「FLESH&BLOOD」の二次小説です。
作者様・出版社様は一切関係ありません。
海斗が両性具有設定です、苦手な方はご注意ください。
二次創作・BLが嫌いな方はご注意ください。
海斗は、またあの夢を見ていた。
深い霧の中で、誰かが自分を呼んでいる夢を。
「起きなさい、いつまで寝ているの!」
友恵に揺り起こされ、海斗は欠伸を噛み殺しながら、ベッドの中から出た。
「おはようございます、お嬢様。」
「おはようございます。」
女中達は海斗に挨拶すると、彼女の身支度を手伝った。
「海斗、早く行くわよ!」
「わかったよ!」
海斗は帽子を被り、家族が待つ馬車の中へと乗り込んだ。
その日は、日曜礼拝の日だった。
海斗達を乗せた馬車が教会へと向かっている最中、海斗は友恵にストッキングを穿いていない事を責められた。
「暑いし蒸れるから嫌だ。」
「勝手になさい!」
教会に着いた後、海斗と友恵は一言も口を利かなかった。
礼拝が終わり、友恵は婦人会の人達と集まり、何かを話していた。
「海斗、こちらへいらっしゃい。」
「はい、お母様。」
海斗が友恵達の方へと向かうと、そこには友恵の友人達が彼女の周りに集まって来た。
「娘の海斗ですわ。」
「はじめまして。」
「まぁ、可愛らしいお嬢さんね。」
「お幾つになられるの?」
「今年で18になります。」
「まぁ、良い年ね。社交界デビューはもうなさったのかしら?」
「はい・・」
ご婦人達から質問責めにされ、海斗がそれから漸く解放されたのは、昼近くだった。
「本当に、一人で大丈夫?」
「うん。」
「じゃぁ、気を付けて帰るのよ。」
「わかった。」
海斗は友恵達と彼女達の行きつけのカフェの前で別れ、ロンドンの街を歩いた。
レースの日傘をさしながら、彼女が暫く歩いていると、彼女は一人の男とぶつかった。
「すいません・・」
「怪我は無いか?」
「はい・・」
海斗がそう言って俯いていた顔を上げると、自分の前には金髪碧眼の美男子が立っていた。
「あの・・」
「これ、君のか?」
「はい。」
美男子が海斗に手渡したのは、彼女が髪に挿していた櫛だった。
それは、許婚の和哉が誕生日に贈ってくれたものだった。
「ジェフリー、何処に居る!」
「また会おう、お嬢さん。」
海斗に背を向けて歩き出した金髪碧眼の美男子―ジェフリー=ロックフォードは、自分を待っているナイジェル=グラハムの元へと向かった。
「済まない、待たせたな、ナイジェル。」
「一体何処で油を売っていたんだ?」
「そんなに怒るな。それよりも、今日の商談相手はドイツの貿易商か?」
「あぁ。」
「いいかジェフリー、あんたは何も喋るなよ。」
「わかったよ。」
商談の時、ジェフリーはいつもナイジェルに取引先の相手を任せていた。
というのも、ジェフリーは値段関係なく、良い物はさっさと買ってしまうのだ。
そして、その金遣いの荒さに気づいたナイジェルは、会社の金を厳重に管理し、商談などをはじめとした営業もするようになった。
ジェフリーは会社の仕事を全て親友に任せてしまっていいのかと一度ナイジェルに尋ねた時、彼はこう答えた。
「あんたは、社長としてどんと構えていればいい。」
ナイジェルと会社を立ち上げてから数年経つが、特に大きな問題は起きなかった。
むしろ、経理や事務などをナイジェルに任せ、ジェフリーが営業などをしていたら、会社の業績はますます伸びていった。
人には得手、不得手というものがある。
(ナイジェル、お前にはいつも感謝しているよ。お前が居てくれないと、会社は倒産していたかもしれないな。)
『ロックフォード殿、グラハム殿、お久し振りです。』
『お久し振りです、マイヤーさん。こちらのご婦人は?』
