると、体調が優れなくてな・・」
「原因は、わかっているのですか?」
「まぁな・・」
歳三は、首に提げているロケットの蓋を開け、今は亡き両親の肖像画を眺めた。
「これは、お前達には言っていなかったんだが・・」
歳三は、山南に自分が抱えている秘密を話した。
自分は、この王国を治めていた吸血鬼の王族であり、“運命の伴侶”を見つけなければその命が消えてしまうことを。
「そうでしたか・・あなた様と初めて会った時、そんな気がしましたよ。」
「気づいていたのか・・」
「わたしはこれでも、神父ですよ?」
「あぁ、そうだったな。」
「ご主人様、もしかしたら彼女があなたの“運命の伴侶”になるかもしれませんよ?」
「はぁ、何言っていやがる!?」
「おや、図星ですか?」
「うるせぇ!」
そう言った歳三の顔は、耳まで赤く染まっていた。
「うわぁ、今日のパイも美味しそうですね!」
「あぁ、実はこのアップルパイはご主人様が作られたのですよ。」
「え、あの人が?」
「意外だと、思ったでしょう?あの人、結構家事が得意なんですよ。」
「そうなのですか?」
「ほら、あそこの壁に掛けられてある刺繍布、あれはご主人様が作られたそうですよ。」
「凄~い!わたしも仕事でよく縫い物をしますが、こんなに大きい物は作った事がないです!」
「ふふ、そうでしょう?わたし達も針仕事をしたりしますが、こんなに見事な物は作った事がありませんねぇ。」
「なんだか、あの人は怖そうだと思ったのですが、違うんですよね・・」
「人は、第一印象が大事ですからねぇ。ご主人様は、黙っていれば綺麗なのですが口が悪くてね・・」
「へっくしょい!」
「トシさん、風邪かい?」
「いや、大方山南さんが色々とあいつに変な事吹き込んでいるんだろ・・」
「あの子、きっと今頃トシさんが作ったパイを喜んで食べていると思うよ。」
「ほっとけ!」
(本当に、素直じゃないんだから・・)
「お茶のおわかり、どうだい?」
城がある山村から、遠く離れたヴァチカンにある“部屋”には、四人の男達が向かい合う形で座っていた。
「それで?」
「あの“化物”は、まだ生きているそうだ。」
「あぁ。“彼”なら、城がある村に潜伏して貰っている。」
「相手は200年も生きている奴だ、くれぐれも油断するなと“彼”に伝えておけ。」
「承知。」
千鶴が働いていたホテルに、“彼”は、宿泊客として潜伏していた。
―あの子、一体何処に消えたのかしら?
―あぁ、千鶴ちゃん?
―もしかして、城の“化物”に喰われたんじゃ・・
新聞を読む振りをしながら、“彼”はホテルのカフェに居た。
「すいません、その“お話”、ちょっと聞かせて頂いてもよろしいでしょうか?」
そう言った“彼”は、新聞の上から翡翠の瞳を覗かせた。
“彼”の名は、伊庭八郎―ヴァチカンの神父だった。
作者様・出版社様とは一切関係ありません。
二次創作・BLが苦手な方はご注意ください。
―いいかい、“あのお城”には決して行ってはいけないよ。
―どうして?
―あそこには、恐ろしい化物が棲んでいるんだよ。化物に見つかったら、取って食われてしまうよ、だから・・
また、懐かしい夢を見た。
この村に古くから伝わる、“あの城”に纏わる伝説。
“森の奥にある美しい城に棲むのは、恐ろしい化物だ。”
(あの伝説は、本当なのかしら?)
