「FLESH&BLOOD」の二次小説です。
作者様・出版社様は一切関係ありません。
何で、こんな事になったんだろう。
東郷海斗は、車の後部座席で退屈そうに次々と流れていく風景を見ながら、何度目かの溜息を吐いた。
「海斗、溜息を吐いたら幸せが逃げるわよ。」
「わかっているよ・・」
「ねぇママ、ロンドンに帰りたいよ。」
「しょうがないでしょう、パパのお仕事の都合で、こっちの支社に転勤になったんだから。」
海斗の父親・東郷洋介に三舛商事ロンドン支社勤務から、日本のある地方支社への転勤が決まったのは、コロナ禍で業績が悪化した所為だった。
それまで英国で育ち、その首都ロンドンで長年暮らして来た洋明にとって、海と山しかないド田舎に住むなんて、まるでサハラ砂漠のど真ん中で置き去りにされるに等しいものだった。
文句を言いながらロンドンのヒースロー空港で購入したスナック菓子に片手を突っ込み、絶え間なく口を動かしながらその中身を食べる次男を車の助手席から窘めていた友恵も、彼と同じ気持ちらしい。
(今更日本で暮らせって言われてもな・・まるで浦島太郎になった気分だよ。)
小学校入学前からイングランドで暮らして来た海斗にとって、祖国である日本は「異国」そのものだった。
せめて東京か大阪などの大都市に住むのだったらいいのだが、名前も知らない地方の町に住むなんて、最初から詰んでいるとしか思えない。
「海斗、これから通う高校は電車で片道二時間くらいかかるけれど、大丈夫?」
「まぁ、なんとかね・・」
それまで全寮制の寄宿学校に籍を置いてた海斗だったが、これからは電車で片道二時間もかかる距離にある公立高校へ通う事になっている。
自分だけでもイングランドで暮らせないかと海斗は一度、洋介に交渉したが、彼は海斗の言葉に首を横に振り、こう言っただけだった。
「これはもう決まった事なんだ。それにお前はまだ未成年だ。」
早く大人になりたい―親の庇護下・管理下で己の全てを決められる人生から、海斗は早く抜け出したくて堪らなかった。
そんな彼の思いが天に通じたのかどうかわからないが、東郷一家は引っ越し先の家―高台で町を一望できる家がある高級住宅地へと入る道を洋介が間違え、見知らぬ廃神社らしき前へと来てしまった。
「ねぇママ、あれ何?」
「祠、神様のお家よ。それにしても、不気味な所ねぇ。」
「お腹空いたよ、ママぁ。」
「そうだな、早く何処か店で食べよう。」
洋介がそう言って車のエンジンを掛けようとしたが、車はうんともすんとも言わなかった。
どうやらエンストしたらしい。
洋介はすぐさま持っていたスマートフォンで自動車修理サービスの番号へと掛けようとしたが、その画面に表示されているのは「圏外」という絶望の代名詞そのものだった。
「ねぇママ、あそこにトンネルがあるよ。」
「あらぁ、そうね。」
「ここでじっとしても仕方が無いから、行ってみるか。」
海斗達は車から降りて、廃神社の祠の向こう―朱色のトンネルの中へと入った。
トンネルを抜けると、爽やかな風が吹いていて、サワサワと時折夏草が揺れていた。
「気持ち良いわね。」
彼らが草原を抜けると、そこにはカラフルな建物が建ち並んだ小さな町があった。
「ここは恐らく、バブル期に作られたテーマパークか何かの廃墟だろう。おい洋明、何処へ行くんだ!?」
「パパ、ママ、ここに食べ物があるよ!」
洋明が爛々と目を輝かせながら向かった先には、彼が好きそうなハンバーガーやピザ、フライドポテトが軒先に並んでいる一軒のレストランがあった。
「美味しい、生き返るわねぇ!」
普段ジャンクフードを嫌い、食べる事はおろか、テレビで大手ファストフードチェーン店のCMを観るのも嫌がっていた友恵は空腹には勝てなかったのが、恥も外聞もなくピザに勢いよくかぶりついた。
「勝手に食べていいの?」
「いいのよ、カード持っているんだから。海斗も食べなさいよ。」
「いや、俺はいい。」
これまで隣でスナック菓子を豚のように貪り食っている弟の姿を見て来た海斗は食欲が全く湧かず、レストランに三人を残して周囲を散策する事にした。
まるで時代劇のセットのような朱色の橋を渡った先には、昔時代劇で観た吉原遊郭の街並みが一体化したような建物があった。
(何だ、ここ?)
そう思いながら海斗が暖簾の中を覗き込もうとした時、彼は突然何者かによって腕を強く掴まれた。
痛さに顔を顰めながら海斗が背後を振り向くと、そこには水干姿の一人の少年が立っていた。
艶やかな漆黒の髪をポニーテールにした彼は、美しい翠の瞳をカッと見開いた後、海斗にむかってこう叫んだ。
「ここへ来てはいけない!」
「え?」
「まだ間に合う、日没までにここへ来る前の場所まで戻れ!」
(何だ、あいつ!)
