「薄桜鬼」の二次創作小説です。
制作会社様とは一切関係ありません。
夢小説が苦手な方はご注意ください。
雲ひとつない青空に、高らかに教会の鐘の音が鳴り響いた。
「おめでとう~!」
「末永くお幸せに~!」
白亜の教会から出て来たのは、新しい人生への第一歩を共に歩み出そうとしている新郎新婦だった。
新郎の名は、土方歳三。
新婦の名は、土方千鶴。
千鶴はその身に小さな命を宿し、来年辺りには家族が増え、笑顔に満ち溢れる生活が待っている―筈だった。
「千鶴、おい、千鶴!」
「ごめんなさい、歳三さん・・」
千鶴は歳三との愛の結晶をこの世に産み落とした後、急性クモ膜下出血でこの世を去った。
「そんな・・」
分娩室には、二人分の産声が響いていた。
5月5日―最愛の妻を喪い、自分と妻の分身が産まれた、歳三にとって人生で最悪の誕生日となった。
「ぎゃぁぁ~!」
通勤・通学ラッシュの電車内に、甲高い赤子の泣き声が響き渡り、その場に居た者達は一斉に顔を顰め、必死に赤子を泣き止ませようとしている母親に非難の視線を向けた。
“ベビーカーで電車に乗り込むなんて・・”
“タクシー使えばいいじゃんね。”
無言の、けれども心の無い言葉を感じたのか、母親は泣き喚き暴れる我が子をベビーカーに乗せ、目的地の駅とは違う駅で降りた。
何とかタクシーで目的地の病院へと向かったものの、彼女は我が子を抱いて泣きそうな顔をしながらタクシーから降りた。
「可愛い赤ちゃんですね、月齢は?」
「三ヶ月です・・」
突然タクシー運転手から話しかけられ、彼女は思わず身構えてしまった。
「そうか。いやぁ、うちの孫も同じ位の月齢でねぇ。お母さん、いつも頑張ってるね。」
「え・・」
子供が生まれてから、一度も誰かに労いの言葉を掛けられた事などなかった。
“母親ならしっかりしろ!”
“母乳が足りないのはあなたの愛情が足りないからでしょう?”
“こんな時間に、赤ちゃん連れて非常識よねぇ。”
いつも掛けられるのは、非難の言葉ばかりだった。
だから初めて労いの言葉を掛けられ、思わず彼女は涙を流してしまった。
「すいません、あの・・」
「たまには肩の力を抜いてもいいんだよ。」
タクシーの運転手は、そう言うと彼女に優しく微笑んだ。
「すいません、これ落ちましたよ。」
「ありがとうございます・・」
彼女が娘の靴を拾ってくれた男性に礼を言おうとした時、彼が抱っこ紐で一人の赤ちゃんを抱っこし、ベビーカーにもう一人の赤ちゃんを乗せている事に気づいた。
「双子ちゃんですか?」
「えぇ。妻が亡くなってから、実家に色々と助けて貰いながらこの子達を育てていますが、大変です。」
「そうなんですか・・」
「ここに来るまで、大変でしたよ。今は二人共ぐっすりと寝ていますが、バスと電車の移動する時は大泣きされて・・」
「あ~、わかります。家事をしている時に泣かれて・・」
「夜泣きが酷いと、車でドライブして帰ろうとしたら心中だと警察から聞かれて・・」
「わかります。中々泣き止まないから、双子をベビーカーに乗せて住んでいるマンションの周りを歩いていたら、誘拐犯と間違われて大変でしたよ。」
男性と話している間、彼女は少し育児中のイライラや閉塞感を忘れる事が出来た。
「土方さ~ん。」
「じゃぁ、俺はこれで。」
「えぇ、また。」
彼女が娘を連れて病院から出て帰宅すると、珍しく夫がキッチンで夕飯を作っていた。
