BELOVED

好きな漫画やBL小説の二次小説を書いています。
作者様・出版社様とは一切関係ありません。

真~TRUE~緋 最終話

2024年09月27日 | 火宵の月 現代×鎌倉ファンタジーパラレル二次創作小説「真~TRUE~緋」
「火宵の月」の二次創作小説です。

作者様・出版社様・制作会社様とは一切関係ありません。

「そなたが、土御門有匡か。」
仕事を終わらせ、後宮にいる火月の元を訪ねようとした有匡は、雄仁の部下に呼ばれ、彼の部屋を訪れた。
「はい、雄仁様。」
「面を上げよ。」
有匡が顔を上げると、そこには凛々しくも雅な雰囲気を纏った青年の姿があった。
「女と見紛うごとき美貌じゃ。執権がお前を離さぬのは解る気がするのう。」
「戯言をおっしゃいますな。それで、ご用件は?」
「用は、東宮を失脚させてはくれぬか?」
「東宮様を・・ですか?」
「そうじゃ。生母の身分が高い故、あやつは無能な癖に東宮の地位を与えられておる。乳兄弟の光成が居らねば着替えも満足に出来ぬ奴が東宮など、笑止!」
雄仁はそう言うと、扇子を閉じた。
「恐れながら雄仁様、わたくしは東宮様たっての願いによりこの宮中に戻りました次第でございます。」
「ふん、そなたは奴の味方をするのか。まぁよいであろう。いずれは痛い目を見るであろうの。もうよい、下がれ。」
「は・・」
雄仁の元から下がった有匡は、溜息を吐いた。
どうやら自分が思っていた以上に、宮中では東宮派と雄仁派と二つの派閥に別れて、生き馬の目を抜く闘争が繰り広げられているようだ。
政の世界でも凄まじいのだから、後宮ではさぞや弘徽殿女御が幅を利かせているのだろう。
そう思うと有匡は火月の事が心配になり、後宮へと向かう足が自然と急ぎ足になった。
「火月様、東宮様から文が。」
「東宮様から?」
火月が自室で子ども達と寛いでいると、東宮付の女房がそう言って文箱を火月に差しだした。
東宮からの文は、昨夜の無礼を詫びる旨とともに、今宵の宴に来て欲しいと書かれてあった。
「東宮様からの文には、何て?」
「宴に来て欲しいって。どうお返事すればいいのかなぁ?」
「今朝あんな事があったからねぇ、遠慮しないと。」
「そうそう、弘徽殿女御様に目をつけられたら困るし。」
種香と小里はそう言ったが、東宮の事が気に掛かり、火月は彼の宴に出席する事にした。
「なに、東宮様が宴を?」
「はい。如何なさいますか、女御様?」
「決まっておる。妾も宴を開く。まぁ今はどちらの宴に出るか、宮中の者は皆決めておろうな。」
「そうでしょうとも。」
弘徽殿女御は、意地の悪い笑みを口元に浮かべた。
「ねぇ、東宮様の宴に出ちゃって大丈夫なの、火月ちゃん?これで弘徽殿女御様に目の敵にでもされたら・・」
「大丈夫だって、少し顔を出すだけだから。でも一人だと心配だから、お姉さんたちにもついて来て欲しいんだけど。」
「ま、北の方様のお願いとあっては断れないわね。」
火月は種香と小里とともに東宮殿へと向かうと、途中で雄仁に会った。
「これは、雄仁様・・」
火月はさっと扇子で顔を隠したが、雄仁はジロリと彼女を見た。
「そなたが、土御門有匡の妻か?」
「はい、火月と申します。」
「そうか。東宮の宴に出るとは、物好きな女子よの。せいぜい木偶の坊に媚でも売るがよい。」
高笑いしながら去っていく雄仁を、種香達はあきれ顔で見送った。
「態度でかいわねぇ、あのガキ。」
「どうせ親の七光りでしょ。」
「あんなの気にしなくてもいいわよ。」
「そうだね・・」
火月が東宮殿で催される宴に出席すると、そこには誰も居なかった。
「火月よ、来てくれたのか。」
「他の方々はどちらに?」
「皆義母上の宴に出ておる。木偶の坊の我よりも、義母上の宴の方が面白うて良いのだろう。」
そう言った東宮の顔は、今にも泣きだしそうだった。
「そんな事はございませんよ、東宮様。」
「火月よ、そなたも我の我が儘に振り回されてうんざりしておるのだろう?どうせ我は誰からも見捨てられた存在なのじゃ。」
東宮は盃に酒をなみなみと注ぎ、それを一気に飲み干した。
「まぁ東宮様、そんなに飲まれてはお体に障ります。」
「良いのだ、我が死んでも誰も悲しむ者など居らぬ。」
「いい加減になされませ、東宮様!」
不意に下座に控えていた光成が突然階を駆け上がると、東宮の頬を打った。
「わたしが居るではありませぬか!何故そのような悲しいことをおっしゃられるのです!」
「光成・・」
「死ぬなどと・・死ぬなどともう二度とおっしゃらないでください!」
「済まぬ、そなたの気持ちも考えずに。」
光成はそっと東宮の手を握った。
「光成、そなたは我の側に居てくれるか?」
「ええ、居りますとも。」
光成と東宮の姿を、火月は笑顔で見ていた。
「では東宮様、僭越ながらわたくしが和琴を披露致しましょう。」
火月はそう言うと、和琴を弾き始めた。
「いやいや、盛況ですなぁ。」
「まぁ、今を時めく弘徽殿女御様の御子・雄仁様が開く宴とあっては、断る者など誰も居りますまい。」
「さぁ、どうでしょう。この華やかな場に、あの陰陽師の姿がないですよ。」
公達達は、そう囁き合いながら扇子の陰で笑った。
「あの陰陽師の姿が見えぬな?」
「申し訳ございませぬ女御様、あの者は突然急用が出来たとかで・・」
「ふん、生意気な男よ。あくまで東宮側に与するか。頭の切れる男と思うておったが、妾の見当違いだったようじゃ。」
弘徽殿女御はそう言うと、篝火に誘われて自分の元へとやって来た蛾を指で潰した。
「あの者・・光成と申したか?東宮の味方はあの者だけじゃ。」
「はい女御様、光成は東宮様と乳兄弟ゆえ、東宮様に対する献身ぶりは・・」
「あの者、妾の側に引き込まねばのう。」
「女御様?」
弘徽殿女御の女房・茜が主を見ると、彼女は口端を歪めて笑った。
「東宮を・・あの忌々しい木偶の坊を宮中から追い出すには、奴を孤立無援にすることじゃ。」
(一体何をお考えなのかしら?良からぬ事が起きなければよいけれど・・)
火月が爪弾く和琴の音色に誘われ、有匡が東宮殿へと向かうと、そこには笑顔を浮かべている東宮の姿があった。
「あ、先生。」
「昔と比べて随分上手くなったものだな。」
「酷い。昔の音色の事は忘れてください!」
「済まなかった。それよりも、東宮様の笑顔は初めて見たな。」
有匡はそう言って、夫婦のように仲良く寄り添う東宮と光成の姿を見た。
「光成様がいらっしゃるから、東宮様は安心されているのでしょう。東宮様にとって、彼はなくてはならぬ方なのでしょうね。」
「そうだな。人は独りでは生きてゆけぬ。わたしはお前と出逢う前、独りで生きてゆけると思っていたが、それは間違いだったようだ。」
有匡はそっと火月を抱き締めると、彼女の唇を塞いだ。
「お前と会えて良かった。」
「僕もですよ、先生。」