初対面だというのに少年は居丈高な口調でそう叫んで海斗の背を乱暴に押した。
海斗がむかむかしながら両親と弟が居る店へと戻ると、そこに彼らの姿はなく、居たのは彼らの服を着た醜い豚だった。
「お父さん、お母さん、洋明、早くここから逃げないと!」
海斗が家族と思しき豚の背中を揺すると、彼らは海斗に向かってぶぅと鳴き、鼻先でフライドポテトの残りを突いていた。
すると、ハエたたきのようなものが店の奥から出て来ると、豚達を何者かが打ち据えた。
海斗が目を凝らして奥の方を見ると、そこには黒い影のようなものがあった。
海斗は悲鳴を上げて、店から飛び出していった。
すると、店の周辺から黒い影が次々と出て来た。
“おいで”
“おいでよ~”
夢中になって海斗が草原へと向かったが、そこには来た時にはなかった川があった。
そして、向こうから船が徐々にこちらへとやって来るのが見えた。
船から降りて来たのは、様々な姿形をした者達が出て来た。
(これは夢だ・・)
目を閉じてそう自分に言い聞かせた海斗だったが、彼は間もなく己の身体に起きている異変に気づいた。
「透けている!?」
自分の全身が、まるで幽霊のように透けてしまっている。
パニックになった海斗が叫んでいると、誰かが彼の肩を優しく叩いた。
「大丈夫、これをお飲み。」
海斗が振り向くと、そこには先程変な建物の前で自分に怒鳴って来た謎の少年が立っていた。
彼は、丸い飴のような物を海斗に差し出した。
「毒は入っていないよ、お飲み。」
飴のような物を少年から受け取り、飲み込んだ海斗は、自分の身体が透けていない事に気づいた。
「あ・・」
「身を屈めて!」
少年はそう言うと、海斗の身体に覆い被さった。
海斗が上空を見ると、そこには顔がついた烏のようなものが飛んでいた。
「あれは?」
「ラウルの手先だ。君を捜しているんだ。」
少年はおもむろに海斗の手を掴むと、風のように何処かへと駆けていった。
辿り着いたのは、あの変な建物の前だった。
橋の両端には、白拍子のような恰好をした女達が、船から降りて来た者達を笑顔で出迎えていた。
「この橋を渡り終えるまで、息をしてはいけないよ。息をしたら、彼らに人間だと気づかれてしまう。」
海斗は少年の言う通りにしようとしたが、橋をもうすぐ渡り終えようとした時、二人の前に一匹の蛙が飛んで来た。
「翠様、何処に行っておった~!」
蛙が甲高い声で喋り出したので、海斗は思わず噴き出してしまった。
「人間だ!」
「人間がいるぞ!」
周囲が騒ぐ声を聞いた少年は舌打ちすると、海斗を喧騒の中から連れ出した。
「ねぇ、これから俺はどうすればいいの?」
「この階段の一番下に、ボイラー室がある。そこにルーファスが居るから、彼にラウルの元へ連れて行ってくれと頼むんだ。いいかい、ラウルの元へ行ったら、ここで働かせてくれとだけしか言ってはいけないよ、いいね?」
海斗が頷くと、少年は彼に優しく微笑んだ。
「良い子だ。」
「あの、あなたの名前は?」
「わたしの名は翠(あきら)だ。カイト、健闘を祈っているよ。」
(何であいつ、俺の名前を知ってるの?)
海斗は少年と別れ、ボイラー室へと向かった。
「てめぇら、サボってんじゃねぇぞ、今日は忙しいんだ、さっさと働け!」
ボイラー室の扉を開けて海斗が中へと入ると、そこには大男が濁声で石炭を運ぶ小さい黒い者達に向かって怒鳴っていた。
「あのう・・」
「あぁ、何だ坊主?人手なら足りてるぜ、他を当たんな!」
「ラウルの元へは、どうすれば行けますか?」
「タダで教えてやれる程、俺達は暇じゃねぇんだ!」
「じゃぁ、どうすれば・・」
「そこの石炭をボイラーに放り込め、話しはそれからだ!」
ルーファスの濁声に怯えた海斗は、足元に転がっていた石炭をボイラーの中に放り投げた。
すると、彼の足元に蠢いていた黒い塊が、自分達が運んでいた石炭を海斗の足元に次々と持って来た。
「こらあ、サボるんじゃねえ!お前も、人の仕事を取るんじゃねぇ!」
ルーファスからそう責められ、海斗が涙ぐんでいると、ボイラー室の壁が突然開いて一人の青年がやって来た。
「ルーファス、どうした?」
「おかしらぁ、聞いてくだせぇ、このガキが・・」
「あぁ、こいつは上でさっき騒いでいた子か、人間の子が来たって。」
青年は美しく澄んだ蒼い瞳で海斗を見ると、悪戯っぽい笑みを口元に浮かべた。
「ルーファス、こいつは俺に任せて、仕事に戻れ。」
「いいんですかい?」
「いいも何も、俺は丁度こいつを捜していたんだ。お前、名前は?俺はジェフ。」
「俺は海斗。」
「じゃぁカイト、俺について来い。ラウルの元へ案内してやる。」
謎の青年に連れられ、海斗はラウルの元へと向かった。