「あ、お帰り。ごめんな、一緒に病院行けなくて。」
「ううん。珍しいね、夕飯作るなんて。」
「いつもお前に負担掛けてばかりいるからさ。いつも、頑張ってくれてありがとうな。」
「こっちこそ、いつもお仕事頑張ってくれて感謝してます。」
「これからは、俺も仕事を調整してみるよ。」
「ありがとう、その気持ちだけでも嬉しい。」
夜中に赤子の泣き声が聞こえ、歳三はのろのろとベッドから出て寝室から子供部屋へと向かった。
ベビーベッドの中で泣き叫んでいるのは、長女の千歳だった。
「父様が来たから泣くなよ。」
歳三がそう言いながら千歳をあやしていると、彼女の泣き声につられて長男の誠が泣き出した。
二人が漸く寝てくれたのは、朝の四時過ぎだった。
「あんた、酷い顔をしているわよ?」
「双子が寝てくれなくてな・・」
「あんた、そんなに根詰めていたら、倒れちゃうわよ。」
「わかってるさ・・」
そう言いながら歳三は、欠伸を噛み殺しながら兄・為次郎の部屋へと入った。
「兄貴、来たぜ。」
「トシ、済まねぇなぁ。」
為次郎は半年前、脳梗塞で倒れて寝たきりの状態になっていた。
歳三は姉・信子と二人で実家に時折通っては彼の介護をしていた。
「双子を育てながらこっちに来るのは大変だろう?来週からケアマネさんが来てくれるから、トシは双子の育児に専念しな。」
「大丈夫だよ。」
「お前が言う“大丈夫”は信用出来ねぇなぁ。」
為次郎は、そう言って笑った。
「土方課長、おはようございます。」
「おはよう。」
双子を保育園に預けて歳三が出勤すると、受付に居た女子社員が彼に声を掛けて来た。
「顔色、悪いですね?」
「あぁ・・双子を朝まで寝かしつけていたからな。」
「え~、課長お子さんいらっしゃるんですか?今度写真見せて下さいよ~」
「トシ、酷い顔をしているな!さっき仮眠室がひとつ空いたから、今の内に休んでおけ。」
「わかった、そうさせて貰う・・」
「あ、課長・・」
女子社員に背を向け、歳三はエレベーターへと乗り込んだ。
「課長、おはようございます!」
営業部のフロアがある五階から、新入社員の相馬主計が乗り込んで来た。
「相馬、仕事にはもう慣れたか?」
「はい。」
「まぁ、余り無理するなよ?」
仮眠室で少し休んだ後、歳三は溜まっていた仕事を手際良く終わらせた。
「お疲れ~」
「お疲れ様で~す!」
「ねぇ、課長っていつも定時退社しているよね?」
「あ、君新しく来た派遣さんだから知らないんだったね。課長、三ヶ月前に奥さんを亡くして男手ひとつで双子を育ててるの。それプラス、お兄さんの介護もしているから、定時退社なんだ。」
「へぇ、そうなんですか・・課長の奥さんって、確かここの総務で働いていた雪村さん?」
「そう。」
「急に課長から結婚式の招待状が来てびっくりしましたけど、出来婚とか、課長案外やりますね。」
「再婚のご予定とかは・・」
「今は、考えていないそうだ。みんな、トシの力になってやってくれ。」
「はい!」
歳三が保育園まで自転車を走らせていると、その途中で彼は歩道で一人の女性とぶつかりそうになった。
「怪我はねぇか?」
「はい・・」
千鶴と瓜二つの顔をした女性の腕に、煙草を押し付けられたかのような火傷痕がある事に歳三は気づいた。
「どうしたんだ、それ?」
「何でも、ありません・・」
女性はそう言うと、そのまま逃げるように歳三の前から立ち去った。
(一体何だったんだ?)