月明かりの下、二組の恋人達は穏やかな時間を過ごしていた。

1334年初夏。

火月は元気な男児を無事出産した。
「良く頑張ったな、ありがとう。」
産室に入って来た有匡は、そう言うと妻の腕に抱かれている赤子を見つめた。
「無事に産まれてくれて良かったです。雛と仁も兄弟が増えて嬉しいって。」
「これで鎌倉に帰れたら、もっと良いのだが。」
有匡の言葉に、火月は顔を曇らせた。
東宮によって宮中での暮らしが始まって半年が過ぎたが、鎌倉に戻る目処はついていない。
「父上!」
仁が産室に入ってくるなり、有匡に抱きついた。
「どうした、仁。今まで何処に行ってたんだ?」
「東宮様の所へ行ってました。東宮様は歌や笛を教えてくださいました。」
「そうか。」
半年前、塞ぎこんでいた東宮は、今や仁に笛や歌を教えるようになった。
東宮は仁の事を実の弟のように可愛がり、仁もまた東宮を兄のように慕っていた。
「途中、雄仁様にお会いいたしました。お母君の威光を笠に着て、相変わらずの威張りようでした。」
「こら仁、そんな事を言うな。」
有匡はそう言うと、仁の頭を小突いた。
陰謀渦巻く宮中に於いて、軽はずみな発言は命取りだ。
「申し訳ありません。ですが父上、宮中は堅苦しくて息が詰まります。」
「もうしばらくの辛抱だ。」
有匡は仁の頭を撫でながら、弘徽殿女御がどんな手を打ってくるのかを考えていた。
「先程廊下で会うた子ども、仁といったか。聡い瞳をしておったな。」
雄仁(ひろひと)はそう言って気だるそうに脇息に凭れかかった。
「有匡の長男、仁の事でございますか。あの少年、父親に似て洞察力が鋭いところがございます。流石元陰陽頭(おんみょうのかみ)を祖父に持つと・・」
「今、何と申した?」
「いえ、ただの戯言です。どうぞ捨て置いてくださりませ。」
「申してみよ。そなたの胸に留めておくには勿体ない。」
雄仁はそう言うと、臣下の公達を見た。
突然雄仁から宴に招かれ、有匡は嫌な予感しかしなかったが、誘いを断ることもできずに宴に出ると、集まっていた公達達が一斉に彼を見た。
「有匡よ、来てくれて嬉しいぞ。」
「雄仁様、本日はお招きいただきありがとうございます。」
有匡がそう言って雄仁に頭を下げると、彼はにやりと笑った。
「此度の若君の誕生、祝いを申すぞ。そなたの息子であるから、さぞや聡い子に育つであろうな。」
「ありがたきお言葉にございます。」
「そなたの父君・有仁(ありひと)も、聡い息子を持って誇りに思うておったことだろうな。」
雄仁の口から有匡の父・有仁の名が出た途端、場の空気が瞬時に凍りついた。
「何でも陰陽頭を務めておった、大変優秀な男だとか。そなたの優秀(きれもの)ぶりはきっと父親似であるのだろうな。」
有匡は頭を下げたまま、唇をぎりりと噛み締めた。
宴に自分を呼んだのは、公然の場で自分を辱める為だ。
自分にとって一番突かれたくない弱点を突いてまで、雄仁は己が優位である事を示したいのだ。
そんな幼稚な嫌がらせに付き合っていられるほど、暇ではない。
「お言葉ですが雄仁様、あなた様の良く回る舌とその傲岸不遜な態度、まさに母君様譲りであらせられまするな。」
有匡の言葉を受け、雄仁の顔がみるみる怒りで赤くなった。
「腹違いといえども兄である東宮様を蔑ろにし、このような場で一介の陰陽師であるわたくしを辱めるとは、それはどなた様の入れ知恵でございますか?あぁ、そのような所は母親似なのでしょうな。」
有匡がそう言葉を切ると、膳が派手にひっくり返る音がした。
「そなた、黙って聞いておればぬけぬけと!」
漸く有匡が顔を上げると、雄仁(ひろひと)は怒りで身体を震わせ、拳を握りしめていた。
「何をおっしゃいますか、わたくしはあなた様におっしゃられた事を言い返したまでのこと。ではこれで失礼を。」
有匡はそう言って雄仁に背を向けて歩き出すと、背後から彼の怒鳴り声と皿が割れる派手な音が聞こえた。
「雄仁様、気をお鎮めくださいませ!」
「あの陰陽師の戯言など、聞き流せばよいのです!」
重臣たちが宥めても、雄仁の怒りはなかなか収まらなかった。
「おのれ有匡、許さぬ!」
雄仁は怒りで顔を歪ませ、有匡への憎しみを募らせた。
雄仁が開く宴の席で有匡が暴言を吐いたことは、瞬く間に宮中に広がった。
「これからどうなることやら、あの雄仁様を怒らせるとは。」
「全く・・」
「家族ともども追放されかねませんわね。」
女達はひそひそと囁きを交わしながら、ちらちらと火月を見た。
「気にすることないわよ、火月ちゃん。あのクソガキが殿を挑発したんだから、やり返されて当然よ。」
「そうそう。弘徽殿女御様譲りだものねぇ、あの性格は。」
種香と小里がそう言いながら針仕事をしていると、仁が部屋に入って来た。
「母上~!」
「どうしたの、仁?」
仁の目の上には、引っ掻き傷があった。
「雄仁様が、僕のことを櫛で引っ掻いた!」
「まぁ、何ですって?」
「あのガキ、殿では飽き足らず、仁ちゃんまで!ちょっとあたし抗議に行ってくるわ!」
小里がそう言って鼻息を荒くしながら部屋を出ようとしたが、火月が彼女を止めた。
「僕が雄仁様にお会いするよ。仁も連れてね。」
「大丈夫なの、火月ちゃん?殿は今播磨へ出張中なのに、もし何かあったら・・」
「大丈夫。」
火月はそう言って仁の手をひき、雄仁の元へと向かった。
「雄仁様は体調がすぐれず、誰にもお会いしとうないと申しておる。」
火月が息子を連れて雄仁の寝所へと向かうと、雄仁付の女房がそう居丈高な口調で彼女達を追い払おうとした。
「息子の顔を櫛で引っ掻いておいて、体調が優れぬとは・・雄仁様はひきょう者でございますね。」
「何だと?そなた今何と申した!」
「自分よりも弱い者を虐げる癖に、自分が何か言われると逃げるのですか、雄仁様は?そのような臆病者に、帝など務まりますものか。」
火月がそう言葉を切ると、女房は憤怒の表情を浮かべて腕を振り上げた。
「やめよ。」
御簾が乱暴に上げられ、雄仁が彼女の手を掴んだ。
「ですが雄仁様・・」
「俺は臆病者ではない。そなたも有匡と同じように母の威光を笠に着ていると思っているようだが、俺はそんなことは微塵も思うてはおらぬ。」
「そうですか?では何故息子に手を上げたのです?」
火月の真紅の双眸が、怒りで滾った。
たとえどんな理由が彼にあるとしても、息子に手を上げたことは許されないし、一生許さない。
「それは、そやつが俺を馬鹿にしたからだ。」
「馬鹿にしてはおりませぬ。ただ真実を申し上げたまでです。」
雄仁の言葉を聞いた仁はそう反論し、彼を睨んだ。
「真実?俺の悪口を言った癖に、それが真実だと申すのか?」
雄仁の眦が上がり、美しい彼の顔が怒りで険しくなった。
「一体何を言ったの、仁?わたしにも話してごらん。」
火月はそう言って腰を屈めて息子を見ると、彼は次の言葉を継ぐために口を開いた。
「雄仁様が、東宮様を馬鹿にしたのです。」
仁の話によると、彼がいつものように東宮から和歌を習っていると、偶然そこへ雄仁が通りかかったという。
「木偶の坊でも歌を詠めるとは、意外だな。」
腹違いの兄に対して雄仁(ひろひと)はそう言って鼻で笑うと、数人の取り巻き達は東宮をせせら笑った。
実の兄同様に慕っている東宮を馬鹿にされ、仁は思わず今まで溜まっていた鬱憤を雄仁に対して爆発させてしまった。
「あなたのような方が、品性下劣で強欲な卑しい生まれの母君様に似ておいでだとは、良く解りました。あなたが帝になられたら、この国は崩壊いたしますな!」
母親と自分を愚弄され、雄仁は怒りの余りそばにあった柘植の櫛を掴み、それで仁の顔を引っ掻いた。
「確かに、息子はあなた様に礼を欠いてしまわれたことは謝りましょう。ですが、無抵抗の息子の顔を傷つけるなど、許されぬ事はありません!」
火月がそう叫んで雄仁を睨み付けると、一歩彼の前に進み出て彼の頬を平手で打った。
「何をする、貴様!」
「これで済んで良かったとお思いになされませ!夫にはこの事をご報告いたしますゆえ!」
そこから火月はどうやって自分の部屋に戻ったのか、覚えていない。
それほどまでに、怒りで全身の血液が沸騰しそうだったのだ。
「母上、僕は大丈夫ですから。」
柘植の櫛を握り締めている母が今何を思っているのかを察した仁がそう声を掛けると、彼女は仁を抱き締めた。
「仁、痛かったでしょう?良く我慢したね。」
「嫌な相手には涙は見せませぬ。怒りも致しませぬ。そうすると相手の思う壺ですから。」
恐らく有匡から言い聞かせられたのだろうか、仁はそう言った後涙で瞳を潤ませた。
「父上には仁がとてもいい事をしたと伝えておくから、もう休みなさい。」
「はい、おやすみなさいませ、母上。」
仁が寝所へと下がった後、火月は種香達に昼間の事を報告した。
「んまぁ、そんな事で仁ちゃんを殴ったの?ったく、精神年齢が低いわね!」
「火月ちゃんは悪くないわよ。全くあのクソガキ、一度締めてやろうかしら!」