『あら、素敵な殿方がお二人も。』
カイゼル髭を口元にたくわえたマイヤーの隣には、淡褐色の髪を結い上げた美しい女が立っていた。
「初めまして、ラウル=デ=トレドと申します、以後お見知りおきを。」
「英語が話せるのですか?」
「ええ。フランス語とドイツ語も話せますわ。」
ラウルは胸元に輝くダイヤモンドのネックレスをジェフリー達に見せびらかしながらそう言うと笑った。
『今日は会えて嬉しかったです。そうだ、今夜8時に私の屋敷で舞踏会が開かれるから、是非来てくれ。』
『ええ、喜んで。』
『では、お待ちしておりますよ。』
マイヤーは二人に招待状を手渡すと、愛人と共に去っていった。
「ラウル=デ=トレド、か・・何処かで聞いたような名だな。」
「知っているのか?」
「噂だけだが・・フランスのある資産家の後妻となり、莫大な財産を相続した“魔性の女”だとか・・」
「“魔性の女”かぁ・・」
「ジェフリー、わかっているだろうが・・」
「はいはい、わかっているよ。」
ジェフリーはそう言ってナイジェルを見たが、彼は冷たい視線をジェフリーに向けていた。
「大人しくしていろよ、いいな?」
「俺は子供か・・」
その日の夜、盛装したジェフリーとナイジェルがマイヤー邸へと向かうと、そこには貴族や政財界の名士などがワイン片手に談笑していた。
その中で一際ジェフリーが目をひいていたのは、深緑のドレスを着た赤毛の少女だった。
(さっさと帰ろう・・)
海斗はそう思いながら人気のないバルコニーで涼んでいると、そこへ一人の男がやって来た。
「おや、美しいリコリスがバルコニーに咲いているかと思ったら、あなたでしたか。」
(え、誰?)
初対面だというのに、海斗に話し掛けて来た男はやけに馴れ馴れしかった。
「あなたは・・」
「これは失礼、俺はこういう者です。」
男はそう言うと、一枚の名刺を海斗に手渡した。
そこには、『G&N社長・ジェフリー=ロックフォード』と書かれていた。
(知らない会社だな・・)
そんな海斗の心を読んだかのように、男―ジェフリーは口端を上げて笑った。
「いつか、この会社は英国を代表する企業になりますよ。」
「まぁ・・」
「ところでまだあなたのお名前を聞いておりませんね、美しいお嬢さん。」
「あなたに名乗る程の者ではありませんわ。」
海斗がそう言ってジェフリーに背を向けると、バルコニーを後にした。
「海斗、もう帰るわよ。」
「うん・・」
友恵が少し不機嫌そうな顔をしている事に気づいた海斗は、嫌な予感がした。
そして、それは的中した。
真夜中に一階の書斎で両親が言い争うような声を聞いた海斗は、眠い目を擦りながら寝室から出ようとすると、乳母のアンナに止められた。
「お嬢様、ベッドに戻ってください。」
「アンナ・・」
「どうか・・」
翌朝、友恵は海斗と洋明を連れてウィーンへ行くと突然言い出した。
「お母様、一体何があったの?」
「あなた達には関係のない事です。」
「いいえ、関係あります。それに俺はもう子供ではありません。」
「わかったわ・・」
友恵は、昨夜洋介と離婚について話し合っていたが決裂し、暫く別居生活を送る事にしたという。
「洋明は、何て言っているの?」
「子供は母親と一緒に居るのが一番よ。」
そう言って友恵は笑ったが、洋明は英国に居る事を望んだので、海斗は友恵と共にウィーンで暮らす事になった。
ウィーンでの暮らしは、芸術が楽しめたが、海斗は社交場へ友恵に無理矢理連れて行かれるのが嫌で堪らなかった。
「海斗、早く支度なさい!」
「わかったよ!」
海斗がウィーンで暮らし始めて一ヶ月が経った。
(いつになったらロンドンに帰れるんだろう?)