女性の態度に不審を抱きながらも、歳三は保育園へと向かった。
「土方さん、遅いですよ。」
「すいません・・」
「今度からは早く来てくださいね!」
(そんな事言われてもな・・)
朝四時に寝て、朝六時に起きて食事の支度をして双子を保育園に預けて、仕事を定時までして双子を迎えに行って、帰宅して家事をして・・その間、休む暇がない。
睡眠時間も、双子が大人しくしている間に少し取れれば良い方で、殆んど細切れにしか睡眠がとれない。
ミルクやおむつ替えも、一人でも大変なのに、双子だとその準備にも倍以上時間も労力もかかる。
そんな事も知らずに、平気で人を傷つけるような子を言う人達の所為で、知らぬうちに歳三の中でストレスが蓄積されていった。
「課長、今日はお休みですか?」
「あぁ。双子ちゃんが熱を出したから休むと、連絡があった。」
「そうですか・・あの、総務に雪村先輩の従妹が居ましたよね?その子も今日、休んでいるんですが・・」
「あぁ、あの子か。何やら、訳ありな事情があるらしい。」
「訳あり?」
「旦那さんの束縛が酷いらしい。」
近藤がそんなことを相馬に話している時、都内某所にあるマンションの一室では、男の怒声が響いていた。
「てめぇ、俺の事馬鹿にしてんのか!?」
「だって、それは・・」
「口答えするのか!?」
「ごめんなさい、ごめんなさい・・」
「ったく、お前の所為で飯が不味くなる!」
佐藤裕は、そう妻に吐き捨てると、そのまま玄関から外へと出て行った。
裕の妻・千里は、割れたグラタン皿をごみ袋に入れた。
千里が殴られたのは、些細な事だった。
それは、“昼食にドリアが食べたかったのに、グラタンを作ったから”というものだった。
千里は、“グラタンがいい”と言ったから、作ったのに。
溜息を吐きながら、千里は夫が散らかしたゴミを片づけ始めた。
結婚して一年、はじめは優しかった裕だが、ふとした事で怒りを爆発させ、千里に暴力を振った。
千里が不妊症だという事も、裕が千里に暴力を振う原因だった。
“お前はハズレだ!”
(わたしが、しっかりしないと・・)
千里は化粧をしようとドレッサーの前に座ったが、左頬に赤黒い痣が出来ている事に気づいて、涙を流した。
(どうして、こんな・・)
幸せになる筈だったのに、鏡に映る自分の顔は、まるで人生に疲れた老婆のようだった。
その日も、千里は仕事を休んだ。
「トシ、居るの~?」
「あぁ、今行く・・」
歳三は、フラフラとした足取りでドアを開け、姉を招き入れた。
部屋の中は、足の踏み場がない程散らかっていた。
「悪ぃ姉貴、茶も出せねぇで・・」
そう言った歳三の顔は、熱で赤くなっていた。
「双子ちゃんは?」
「総司に見て貰っている。」
「あんたも風邪、うつったんじゃないの?病院には行ったの?」
「そんな暇ねぇよ。」
「何で早く連絡してくれなかったのよ!」
「俺一人で何とか出来ると思ったんだ・・」
「こういう時に強がるんじゃないわよ!」
信子は渋る歳三を連れて病院へと連れて行くと、彼はそこで肺炎と診断され、即入院となった。
「トシ、無理は禁物だぞ?」
「そうですよ、自分だけで解決しようとしないでください。」
「済まねぇなぁ・・」
見舞いに来た近藤と総司からそう言われ、歳三は猛省した。
「なぁ勝っちゃん、うちの総務に千鶴の従妹が居るよな?」
「あぁ、佐藤さんの事か?あの子、今日も仕事を休んでいたぞ。その子がどうかしたのか?」
「そいつと、数日前に擦れ違ったんだよ。そいつ、タバコを押し付けられたような火傷痕が腕にあったんだ。そいつの旦那って、どんな奴だ?」
「束縛が強くて、いつもメールで、何処で誰といつ会って、何をしたのかを逐一報告させているそうだ。」