「千鶴、いつまで寝てるんだい、さっさと起きな!」
階下から奥様の怒声が聞こえて来て、雪村千鶴はモゾモゾとシーツの中から出て、溜息を吐きながら“制服”に着替えた。
「今日はお寝坊さんだね?」
「すいません。」
「さっさと厨房の手伝いをしな。」
「はい。」
千鶴がこのホテルでメイドとして働き始めてから、もう半年となる。
彼女が生まれ故郷であるこの村にやって来たのは、父・綱道の看病と介護の為だった。
幼い頃に母を病で亡くした千鶴にとって、綱道は唯一人の肉親だった。
「千鶴・・お前に伝えたい事がある・・」
「なに、父様?」
「お前は・・わたしの子ではない。お前は15年前、さる高貴な御方からお預かりした・・」
「じゃぁ、わたしには本当の父様と母様が居るの?」
「あぁ・・そうだ。千鶴、これを・・」
死に間際、綱道は千鶴にある物を渡した。
それは、美しいピンク・サファイアのネックレスだった。
「このネックレスが、お前を必ず本当の両親の元へと導いてくれる・・」
「父様、嫌よ目を開けて、父様ぁ~!」
父亡き後、一人になった千鶴は、このホテルで住み込みのメイドとして働き始めた。
メイドの仕事はきついし、オーナー夫婦は厳しいが、他に行く所がないので、耐えるしかなかった。
「今夜は大きなパーティーがあるんだってさ!」
「へぇ。でもあたしらには、一生縁のない世界さ。」
「まぁ、暫くはあのケチ夫婦の機嫌が良くなりゃいいさ。」
「給料も弾んで貰えるし・・」
「さてと、今日もしっかりと働こうかね。」
同僚達の話を聞きながら、千鶴は黙々と働いていた。
休憩時間、千鶴が同僚達と軽い昼食を取っていると、そこへ支配人のマリウスがやって来た。
「チヅル、君宛の手紙が届いていたよ。」
「ありがとうございます。」
マリウスから手紙を受け取った千鶴は、差出人の名前が書いていない事に気づいた。
「恋文かい?」
「さぁ・・」
千鶴がそう言いながら便箋の封を開けると、その中からダイヤモンドを鏤めた美しい鍵が出て来た。
“これが、あなたが求める真実への鍵です。”
(何なのかしら、この鍵?)
「千鶴、ちょっと林檎を買って来て。」
「はい。」
ホテルの裏口から出た千鶴を、建物の陰からフードを被った男が見ていた。
「毎度あり~!」
雪が舞い散る中、千鶴は林檎が詰まった紙袋を手に、青果店からホテルへと戻っていく途中、誰かが自分の名を呼んでいる事に気づいた。
(気の所為かしら?)
「・・見つけたぞ。」
男はそう呟くと、雪の中へと消えた。
パーティーは、盛況だった。
新聞でよく見かける著名人や都会の貴族達が集まり、招待客たちの合間を縫うようにして彼らに給仕をしていた。
「きゃぁっ!」
千鶴が忙しく招待客達にワインを注いでいると、彼女はバランスを崩し、招待客のスーツにワインを掛けてしまった。
「も、申し訳ありません!」
「・・ここは、わたしに任せておきなさい。」
そう言った男は、丸眼鏡越しに千鶴に向かって微笑んだ。
「山南様、どうかなさいましたか?」
「いいえ、少しはしゃいでしまって、ワインをこぼしてしまいました。」
「まぁ、それは大変ですね!さぁ、こちらへどうぞ。」
「すいません。」
(あの人、助けてくれたのかしら?)
「はぁ~、疲れた!」
「明日も早いから、さっさと寝るか!」
「お休み~!」
千鶴は疲れた身体を引き摺りながら、使用人部屋へと向かった。
すると、彼女のベッドの上には、美しい薔薇の花が一輪、置かれていた。
―午前0時、森の奥の城でお待ちしております。 T―
「本当に、よろしかったのですか?」
「何の話だ?」
「どうやら、もうすぐあなたにかけられた“呪い”が解ける日が来たようですね。」
「・・うるさい。」
「もう夕食の用意は整いました。」
「わかった。」
美しい顔をした主の後ろに付き従いながら、あの丸眼鏡の男―山南敬助は溜息を吐いた。
この城で彼が暮らし始めてから、200年以上の歳月が経っていた。
「トシさん、遅かったね。」
「あぁ・・」
この城の主・土方歳三はそう言うとワインを飲みながら、“あの日”の事を思い出していた。
“あの日”―歳三は30歳の誕生日を貴族達に盛大に祝って貰っていた。
しかし、彼は何とか自分に取り入ろうとする貴族達の下心に気づいていたので、大道芸人達や道化師の芸を見てもつまらなそうな顔をしていた。
「殿下、どうなさったのです?」