友恵は最近塞ぎ込むようになり、海斗との会話は徐々に減っていった。
過干渉な友恵と距離を置けて海斗は嬉しかったが、ウィーンでの暮らしに少し嫌気が差していた。
そんな中、海斗は友恵と共にフロイデナウ競馬場へと来ていた。
競馬場には、“素敵な夫”との出会いを求める貴族の令嬢達や、娘の良縁を求める貴婦人達が集まっていた。
「海斗、こちらは・・」
「初めまして。」
友恵に半ば騙し討ちされたような形で、海斗はT公爵家のグレッグと見合いをした。
「まぁ、グレッグさんは乗馬をなさるの?」
「ええ。」
「海斗も乗馬をするんですよ。今度一緒に・・」
「お母様、気分が優れないので失礼致します。」
「海斗、待ちなさい!」
友恵に背を向け、海斗は人混みの中から抜け出した。
もう、こんな所には居たくない。
ロンドンに帰りたい。
そんな事を思いながら海斗がフロイデナウ競馬場の出口へと向かおうとした時、彼女は一人の男とぶつかった。
『ごめんなさい。』
『お怪我はありませんでしたか?』
そう言って海斗に微笑んだのは、金髪碧眼の美男子だった。
背は巨人のように高く、身なりからして何処かの貴族のようだ。
『はい。』
『ドイツ語を話せるのですね。』
『ええ。』
青年が何か言おうとした時、遠くから彼を呼ぶ声がした。
『失礼、また会える事を願っていますよ。』
(綺麗な人だったな。)
友恵より先に滞在先のホテルへと戻った海斗は、ロビーでジェフリーと再会した。
「また会えたな、お嬢さん。」
「ええ・・」
「海斗、勝手に帰るなんてどういうつもり!」
馬車から降りて来た友恵は、そう叫ぶと海斗を睨んだ。
「ごめんなさい、お母様・・」
「今夜はホーフブルク宮で舞踏会があるのよ、早く部屋に戻って支度しないと!」
「わかったよ!」
友恵と海斗は部屋に戻ると、休む間もなくホーフブルク宮の舞踏会に向けて準備をした。
「最高よ、海斗!これで皇太子様のお心を射止める事が出来るわ!」
「そうかな?」
「そうに決まっているわ!」
だが、一国の皇太子が、外国の縁がない華族の娘を見初める筈がなかった。
なので、ホーフブルク宮の舞踏会へ派手に着飾って来た海斗と友恵は、少し浮いていた。
「もう帰りましょうよ、お母様。」
「何を言っているの、まだ来たばかりじゃないの!」
友恵はそう言うと、海斗をウィーンの宮廷貴族達に紹介し始めた。
(疲れた・・)
シャンパングラスを片手に、海斗は大広間から人気のないバルコニーへと向かった。
ロンドンにいつ帰れるのかわからないので、海斗は友恵に一度その事を尋ねてみた。
すると彼女は、こう答えた。
「それはまだ、わからないわ。」
そう言った友恵の顔は、少し曇っていた。
「海斗、あなたはこれからどうしたいの?」
「俺は、ロンドンに戻りたい。」
「そう・・」
それ以上、友恵は何も言わなかった。
「また、会いましたね。」
「あなたは・・」
海斗が突然肩を叩かれ背後を振り向くと、そこにはフロイデナウ競馬場で会った青年が立っていた。
「あなたは、お美しいですね。わたしと一曲、踊って頂けないでしょうか?」
「はい。」
―ルドルフ様よ!
―ルドルフ様の隣にいらっしゃるのは、どなたなの?
海斗が青年とワルツを踊り出すと、周囲の視線が一斉に自分達に向けられている事に気づいた。
(もしかして、この人が皇太子様?)