「ラウルって、何者なの?」
「この湯屋を取り仕切っている奴だ。会えばわかるさ。」
ラウルの部屋へと向かうエレベーターの前で青年と別れ、海斗はラウルの部屋の前に立った。
ドアノッカーをよく見ると、それは蛇の形をしていた。
ノッカーでドアを叩くと、ドアは静かに開いた。
「さぁ、おいで。」
奥から声が聞こえたかと思うと、海斗は急に何者かに引き寄せられるかのように闇の中へと吸い込まれていった。
「うわあ!」
「うるさいね、大きな声を出すんじゃないよ。」
パチパチと薪が燃える暖炉の前へと放り出された海斗は、机の前に座っている一人の女と目が合った。
女は華奢な身体を漆黒のドレスに身を包み、淡褐色の瞳で海斗を見ると、細い指先を彼の唇へと向けた。
すると、海斗は急に喋れなくなった。
「まったく、お前の家族はとんでもないことをしてくれたねぇ。お客様にお出しする料理を豚のように貪り食って!まぁ、今から太らせておいた方がいいね。」
女は冷たく海斗を見下ろすと、彼の口に掛けていた魔法を解いた。
「さぁ、教えておくれ。お前をここまで連れて来たのは誰だ?」
「ここで働かせて下さい!」
「お黙り!」
「ここで働きたいんです!」
「黙れ!」
女―ラウルの結っていた淡褐色の髪がバラバラと解けたかと思うと、それはまるで蛇のように海斗の身体に巻き付いた。
「お前は、家族よりも頭が良いと思っていたけれど・・わたしが思っていたよりもずぅっと頭が悪いようだねぇ?まぁいい、お前には一生きつくて辛い仕事をさせてやろうかねぇ?」
海斗が泣きそうになっていた時、部屋の向こうから大きな音が聞こえて来た。
その直後、2メートル程ある大男が部屋に現れた。
「へ、変態だ~!」
海斗は、大男が“坊”とだけ書かれた赤い布一枚しか着ていない事に気づき、思わずそう叫んでしまった。
「うるさい、騒ぐんじゃないよ。ヤン、一体どうしたんだい?」
「寒い・・」
「後で部屋に暖房を入れてあげるから、出ておゆき。あ~あ、調子が狂って困るよ。」
ラウルは机の引き出しから一枚の契約書を取り出すと、それを海斗の前に放った。
「そこに名前をお書き。」
海斗が慌てて自分の名を書くと、ラウルはその契約書を自分の手元へと引き寄せた。
「ふぅん、海斗というのかい?贅沢な名だねぇ・・今日からお前の名は海だ!わかったら返事をおし、海!」
「はい・・」
ラウルは既に海斗に興味をなくしたようで、机の傍にあった呼び鈴を鳴らした。
すると、あの少年が部屋に入って来た。
「お呼びでしょうか?」
「その子を連れてお行き。」
エレベーターの中で、海斗は少年を見た。
やっぱり、彼はあの時自分を助けてくれた少年だ、間違いない。
「翠・・」
「気安くわたしの名を呼ぶな。これからはわたしの事は、“翠様”と呼べ。」
「嫌だよ、人間なんて。」
「臭いったらありゃしない。」
「ここの物を七日食べたら、臭いは消えるだろう。」
翠はそう言うと、ジェフに海斗を託すと、何処かへ行ってしまった。
「大丈夫か?顔真っ青だぜ?」
「お腹、空いた・・」
様々な事が一気に起こり過ぎてパニックを起こしていた海斗だったが、自分の身の安全が保障された今、急に腹が減って来た。
それもそうだ、最後に食事を取ったのは、英国から日本へ帰る飛行機の中で食べた機内食だけだったからだ。
「来な。」
ジェフは長い金髪を靡かせると、従業員部屋へと海斗を連れて行った。
「ぴったりだな。さてと、制服は見つかったし、後は食い物か・・」
彼は溜息を吐くと、着ていた服の懐から何かを取り出した。
それは、海斗が好きなクッキーだった。
「これは、さっきお客様のお座敷から少しくすねてきたんだ。」
「ありがとうございます。」
「明日朝早いからさっさと寝た方がいいぜ。」
そう言われても、海斗は目が冴えて暫く眠れなかったが、次第に眠りの底へと落ちていった。
「カイト。」
そっと、誰かが自分の肩を優しく揺さぶる感覚がして、海斗は薄目を開けて周囲を見渡すと、自分の前には翠が居た。
「おいで。」
彼に連れて行かれたのは、湯屋の近くにある豚小屋だった。
「お父さん、お母さん、洋明!」
豚小屋の隅で固まって眠っている豚となってしまった家族に声を掛けた海斗だったが、彼らは海斗の声に何の反応もしなかった。
「食べられちゃうの?」
「大丈夫だ、わたしがそんな事をさせない。」
翠はそう言うと、竹の紙で包んだサンドイッチを海斗に手渡した。
「お食べ、お前の為に、わたしが心を込めて作ったんだ。」
「頂きます・・」
海斗はサンドイッチを一口齧ると、堪えていた涙が一気に溢れ出した。
「今まで良く我慢したね。」
海斗は時を忘れて、翠に背中を擦られながらも大きな声で泣いた。