「少し疲れた。」
「まぁ、それはいけませんわ。少しお部屋でお休みになった方がよろしいのでは?」
「あぁ、そうする・・」
歳三は乳母にそう言われて、少し自室で休む事にした。
暫く経った頃、歳三が大広間に戻ると、そこには誰も―道化師達や自分に媚を売る貴族達、そして国王夫妻を含め一人残らず突然まるで魔法にかかったかのように姿を消していた。
「これは、一体・・」
「お前が望んでいた事を、わたしがしてやっただけだ。」
カツン、という靴音が大理石の床に高らかに響いた後、一人の老婆が歳三の前に現れた。
「何だ、貴様!?」
「お前は一人になりたいのだろう?お前はいつもつまらなさそうな顔をしている。」
「それは・・」
「一夜の宿をわたしにお貸し頂けないでしょうか?」
「てめぇ、ふざけるな!」
「お前は美しいが、傲慢だね。」
老婆はそう言うと、己の頭上で杖を一振りさせた。
すると、皺がれた彼女の顔は、絶世の美女のそれへと変身した。
「ほぉ、悪くねぇ・・」
「卑しくて傲慢なお前を改心させる為には、お前をこの城に閉じ込めておいてやろう。」
「何だと、てめぇ・・」
「せいぜい、一人になって己の傲慢さを思い知るがいい!」
魔女はそう叫ぶと、煙のように掻き消えた。
「畜生!」
雪と氷に閉ざされた美しい城に、歳三は独り取り残された。
最初は独り気楽でいいと呑気に構えていたが、やがて独りで居る事に歳三は耐えられなくなった。
そんな中、城に二人の男がやって来た。
二人は山南敬助、井上源三郎とそれぞれ名乗った。
「二人共、どうしてここへ?」
「噂を聞いてやって来ました。」
「噂?」
「“この城には恐ろしい化物が居る”というものです。」
山南の言葉を聞いて、歳三はそれを鼻で笑った。
「それで?お前達、噂を確めに来ただけではねぇだろう?」
「えぇ。実は私たちは、ヴァチカンから派遣された神父なのです。」
「神父様がこの俺に何の用だ?告解なんてする気はねぇぜ。」
「エクソシストー悪魔祓いをご存知ですか?」
「俺には聖水も銀の銃弾も効かねぇぜ。」
「それは試してみなければわからないでしょう?」
山南はそう言って笑うと、いきなり発砲した。
「馬鹿野郎、急に攻撃してくる奴が居るかぁ!」
「ここに居ますよ。」
「ふん、面白ぇ。相手になってやらぁっ!」
山南の銃撃をかわした歳三は、そう叫んで嗤うと腰に帯びている愛刀の鯉口を切った。
「わたしの銃に剣で勝てると思いますか!?」
「やってみなきゃ、わかんねぇだろうが!」
「いいでしょう・・その勝負、受けて立ちましょう!」
山南はそう言って笑うと、歳三を見た。
歳三は自分の近くに立っていた大理石の像が、粉々に砕け散ったのを見た。
歳三は巧みに山南の銃弾をかわしながら、反撃する機会を狙っていた。
「おや、どうしました?もう終わりですか?」
「ぬかせ!」
歳三はそう叫ぶと、山南に刃を向けた。
山南は拳銃の引き金を引いたが、弾切れだった。
「もしかして、逃げ回っていたのは弾切れになるのを待って・・」
「俺が、闇雲に逃げ回っていたと思うか?」
「そうですか。ならば、もうこれ以上あなたと戦う必要はありませんね。」
山南はそう言って拳銃を下ろし、歳三の前に恭しい仕草で跪いた。
「どうか、わたしをあなた様の下僕にして下さいませ。」
「騙すのなら、わざとらしい事をするな。」
歳三がそう言って冷たい視線を山南の方へと投げると、彼は歳三の手の甲に接吻した。
「お一人だと、城の管理が大変でしょう。それに、家事も。」
「坊さんが家事なんかするのか?」
「わたし達は神に仕え、己の身を清めるのが務めです。源さんは、料理ができますから、暫くあなたはひもじい思いをしなくて済みますよ。」
「これから、よろしくお願いいたします。」
「あぁ、頼む。」
こうして、神父二人と永遠の命の呪いを掛けられた王子との、奇妙な同居生活が始まったのである。
午前0時、千鶴は降りしきる雪の中、静かに街を歩いていた。
首には、あのダイヤモンドの鍵を提げて。
ベッドの上に置かれた一輪の薔薇と手紙の意味を知りたくて、彼女はあの城へと向かっていた。
城へと近づくにつれ、彼女の脳裏にある光景が甦った。
それはまだ千鶴が幼い頃、両親に連れられて初めてこの村へとやって来た夏の日の事だった。
その日、千鶴は村の子供達と共に、あの城へと肝試しに行ったのだった。
“幽霊なんて居るの?”