「どうかされたのですか?」
「申し訳ありません、皇太子様とは知らず失礼な事を・・」
「気にしないでください。」
「ですが・・」
「あなたのお名前は?」
「カイトと申します。」
「カイト、あなたとお会い出来て良かった。」
青年―ルドルフ皇太子は海斗に優しく微笑むと、大広間から出て行った。
「あの娘の事を調べろ。」
「かしこまりました。」
ホーフブルク宮の舞踏会から数日後、海斗が滞在しているホテルのフロントに、ジェフリーが現れた。
「こちらに、カイト=トーゴ―という方は滞在していますか?」
「申し訳ありません、こちらでは教えられません。」
「そうか。じゃぁ、出直すとするか。」
ジェフリーがそう言ってホテルを後にしようとすると、丁度そこへ海斗がやって来た。
「あなたは・・」
「また会えたな。君と話したい事があるんだが、いいか?」
「いいけど・・」
ホテルから出た海斗とジェフリーは、ウィーンの街を歩いた。
「俺に何か話があるのですか?」
「あぁ。君は、どうしてウィーンに?」
「家の事情で・・」
海斗がそう言って俯いたので、ジェフリーは何も彼女に尋ねなかった。
「人生、色々あるさ。」
「本当は、ロンドンに一日も早く帰りたいです。ウィーンは素敵な街だけれど、ロンドンの方が好きだから・・」
「そうか。」
ジェフリーは、ただ黙って海斗の話を聞いていた。
「両親が離婚するのかどうか、わからないけれど、俺は・・」
「君が生きたいように生きればいい。」
「はい・・」
ジェフリーは、海斗に優しく微笑んだ。
「これを、君に贈ろう。」
「俺に、ですか?」
ジェフリーからジュエリーケースを手渡された海斗がその蓋を開けると、そこには美しい星形のエメラルドの髪飾りが入っていた。
「綺麗・・」
「今夜のホーフブルク宮の舞踏会にその髪飾りをつけて来てくれ。」
「わかった。」
その日の夜、ホーフブルク宮の舞踏会で、海斗はジェフリーから贈られたエメラルドの髪飾りをつけて現れた。
「来てくれたんだな。」
「どう、おかしくない?」
「良く似合っている。」
「ありがとう。」
ジェフリーと海斗がワルツを踊っている間、海斗の赤毛を飾ったエメラルドが、シャンデリアの光を受けて美しく輝いていた。
「今夜は楽しかったです。」
「俺もだ。」
ジェフリーはホーフブルク宮からホテルへと戻る馬車の中でそう言うと、海斗を抱き締めた。
「あの・・」
「カイト、また会えないか?」
「俺は・・」
「海斗!」
馬車から降りた二人の前に、一人の青年が現れた。
「和哉・・」
「彼は、誰だ?」
「俺の、許婚です。」
「許婚?」
「ごめん、今まで話そうと思っていたけれど・・」
「そうか。」
ジェフリーは去り際、海斗の手を握った。
「海斗、あの人は?」
「お世話になった人だよ。それよりも和哉、どうしてウィーンに?」
「君に会いたくて、来たんだ。」
「そう。」
「ねぇ海斗、さっきの人は本当に“お世話になった人”なの?」
「どうして急に、そんな事を聞くの、和哉?」
「少し、気になってね。」
和哉と共にホテルの部屋へと海斗が戻ると、和哉はそう言って海斗を見た。
「君が、僕以外の男と親しくなっていないかどうか・・」
「そんな事ないよ。」
「そう、良かった。」
和哉は、海斗と共に夕食を取った。
「ねぇ海斗、その髪飾りはどうしたの?」
「これは、ジェフリーさんから・・」
そう言った海斗の顔が、少し嬉しそうに見えた。
「そうなの。良く似合っているね。」
(ジェフリーという人は、そんなに君が“世話になった人”なの?)
和哉の中で、“ジェフリー”に対して黒い感情が渦巻き始めていた。
(海斗、君の許婚はこの僕だ。だから、他の男に心を奪われるなんて、絶対に許さないよ。)
「海斗、お帰りなさい。ホーフブルク宮の舞踏会で、皇太子様とは会えた?」
「ううん。」
「そうだわ。さっきパパから手紙が来たの。わたし達、離婚する事になったわ。」
「そう・・」
両親の離婚が決まり、友恵は海斗とウィーンで暮らす事を望んだので、海斗はそのままウィーンで暮らす事になった。
(ここが、俺達の暮らす家か・・)
ホテルを後にし、ウィーンの新居へと引っ越した海斗は、目の前に建っている小さい屋敷を見て絶句した。
玄関ホールの中に入ると、埃が舞い、海斗は思わず咳込んでしまった。
(掃除しないとな・・)
埃で汚れた部屋を海斗達が掃除していると、玄関のベルが高らかに鳴った。
「どちら様ですか?」
「カイト=トーゴ―様ですね。至急ホーフブルク宮へいらして下さい、皇太子様がお呼びです。」
(皇太子様が?)