「へぇ・・」
「あれ、もしかしてその人の事、気になっているんですか?」
「別に・・」
「気を付けて、彼女の事を見ておこうと思ったところなんだが、家庭内の問題は外からは見えにくいからなぁ。」
「その子の事は近藤さんと相馬君に任せて、土方さんはゆっくり休んでくださいね。」
「あぁ、わかったよ・・」
歳三が肺炎で入院して数日が経ったある日、病院内のコンビニで彼が雑誌を読んでいると、あの女性を見かけた。
彼女は、右目に眼帯をつけていた。
歳三が話しかけようかどうか迷っていた時、彼女はいつの間にか姿を消していた。
「土方さん、こんな所に居たんですか?」
「総司、また来たのか?」
「これ、近藤さんから預かって来ました。」
「ありがとう。」
「双子ちゃん達は元気ですって。」
「そうか・・」
「それにしても、土方さんの会社の受付の子、土方さんの事を狙っていますよ。」
「そうか・・」
「土方さんを狙っている子、沢山居ますよ。それに、土方さんが子持ちでも気にしないっていう子、多いですよ。」
「俺は再婚しねぇ。俺が愛するのは、千鶴一人だけだ。」
「一途ですね。」
総司はそう言うと、溜息を吐いて病院を後にした。
「ただいま~」
「遅かったな、総司。」
「ごめん、はじめ君。店番任せちゃって・・」
「まぁ、今日は暇だったから良かった。」
「井吹君は?今日も遅刻?」
「いや、今日は人と会うから休むそうだ。」
「へぇ・・」
「ごめんね、呼び出しちゃって・・」
「いや、沖田や斎藤にはちゃんと連絡しているから大丈夫だ。それよりも、どうだった?」
「大丈夫だった。」
千里はそう言うと、龍之介にコーヒーとドーナツを振る舞った。
「美味ぇな。このドーナツ、うちのカフェで出してもいい位だ。」
「ありがとう。」
「今日、旦那はどうしたんだ?」
「接待ゴルフで、向こうに泊まるって。」
「そうか。」
龍之介はそう言いながらコーヒーを飲んでいると、千里の顔に赤黒い痣が出来ている事に気づいた。
「また、あいつにやられたのか?」
「わたしが悪いから・・」
「そんな風に考えるなよ!そうだ、今から逃げ出そうぜ、俺も荷造り手伝うから!」
「でも・・」
「でももクソもねぇよ!あんたこのまま、自分の人生を台無しにするのかよ!」
「・・わかった。」
千里は龍之介に手伝って貰いながら、印鑑と預金通帳、着替えや現金などが入ったリュックサックを背負って、家を出た。
「スマホは解約した方がいい。それに、暫く俺の家に居ろ。」
「わかりました・・」
千里はマンションの地下駐車場に停めていた車に龍之介と共に乗り込んでエンジンをかけていると、そこへ裕の車が入って来た。
彼は、助手席に見知らぬ女を乗せていた。
千里は彼に気づかれないよう、車を地下駐車場から出した。
「あら、千里ちゃん久しぶり。」
「すいません、暫くお世話になります。」
「事情は龍之介から聞いているわ。さ、上がって!」
玄関先で龍之介と千里を出迎えた龍之介の母親は、二人に屈託のない笑みを浮かべた。
「これから、仕事どうしよかなぁって思っています。多分あの人の事だから、会社に来るかも。」
「一応、職場には事情を話してみたら?きっとわかってくれるわよ。」
「はい・・」
千里は龍之介と共に会社へと向かうと、そこには案の定裕が受付で警備員と揉めていた。
「早く千里を出せ!ここに隠れているのはわかっているんだ!」
「どうした、何の騒ぎだ?」
「近藤部長、この人が来て急に暴れ出して・・」
「あなたが、佐藤さんの暴力夫ですか。これ以上騒ぐのなら、警察を呼びますよ。」
「クソ!」
裕は舌打ちして受付のデスクを蹴ると、そのまま会社から出て行った。