二人が怒り心頭でそう話していると、有匡が帰ってくる気配がした。
「殿、お帰りなさいませ。」
「どうした、何かあったのか?」
播磨からの出張から有匡が帰ると、種香達が火月と雄仁との事を報告してきた。
「火月は今どうしている?」
「火月ちゃんなら部屋で休んでますわ。あのクソガキ、一体誰に似たのやら!」
「仁様、クソガキに暴力を振るわれても泣かなかったそうですわ。殿に似て強い子ですわね。」
「そうか・・」
式神からの報告を受けた後、有匡は仁の部屋へと向かった。
御帳台の中で眠る彼の目には、涙が滲んでいた。
そしてその目の近くには、櫛で引っ掻かれた赤い痕がまだ残っていた。
痛くて堪らなかっただろうに、泣くのを我慢した息子が有匡は愛おしかった。
彼がそっと仁の髪を梳くと、彼は低い声で唸って目を開けた。
「起こしたな。」
「父上、お帰りなさいませ。父上にご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません。」
「謝るな。わたしはお前を誇りに思うぞ、仁。」
「ありがとうございます。」
「このままだと痕が残るから、わたしが治してやる。」
有匡はそう言うと、呪を唱えて仁の傷口に手を翳した。
「これで良くなった。さぁ、お休み。」
「お休みなさい、父上。」
仁が隣ですやすやと寝息を立て始めているのを眺めながら、弘徽殿女御と雄仁親子との全面対決は避けられないと思った。
翌朝、東宮の乳兄弟・光成は突然弘徽殿女御に呼ばれて後宮へと向かうと、そこには雄仁が居た。
「お話とは何でござりましょうか、女御様?」
「そなた、妾の側につかぬか?」
女御の言葉を受け、光成は嫌な汗が背中を伝うのを感じた。
「女御様、今なんと仰せに・・」
「東宮を切り、妾と手を組めと申しておる。光成よ、やがてはこの雄仁(ひろひと)が日の本を統べる帝となろう。その日まで、そなたの力を貸して欲しいということじゃ。」
「ですが、女御様、わたくしは・・」
「何故お前はそうも東宮様に義理だてする?」
弘徽殿女御はそう言うと、御簾を上げて光成の前に腰を下ろした。
「乳兄弟として、わたくしは東宮様をお守りするお役目がございます。東宮様の味方は、わたくししかおりませぬ。」
「素晴らしい兄弟愛じゃ。だがこの世で情だけでは渡ってはいけぬ。確かそなたには、姉が藤壺女御に仕えておろう?」
「左様でございますが・・何故そのような事を?」
光成の姉・雪子が仕える藤壺女御は、弘徽殿女御と後宮内の権力を二分していた。
藤壺女御には現在息子が二人おり、二人とも雄仁に負けず劣らず優秀な皇子達である。
「妾を邪魔立てする者は生かしてはおけぬ。光成よ、これを姉の元へ届けて参れ。」
弘徽殿女御がそう言ってすっと光成の手に握らせたのは、薬だった。
「これは?」
「毎日、これを皇子達に飲ませるようそなたの姉に伝えよ。」
「では、わたくしはこれで失礼致しまする。」
「必ず伝えるのじゃぞ。」
弘徽殿女御は去って行く光成に対して念を押すと、雄仁の方へと向き直った。
「あ、光成様!」
廊下の向こうから溌剌とした声が聞こえたかと思うと、有匡の長男・仁が光成に駆け寄ってきた。
「おはようございます。何か弘徽殿女御様から東宮様の悪口を言われましたか?」
「そなたは弘徽殿女御様の事がお嫌いか?」
「嫌いでございます。父上や母上も、今回の事でお二人を嫌うております。」
そう言った仁は、まっすぐな瞳で光成を見た。
「光成様、もしや弘徽殿女御様に東宮様を切れと仰せになられたのでございますか?」
いくら平然を装っていても、仁には光成の変化が判ったらしい。
「ああ。だがわたしがお仕えするは東宮様のみ。」
「それを聞いて安心いたしました。光成様、それは?」
光成が弘徽殿女御から渡された薬を見た仁は、何か嫌な予感がした。
「東宮様のお身体が優れぬゆえ、特別に薬師に作らせた薬だそうだ。」
「光成様、その薬、僕に渡してくださいませぬか?何だか嫌な予感がするのです。」
「仁、それをどうするつもりだ?」
「父上にお見せいたします。まだ子どもです故、薬の事は判りませぬので。」
「そうか。有匡殿に宜しく伝えよ。」
光成はそう言うと、仁に薬を渡した。
「ではこれにて失礼致します。」
仁は光成に頭を下げると、父の職場である陰陽寮へと向かった。
陰陽寮では、有匡がいつものように仕事をしていると、梨壷女御付の童がやって来て、彼に文を渡した。
「これは?」
「女御様に頼まれましてございます。すぐに梨壷へおいでなされませ。」
「解った。」
梨壷女御は後宮の権力争いとは無縁の筈だ。
その彼女が何故、陰陽師である自分を呼んだのかー有匡はそう思いながら、梨壷へと向かった。
「お呼びでございますか、女御様?」
「そなたが土御門有匡か。」
御簾越しに見える梨壷女御の顔は、少し強張っていた。
「最近、弘徽殿女御が良からぬ事を企んでおるらしい。」
「良からぬこと、でございますか?」
有匡がそう言って梨壷女御を見ると、彼女は静かに頷いた。
「父上、ここに居られましたか。」
梨壷女御と有匡が同時に振り向くと、そこには仁が立っていた。
「仁、どうした?」
「先程光成様にお会いして、この薬を弘徽殿女御様から渡されたと。」
仁はそう言うと、有匡に薬を渡した。
「それは、唐渡りの毒薬じゃ。」
梨壷女御が薬を見て声を上げた。
「左様でございますか、女御様?だとすれば、何故このような物騒なものを弘徽殿女御様がお持ちに?」
「決まっておろう。自分にとって目障りな藤壺女御とその皇子達を殺す為だ。」
「何と・・」
強欲な弘徽殿女御がいかにも考えそうな事だが、何の罪もない幼子にまで手を掛けようとするとは。
我が子を帝位に就かせる為に、どこまで彼女は己の手を穢せば気が済むのだろうか。
「光成様は何と?」
「弘徽殿女御様からお誘いをお受けしたそうですが、断ったそうです。父上、何だか嫌な予感が致します。」
仁はそう言うと、有匡に抱きついた。
「もし弘徽殿女御様のつまらぬ野望に僕達が巻き込まれでもしたら・・」
「心配するな、そんな事はさせない。」
彼女が何を企んでいるのかは知らないが、妻と子ども達を守らねばー有匡は我が子を抱き締めながら、新たに決意を固めた。
一方、火月は三人目の子・匡仁(まさひと)に乳をやっていると、そこへ藤壺女御の一の皇子・昌成(まさなり)がやって来た。
「これは一の宮様、何かご用でございますか?」
火月がそう言うと、昌成は彼女の乳を吸っている匡仁をじっと見つめていた。
「赤子は女の乳を飲んで大きくなるのか?」
「左様でございます。昌成様も、お母君の乳をお飲みになられて成長なさったのですよ。」
「わたしは乳母(めのと)の乳を飲んで育った。母上はわたしや惟人(これひと)に余り関心がないのだ。」
昌成の言葉に、火月は藤壺女御が二人の息子達に関心を寄せていないことを知り、胸が痛んだ。
「そんな事はございませんよ。母親なら我が子が可愛くて仕方がないものでございます。女御様は色々とお忙しいのですよ。」
「そうか・・」
長男・仁と数歳しか違わず、次期帝と名高い昌成であったが、9歳の少年は母親の愛情に飢えていた。
「お母様!」
「まぁ、雛(すう)、それはなぁに?」
娘の手に握られている牡丹を見て、火月は彼女に声を掛けた。
「匡仁とお母様に持って来たの。」
「まぁ綺麗だこと。ありがとう。」
楽しく語らう火月と雛を、昌成は羨ましそうに見ていた。
「昌成様、こちらは娘の雛と申します。雛、こちらは昌成様ですよ、ご挨拶なさい。」
「初めまして、雛と申します。」
そう言って自分に挨拶した金髪紅眼の美しい少女に、一目で昌成は心を奪われた。
「昌成、何処におる?」
「母上が呼んでおるから、もう行かねば。またな、火月。」
昌成が火月の部屋から出て母の元へと向かうと、そこには仏頂面の彼女が御簾の向こうに座っていた。
「弘徽殿女御め、ふざけた事を。我が子を差し出せとは・・」
「落ち着かれませ、女御様。あの女の戯言など真に受けてはなりませぬ。」
そう言って母を宥める女御の言葉に、自分がいつの間にか権力闘争に巻き込まれていることに昌成は漸く気づいた。
その夜、梨壷女御が突如目の痛みを訴え、そのまま病に倒れた。
陰陽師や高僧達の加持祈祷のかいなく、病に倒れた梨壷女御は数日後に没した。
宮中が梨壷女御の喪に服している頃、陰陽寮にひとつの知らせが届いた。
それは、京にある廃屋で梨壷女御の名が刻まれた人形が発見されたとのものであった。
「これには呪詛の痕跡がある。梨壷女御様は、何者に呪い殺されたのだ!」
「何と・・」
ざわめく同僚達を尻目に、有匡は淡々と仕事をしていた。
この事件に弘徽殿女御が一枚かんでいると、彼は睨んでいた。
「そうか、あの女が死んだか。」
「はい、女御様。あとは藤壺女御様方を始末するだけでございます。」
「そうじゃな・・慎重に動けよ。」