状況がわからぬまま、海斗はホーフブルク宮へと向かった。
「カイト様、こちらへどうぞ。」
「はい・・」
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海斗が両性具有設定です、苦手な方はご注意ください。
二次創作・BLが嫌いな方はご注意ください。
海斗は、またあの夢を見ていた。
深い霧の中で、誰かが自分を呼んでいる夢を。
「起きなさい、いつまで寝ているの!」
友恵に揺り起こされ、海斗は欠伸を噛み殺しながら、ベッドの中から出た。
「おはようございます、お嬢様。」
「おはようございます。」
女中達は海斗に挨拶すると、彼女の身支度を手伝った。
「海斗、早く行くわよ!」
「わかったよ!」
海斗は帽子を被り、家族が待つ馬車の中へと乗り込んだ。
その日は、日曜礼拝の日だった。
海斗達を乗せた馬車が教会へと向かっている最中、海斗は友恵にストッキングを穿いていない事を責められた。
「暑いし蒸れるから嫌だ。」
「勝手になさい!」
教会に着いた後、海斗と友恵は一言も口を利かなかった。
礼拝が終わり、友恵は婦人会の人達と集まり、何かを話していた。
「海斗、こちらへいらっしゃい。」
「はい、お母様。」
海斗が友恵達の方へと向かうと、そこには友恵の友人達が彼女の周りに集まって来た。
「娘の海斗ですわ。」
「はじめまして。」
「まぁ、可愛らしいお嬢さんね。」
「お幾つになられるの?」
「今年で18になります。」
「まぁ、良い年ね。社交界デビューはもうなさったのかしら?」
「はい・・」
ご婦人達から質問責めにされ、海斗がそれから漸く解放されたのは、昼近くだった。
「本当に、一人で大丈夫?」
「うん。」
「じゃぁ、気を付けて帰るのよ。」
「わかった。」
海斗は友恵達と彼女達の行きつけのカフェの前で別れ、ロンドンの街を歩いた。
レースの日傘をさしながら、彼女が暫く歩いていると、彼女は一人の男とぶつかった。
「すいません・・」
「怪我は無いか?」
「はい・・」
海斗がそう言って俯いていた顔を上げると、自分の前には金髪碧眼の美男子が立っていた。
「あの・・」
「これ、君のか?」
「はい。」
美男子が海斗に手渡したのは、彼女が髪に挿していた櫛だった。
それは、許婚の和哉が誕生日に贈ってくれたものだった。
「ジェフリー、何処に居る!」
「また会おう、お嬢さん。」
海斗に背を向けて歩き出した金髪碧眼の美男子―ジェフリー=ロックフォードは、自分を待っているナイジェル=グラハムの元へと向かった。
「済まない、待たせたな、ナイジェル。」
「一体何処で油を売っていたんだ?」
「そんなに怒るな。それよりも、今日の商談相手はドイツの貿易商か?」
「あぁ。」
「いいかジェフリー、あんたは何も喋るなよ。」
「わかったよ。」
商談の時、ジェフリーはいつもナイジェルに取引先の相手を任せていた。
というのも、ジェフリーは値段関係なく、良い物はさっさと買ってしまうのだ。
そして、その金遣いの荒さに気づいたナイジェルは、会社の金を厳重に管理し、商談などをはじめとした営業もするようになった。
ジェフリーは会社の仕事を全て親友に任せてしまっていいのかと一度ナイジェルに尋ねた時、彼はこう答えた。
「あんたは、社長としてどんと構えていればいい。」
ナイジェルと会社を立ち上げてから数年経つが、特に大きな問題は起きなかった。
むしろ、経理や事務などをナイジェルに任せ、ジェフリーが営業などをしていたら、会社の業績はますます伸びていった。
人には得手、不得手というものがある。
(ナイジェル、お前にはいつも感謝しているよ。お前が居てくれないと、会社は倒産していたかもしれないな。)
『ロックフォード殿、グラハム殿、お久し振りです。』