「近藤さん・・」
「佐藤さん、大変だったね。会社にはわたしの方から事情を伝えておくから、ゆっくりと休みなさい。」
「はい・・」
千里は深々と近藤に向かって頭を下げると、龍之介と会社を後にした。
その時、彼らは歳三と入り口でぶつかった。
「すいません・・」
「千鶴!?」
「土方さん、こいつは千鶴の従妹だよ。」
「おぉトシ、来たのか?」
「あぁ、漸く退院できたからな。」
「そうか。余り無理はするなよ?」
「わかっているって。」
制作会社様とは一切関係ありません。
夢小説が苦手な方はご注意ください。
雲ひとつない青空に、高らかに教会の鐘の音が鳴り響いた。
「おめでとう~!」
「末永くお幸せに~!」
白亜の教会から出て来たのは、新しい人生への第一歩を共に歩み出そうとしている新郎新婦だった。
新郎の名は、土方歳三。
新婦の名は、土方千鶴。
千鶴はその身に小さな命を宿し、来年辺りには家族が増え、笑顔に満ち溢れる生活が待っている―筈だった。
「千鶴、おい、千鶴!」
「ごめんなさい、歳三さん・・」
千鶴は歳三との愛の結晶をこの世に産み落とした後、急性クモ膜下出血でこの世を去った。
「そんな・・」
分娩室には、二人分の産声が響いていた。
5月5日―最愛の妻を喪い、自分と妻の分身が産まれた、歳三にとって人生で最悪の誕生日となった。
「ぎゃぁぁ~!」
通勤・通学ラッシュの電車内に、甲高い赤子の泣き声が響き渡り、その場に居た者達は一斉に顔を顰め、必死に赤子を泣き止ませようとしている母親に非難の視線を向けた。
“ベビーカーで電車に乗り込むなんて・・”
“タクシー使えばいいじゃんね。”
無言の、けれども心の無い言葉を感じたのか、母親は泣き喚き暴れる我が子をベビーカーに乗せ、目的地の駅とは違う駅で降りた。
何とかタクシーで目的地の病院へと向かったものの、彼女は我が子を抱いて泣きそうな顔をしながらタクシーから降りた。
「可愛い赤ちゃんですね、月齢は?」
「三ヶ月です・・」
突然タクシー運転手から話しかけられ、彼女は思わず身構えてしまった。
「そうか。いやぁ、うちの孫も同じ位の月齢でねぇ。お母さん、いつも頑張ってるね。」
「え・・」
子供が生まれてから、一度も誰かに労いの言葉を掛けられた事などなかった。
“母親ならしっかりしろ!”
“母乳が足りないのはあなたの愛情が足りないからでしょう?”
“こんな時間に、赤ちゃん連れて非常識よねぇ。”
いつも掛けられるのは、非難の言葉ばかりだった。
だから初めて労いの言葉を掛けられ、思わず彼女は涙を流してしまった。
「すいません、あの・・」
「たまには肩の力を抜いてもいいんだよ。」
タクシーの運転手は、そう言うと彼女に優しく微笑んだ。
「すいません、これ落ちましたよ。」
「ありがとうございます・・」
彼女が娘の靴を拾ってくれた男性に礼を言おうとした時、彼が抱っこ紐で一人の赤ちゃんを抱っこし、ベビーカーにもう一人の赤ちゃんを乗せている事に気づいた。
「双子ちゃんですか?」
「えぇ。妻が亡くなってから、実家に色々と助けて貰いながらこの子達を育てていますが、大変です。」
「そうなんですか・・」
「ここに来るまで、大変でしたよ。今は二人共ぐっすりと寝ていますが、バスと電車の移動する時は大泣きされて・・」
「あ~、わかります。家事をしている時に泣かれて・・」
「夜泣きが酷いと、車でドライブして帰ろうとしたら心中だと警察から聞かれて・・」
「わかります。中々泣き止まないから、双子をベビーカーに乗せて住んでいるマンションの周りを歩いていたら、誘拐犯と間違われて大変でしたよ。」