「はい。」
女房からの報告を受け、弘徽殿女御は檜扇の陰で笑みを浮かべていた。
「これからどうなるのやら。今回の件はきっとあの女の仕業に違いないわ。」
「もしかすると、今度は女御様の身が危ないかも・・」
藤壺女御達に仕える女房達は、梨壷女御の一件で戦々恐々としていた。
そんな緊迫した空気を感じ取ったのか、仁や雛は火月の傍から離れようとはしなかった。
「母上、これからどうなるのでしょうか?」
「さぁ、解らない。二人とも、余り遠くに行ってはいけませんよ。」
「わかりました。」
火月達は弘徽殿女御が梨壷女御呪殺に絡んでいると思いながらも日々をすごていると、季節は初夏から梅雨へと移り変わろうとしていた。
湿度が高い中、連日雨が降り続け、宮中では体調不良を訴える者が相次いだ。
「全く、暑いったらありゃしない。夏物の衣をはやめに用意しといて良かったわね。」
「ええ。」
種香達が衣替えに忙しく動いていると、外から衣擦れの音が聞こえた。
「誰かしらねぇ、こんなクソ忙しい時に。」
「帝のお越しです。」
「えっ!」
突然帝が後宮を訪れたので、女達はあたふたしながら彼を迎えた。
「まぁこれは主上、お忙しいと聞きましたがどのようなご用で・・」
「この局に火月という女房はおるか?」
藤壺女御が帝を出迎えると、彼はそう言って藤壺女御を見た。
「火月でございますか?暫くお待ちくださいませ、呼んで参ります。」
藤壺女御は帝に背を向け、火月の部屋へと入って来た。
「火月、帝がお呼びじゃ。」
「え?」
有無を言わさず藤壺女御に手を掴まれ、火月は帝の元に連れて行かれた。
「お初にお目にかかれます。火月と申します。」
「そなたが火月か。まこと、美しき金の髪をしておる。」
帝はそう言うと、火月の金髪を一房掴んだ。
「あの・・わたくしに何の用でございますか?」
「梨壷女御が呪殺され、呪詛の人形が発見されたことは知っておろう?」
「はい・・」
「実はな、そなたが人形を埋めたところを見たと申す者がおってな。」
「僕が、ですか?」
火月の真紅の双眸が、驚きで大きく見開かれた。
「まぁ主上、この者がそのような事をするなど思いませぬ。何かのお間違いではありませぬか!」
藤壺女御はそう言うと、火月を庇った。
「主上、その証人とやらは何処のどなたなのですか?即刻この場にお連れ下さいませ。」
「いや・・それはその・・」
彼女から詰問された途端、帝は奥歯に物が挟まったような言い方をした。
「一体どなたなのです?さぁ、教えて下さりませ。」
藤壺女御が問い詰めると、帝の目が泳ぎ始めた。
「確たる証拠もなしにわたくしの女房をお疑いにならないでくださいませ。」
「す、済まぬ・・」
これ以上藤壺女御に責められたくなかったのか、帝は早々に藤壺から辞していった。
「気をしっかり持て、火月。そなたが呪詛などする筈がない。」
「はい、女御様。」
頼もしい主を持って幸せだと、火月はこの時思った。
梅雨が終わろうとしている頃、火月は体調を崩した。
「大丈夫か、火月?」
「大丈夫です。季節の変わり目だから風邪でもひいたんでしょう。」
火月はそう言って夫を安心させようとした。
「もしかしてお前、妊娠したか?」
「そんな・・まだ匡仁が産まれて三ヶ月しか経っていないのに。」
火月が気だるそうに御帳台から起き上がると、有匡は下腹に手をやった。
そこには、生命の胎動は感じられなかった。
「どうやら違ったようだ。」
「何だ。早とちりし過ぎですよ、先生。」
「そうだったな。火月、後で薬湯を種香に届けさせるからちゃんと飲むんだぞ?」
「え~、あんな不味いの要りません!」
火月が嫌そうに言うと、有匡は少しムッとした。
「お前の為を思って言ってるんだ。」
「解りました。飲めばいいんでしょ!」
「お前なぁ~、何だその言い方は!」
有匡と火月が夫婦喧嘩をしていると、几帳の陰からその様子を仁と雛が見ていた。
「また始まったわね、父上と母上。」
「そうですね。では姉上、僕は東宮様のところへ行って参ります。」
仁はそう言うと、東宮殿へと向かった。
同じ頃東宮殿では、東宮が光成が自分の下に来るのを待っていた。
だが彼はいつまで経っても来る気配がなかった。
(どうしたのだろう、光成は?)
彼の事が心配になった光成は、彼が行きそうな所を探して回った。
しかし、何処にも彼の姿はなかった。
一体彼は何処に消えたのかー不安に駆られながら東宮が部屋へと戻ろうとした時、向こうの渡殿から数人の話し声が聞こえた。
「今こそ、東宮様を廃嫡されるべき・・」
「梨壷女御様の件も、東宮様が企んだことに違いない・・」
「そうじゃ。」
また誰かが自分の悪口を言っていると知り、東宮は早くその場から離れたかった。
だが、公達の中に光成の姿がある事に気づいた彼は、驚きで目を見張った。
「光成殿、そなたは如何致す?」
「何をおっしゃっておられる。東宮様は呪詛などなさらぬ。」
「そなた、弘徽殿女御に飼われておる犬の癖に、東宮様を庇うのか?」
「それは誤解だ、わたしはあの女とは何も・・」
光成がそう言った時、視線の端に驚愕の表情を浮かべた東宮の姿が映った。
「東宮様・・」
「寄るでない、裏切り者!」
光成は東宮に近寄ると、彼は邪険に光成の手を払った。
「そなただけは味方だと思うておったのに・・」
「東宮様・・」
「許さぬ、決して許さぬぞ、光成!」
涙を瞳で滲ませながら、東宮は光成の頬を張った。
「仁、東宮様の所へ行ったのではなかったのか?」
「はい父上、ですが東宮様はお身体が優れぬと申されて・・光成様のお姿も見えませんでした。」
「光成様が?」
いつも陰に日向に東宮を支え、彼の傍に居る光成の姿が見えない事を知り、有匡は何かが起こると思った。
彼の予感は的中し、光成の姿が宮中から消えた。
「光成様が急に消えるなど・・一体何が?」
「恐らく彼も弘徽殿女御様に取りいれられたのだろうよ。強欲な女ほど、恐ろしいものはない。」
「全くだ。」
やがて光成が消えたのは弘徽殿女御の指示であるという噂がまことしやかに流れ、自分の思惑通りに事が動いていることを知った弘徽殿女御は口元に悠然とした笑みを浮かべながら、雄仁と碁を打っていた。
「次の手はどう打たれるのですか、母上?」
「馬鹿もの、妾がそなたに教えるものか。」
「そうおっしゃると思いましたよ。これで光成が宮中から追放されれば、我らの思う壷です。」
「そうじゃな。」
静かな部屋に、碁の打つ音が響いた。
光成が消えてからというもの、体調を崩した東宮は食事も喉を通らず、ひたすら彼の無事を祈っていた。
「東宮様、お気を確かに。必ず光成様は戻って参ります。」
「そうだな・・」
火月の励ましも、東宮は上の空で聞いていた。
「何か一曲弾きましょう。」
火月がそう言って和琴を部屋に取りに行こうと戻ったところ、そこには有匡が居た。
「先生、どうされたんですか?」
「その様子だと、すっかり良くなったようだな。」
「ええ。でも東宮様は相変わらずで・・光成様もどちらにいらしているのか解らないし。あ、東宮様をお待たせしてあるので、僕は戻らないと。」
「わたしも行こう。」
有匡と火月が東宮殿へと向かうと、そこから数人の女房達の悲鳴が聞こえた。
「雄仁様、どうか気をお鎮めに・・」
「黙れ、この場で木偶の坊を叩き斬ってくれる!」
太刀を東宮に向かって振り下ろそうとした雄仁の前に、火月が立ち塞がった。
「おやめ下さいませ、雄仁様!」
「黙れ!」
雄仁が太刀を振り下ろし、辺りに血しぶきが飛び散った。
「火月、無事か!」
有匡は血相を変えて火月の元へと駆け寄ると、彼女は無事だった。
雄仁の方を見ると、彼は自分の刃を受けた光成を前に呆然としていた。
「光成、光成!」
御簾が乱暴に捲られ、東宮が背に刃を受けたままの光成の元へと駆け寄った。
「東宮様・・お許しを・・わたしは・・」
「光成、しっかりしろ!」
「光成、死ぬでないぞ!」
東宮は光成の身体を揺さ振りながら、必死に彼に呼びかけていた。
「誰か、薬師を之へ!」
「はい、東宮様!」
雄仁が刃傷沙汰を起こしたと知り、宮中は俄かに蜂の巣をつついたかのような騒ぎとなった。
「お前は一体何てことをしてくれたのじゃ!」
「申し訳ありませぬ、母上。」
弘徽殿女御から叱責を受け、雄仁は項垂れた。
「これで光成が死んでみよ、今まで築き上げてきた妾の地位が、そなたの所為で水泡に帰すのじゃぞ!」
「母上、わたしは・・」
「もうよい、下がれ!」
弘徽殿女御はそう言って雄仁を自分の部屋から追い払った。
「あら、あれは・・」
「雄仁様ではないの。」
「何でも東宮様の従者を手にかけようとなさったとか。」
「恐ろしいこと。」
廊下を歩いていると、御簾の向こうから女達が囁き合う声が聞こえた。
かつて「光る君」と呼ばれ、讃えられていた雄仁は、「異母兄を手に掛けた恐ろしい方」と呼ばれる事に成り、彼の周りからは徐々に人が離れていった。