“まさかぁ。”
そんな事を話しながら、彼女達は城の柵を乗り越え、荒れた庭園へと入ったのだった。
(あぁ、ここだわ。)
千鶴は、固く閉ざされた城門の鍵穴にあの鍵を挿し込むと、門は音もなく開いた。
「すいませ~ん、誰か居ませんか?」
あの時、美しい緑の芝生に覆われていた芝生は、雪で白く染まっていた。
―君、誰?
美しい薔薇に囲まれ、一人の少女がそう言いながら千鶴を紫の瞳で見た。
―あなたは、一体・・
千鶴が“あの日”の事を思い出していると、前方から足音が聞こえて来た。
(誰か来る・・)
千鶴は、そっと近くの茂みに身を隠した。
すると、二人分の足音が聞こえて来たかと思うと、庭に二人の男達がやって来た。
一人は肩先まで切り揃えられた黒髪に、薄茶の瞳をした男。
そしてもう一人は、艶やかな黒髪に、美しい紫の瞳をした男。
(あの人、まさか・・)
「そこに、誰か居るのか?」
「あ・・」
「てめぇ、何者だ?」
黒髪の男はそう言うと、恐怖に震える千鶴を睨みつけた。
「ご主人様、そのようなお顔をご婦人の前でなさってはいけませんよ。」
「あぁ!?」
「あ、あなたは・・」
「また会えましたね、お嬢さん。」
山南はそう言うと、千鶴に優しく微笑んだ。
「さぁ、こんな所で立ち話をするのも何ですから、中でお茶でも如何ですか?」
「は、はい・・」
「山南さん!」
「彼の事はお気になさらず、どうぞ。」
千鶴は少し気後れしながらも、山南と共に城の中へと入った。
“待って、お兄様!”
“あらあら、そんなに走ったら転んでしまうわよ。”
“本当に、・・・様は殿下がお好きなんですね。”
“えぇ、本当に。”
千鶴が城の中に入ると、彼女の前に自分と良く似た少女を遠くから眺めている女性と、彼女の侍女と思しき若い女性の幻を見た。
「どうか、されましたか?」
「いいえ。」
「さぁ、どうぞ。」
「あの、さっきの方は・・」
「ご主人様なら、先程拗ねてお部屋に引き籠もってしまいました。」
「え・・」
「いつもの事です。」
山南はニコニコとそう言って笑いながら、千鶴の前に淹れ立ての紅茶と、焼き立てのレイヤー・ケーキを置いた。
「うわぁ、美味しそう!」
「久しぶりに作ったので、味は保証できませんが。」
「頂きます。」
山南が切り分けてくれたレイヤー・ケーキを千鶴が一口食べると、口の中に程良い甘さが広がった。
「如何です?」
「甘くて、美味しいです!」
「まぁ、それは良かった。」
「トシさん、いい加減機嫌を直してくれよ。」
「うるせぇ。」
山南と千鶴が楽しそうにお茶を飲んでいる頃、歳三は自室に引き籠もっていた。
幼少の頃から、何か気に喰わない事があると拗ねて自室から暫く出ないという癖がついてしまった。
(困ったねぇ・・)
あの魔女から呪いを掛けられる前、歳三は曲がりなりにも一国の王子として多くの者に傅かれ、わがまま放題に育って来たので、傲慢な性格は中々直らないだろうと、井上は溜息を吐きながら主の部屋の前から去った。
「あの、このお城にいらっしゃるのは・・」
「わたしとあの方、そしてわたしの同僚の源さんの三人しか住んでいませんよ。」
「それはどうして・・」
「今からおよそ約200年前・・この城には、国王一家・・国王と王妃、そして見目麗しい王子、そして沢山の使用人が住んでいました。王子は賢く美しかったのですが、その美しさ故に傲慢でわがままな性格でした。それを見かねた魔女が、王子にある呪いを掛けたのです。」
「その、呪いは・・」
「独りになりたいちいう王子の願いを叶える為、魔女はこの広い城内に居た全ての人間を魔法で消してしまったのです。」
山南の話は、この地で古くから伝わるあの言い伝えの内容と同じものだった。
「あなたも、この城に纏わる伝説を聞いたことがあるでしょう?」
「はい。この城には恐ろしい化け物が棲んでいると・・でも、棲んでいるのは、あなた方だったのですね。」
「えぇ。それにしても、自分であなたをここへ招いておいて、いつまで経っても部屋から出て来ないつもりですかねぇ?」
「え?」
「今あなたが首に提げているダイヤモンドの鍵は、ご主人様があなたに贈った物なんですよ。」
「どうして・・」
「さぁね・・さてと、今夜は遅いのでこちらに泊まっていきなさい。」