『お久し振りです、マイヤーさん。こちらのご婦人は?』
『あら、素敵な殿方がお二人も。』
カイゼル髭を口元にたくわえたマイヤーの隣には、淡褐色の髪を結い上げた美しい女が立っていた。
「初めまして、ラウル=デ=トレドと申します、以後お見知りおきを。」
「英語が話せるのですか?」
「ええ。フランス語とドイツ語も話せますわ。」
ラウルは胸元に輝くダイヤモンドのネックレスをジェフリー達に見せびらかしながらそう言うと笑った。
『今日は会えて嬉しかったです。そうだ、今夜8時に私の屋敷で舞踏会が開かれるから、是非来てくれ。』
『ええ、喜んで。』
『では、お待ちしておりますよ。』
マイヤーは二人に招待状を手渡すと、愛人と共に去っていった。
「ラウル=デ=トレド、か・・何処かで聞いたような名だな。」
「知っているのか?」
「噂だけだが・・フランスのある資産家の後妻となり、莫大な財産を相続した“魔性の女”だとか・・」
「“魔性の女”かぁ・・」
「ジェフリー、わかっているだろうが・・」
「はいはい、わかっているよ。」
ジェフリーはそう言ってナイジェルを見たが、彼は冷たい視線をジェフリーに向けていた。
「大人しくしていろよ、いいな?」
「俺は子供か・・」
その日の夜、盛装したジェフリーとナイジェルがマイヤー邸へと向かうと、そこには貴族や政財界の名士などがワイン片手に談笑していた。
その中で一際ジェフリーが目をひいていたのは、深緑のドレスを着た赤毛の少女だった。
(さっさと帰ろう・・)
海斗はそう思いながら人気のないバルコニーで涼んでいると、そこへ一人の男がやって来た。
「おや、美しいリコリスがバルコニーに咲いているかと思ったら、あなたでしたか。」
(え、誰?)
初対面だというのに、海斗に話し掛けて来た男はやけに馴れ馴れしかった。
「あなたは・・」
「これは失礼、俺はこういう者です。」
男はそう言うと、一枚の名刺を海斗に手渡した。
そこには、『G&N社長・ジェフリー=ロックフォード』と書かれていた。
(知らない会社だな・・)
そんな海斗の心を読んだかのように、男―ジェフリーは口端を上げて笑った。
「いつか、この会社は英国を代表する企業になりますよ。」
「まぁ・・」
「ところでまだあなたのお名前を聞いておりませんね、美しいお嬢さん。」
「あなたに名乗る程の者ではありませんわ。」
海斗がそう言ってジェフリーに背を向けると、バルコニーを後にした。
「海斗、もう帰るわよ。」
「うん・・」
友恵が少し不機嫌そうな顔をしている事に気づいた海斗は、嫌な予感がした。
そして、それは的中した。
真夜中に一階の書斎で両親が言い争うような声を聞いた海斗は、眠い目を擦りながら寝室から出ようとすると、乳母のアンナに止められた。
「お嬢様、ベッドに戻ってください。」
「アンナ・・」
「どうか・・」
翌朝、友恵は海斗と洋明を連れてウィーンへ行くと突然言い出した。
「お母様、一体何があったの?」
「あなた達には関係のない事です。」
「いいえ、関係あります。それに俺はもう子供ではありません。」
「わかったわ・・」
友恵は、昨夜洋介と離婚について話し合っていたが決裂し、暫く別居生活を送る事にしたという。
「洋明は、何て言っているの?」
「子供は母親と一緒に居るのが一番よ。」
そう言って友恵は笑ったが、洋明は英国に居る事を望んだので、海斗は友恵と共にウィーンで暮らす事になった。
ウィーンでの暮らしは、芸術が楽しめたが、海斗は社交場へ友恵に無理矢理連れて行かれるのが嫌で堪らなかった。
「海斗、早く支度なさい!」
「わかったよ!」
海斗がウィーンで暮らし始めて一ヶ月が経った。
(いつになったらロンドンに帰れるんだろう?)