一方、雄仁の刃に倒れた光成の容態は、余り芳しくなかった。
「光成、しっかりせい!まだ我を残して死ぬでない!」
東宮は寝る間も惜しまず光成の看病をしていたが、やがて無理が祟り彼も倒れてしまった。
「東宮様、後はわたくしどもにお任せを。」
「頼むぞ、有匡。」
有匡が光成の部屋に入ると、そこは血の臭いで満ちていた。
彼が受けた傷は肺まで届いており、もしかしたらこのまま助からないかもしれない。
「う・・」
「光成殿、気がつかれたか?」
「有匡・・殿?」
光成は低く呻くと、そう言って有匡を見た。
「わたしは、一体・・」
「あなたは雄仁様の刃を受けたのですよ、憶えておられないのですか?」
「そうでしたか・・」
光成は苦しそうに息を吐くと、目を閉じた。
「有匡殿、どうか東宮様をお守りください。」
わたしの代わりに、と光成がそう言葉を継ごうとすると、有匡は光成の手を握った。
「東宮様にはあなたしか居られません。」
「そうですか・・では、まだ東宮様をお一人にはできませんね。」
「この部屋には少し陰の気が満ちております故、浄化いたしましょう。」
有匡は光成の部屋を浄化すると、少し彼の顔色が良くなったように見えた。
「先生、光成様のご容態は・・」
「余り良くない。雄仁様はどうしている?」
「それが、何処に行ったのか解らないようで・・また子ども達に危害を加えられたらと思うと、心配で・・」
「大丈夫だ、わたしがお前達を守ってやる。」
有匡がそう言って火月を抱き締める姿を、雄仁は少し離れた場所から見ていた。
「それにしても、雄仁様が宮中にて刃傷沙汰を起こすとは。聡いお方であったのに、残念ですな。」
「左様、東宮様よりも帝の座に近い者だと思っておりましたのに・・」
「いかがなさいますか、右大臣様?このままだと我らも無傷では済みませんよ。」
とある貴族の邸で、三人の男達が口々にそう言いながら上座に座る男を見た。
彼の名は上原金人、宮中で権勢を誇っている右大臣である。
「暫く様子を見るのがよかろう。早まったことをすると災いとなる。」
「そうでしょうなぁ。」
「右大臣様がそうおっしゃられるのなら、我らも従いましょうぞ。」
「堅いことはもう終いじゃ、宴を楽しめばよい。」
金人がそう言って手拍子を打つと、数人の白拍子が部屋に入ってきた。
(これから気を引き締めねばな・・雄仁様を何としても次の帝にする為ならば、手段は厭わぬ!)
雄仁を時期帝にする為の策を練りながら、金人の脳裏にはあの憎たらしい陰陽師―土御門有匡の顔が浮かんだ。
雄仁を帝にするためには、あの男を宮中から追い出さねばならない。
宮中で刃傷沙汰を起こし、忽然と姿を消した雄仁(ひろひと)の行方を公達達はそれぞれ噂をしていたが、次期帝に近い彼が消えた今、誰が次期帝になるかということが、彼らは一番に関心を寄せていた。
「雄仁様より次に優秀な者は、藤壺女御様の一の宮様であろう。」
「それもそうじゃな。あの方な次の帝になっても申し分ない。」
「いやいや、弟君も優秀と聞く。」
有匡が陰陽寮へと向かっている時、数人の公達がひそひそと次期帝となる者について話し合っていた。
主に彼らが取り上げるのは、藤壺女御の二人の皇子達で、東宮には最初から期待していないようだった。
順に言えば東宮が次期帝になるのだが、帝も公達達も、彼の事を諦めている。
(東宮様が何故幼子のように駄々を捏ねられたのか、解るような気がするな。)
幼き頃から周囲から蔑ろにされ、愛情に飢えているからこそ、わざと駄々を捏ねて他人に関心を寄せて貰おうと思っていたのだろう。
だがそれは逆効果で、周囲はますます東宮を蔑ろにするようになった。
心を唯一通わせられるのは、乳兄弟である光成だけだったが、その彼も今は瀕死の重傷を負ってしまっている。
(どうすればいいか・・)
長年複雑に絡まり合った人間関係の糸を解すには、一日で出来ない事くらい有匡は解っているが、このままにしておくとますます悪化しそうである。
彼がますます激化するであろう宮廷での権力闘争に頭を悩ませている時、右大臣から宴に招かれた。
「そなたが、土御門有匡か。」
今を時めく権力者とあってか、右大臣邸は陰陽道の大家である土御門邸よりも広く、宴の膳も華やかなものであった。
「はい、土御門有匡でございます、右大臣様。」
「そなた、あの東宮様のお側に仕えておるときく。そなたから見て、東宮様はどのようなお人じゃ?」
「そうですね、東宮様は思慮深く、余り己の才能を人前でひけらかしてしたり顔をならさぬ方と存じます。」
「ほう、そなたの見解では、東宮様はそのようなお方か。やれ無能だ、木偶の坊だと周囲は東宮様を蔑ろにされておられるが、違うやもしれぬな。」
「は・・」
一体彼は自分に何を聞き出したいのだろうかと、有匡は緊張した面持ちで右大臣を見た。
「そなた、腕が良いと聞く。今後の事を占って貰えぬか?」
「今ここで、でございますか?」
「そうじゃ。出来ぬのか?」
そう言って自分を見つめる右大臣と、周囲の視線は険しいものだった。
「いいえ。右大臣様のお頼みとあらばいたしましょう。」
有匡は呪を唱えると、精神を集中させた。
目を閉じると、ある光景が浮かんだ。
それは、東宮が帝として善政を敷く姿だった。
「どうであった?帝には誰がなった?」
「東宮様でございます。」
有匡の言葉に、周りに居た者達がざわめき始めた。
「そうか。もう下がってよいぞ。」
「では失礼致します。」
有匡が右大臣邸を辞すと、当の本人は数日前に邸に呼び寄せた男達の元へと向かった。
「あの土御門有匡とやら、一筋縄ではいかぬ男のようじゃ。」
「そうですね、余りボロを出さぬようにしなければ。」
「雄仁様が見つかり次第、密かに計画を進めなければなりません。」
四人は顔を見合わせると、それぞれ扇の陰で笑みを浮かべていた。
雨の中宮中へと参内した有匡が東宮殿へと向かうと、そこには東宮が泣き腫らした目で彼を見た。
「有匡、来てくれたか。」
「東宮様、光成様は・・」
「先程突然血を吐いて苦しみ出して・・薬師はあてにならぬからそなたを呼んだのだ。」
東宮はそう言うと、有匡の手を握った。
「有匡、我は不安で堪らぬ・・光成が、光成が!」
「落ち着かれませ、東宮様。」
有匡が光成の部屋に入ると、彼は蒼褪めた顔を有匡に向けた。
「有匡殿、申し訳ない・・」
「謝らないでください。東宮様が心配されておいでです。」
「そうですか・・東宮様はいつもわたくしの傍におりましたから。東宮様のお母君が亡くなられてから、ずっと・・」
光成はそう言うと、目を閉じた。
脳裏に突然、東宮と出逢った日の事が浮かんだ。
3歳の時に実母を亡くし、継母である弘徽殿女御に虐げられながら育った東宮は、深い孤独を抱えていた。
そんな中、東宮の乳母である光成の母が、我が子同然に東宮を育てた。
光成と東宮が出逢ったのは、母に連れられ初めて宮中へ上がった時だった。
「光成、こちらの方が東宮様であらせられますよ。」
母から紹介されたのは、艶やかな黒髪を下げ美豆良(みずら)に結った、何処か寂しそうな顔をした少年だった。
「初めまして、東宮様。光成と申します。」
「みつなり・・我と友達になってくれるか?」
「はい、喜んで!」
それから色々と悲しい事や辛い事、嬉しい事などがあったが、それを東宮と二人で乗り越えてきた。
だがもうそれも、終わりなのかもしれない。
「嫌じゃ、光成、我を置いて逝くな!」
部屋に入って来た東宮は、涙で顔がぐちゃぐちゃになっていた。
「申し訳ありません・・東宮様。もう、わたしは駄目です・・」
「嫌じゃ!そんなの・・」
「もしも生まれ変わったら・・今度はずっと、東宮様のお傍に・・」
光成はそう言って東宮の頬へと手を伸ばすと、彼に微笑んだ。
「やめろ、まるで別れの言葉のようではないか!」
「東宮様、今までありがとうございました・・あなた様と会えて嬉しかった・・」
徐々に視界が暗くなり、目の焦点が合わなくなってゆく。
(駄目だ・・まだ・・)
「光成、どうした、光成!?」
「東宮様・・あなた様のことを・・愛して・・」
やっとの思いで東宮に愛の言葉を紡ごうとした時、光成の意識はゆっくりと闇へと堕ちていった。
自分の頬を擦っていた光成の手が急に動かなくなってしまったのを感じた東宮は、必死で彼の手を握った。
「光成、何をしておる。起きよ。」
東宮はそう言って笑うと、光成の身体を揺さ振った。
だが、光成の目は二度と開く事はなかった。
「嫌じゃ、光成!我を置いて逝くな!」
「東宮様、落ち着かれませ!」
光成の死に受け止められず、暴れ出す東宮を有匡は宥めた。
「光成、光成ぃ・・」
激しい雨の中、最愛の人に看取られて光成は静かに息を引き取った。
「そうですか、光成様が・・」
「あぁ、残念でならない。暫く東宮様をそっとしておいた方がよいだろう。」
帰宅した有匡はそう妻に言うと、東宮の不安定な精神状態を心配していた。