男性と話している間、彼女は少し育児中のイライラや閉塞感を忘れる事が出来た。
「土方さ~ん。」
「じゃぁ、俺はこれで。」
「えぇ、また。」
彼女が娘を連れて病院から出て帰宅すると、珍しく夫がキッチンで夕飯を作っていた。
「あ、お帰り。ごめんな、一緒に病院行けなくて。」
「ううん。珍しいね、夕飯作るなんて。」
「いつもお前に負担掛けてばかりいるからさ。いつも、頑張ってくれてありがとうな。」
「こっちこそ、いつもお仕事頑張ってくれて感謝してます。」
「これからは、俺も仕事を調整してみるよ。」
「ありがとう、その気持ちだけでも嬉しい。」
夜中に赤子の泣き声が聞こえ、歳三はのろのろとベッドから出て寝室から子供部屋へと向かった。
ベビーベッドの中で泣き叫んでいるのは、長女の千歳だった。
「父様が来たから泣くなよ。」
歳三がそう言いながら千歳をあやしていると、彼女の泣き声につられて長男の誠が泣き出した。
二人が漸く寝てくれたのは、朝の四時過ぎだった。
「あんた、酷い顔をしているわよ?」
「双子が寝てくれなくてな・・」
「あんた、そんなに根詰めていたら、倒れちゃうわよ。」
「わかってるさ・・」
そう言いながら歳三は、欠伸を噛み殺しながら兄・為次郎の部屋へと入った。
「兄貴、来たぜ。」
「トシ、済まねぇなぁ。」
為次郎は半年前、脳梗塞で倒れて寝たきりの状態になっていた。
歳三は姉・信子と二人で実家に時折通っては彼の介護をしていた。
「双子を育てながらこっちに来るのは大変だろう?来週からケアマネさんが来てくれるから、トシは双子の育児に専念しな。」
「大丈夫だよ。」
「お前が言う“大丈夫”は信用出来ねぇなぁ。」
為次郎は、そう言って笑った。
「土方課長、おはようございます。」
「おはよう。」
双子を保育園に預けて歳三が出勤すると、受付に居た女子社員が彼に声を掛けて来た。
「顔色、悪いですね?」
「あぁ・・双子を朝まで寝かしつけていたからな。」
「え~、課長お子さんいらっしゃるんですか?今度写真見せて下さいよ~」
「トシ、酷い顔をしているな!さっき仮眠室がひとつ空いたから、今の内に休んでおけ。」
「わかった、そうさせて貰う・・」
「あ、課長・・」
女子社員に背を向け、歳三はエレベーターへと乗り込んだ。
「課長、おはようございます!」
営業部のフロアがある五階から、新入社員の相馬主計が乗り込んで来た。
「相馬、仕事にはもう慣れたか?」
「はい。」
「まぁ、余り無理するなよ?」
仮眠室で少し休んだ後、歳三は溜まっていた仕事を手際良く終わらせた。
「お疲れ~」
「お疲れ様で~す!」
「ねぇ、課長っていつも定時退社しているよね?」
「あ、君新しく来た派遣さんだから知らないんだったね。課長、三ヶ月前に奥さんを亡くして男手ひとつで双子を育ててるの。それプラス、お兄さんの介護もしているから、定時退社なんだ。」
「へぇ、そうなんですか・・課長の奥さんって、確かここの総務で働いていた雪村さん?」
「そう。」
「急に課長から結婚式の招待状が来てびっくりしましたけど、出来婚とか、課長案外やりますね。」
「再婚のご予定とかは・・」
「今は、考えていないそうだ。みんな、トシの力になってやってくれ。」
「はい!」
歳三が保育園まで自転車を走らせていると、その途中で彼は歩道で一人の女性とぶつかりそうになった。
「怪我はねぇか?」
「はい・・」
千鶴と瓜二つの顔をした女性の腕に、煙草を押し付けられたかのような火傷痕がある事に歳三は気づいた。
「どうしたんだ、それ?」
「何でも、ありません・・」
女性はそう言うと、そのまま逃げるように歳三の前から立ち去った。
(一体何だったんだ?)