友恵は最近塞ぎ込むようになり、海斗との会話は徐々に減っていった。
過干渉な友恵と距離を置けて海斗は嬉しかったが、ウィーンでの暮らしに少し嫌気が差していた。
そんな中、海斗は友恵と共にフロイデナウ競馬場へと来ていた。
競馬場には、“素敵な夫”との出会いを求める貴族の令嬢達や、娘の良縁を求める貴婦人達が集まっていた。
「海斗、こちらは・・」
「初めまして。」
友恵に半ば騙し討ちされたような形で、海斗はT公爵家のグレッグと見合いをした。
「まぁ、グレッグさんは乗馬をなさるの?」
「ええ。」
「海斗も乗馬をするんですよ。今度一緒に・・」
「お母様、気分が優れないので失礼致します。」
「海斗、待ちなさい!」
友恵に背を向け、海斗は人混みの中から抜け出した。
もう、こんな所には居たくない。
ロンドンに帰りたい。
そんな事を思いながら海斗がフロイデナウ競馬場の出口へと向かおうとした時、彼女は一人の男とぶつかった。
『ごめんなさい。』
『お怪我はありませんでしたか?』
そう言って海斗に微笑んだのは、金髪碧眼の美男子だった。
背は巨人のように高く、身なりからして何処かの貴族のようだ。
『はい。』
『ドイツ語を話せるのですね。』
『ええ。』
青年が何か言おうとした時、遠くから彼を呼ぶ声がした。
『失礼、また会える事を願っていますよ。』
(綺麗な人だったな。)
友恵より先に滞在先のホテルへと戻った海斗は、ロビーでジェフリーと再会した。
「また会えたな、お嬢さん。」
「ええ・・」
「海斗、勝手に帰るなんてどういうつもり!」
馬車から降りて来た友恵は、そう叫ぶと海斗を睨んだ。
「ごめんなさい、お母様・・」
「今夜はホーフブルク宮で舞踏会があるのよ、早く部屋に戻って支度しないと!」
「わかったよ!」
友恵と海斗は部屋に戻ると、休む間もなくホーフブルク宮の舞踏会に向けて準備をした。
「最高よ、海斗!これで皇太子様のお心を射止める事が出来るわ!」
「そうかな?」
「そうに決まっているわ!」
だが、一国の皇太子が、外国の縁がない華族の娘を見初める筈がなかった。
なので、ホーフブルク宮の舞踏会へ派手に着飾って来た海斗と友恵は、少し浮いていた。
「もう帰りましょうよ、お母様。」
「何を言っているの、まだ来たばかりじゃないの!」
友恵はそう言うと、海斗をウィーンの宮廷貴族達に紹介し始めた。
(疲れた・・)
シャンパングラスを片手に、海斗は大広間から人気のないバルコニーへと向かった。
ロンドンにいつ帰れるのかわからないので、海斗は友恵に一度その事を尋ねてみた。
すると彼女は、こう答えた。
「それはまだ、わからないわ。」
そう言った友恵の顔は、少し曇っていた。
「海斗、あなたはこれからどうしたいの?」
「俺は、ロンドンに戻りたい。」
「そう・・」
それ以上、友恵は何も言わなかった。
「また、会いましたね。」
「あなたは・・」
海斗が突然肩を叩かれ背後を振り向くと、そこにはフロイデナウ競馬場で会った青年が立っていた。
「あなたは、お美しいですね。わたしと一曲、踊って頂けないでしょうか?」
「はい。」
―ルドルフ様よ!
―ルドルフ様の隣にいらっしゃるのは、どなたなの?
海斗が青年とワルツを踊り出すと、周囲の視線が一斉に自分達に向けられている事に気づいた。
(もしかして、この人が皇太子様?)