「また、会える?」
「お前が、そう望むのなら。」
湯屋での仕事は、海斗にとってはかなりきついものだった。
「まぁ、最初はこんなもんさ。慣れりゃ楽になるさ。」
「うん・・」
海斗がふと外の廊下を歩いていると、空に一頭の龍が美しく舞っている姿を見た。
「あれは・・」
その龍の姿を見た時、海斗の脳裏にある映像が浮かんでは消えていった。
「おい、どうした?」
「ううん、何でもない。」
昼を迎える前に、空は急に曇り始め、激しい雨が降り出した。
「あっちゃぁ、これじゃぁ客は来ねぇな。」
「商売上がったりだねぇ。」
そんな事を女達が話していると、入口の方から凄まじい悪臭が漂って来た。
「何、この臭い!」
「ひぃ、オクサレ様だぁ!」
「一体何を騒いでいるんだい?」
ラウルがそう言って従業員達をねめつけると、彼らは一斉にラウルの方へと振り向いた。
「・・海とジェフを呼んでおいで。」
「いらっしゃいませぇ・・」
海斗は全身から凄まじい悪臭を漂わせる“オクサレ様”を湯舟に案内した。
「さてと、これからどうするつもりかねぇ?」
ラウルがそう言って他の従業員達と海斗の様子を見ていると、彼は一番高価な薬湯の札を引っ張った。
「あいつ、一番高い湯を・・」
「お黙り。」
“オクサレ様”は、薬湯に頭から浸かった。
その拍子に、湯舟からコンビニのレジ袋やペットボトルなどのゴミが溢れ出て来た。
「一体どういう事だ、これは・・」
「海、このロープを使いな!」
「え?」
「この方は、“オクサレ様”ではないぞ!」
ラウルから渡されたロープを使った海斗は、それを“オクサレ様”の身体に刺さった棘のようなものに巻き付けた。
「お前達、何をしている、さっさと引っ張れ!」
従業員達が海斗達と共にロープを引っ張ると、自転車が次から次へと出て来た。
湯舟の中から、翁面のような顔がぼうっと浮かび上がって来た。
『良きかな。』
本来の姿を取り戻した川の神は、大量の砂金を空から降らしながら去って行った。
「海、良くやったね。あの方は名のある川の神だ。お前達にも褒美をやろうね。」
その日は、ラウルの大盤振る舞いで海斗達は大いに飲み食いをして楽しんだ。
(翠、何処に行っちゃったのかなぁ?)
海斗は暮れなずむ空を見つめて翠の事を想いながら、川の神から貰った団子を一口齧った。
苦い味が広がり、海斗は慌てて吐き出した。
海斗が湯屋に来てから、一月が過ぎた。
その間、彼は一度も翠の姿を見ていなかった。
「どうした、カイ?」
「翠、どうしちゃったのかな?」
「あいつは、ラウルに頼まれて出掛けているとか聞いたぜ。」
「ふぅん・・」
仕事が終わり、海斗が廊下から空を眺めていると、何か白い物がこちらへ向かっている事に気づいた。
(あれは・・)
海斗が目を凝らしてその白い物をよく見ると、それは間違いなくあの白い龍だった。
そしてその龍に、何かがまとわりついていた。
(鳥じゃない・・)
やがて龍はこちらへとやって来た。
その全身は傷だらけで、鳥のように見えたものは、白い人型の紙だった。
「翠・・」
海斗の声に反応して、龍は苦しそうに息を吐いた、
その口から、鮮血が滴った。
「大丈夫、怪我しているの?ねぇ・・」
龍はピンと耳を立てた後、ラウルの部屋へと向かっていった。
(どうしよう・・)
海斗は外の排水管を辿り、ラウルの部屋らしき所へと入った。
すると、そこは子供のおもちゃ等が雑然と並んでいる子供部屋だった。
「まったく、とんだ事をしてくれたよ。お前達、そいつを捨てておいで。」
ラウルの声が聞こえて来る事に気づいた海斗は、慌ててクッションの中へと潜った。
「こんな所に居たのかい、ヤン。」
「俺はいつになったらまともな服を着られるようになるんだ?」
「後少しだよ、我慢おし。」
ラウルはそう言ってヤンに口づけると、子供部屋から出て行った。
(行ったか・・)
「おい坊主、俺とお遊びしろ。」
「いやいやいや、そんな格好で言われても・・」
「俺は好きでこんな恰好をしているんじゃない。ラウルが嫌がらせで着せているだけだ。」
ヤンはそう言うと、尻を掻いた。
「翠!」
暖炉の前に、血塗れの龍は倒れていた。
「俺だよ、海斗だよ、わかる?」
そう必死に龍に呼び掛ける海斗の背後に、金色の蛇が忍び寄った。
蛇はとぐろを巻いたかと思うと、その鋭い牙を剥いて海斗に襲い掛かって来た。
「来るな、来るな~!」
龍は微かに呻き、静かに暖炉の中へと落ちていった。
「翠、駄目・・」
海斗は、龍と共に奈落の底へと落ちていった。
その頃、湯屋には黒い異形の化け物が現れ、大量の砂金を従業員達にばら撒いていた。
「いらっしゃいませ、お客様。」
「海だ、海を呼べ!」