その頃現代では、高原家の者が“火月”を拉致してある場所へと集まっていた。

そこは、高原家の祭壇が祀ってあるところであった。
台の上には、火月が全身を荒縄で縛られていた。
(一体どうなってんのよ!?)
突然薬品を嗅がされて気絶し、目が覚めたら白装束の集団に囲まれ、自由を奪われていた。
「これで、高原家は安泰です。」
すっと祭壇の前にあの女性がやって来た。
「あんた達、一体何を企んでいるの?」
「企むなど、人聞きが悪い。わたくし達はあなた様の為を思って今こうして集まっているのです。」
「何ですって?そんなの信じられる筈がないでしょう!」
そう火月が喚くと、自分を拉致した男が火月の前に現れた。
「お前は高原家の血を継ぐ唯一の娘。多喜子亡き今、お前が家の務めを果たしてもらわねば困るのだ。」
「だからそれを教えろって言ってんでしょ!耳聞こえないのオッサン!」
「黙れ!」
苛立った男―高親は、そう叫ぶと火月の頬を打った。
「これから儀式を始めるぞ。皆、持ち場につけ。」
「はい、旦那様。」
白装束の集団が一斉に移動し、呪を唱え始めた。
火月はここから何とか逃げ出そうとしたが、荒縄が身体に食い込んで逃げられない。
(ここから逃げないと・・)
気持ちが焦るばかりで、動けば動くほど体力を消耗してしまう。
今ここで暴れるよりも、大人しくしている振りをすれば、逃げる時の体力を保てる。
そう思った火月は目を閉じた。
「漸く大人しくなったか。」
「ええ、旦那様。多喜子様とは大違いです。」
高親の隣で、あの女性がそう言って笑った。
集団が唱える呪が天井にまで響き、何かが祭壇の中から出て来るような気配を感じた。
「後少しで、多喜子は甦る。」
高親はそう言うと、一層声を張り上げて呪を唱えた。
(多喜子って、あの船の中で殺された子?このおっさん、本気で彼女を甦らせようとしてる訳?)
一体多喜子の魂を甦らせてどうするつもりなのか、火月は寝ている振りをして高親と女性の会話に耳を澄ませた。
「この者は、いかがいたします?多喜子様の魂を移す器はありますが、この者の魂は・・」
「捨てておけ、この娘は生まれてはならない子だったのだ。」
平然とした口調で、殺人すら厭わない事を言う高親に、火月はゾッとした。
「多喜子、出ておいで、またお父様と一緒に暮らそう。」
祭壇の中に潜む何かに向かって、高親は先程とは打って変わって優しい声で呼びかけた。

“お父・・様”

祭壇の中から、少女のか細い声が聞こえた。
その声の主が多喜子なのか確かめたくて、火月はそっと目を開けた。
そこに立っていたのは、人間の形をしていない肉塊が立っていた。

“お父様・・”

自分の近くで女性が悲鳴を上げるのが判った。
「来るな、化け物めぇ!」
“お父様、お会いしたかった・・”
生前多喜子のものであった肉塊は、ゆらりと高親に近づいたかと思うと、彼の頸動脈を噛み切った。
血しぶきを上げて倒れる彼の姿を見て、集団はたちまちパニックに陥った。

やがて誰かが篝火を倒し、部屋中に炎が瞬く間に広がった。

炎が舐めるように床全体に広がり、パニックに陥った集団は出口へと殺到し、押し合いへしあいながら部屋から出て行った。
火月は荒縄で身動きが取れず、死を覚悟した。
(お母さん、お祖母ちゃん、ごめんなさい・・)
彼女が涙を流した時、誰かが自分の身体を戒めている荒縄を切り裂いた。
「大丈夫か?」
「シキ、あんた何でここに?」
「お前が突然居なくなったからここまで尾けてきた。さぁ、逃げるぞ!」
彼とともに火月が出口へと向かおうとすると、あの女性が彼女の腕を掴んだ。
「逃がしません!あなたはここでわたくし達と死ぬのです!」
「離して!」
火月は女性の手を振りほどこうとしたが、ビクともしない。
シキが女性の顔面に蹴りを入れると、彼女は悲鳴を上げ火月の手を離した。
「助かったわ、ありがとう。」
「礼はいい。神を助けてくれた借りを返しただけだ。」
「そう・・あの島の神様はどうなったの?」
「俺達が神に対する感謝を忘れていることを恥じ、それを神に詫びて許しを乞うた。もうあの島は観光業から手を引くそうだ。」
そう言ったシキの顔は、晴れやかなものだった。
「それにしてもあの肉塊・・死んだ娘の魂だな?」
「うん。船で殺されたあの女の子を生き返らせようとしたんだよ、あのおっさん。そんな事したって無駄なのに。」
「そうだな。自然の摂理に反することは、やがて己の身に返ってくる。」
火月とシキが長い廊下を暫く歩いていると、急に広い庭が二人の前に広がった。
「どうやら、ここを抜けて外に出られるらしいな。」
「そうだね。」
二人が庭に足を踏み入れると、何処に隠れていたのか、黒服を着た男達が彼らに突進してきた。
「その娘を渡せ!」
「カゲツ、ここは俺に任せて逃げろ!」
シキは背中に背負っていた槍で男達と交戦している姿を尻目に、火月は庭を抜け高原邸から脱出した。
「くそ、何してる!相手は一人だぞ!」
黒服の男がそう言って舌打ちすると、彼の顔面に槍の柄が食い込んだ。
相手は五人だが、シキはそのうち三人を倒していた。
残るはあと二人―汗で滑る手を槍の柄を握り締めたシキであったが、一瞬の油断で彼は右肩に被弾した。
「くそっ・・」
「今だ、殺れ!」
二人の男達が一斉にシキへと襲い掛かった時、彼らの間に人影が割り込んできた。
「何だ、貴様は?」
「こいつも仲間だろう、殺せ!」
男達が人影に向かって動こうとした時、人影が何かを彼らに向けた。
「ぎゃぁぁ!」
断末魔の叫び声が聞こえ、男達は血しぶきを上げて倒れた。
「お前は誰だ?」
「俺か?俺は雄仁(ひろひと)、帝の御子だ。」
おどろに乱れた黒髪をなびかせながら、雄仁はそう言って血に濡れた太刀をシキの前に翳した。
(こいつ、魔物の気配がする!)
シキは痛む右肩を庇いながら、キッと雄仁を睨みつけた。
一方、高原邸から逃げ出した火月は、長い坂道を下っていた。
「火月ちゃん!」
「叔母さん!」
坂を下ると、叔母たちが火月の方へと駆け寄ってきた。
「良かった、無事だったのね!」
「心配掛けてごめんね、叔母さん。」
「さぁ、帰りましょう。今日の夕飯はハンバーグよ。」