「どうかされたのですか?」
「申し訳ありません、皇太子様とは知らず失礼な事を・・」
「気にしないでください。」
「ですが・・」
「あなたのお名前は?」
「カイトと申します。」
「カイト、あなたとお会い出来て良かった。」
青年―ルドルフ皇太子は海斗に優しく微笑むと、大広間から出て行った。
「あの娘の事を調べろ。」
「かしこまりました。」
ホーフブルク宮の舞踏会から数日後、海斗が滞在しているホテルのフロントに、ジェフリーが現れた。
「こちらに、カイト=トーゴ―という方は滞在していますか?」
「申し訳ありません、こちらでは教えられません。」
「そうか。じゃぁ、出直すとするか。」
ジェフリーがそう言ってホテルを後にしようとすると、丁度そこへ海斗がやって来た。
「あなたは・・」
「また会えたな。君と話したい事があるんだが、いいか?」
「いいけど・・」
ホテルから出た海斗とジェフリーは、ウィーンの街を歩いた。
「俺に何か話があるのですか?」
「あぁ。君は、どうしてウィーンに?」
「家の事情で・・」
海斗がそう言って俯いたので、ジェフリーは何も彼女に尋ねなかった。
「人生、色々あるさ。」
「本当は、ロンドンに一日も早く帰りたいです。ウィーンは素敵な街だけれど、ロンドンの方が好きだから・・」
「そうか。」
ジェフリーは、ただ黙って海斗の話を聞いていた。
「両親が離婚するのかどうか、わからないけれど、俺は・・」
「君が生きたいように生きればいい。」
「はい・・」
ジェフリーは、海斗に優しく微笑んだ。
「これを、君に贈ろう。」
「俺に、ですか?」
ジェフリーからジュエリーケースを手渡された海斗がその蓋を開けると、そこには美しい星形のエメラルドの髪飾りが入っていた。
「綺麗・・」
「今夜のホーフブルク宮の舞踏会にその髪飾りをつけて来てくれ。」
「わかった。」
その日の夜、ホーフブルク宮の舞踏会で、海斗はジェフリーから贈られたエメラルドの髪飾りをつけて現れた。
「来てくれたんだな。」
「どう、おかしくない?」
「良く似合っている。」
「ありがとう。」
ジェフリーと海斗がワルツを踊っている間、海斗の赤毛を飾ったエメラルドが、シャンデリアの光を受けて美しく輝いていた。
「今夜は楽しかったです。」
「俺もだ。」
ジェフリーはホーフブルク宮からホテルへと戻る馬車の中でそう言うと、海斗を抱き締めた。
「あの・・」
「カイト、また会えないか?」
「俺は・・」
「海斗!」
馬車から降りた二人の前に、一人の青年が現れた。
「和哉・・」
「彼は、誰だ?」
「俺の、許婚です。」
「許婚?」
「ごめん、今まで話そうと思っていたけれど・・」
「そうか。」
ジェフリーは去り際、海斗の手を握った。
「海斗、あの人は?」
「お世話になった人だよ。それよりも和哉、どうしてウィーンに?」
「君に会いたくて、来たんだ。」
「そう。」
「ねぇ海斗、さっきの人は本当に“お世話になった人”なの?」
「どうして急に、そんな事を聞くの、和哉?」
「少し、気になってね。」
和哉と共にホテルの部屋へと海斗が戻ると、和哉はそう言って海斗を見た。
「君が、僕以外の男と親しくなっていないかどうか・・」
「そんな事ないよ。」
「そう、良かった。」
和哉は、海斗と共に夕食を取った。
「ねぇ海斗、その髪飾りはどうしたの?」
「これは、ジェフリーさんから・・」
そう言った海斗の顔が、少し嬉しそうに見えた。
「そうなの。良く似合っているね。」
(ジェフリーという人は、そんなに君が“世話になった人”なの?)
和哉の中で、“ジェフリー”に対して黒い感情が渦巻き始めていた。
(海斗、君の許婚はこの僕だ。だから、他の男に心を奪われるなんて、絶対に許さないよ。)
「海斗、お帰りなさい。ホーフブルク宮の舞踏会で、皇太子様とは会えた?」
「ううん。」
「そうだわ。さっきパパから手紙が来たの。わたし達、離婚する事になったわ。」
「そう・・」
両親の離婚が決まり、友恵は海斗とウィーンで暮らす事を望んだので、海斗はそのままウィーンで暮らす事になった。
(ここが、俺達の暮らす家か・・)
ホテルを後にし、ウィーンの新居へと引っ越した海斗は、目の前に建っている小さい屋敷を見て絶句した。
玄関ホールの中に入ると、埃が舞い、海斗は思わず咳込んでしまった。
(掃除しないとな・・)
埃で汚れた部屋を海斗達が掃除していると、玄関のベルが高らかに鳴った。
「どちら様ですか?」
「カイト=トーゴ―様ですね。至急ホーフブルク宮へいらして下さい、皇太子様がお呼びです。」
(皇太子様が?)
状況がわからぬまま、海斗はホーフブルク宮へと向かった。
「カイト様、こちらへどうぞ。」
「はい・・」
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