作者様・出版社様は一切関係ありません。
何で、こんな事になったんだろう。
東郷海斗は、車の後部座席で退屈そうに次々と流れていく風景を見ながら、何度目かの溜息を吐いた。
「海斗、溜息を吐いたら幸せが逃げるわよ。」
「わかっているよ・・」
「ねぇママ、ロンドンに帰りたいよ。」
「しょうがないでしょう、パパのお仕事の都合で、こっちの支社に転勤になったんだから。」
海斗の父親・東郷洋介に三舛商事ロンドン支社勤務から、日本のある地方支社への転勤が決まったのは、コロナ禍で業績が悪化した所為だった。
それまで英国で育ち、その首都ロンドンで長年暮らして来た洋明にとって、海と山しかないド田舎に住むなんて、まるでサハラ砂漠のど真ん中で置き去りにされるに等しいものだった。
文句を言いながらロンドンのヒースロー空港で購入したスナック菓子に片手を突っ込み、絶え間なく口を動かしながらその中身を食べる次男を車の助手席から窘めていた友恵も、彼と同じ気持ちらしい。
(今更日本で暮らせって言われてもな・・まるで浦島太郎になった気分だよ。)
小学校入学前からイングランドで暮らして来た海斗にとって、祖国である日本は「異国」そのものだった。
せめて東京か大阪などの大都市に住むのだったらいいのだが、名前も知らない地方の町に住むなんて、最初から詰んでいるとしか思えない。
「海斗、これから通う高校は電車で片道二時間くらいかかるけれど、大丈夫?」
「まぁ、なんとかね・・」
それまで全寮制の寄宿学校に籍を置いてた海斗だったが、これからは電車で片道二時間もかかる距離にある公立高校へ通う事になっている。
自分だけでもイングランドで暮らせないかと海斗は一度、洋介に交渉したが、彼は海斗の言葉に首を横に振り、こう言っただけだった。
「これはもう決まった事なんだ。それにお前はまだ未成年だ。」
早く大人になりたい―親の庇護下・管理下で己の全てを決められる人生から、海斗は早く抜け出したくて堪らなかった。
そんな彼の思いが天に通じたのかどうかわからないが、東郷一家は引っ越し先の家―高台で町を一望できる家がある高級住宅地へと入る道を洋介が間違え、見知らぬ廃神社らしき前へと来てしまった。
「ねぇママ、あれ何?」
「祠、神様のお家よ。それにしても、不気味な所ねぇ。」
「お腹空いたよ、ママぁ。」
「そうだな、早く何処か店で食べよう。」
洋介がそう言って車のエンジンを掛けようとしたが、車はうんともすんとも言わなかった。
どうやらエンストしたらしい。
洋介はすぐさま持っていたスマートフォンで自動車修理サービスの番号へと掛けようとしたが、その画面に表示されているのは「圏外」という絶望の代名詞そのものだった。
「ねぇママ、あそこにトンネルがあるよ。」
「あらぁ、そうね。」
「ここでじっとしても仕方が無いから、行ってみるか。」
海斗達は車から降りて、廃神社の祠の向こう―朱色のトンネルの中へと入った。
トンネルを抜けると、爽やかな風が吹いていて、サワサワと時折夏草が揺れていた。
「気持ち良いわね。」
彼らが草原を抜けると、そこにはカラフルな建物が建ち並んだ小さな町があった。
「ここは恐らく、バブル期に作られたテーマパークか何かの廃墟だろう。おい洋明、何処へ行くんだ!?」
「パパ、ママ、ここに食べ物があるよ!」
洋明が爛々と目を輝かせながら向かった先には、彼が好きそうなハンバーガーやピザ、フライドポテトが軒先に並んでいる一軒のレストランがあった。
「美味しい、生き返るわねぇ!」
普段ジャンクフードを嫌い、食べる事はおろか、テレビで大手ファストフードチェーン店のCMを観るのも嫌がっていた友恵は空腹には勝てなかったのが、恥も外聞もなくピザに勢いよくかぶりついた。
「勝手に食べていいの?」
「いいのよ、カード持っているんだから。海斗も食べなさいよ。」
「いや、俺はいい。」
これまで隣でスナック菓子を豚のように貪り食っている弟の姿を見て来た海斗は食欲が全く湧かず、レストランに三人を残して周囲を散策する事にした。
まるで時代劇のセットのような朱色の橋を渡った先には、昔時代劇で観た吉原遊郭の街並みが一体化したような建物があった。
(何だ、ここ?)
そう思いながら海斗が暖簾の中を覗き込もうとした時、彼は突然何者かによって腕を強く掴まれた。
痛さに顔を顰めながら海斗が背後を振り向くと、そこには水干姿の一人の少年が立っていた。
艶やかな漆黒の髪をポニーテールにした彼は、美しい翠の瞳をカッと見開いた後、海斗にむかってこう叫んだ。
「ここへ来てはいけない!」
「え?」
「まだ間に合う、日没までにここへ来る前の場所まで戻れ!」
(何だ、あいつ!)