女性の態度に不審を抱きながらも、歳三は保育園へと向かった。
「土方さん、遅いですよ。」
「すいません・・」
「今度からは早く来てくださいね!」
(そんな事言われてもな・・)
朝四時に寝て、朝六時に起きて食事の支度をして双子を保育園に預けて、仕事を定時までして双子を迎えに行って、帰宅して家事をして・・その間、休む暇がない。
睡眠時間も、双子が大人しくしている間に少し取れれば良い方で、殆んど細切れにしか睡眠がとれない。
ミルクやおむつ替えも、一人でも大変なのに、双子だとその準備にも倍以上時間も労力もかかる。
そんな事も知らずに、平気で人を傷つけるような子を言う人達の所為で、知らぬうちに歳三の中でストレスが蓄積されていった。
「課長、今日はお休みですか?」
「あぁ。双子ちゃんが熱を出したから休むと、連絡があった。」
「そうですか・・あの、総務に雪村先輩の従妹が居ましたよね?その子も今日、休んでいるんですが・・」
「あぁ、あの子か。何やら、訳ありな事情があるらしい。」
「訳あり?」
「旦那さんの束縛が酷いらしい。」
近藤がそんなことを相馬に話している時、都内某所にあるマンションの一室では、男の怒声が響いていた。
「てめぇ、俺の事馬鹿にしてんのか!?」
「だって、それは・・」
「口答えするのか!?」
「ごめんなさい、ごめんなさい・・」
「ったく、お前の所為で飯が不味くなる!」
佐藤裕は、そう妻に吐き捨てると、そのまま玄関から外へと出て行った。
裕の妻・千里は、割れたグラタン皿をごみ袋に入れた。
千里が殴られたのは、些細な事だった。
それは、“昼食にドリアが食べたかったのに、グラタンを作ったから”というものだった。
千里は、“グラタンがいい”と言ったから、作ったのに。
溜息を吐きながら、千里は夫が散らかしたゴミを片づけ始めた。
結婚して一年、はじめは優しかった裕だが、ふとした事で怒りを爆発させ、千里に暴力を振った。
千里が不妊症だという事も、裕が千里に暴力を振う原因だった。
“お前はハズレだ!”
(わたしが、しっかりしないと・・)
千里は化粧をしようとドレッサーの前に座ったが、左頬に赤黒い痣が出来ている事に気づいて、涙を流した。
(どうして、こんな・・)
幸せになる筈だったのに、鏡に映る自分の顔は、まるで人生に疲れた老婆のようだった。
その日も、千里は仕事を休んだ。
「トシ、居るの~?」
「あぁ、今行く・・」
歳三は、フラフラとした足取りでドアを開け、姉を招き入れた。
部屋の中は、足の踏み場がない程散らかっていた。
「悪ぃ姉貴、茶も出せねぇで・・」
そう言った歳三の顔は、熱で赤くなっていた。
「双子ちゃんは?」
「総司に見て貰っている。」
「あんたも風邪、うつったんじゃないの?病院には行ったの?」
「そんな暇ねぇよ。」
「何で早く連絡してくれなかったのよ!」
「俺一人で何とか出来ると思ったんだ・・」
「こういう時に強がるんじゃないわよ!」
信子は渋る歳三を連れて病院へと連れて行くと、彼はそこで肺炎と診断され、即入院となった。
「トシ、無理は禁物だぞ?」
「そうですよ、自分だけで解決しようとしないでください。」
「済まねぇなぁ・・」
見舞いに来た近藤と総司からそう言われ、歳三は猛省した。
「なぁ勝っちゃん、うちの総務に千鶴の従妹が居るよな?」
「あぁ、佐藤さんの事か?あの子、今日も仕事を休んでいたぞ。その子がどうかしたのか?」
「そいつと、数日前に擦れ違ったんだよ。そいつ、タバコを押し付けられたような火傷痕が腕にあったんだ。そいつの旦那って、どんな奴だ?」
「束縛が強くて、いつもメールで、何処で誰といつ会って、何をしたのかを逐一報告させているそうだ。」
「へぇ・・」
「あれ、もしかしてその人の事、気になっているんですか?」
「別に・・」
「気を付けて、彼女の事を見ておこうと思ったところなんだが、家庭内の問題は外からは見えにくいからなぁ。」