そう言って聡子は、姪の肩に手を回し、彼女と共に車に乗り込んだ。

高原邸の庭では、シキと雄仁(ひろひと)が睨み合って互いの間合いを取っていた。

(こいつの全身から発せられる“気”・・魔物のものだ!)
神が発していた魔物の瘴気と、雄仁が発しているものが同じだとシキは気づいた。
「貴様は一体何者だ?」
「煩い!」
雄仁はそう叫ぶなり、シキに向かって太刀を振るった。
彼の血しぶきが芝生を濡らした。
「くそっ・・」
右肩を負傷した今、全力を出せない。
「もう終わりか?」
雄仁は口端を歪めて笑うと、そう言ってシキとの間合いを詰めた。
彼は雄仁の攻撃をかわしながら彼に向かっていったが、力の差は歴然としていた。
シキは油断し、雄仁はそれを逃がさず、彼の手から槍を弾き飛ばした。
「ここで死ね。」
(くそっ、どうすれば・・)
右肩の激痛に顔を顰めながら、シキは雄仁が自分に向かって剣を振りかざすのを見ていた。
その時、風が唸る音が聞こえたかと思うと、雄仁の身体が大きく仰け反って芝生の上に倒れた。
「一体何が・・」
訳も解らず雄仁の遺体へとシキが近づくと、彼の胸には一本の矢が貫いていた。
彼は誰が射ったのかと周囲を見渡したが、そこには誰も居なかった。
「シキ、無事か!?」
邸の中から声がしてシキが振り向くと、そこには祖父が自分の方へと駆けてくるところだった。
「右肩を少しやられた。」
「そうか。こいつはもう死んでいるな。わしと一緒に来い、シキ。」
「あぁ、解った。」
シキは雄仁の遺体をちらりと見ると、祖父と共に高原邸から去っていった。
結局、雄仁は行方知れずのまま、遺体も発見されなかった。
有匡は藤壺女御から鎌倉帰郷を許され、彼は妻子とともに京を後にした。
「これからどうなるんでしょうか、先生?」
「さぁな。雄仁様の失脚により、弘徽殿女御とその後ろ盾であった右大臣も大宰府に流罪となった。権力闘争が一段落した今、わたし達が出る幕ではなかろう。」
「そうですね・・」
「久しぶりに家族だんらんの休日を過ごせると思ったが、まさかこんな波乱尽くしのイベント満載とはな。おちおち休んでいられないな。」
有匡はそう呟くと、溜息を吐いた。
「まぁ、これから家でゆっくりできますからいいじゃないですか?」
「それもそうだな。」
有匡と火月は京を後にし、我が家のある鎌倉へと帰っていった。
「あ~、疲れた。」
「やっぱり我が家がいちばんよねぇ。」
今日から戻った有匡一家は、鎌倉の自宅で旅の疲れを取っていた。
「先生、ひとつお聞きしたいことがあるんですが・・」
「何だ?」
「僕と同じ顔をした女の子に会ったって言ってましたよね?どんな子だったんですか?」
「同じ名なのは顔と名前だけだ。性格は全く違ったな。まぁ、もう二度と会うことはないだろうが。」
有匡がそう言って妻に微笑むと、彼女は笑顔を彼に見せた。
「もしかして、違う世界に先生と同じ顔した人が居たりして。」
「まぁ、そうなったらおもしろいな。」
有匡の脳裡に、もう一人の“火月”の顔が浮かんだ。

彼女は無事に家族の元へと戻っただろうか。

2012年夏、鎌倉。

火月は再び、鶴ヶ岡八幡宮へと来ていた。

3年前、ここで憧れの陰陽師・土御門有匡と出会い、色々な冒険をした。
だがそんなのはもう昔の事だ。
(まさかまた、茂みの近くかどっかで倒れてたりして・・)
火月はそう思いながら、きょろきょろとあたりを見渡すが、そこには誰も居なかった。
あの後、彼女は叔母夫婦と正式に養子縁組をし、彼らの養女となった。
今はあの家を出て東京のアパートで一人暮らしをしているが、月に数回は実家に帰っている。
(明日から仕事かぁ~、嫌だなぁ・・)
そう思いながら火月が溜息を吐き、石段を降りていると、途中で少年二人組とすれ違った。
一人は精悍な顔つきをしたスポーツマンタイプで、もう一人は華奢な身体をした少年だった。
初めて会ったというのに、火月は彼らを何処かで見たような気がした。
(気の所為だな、きっと。)
電車に揺られ、文庫本を火月が読んでいると、バッグの中にしまっていた携帯が鳴った。
「もしもし?」
『あ、火月?あのさぁ、今日は何か予定ある?』
「ないけど、どうしたの?」
『実はねぇ、合コンがあるんだけど、メンバーが足りないのよぉ、だから来てぇ~!』
「え~、あたし今鎌倉から帰るとこ・・」
『7時に赤坂のアッピアって所で待ってるから!』
友人は一方的にそうしゃべると、火月の返事を待たずに通話を切り上げた。
(ったくもう、勝手なんだから・・)
火月は溜息を吐き、仕方なく合コンに参加する事にした。
「火月、ここよ~!」
友人に指定されたイタリアンレストランに着くと、彼女はそう言って火月に向かって手を振って来た。
「皆さん、紹介します。あたしの友達の西田火月さんです。」
「どうも宜しく・・」
合コンのメンバーは、一流企業に勤めるエリート達だった。
火月の他に自分を誘った友人達はそれぞれの相手と盛りあがっているが、彼女は少し居心地の悪さを感じていた。
はっきり断るんだった―そう思いながら火月が適当な言い訳を考えている時、自分の前に座っている男と目が合った。
「つまらないですよね?」
「まぁ・・そうですけど・・」
「メンバー合わせってだけで興味ないのに連れて来られるって、何だか嫌ですね。」
「確かに。もうあの人達自分達の事に必死なんで、さっさと帰っちゃいます?」
「そうですね。駅まで色々と話しましょうか?」
火月はそう言うと、男性と共にレストランから出て行った。
「自己紹介が遅れましたね。わたしは土御門義人(よしひと)と申します。」
「変わった名前ですね。土御門っていうと、あの土御門有匡の・・」
「ええ、直系の子孫です。残念ながら、力はありませんが。」
そう言って土御門義人はクスリと笑った。
その横顔が有匡に少し似ていると火月は思いながらも、彼と楽しく話しながら帰路に着いた。
「ではまた。」
「さようなら。」
まさか有匡の子孫に会うだなんて思いもしなかったが、彼となら上手くやっていけそうだ―火月はそう思いながらホーム滑り込んだ電車に乗り込んだ。
暫く電車に揺られていると、義人からメールが来た。