初対面だというのに少年は居丈高な口調でそう叫んで海斗の背を乱暴に押した。
海斗がむかむかしながら両親と弟が居る店へと戻ると、そこに彼らの姿はなく、居たのは彼らの服を着た醜い豚だった。
「お父さん、お母さん、洋明、早くここから逃げないと!」
海斗が家族と思しき豚の背中を揺すると、彼らは海斗に向かってぶぅと鳴き、鼻先でフライドポテトの残りを突いていた。
すると、ハエたたきのようなものが店の奥から出て来ると、豚達を何者かが打ち据えた。
海斗が目を凝らして奥の方を見ると、そこには黒い影のようなものがあった。
海斗は悲鳴を上げて、店から飛び出していった。
すると、店の周辺から黒い影が次々と出て来た。
“おいで”
“おいでよ~”
夢中になって海斗が草原へと向かったが、そこには来た時にはなかった川があった。
そして、向こうから船が徐々にこちらへとやって来るのが見えた。
船から降りて来たのは、様々な姿形をした者達が出て来た。
(これは夢だ・・)
目を閉じてそう自分に言い聞かせた海斗だったが、彼は間もなく己の身体に起きている異変に気づいた。
「透けている!?」
自分の全身が、まるで幽霊のように透けてしまっている。
パニックになった海斗が叫んでいると、誰かが彼の肩を優しく叩いた。
「大丈夫、これをお飲み。」
海斗が振り向くと、そこには先程変な建物の前で自分に怒鳴って来た謎の少年が立っていた。
彼は、丸い飴のような物を海斗に差し出した。
「毒は入っていないよ、お飲み。」
飴のような物を少年から受け取り、飲み込んだ海斗は、自分の身体が透けていない事に気づいた。
「あ・・」
「身を屈めて!」
少年はそう言うと、海斗の身体に覆い被さった。
海斗が上空を見ると、そこには顔がついた烏のようなものが飛んでいた。
「あれは?」
「ラウルの手先だ。君を捜しているんだ。」
少年はおもむろに海斗の手を掴むと、風のように何処かへと駆けていった。
辿り着いたのは、あの変な建物の前だった。
橋の両端には、白拍子のような恰好をした女達が、船から降りて来た者達を笑顔で出迎えていた。
「この橋を渡り終えるまで、息をしてはいけないよ。息をしたら、彼らに人間だと気づかれてしまう。」
海斗は少年の言う通りにしようとしたが、橋をもうすぐ渡り終えようとした時、二人の前に一匹の蛙が飛んで来た。
「翠様、何処に行っておった~!」
蛙が甲高い声で喋り出したので、海斗は思わず噴き出してしまった。
「人間だ!」
「人間がいるぞ!」
周囲が騒ぐ声を聞いた少年は舌打ちすると、海斗を喧騒の中から連れ出した。
「ねぇ、これから俺はどうすればいいの?」
「この階段の一番下に、ボイラー室がある。そこにルーファスが居るから、彼にラウルの元へ連れて行ってくれと頼むんだ。いいかい、ラウルの元へ行ったら、ここで働かせてくれとだけしか言ってはいけないよ、いいね?」
海斗が頷くと、少年は彼に優しく微笑んだ。
「良い子だ。」
「あの、あなたの名前は?」
「わたしの名は翠(あきら)だ。カイト、健闘を祈っているよ。」
(何であいつ、俺の名前を知ってるの?)
海斗は少年と別れ、ボイラー室へと向かった。
「てめぇら、サボってんじゃねぇぞ、今日は忙しいんだ、さっさと働け!」
ボイラー室の扉を開けて海斗が中へと入ると、そこには大男が濁声で石炭を運ぶ小さい黒い者達に向かって怒鳴っていた。
「あのう・・」
「あぁ、何だ坊主?人手なら足りてるぜ、他を当たんな!」
「ラウルの元へは、どうすれば行けますか?」
「タダで教えてやれる程、俺達は暇じゃねぇんだ!」
「じゃぁ、どうすれば・・」
「そこの石炭をボイラーに放り込め、話しはそれからだ!」
ルーファスの濁声に怯えた海斗は、足元に転がっていた石炭をボイラーの中に放り投げた。
すると、彼の足元に蠢いていた黒い塊が、自分達が運んでいた石炭を海斗の足元に次々と持って来た。
「こらあ、サボるんじゃねえ!お前も、人の仕事を取るんじゃねぇ!」
ルーファスからそう責められ、海斗が涙ぐんでいると、ボイラー室の壁が突然開いて一人の青年がやって来た。
「ルーファス、どうした?」
「おかしらぁ、聞いてくだせぇ、このガキが・・」
「あぁ、こいつは上でさっき騒いでいた子か、人間の子が来たって。」
青年は美しく澄んだ蒼い瞳で海斗を見ると、悪戯っぽい笑みを口元に浮かべた。
「ルーファス、こいつは俺に任せて、仕事に戻れ。」
「いいんですかい?」
「いいも何も、俺は丁度こいつを捜していたんだ。お前、名前は?俺はジェフ。」
「俺は海斗。」
「じゃぁカイト、俺について来い。ラウルの元へ案内してやる。」
謎の青年に連れられ、海斗はラウルの元へと向かった。