「その子の事は近藤さんと相馬君に任せて、土方さんはゆっくり休んでくださいね。」
「あぁ、わかったよ・・」
歳三が肺炎で入院して数日が経ったある日、病院内のコンビニで彼が雑誌を読んでいると、あの女性を見かけた。
彼女は、右目に眼帯をつけていた。
歳三が話しかけようかどうか迷っていた時、彼女はいつの間にか姿を消していた。
「土方さん、こんな所に居たんですか?」
「総司、また来たのか?」
「これ、近藤さんから預かって来ました。」
「ありがとう。」
「双子ちゃん達は元気ですって。」
「そうか・・」
「それにしても、土方さんの会社の受付の子、土方さんの事を狙っていますよ。」
「そうか・・」
「土方さんを狙っている子、沢山居ますよ。それに、土方さんが子持ちでも気にしないっていう子、多いですよ。」
「俺は再婚しねぇ。俺が愛するのは、千鶴一人だけだ。」
「一途ですね。」
総司はそう言うと、溜息を吐いて病院を後にした。
「ただいま~」
「遅かったな、総司。」
「ごめん、はじめ君。店番任せちゃって・・」
「まぁ、今日は暇だったから良かった。」
「井吹君は?今日も遅刻?」
「いや、今日は人と会うから休むそうだ。」
「へぇ・・」
「ごめんね、呼び出しちゃって・・」
「いや、沖田や斎藤にはちゃんと連絡しているから大丈夫だ。それよりも、どうだった?」
「大丈夫だった。」
千里はそう言うと、龍之介にコーヒーとドーナツを振る舞った。
「美味ぇな。このドーナツ、うちのカフェで出してもいい位だ。」
「ありがとう。」
「今日、旦那はどうしたんだ?」
「接待ゴルフで、向こうに泊まるって。」
「そうか。」
龍之介はそう言いながらコーヒーを飲んでいると、千里の顔に赤黒い痣が出来ている事に気づいた。
「また、あいつにやられたのか?」
「わたしが悪いから・・」
「そんな風に考えるなよ!そうだ、今から逃げ出そうぜ、俺も荷造り手伝うから!」
「でも・・」
「でももクソもねぇよ!あんたこのまま、自分の人生を台無しにするのかよ!」
「・・わかった。」
千里は龍之介に手伝って貰いながら、印鑑と預金通帳、着替えや現金などが入ったリュックサックを背負って、家を出た。
「スマホは解約した方がいい。それに、暫く俺の家に居ろ。」
「わかりました・・」
千里はマンションの地下駐車場に停めていた車に龍之介と共に乗り込んでエンジンをかけていると、そこへ裕の車が入って来た。
彼は、助手席に見知らぬ女を乗せていた。
千里は彼に気づかれないよう、車を地下駐車場から出した。
「あら、千里ちゃん久しぶり。」
「すいません、暫くお世話になります。」
「事情は龍之介から聞いているわ。さ、上がって!」
玄関先で龍之介と千里を出迎えた龍之介の母親は、二人に屈託のない笑みを浮かべた。
「これから、仕事どうしよかなぁって思っています。多分あの人の事だから、会社に来るかも。」
「一応、職場には事情を話してみたら?きっとわかってくれるわよ。」
「はい・・」
千里は龍之介と共に会社へと向かうと、そこには案の定裕が受付で警備員と揉めていた。
「早く千里を出せ!ここに隠れているのはわかっているんだ!」
「どうした、何の騒ぎだ?」
「近藤部長、この人が来て急に暴れ出して・・」
「あなたが、佐藤さんの暴力夫ですか。これ以上騒ぐのなら、警察を呼びますよ。」
「クソ!」
裕は舌打ちして受付のデスクを蹴ると、そのまま会社から出て行った。
「近藤さん・・」
「佐藤さん、大変だったね。会社にはわたしの方から事情を伝えておくから、ゆっくりと休みなさい。」
「はい・・」
千里は深々と近藤に向かって頭を下げると、龍之介と会社を後にした。
その時、彼らは歳三と入り口でぶつかった。
「すいません・・」
「千鶴!?」
「土方さん、こいつは千鶴の従妹だよ。」
「おぉトシ、来たのか?」
「あぁ、漸く退院できたからな。」
「そうか。余り無理はするなよ?」
「わかっているって。」