「あの、いいんですか?」
「構いませんよ。」
とても楽しいお茶会の後、千鶴は山南に案内されある部屋へと入った。
そこは、ピンクを基調とした落ち着いた雰囲気がする部屋だった。
「ここは、どなたのお部屋なのですか?」
「国王陛下のお部屋ですよ。陛下はピンクが一番好きな色だったそうですよ。」
「そうなのですか。」
「ちなみに、ご主人様が一番好きな色は赤です。」
では、おやすみなさい、と山南は千鶴にそう言うと部屋の扉を閉めた。
「失礼いたします。」
「おい、勝手に入って来るな!」
「“お薬”の時間ですよ。」
「そこに置いておけ。」
(まだ、拗ねていらっしゃるようですね。)
山南が溜息を吐きながら寝台の近くのテーブルの上に薬と水が入ったゴブレットを載せた盆を置いて部屋から出て行こうとした時、天蓋の向こう側から呻き声が聞こえた。
「ご主人様?」
「薬・・薬を・・」
「さぁ、飲んで下さい!」
山南は慌てて天蓋を開けると、苦しそうに胸を掻き毟る歳三に薬を飲ませた。
「済まねぇな、山南さん・・」
「いいんですよ。ゆっくり休んで下さい。」
「あぁ・・」
「では、失礼致します。」
山南が歳三の寝室から出ると、源さんがやって来た。
「また、“あれ”か?」
「はい。」
魔女から呪いを掛けられてから、歳三はよく体調を崩すようになった。
200年間、自分達は体調を崩す事はなかったのだが、歳三はここ最近心臓の具合が悪いようで、今日みたいに気圧の変化が激しい日は、体調に波があった。
そればかりではなく、精神の浮き沈みが激しく、体調の悪さと精神の落ち込みが重なると、歳三は一日中寝室に引き籠もってしまう事が良くあった。
「こればかりは、どうもね。」
「そうですね。それよりも、ご主人様に呪いを掛けた魔女の消息は、まだわからないのですか?」
「あぁ。呪いを解くヒントが、何か見つかればいいんだが・・」
「わたし達も、休みましょう。」
「そうだね。」
山南と源さんが窓の外を見ると、白い霧がこの城を包もうとしていた。
「はぁ、はぁっ・・」
白い霧に包まれた森の中を、一人の男が息を切らしながら走っていた。
遠くから、狼のような唸り声が聞こえて来た。
(まだ、死にたくない!)
男が森の中を走っていると、そこへ何処からともなく数頭の猟犬が彼の前に現れた。
男の悲鳴が、森にこだました。
―ねぇ、森で人が殺されたってさ!
―何でも、遺体の損傷が激しくて、身元が判らないんだってさ・・
―それよりもあの子、何処に行っちまったんだろうねぇ?
村人達は、森の奥で殺された男の事と、四日前に姿を消した千鶴の事を色々と噂をしていた。
そんな事も知らず、千鶴は城で源さんと家事に勤しんでいた。
「いやぁ、助かるよ。今まで山南さんと二人だけで城の掃除をしたりしていたからね。」
「そうなのですか・・あの人、土方さんは今どちらに?」
「トシさんは、少し身体の具合が悪いみたいでね・・」
「えっ、それは・・」
「大丈夫だよ。“いつもの事”だから。」
「“いつもの事”?」
「昨夜山南さんから聞いたと思うけれど、トシさんは魔女に“孤独の呪い”をかけられてから、体調を崩すようになってね。」
「その呪いを解く方法はあるのですか?」
「今の所、ないね。わたしと山南さんが必死に呪いを解くヒントを探しているんだが・・」
源さんはそう言うと、溜息を吐いた。
「それにしても君、村には戻らなくてもいいのかい?」
「あの、帰り道がわからないんです・・」
「そうなのか。この山道には狼が多いから、気を付けないとね。」
「暫く、こちらに置いて頂けないでしょうか?ご迷惑はお掛けしませんから・・」
「勿論だよ。トシさんにはわたしから言っておくよ。」
「ありがとうございます!」
こうして、千鶴は暫く城に滞在する事になった。
「何だって、あの娘をここに住まわせるだって!?」
「まぁまぁトシさん、彼女が居てくれた方が何かと助かるし、“あいつら”に見つかるよりは良いだろう?」
「勝手にしろ!」
歳三はそう言うと、頭からシーツを被って不貞寝してしまった。
「雪村千鶴と申します。改めてよろしくお願い致します!」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね。」