「ラウルって、何者なの?」
「この湯屋を取り仕切っている奴だ。会えばわかるさ。」
ラウルの部屋へと向かうエレベーターの前で青年と別れ、海斗はラウルの部屋の前に立った。
ドアノッカーをよく見ると、それは蛇の形をしていた。
ノッカーでドアを叩くと、ドアは静かに開いた。
「さぁ、おいで。」
奥から声が聞こえたかと思うと、海斗は急に何者かに引き寄せられるかのように闇の中へと吸い込まれていった。
「うわあ!」
「うるさいね、大きな声を出すんじゃないよ。」
パチパチと薪が燃える暖炉の前へと放り出された海斗は、机の前に座っている一人の女と目が合った。
女は華奢な身体を漆黒のドレスに身を包み、淡褐色の瞳で海斗を見ると、細い指先を彼の唇へと向けた。
すると、海斗は急に喋れなくなった。
「まったく、お前の家族はとんでもないことをしてくれたねぇ。お客様にお出しする料理を豚のように貪り食って!まぁ、今から太らせておいた方がいいね。」
女は冷たく海斗を見下ろすと、彼の口に掛けていた魔法を解いた。
「さぁ、教えておくれ。お前をここまで連れて来たのは誰だ?」
「ここで働かせて下さい!」
「お黙り!」
「ここで働きたいんです!」
「黙れ!」
女―ラウルの結っていた淡褐色の髪がバラバラと解けたかと思うと、それはまるで蛇のように海斗の身体に巻き付いた。
「お前は、家族よりも頭が良いと思っていたけれど・・わたしが思っていたよりもずぅっと頭が悪いようだねぇ?まぁいい、お前には一生きつくて辛い仕事をさせてやろうかねぇ?」
海斗が泣きそうになっていた時、部屋の向こうから大きな音が聞こえて来た。
その直後、2メートル程ある大男が部屋に現れた。
「へ、変態だ~!」
海斗は、大男が“坊”とだけ書かれた赤い布一枚しか着ていない事に気づき、思わずそう叫んでしまった。
「うるさい、騒ぐんじゃないよ。ヤン、一体どうしたんだい?」
「寒い・・」
「後で部屋に暖房を入れてあげるから、出ておゆき。あ~あ、調子が狂って困るよ。」
ラウルは机の引き出しから一枚の契約書を取り出すと、それを海斗の前に放った。
「そこに名前をお書き。」
海斗が慌てて自分の名を書くと、ラウルはその契約書を自分の手元へと引き寄せた。
「ふぅん、海斗というのかい?贅沢な名だねぇ・・今日からお前の名は海だ!わかったら返事をおし、海!」
「はい・・」
ラウルは既に海斗に興味をなくしたようで、机の傍にあった呼び鈴を鳴らした。
すると、あの少年が部屋に入って来た。
「お呼びでしょうか?」
「その子を連れてお行き。」
エレベーターの中で、海斗は少年を見た。
やっぱり、彼はあの時自分を助けてくれた少年だ、間違いない。
「翠・・」
「気安くわたしの名を呼ぶな。これからはわたしの事は、“翠様”と呼べ。」
「嫌だよ、人間なんて。」
「臭いったらありゃしない。」
「ここの物を七日食べたら、臭いは消えるだろう。」
翠はそう言うと、ジェフに海斗を託すと、何処かへ行ってしまった。
「大丈夫か?顔真っ青だぜ?」
「お腹、空いた・・」
様々な事が一気に起こり過ぎてパニックを起こしていた海斗だったが、自分の身の安全が保障された今、急に腹が減って来た。
それもそうだ、最後に食事を取ったのは、英国から日本へ帰る飛行機の中で食べた機内食だけだったからだ。
「来な。」
ジェフは長い金髪を靡かせると、従業員部屋へと海斗を連れて行った。
「ぴったりだな。さてと、制服は見つかったし、後は食い物か・・」
彼は溜息を吐くと、着ていた服の懐から何かを取り出した。
それは、海斗が好きなクッキーだった。
「これは、さっきお客様のお座敷から少しくすねてきたんだ。」
「ありがとうございます。」
「明日朝早いからさっさと寝た方がいいぜ。」
そう言われても、海斗は目が冴えて暫く眠れなかったが、次第に眠りの底へと落ちていった。
「カイト。」
そっと、誰かが自分の肩を優しく揺さぶる感覚がして、海斗は薄目を開けて周囲を見渡すと、自分の前には翠が居た。
「おいで。」
彼に連れて行かれたのは、湯屋の近くにある豚小屋だった。
「お父さん、お母さん、洋明!」
豚小屋の隅で固まって眠っている豚となってしまった家族に声を掛けた海斗だったが、彼らは海斗の声に何の反応もしなかった。
「食べられちゃうの?」
「大丈夫だ、わたしがそんな事をさせない。」
翠はそう言うと、竹の紙で包んだサンドイッチを海斗に手渡した。
「お食べ、お前の為に、わたしが心を込めて作ったんだ。」
「頂きます・・」
海斗はサンドイッチを一口齧ると、堪えていた涙が一気に溢れ出した。
「今まで良く我慢したね。」
海斗は時を忘れて、翠に背中を擦られながらも大きな声で泣いた。
「また、会える?」
「お前が、そう望むのなら。」
湯屋での仕事は、海斗にとってはかなりきついものだった。
「まぁ、最初はこんなもんさ。慣れりゃ楽になるさ。」
「うん・・」
海斗がふと外の廊下を歩いていると、空に一頭の龍が美しく舞っている姿を見た。
「あれは・・」
その龍の姿を見た時、海斗の脳裏にある映像が浮かんでは消えていった。
「おい、どうした?」
「ううん、何でもない。」
昼を迎える前に、空は急に曇り始め、激しい雨が降り出した。
「あっちゃぁ、これじゃぁ客は来ねぇな。」
「商売上がったりだねぇ。」
そんな事を女達が話していると、入口の方から凄まじい悪臭が漂って来た。
「何、この臭い!」
「ひぃ、オクサレ様だぁ!」
「一体何を騒いでいるんだい?」
ラウルがそう言って従業員達をねめつけると、彼らは一斉にラウルの方へと振り向いた。
「・・海とジェフを呼んでおいで。」
「いらっしゃいませぇ・・」
海斗は全身から凄まじい悪臭を漂わせる“オクサレ様”を湯舟に案内した。
「さてと、これからどうするつもりかねぇ?」
ラウルがそう言って他の従業員達と海斗の様子を見ていると、彼は一番高価な薬湯の札を引っ張った。
「あいつ、一番高い湯を・・」
「お黙り。」
“オクサレ様”は、薬湯に頭から浸かった。
その拍子に、湯舟からコンビニのレジ袋やペットボトルなどのゴミが溢れ出て来た。
「一体どういう事だ、これは・・」
「海、このロープを使いな!」
「え?」
「この方は、“オクサレ様”ではないぞ!」
ラウルから渡されたロープを使った海斗は、それを“オクサレ様”の身体に刺さった棘のようなものに巻き付けた。
「お前達、何をしている、さっさと引っ張れ!」
従業員達が海斗達と共にロープを引っ張ると、自転車が次から次へと出て来た。
湯舟の中から、翁面のような顔がぼうっと浮かび上がって来た。
『良きかな。』
本来の姿を取り戻した川の神は、大量の砂金を空から降らしながら去って行った。
「海、良くやったね。あの方は名のある川の神だ。お前達にも褒美をやろうね。」
その日は、ラウルの大盤振る舞いで海斗達は大いに飲み食いをして楽しんだ。
(翠、何処に行っちゃったのかなぁ?)
海斗は暮れなずむ空を見つめて翠の事を想いながら、川の神から貰った団子を一口齧った。
苦い味が広がり、海斗は慌てて吐き出した。
海斗が湯屋に来てから、一月が過ぎた。
その間、彼は一度も翠の姿を見ていなかった。
「どうした、カイ?」
「翠、どうしちゃったのかな?」
「あいつは、ラウルに頼まれて出掛けているとか聞いたぜ。」
「ふぅん・・」
仕事が終わり、海斗が廊下から空を眺めていると、何か白い物がこちらへ向かっている事に気づいた。
(あれは・・)
海斗が目を凝らしてその白い物をよく見ると、それは間違いなくあの白い龍だった。
そしてその龍に、何かがまとわりついていた。
(鳥じゃない・・)
やがて龍はこちらへとやって来た。
その全身は傷だらけで、鳥のように見えたものは、白い人型の紙だった。
「翠・・」
海斗の声に反応して、龍は苦しそうに息を吐いた、
その口から、鮮血が滴った。
「大丈夫、怪我しているの?ねぇ・・」
龍はピンと耳を立てた後、ラウルの部屋へと向かっていった。
(どうしよう・・)
海斗は外の排水管を辿り、ラウルの部屋らしき所へと入った。
すると、そこは子供のおもちゃ等が雑然と並んでいる子供部屋だった。
「まったく、とんだ事をしてくれたよ。お前達、そいつを捨てておいで。」
ラウルの声が聞こえて来る事に気づいた海斗は、慌ててクッションの中へと潜った。
「こんな所に居たのかい、ヤン。」
「俺はいつになったらまともな服を着られるようになるんだ?」
「後少しだよ、我慢おし。」
ラウルはそう言ってヤンに口づけると、子供部屋から出て行った。
(行ったか・・)
「おい坊主、俺とお遊びしろ。」
「いやいやいや、そんな格好で言われても・・」
「俺は好きでこんな恰好をしているんじゃない。ラウルが嫌がらせで着せているだけだ。」
ヤンはそう言うと、尻を掻いた。
「翠!」
暖炉の前に、血塗れの龍は倒れていた。
「俺だよ、海斗だよ、わかる?」
そう必死に龍に呼び掛ける海斗の背後に、金色の蛇が忍び寄った。
蛇はとぐろを巻いたかと思うと、その鋭い牙を剥いて海斗に襲い掛かって来た。
「来るな、来るな~!」
龍は微かに呻き、静かに暖炉の中へと落ちていった。
「翠、駄目・・」
海斗は、龍と共に奈落の底へと落ちていった。
その頃、湯屋には黒い異形の化け物が現れ、大量の砂金を従業員達にばら撒いていた。
「いらっしゃいませ、お客様。」
「海だ、海を呼べ!」