山南と源さんは二人共千鶴を歓迎してその日の夜にご馳走を作ってくれたが、その席には歳三の姿はなかった。
「トシさんの事はわたし達に任せて、君は早く休みなさい。」
「はい、わかりました・・」
モヤモヤとした気持ちを抱えながら、千鶴は部屋に戻って休んだ。
「ご主人様、“お薬”の時間ですよ。」
「わかった・・」
歳三は少し気怠そうな様子でベッドから起き上がった。
「今日は辛そうですね。」
「あぁ・・」
そう言った歳三の顔は、病的な程蒼褪めていた。
心臓の具合は一進一退の状態だが、歳三が抱えているものはもっと深刻な“別のもの”だった。
それは―
「山南さん・・」
「わかりました。」
山南はそう言うと、己の首筋を歳三の前に晒した。
「済まねぇ・・」
「いえ、いいんですよ。」
歳三は、山南の白い首筋に歯を立てた。
心臓の病の他に、歳三は吸血衝動を抱えていた。
「森の奥で、一人の男が殺されていましたよ。」
「そいつは・・」
「彼は、“あの者達”の仲間ではありません。」
「そうか・・」
「あなたに呪いを掛けた魔女が、もう見つかりそうですよ。」
「それは本当か?」
「えぇ。」
「そうか・・」
歳三はそう言うと、ベッドに横たわった。
「最近、ますます体調が悪くなっているようですが・・」
「そうか。どうもこの季節になると、体調が優れなくてな・・」
「原因は、わかっているのですか?」
「まぁな・・」
歳三は、首に提げているロケットの蓋を開け、今は亡き両親の肖像画を眺めた。
「これは、お前達には言っていなかったんだが・・」
歳三は、山南に自分が抱えている秘密を話した。
自分は、この王国を治めていた吸血鬼の王族であり、“運命の伴侶”を見つけなければその命が消えてしまうことを。
「そうでしたか・・あなた様と初めて会った時、そんな気がしましたよ。」
「気づいていたのか・・」
「わたしはこれでも、神父ですよ?」
「あぁ、そうだったな。」
「ご主人様、もしかしたら彼女があなたの“運命の伴侶”になるかもしれませんよ?」
「はぁ、何言っていやがる!?」
「おや、図星ですか?」
「うるせぇ!」
そう言った歳三の顔は、耳まで赤く染まっていた。
「うわぁ、今日のパイも美味しそうですね!」
「あぁ、実はこのアップルパイはご主人様が作られたのですよ。」
「え、あの人が?」
「意外だと、思ったでしょう?あの人、結構家事が得意なんですよ。」
「そうなのですか?」
「ほら、あそこの壁に掛けられてある刺繍布、あれはご主人様が作られたそうですよ。」
「凄~い!わたしも仕事でよく縫い物をしますが、こんなに大きい物は作った事がないです!」
「ふふ、そうでしょう?わたし達も針仕事をしたりしますが、こんなに見事な物は作った事がありませんねぇ。」
「なんだか、あの人は怖そうだと思ったのですが、違うんですよね・・」
「人は、第一印象が大事ですからねぇ。ご主人様は、黙っていれば綺麗なのですが口が悪くてね・・」
「へっくしょい!」
「トシさん、風邪かい?」
「いや、大方山南さんが色々とあいつに変な事吹き込んでいるんだろ・・」
「あの子、きっと今頃トシさんが作ったパイを喜んで食べていると思うよ。」
「ほっとけ!」
(本当に、素直じゃないんだから・・)
「お茶のおわかり、どうだい?」
城がある山村から、遠く離れたヴァチカンにある“部屋”には、四人の男達が向かい合う形で座っていた。
「それで?」
「あの“化物”は、まだ生きているそうだ。」
「あぁ。“彼”なら、城がある村に潜伏して貰っている。」
「相手は200年も生きている奴だ、くれぐれも油断するなと“彼”に伝えておけ。」
「承知。」
千鶴が働いていたホテルに、“彼”は、宿泊客として潜伏していた。
―あの子、一体何処に消えたのかしら?
―あぁ、千鶴ちゃん?
―もしかして、城の“化物”に喰われたんじゃ・・
新聞を読む振りをしながら、“彼”はホテルのカフェに居た。
「すいません、その“お話”、ちょっと聞かせて頂いてもよろしいでしょうか?」
そう言った“彼”は、新聞の上から翡翠の瞳を覗かせた。
“彼”の名は、伊庭八郎―ヴァチカンの神父だった。