『明日、会えますか?』

彼女はそのメールに“イエス”とすぐに返事を打った。

―完―
コメント

真~TRUE~緋 第3話

2024年09月27日 | 火宵の月 現代×鎌倉ファンタジーパラレル二次創作小説「真~TRUE~緋」
「火宵の月」の二次創作小説です。

作者様・出版社様・制作会社様とは一切関係ありません。


色々と捏造設定ありです、苦手な方はご注意ください。

「何だ、今のは!?」
「一体何が起きたんだ!?」
プライベートビーチ全体を突如襲った雷に、観光客達は戦々恐々としていた。
「あれは・・」
ジャングルの中で、シキはプライベートビーチを絶え間なく襲う雷を呆然と見ていた。
「アリマサ、何とかあの方を救えないのか?」
「無理だろう。もう彼は・・この島の神は魔物と化してしまっている。彼はこの島を破壊尽くすことしか考えていない。」
有匡はそう言うと、海辺近くにある旧市街に居る火月のことが気にかかった。
「きゃぁぁ!」
旧市街に住むリンガルのアパートで、火月は激しい雷鳴に悲鳴を上げた。
「大丈夫かい?」
「どうして急に雷が?」
「神がお怒りになられたのさ。あたし達が自然を破壊したから。」
リンガルはそう言って、天を仰いだ。
プライベートビーチ周辺のホテルでは火災が発生し、消防隊が出動して消火に当たったものの、炎の勢いが激しく、巨額を投じたホテルは次々と崩落した。
「おい、お前達何とかしろ!」
「そういわれましても・・」
「何ということだ、わたしのホテルが!」
目の前で崩落してゆくホテルを、レイモンドはなすすべもなく呆然と見つめていた。
“やっと見つけたぞ。”
彼の前に、紅い衣を纏った男が舞い降りてきた。
「何だ、お前は!」
レイモンドはそう叫んで男に発砲したが、銃弾は彼の周辺で留まるだけで、その身体を貫きはしなかった。
「ひぃぃ、化け物!」
“黙れ、愚かな人間よ!”
男の白い指先がレイモンドの顔へと伸びたかと思うと、彼の血と脳漿が潰れた柘榴のように飛び散った。
(神の“気”を近くに感じる・・旧市街の方か?)
有匡がシキと旧市街へと向かっていると、鐘楼の方から悲鳴が聞こえた。
「シキ!」
「一体何が起きたんだ?」
シキに駆け寄った女性が、恐怖に震えながらレイモンドの遺体を指した。
それは顔を原型に留めぬほど潰された無残なものだった。
「何てことだ・・」
魔物と化した神の怒りを感じたシキは、思わず槍を地面に落としてしまった。
その時、一筋の光が有匡の顔を掠めたかと思うと、神が彼の頭上に剣を振りかざしてくるところだった。
“愚かな人間よ、また来たか。身の程知らずが。”
そう言って口端を歪めて笑う姿は、魔物そのものだった。
(このままでは彼が神に戻れなくなる。どうすれば・・)
有匡が土産物店に飾っていた剣を掴んで応戦すると、神は間髪入れずに攻撃を仕掛けてきた。
「有匡!」
向こうから火月の叫び声が聞こえたかと思うと、彼女が自分達の方へとやってくるのが見えた。
「来るな!」
「あんた島の神様でしょう!お願いだから人間を傷つけないで!この人たちはあなたを蔑ろにした事を後悔しているの、だから許してあげて・・」
“黙れ!”
神はカッと目を見開くと、火月を睨みつけた。
「神よ、どうかお気をお鎮めください!」
シキは火月を守ろうと彼女の方へと駆け寄ろうとした、その時だった。
突然島全体が、激しい揺れに襲われた。
「何だ?」
石畳には、あの祭壇に刻まれた文様が浮かびあがってきた。
有匡は慌てて神の姿を探したが、彼は何処にも居なかった。
「ありま・・」
火月が有匡の方へと駆け寄ろうとすると、突然地面がひび割れた。
漆黒の闇の中、三人は凄まじい勢いで落下していった。
(一体何が起きた?)
有匡は青龍を呼び出し、火月とシキを乗せた。
「しっかりつかまっていろ!」
青龍は上空へと向かって上昇していった。
「おい、あれは・・」
「あの青龍、まさか有匡のか?」
一方、戦場では紅牙族と人間が死闘を繰り広げていた。
その最中、琥龍が上空を泳ぐ青龍を目撃した。
あれを操れるのは、二人しか居ない。
有匡と、彼の妹である神官だけだ。
だとすれば、有匡があの青龍に―
「どうしたの、琥龍?」
「禍蛇、有匡の龍が・・」
琥龍がそう言って上空を指した時、敵兵の火矢が彼目掛けて飛んできた。
「琥龍、危ない!」
禍蛇が彼を守ろうと駆け出した途端、上空から何かが急降下してきた。
「化け物だぁ~!」
「全員退却!」
青龍が敵を威嚇すると、彼らは一目散に逃げていった。
「大丈夫か?」
「やっぱりてめぇか、有匡。」
危機一髪のところを有匡に救われ、琥龍は少しムッとした顔で彼を見た。
「人間と和解できたんじゃなかったのか?」
「ちょっと訳有りでな。それよりも・・火月、フェロモンボンバー!」
青龍から降りてきた火月の姿を見るなり、彼はそう言って彼女に抱きついてきた。
「何すんのよ、このスケベ!」
戦場に、乾いたビンタの音が響いた。
「有匡、何で火月が凶暴化してんだ?お前、何かしただろう?」
「何もしていないぞ。今からお前に説明しようと思ってだな・・」
「火月、俺と不倫してくれ~!」
「ウザイ!」

懲りずに火月に突進する琥龍に、彼女は彼の股間を蹴り上げた。

「で?こいつは確かに火月だけど、俺達が知ってる火月じゃねぇってことか?」
紅牙の村で琥龍はそう言うと、火月を見た。
「まぁそういう事だ。顔も名も同じだが、わたしの火月とは全く似ていない。」
「誰ぁれが、“わたしの火月”だと、この野郎!夫ぶってんじゃねぇよ、有匡!」
琥龍は有匡を睨むと、彼は飄々とした様子で酒を飲んでいた。
「全く、まだ火月(つま)を諦めておらんのか、サル。これじゃぁ禍蛇(よめ)に逃げられても文句言えんな。」
「うるせぇ!大体なぁ、火月に先に惚れたのは俺だ!」
「だから火月をものにするのは当たり前だとでも?馬鹿げてるな。女は男の所有物だと古臭い考えは捨てろ。」
「んだとぉ、表に出ろ!」
「全く、口論で負けたと思ったら今度は喧嘩か。これかだから単細胞は困る。」
怒りで完全に逆上している琥龍を前に、有匡は冷静沈着な態度を崩さなかった。
「ねぇ、あいついつもああなの?他人の奥さんにいつもセクハラかますわけ?」
「まぁそりゃぁねぇ、琥龍は火月ちゃんにベタ惚れだったからねぇ。いつも日本に来ては殿(ありまささま)と火月ちゃんの仲を邪魔してたもんねぇ。」
「そうそう。でもさぁ、結局火月ちゃんに振られちゃったからねぇ。」
有匡の式神、種香と小里は、そう言いながら笑った。
「全くあいつときたら、いつも他の女寝室に引き摺りこみやがって。嫁の俺には全然構ってくれねぇんだもんな。まぁその度に〆るけどさぁ。」
「あたしは旦那が浮気したら金は渡さないわぁ。家計を握っている妻の権限よねぇ。」
「言えてる~!」
女性陣による“夫の浮気に対する制裁トーク”で盛りあがり、いつしか夜は更けていった。
「あのう、何処で寝れば?」
「う~ん、やっぱり一応殿と一緒に寝ないとねぇ。」
「え~、それマジで嫌なんだけど。お姉さん達のところで寝かせてくださいよぉ~」
「駄目よぉ、ねぇ?」
「そうそう!じゃぁおやすみ~」
種香と小里はそそくさと自分達の部屋へと入ってしまった。
(どうしよう?)
こんな極寒の中で野宿する訳にもいかないし、かといってあの琥龍(ケダモノ)の部屋で寝る訳にもいかないし・・
結局火月は、有匡の部屋で寝ることにした。
「何だ、来たのか。」
「お姉さん達の所で寝ようとしたら、きっぱり断られちゃったもん。っていうか、あんたと一緒に寝たくないんだけど!」
「それはこっちの台詞だ。」
「何よそれ~!」
また有匡と火月はいがみ合ってしまい、火月は床で寝ることになった。
「あぁもう寒いったらありゃしない。ねぇ、ベッド譲って欲しいんだけど。」
「お断りだ。何故お前なんぞに譲らねばならん。」
「ケチ~!」
有匡が本を読んでいる間に、床で火月はいつの間にか寝入ってしまった。
(全く、どうしてこいつは妻と同じ顔と名前なんだ。)
性格は全く似ていないというのに、顔が似ているというのが厄介だ。
無防備で大口を開けて眠る火月を見ながら、有匡は溜息を吐いて彼女に毛布を掛けた。
翌朝火月が起きると、ベッドでは有匡がすやすやと寝息を立てていた。
ここのところ、心身ともに疲れている所為からなのか、彼女が揺すってもなかなか起きない。
「カゲツ、俺だ。」
扉の向こうから、シキの声が聞こえた。
「なぁに?」
「アリマサと話があるんだが・・」
「あいつなら寝てるわよ。それにしても話ってなに?」

火月がそう言ってシキを見ると、彼の顔が少し曇った。

「さっき、男達が妖狐族の宮城に攻めに行くとか話していた。」
「妖狐族の宮城に?それって確か、有匡の奥さんと子どもが捕えられている所だよね?」
「そうなのか?」
シキの蒼い瞳が驚きで大きく見開かれた。
「いつ頃城攻めするって?」
「さぁな。明朝発つとか言っていたな。」
紅牙族の男達が話していた内容が確かなら、有匡の妻子はどうなるのだろうか。
「シキ、それは本当なのか?」
「アリマサ・・」
いつの間にか起きて来た有匡が、そう言ってシキに詰め寄った。
「アリマサ、何処へ行く!」
「決まっている、妖狐族の宮城だ!」
吹雪の中、有匡が妖狐族の住まう妖狐界へと次元通路を開こうとした時、シキが慌てて彼を止めようとしていた。
「止せ、落ち着くんだ!」
「そうだよ、有匡!少し冷静になってよ!」
「煩い、わたしに構うな!」
有匡は二人の制止を振り切り、次元通路を開いて異界へと行ってしまった。
(行っちゃった・・)
次元通路が閉じられた今、火月はシキと吹雪が吹き荒れる中、彼の無事を祈ることしかできなかった。
次元通路を開き妖狐族がいる妖狐界へと向かった有匡は、一路宮城へと向かっていた。
早くしなければ、火月と子ども達の身が危ない。
有匡が宮城へと脇目も振らずに歩いていると、突然前方から何かがやって来るのが見えた。
それと同時に、通行人達が慌てて脇へと寄り始めた。
(何だ?)
徐々に近づいてくるのは、妖狐族軍の行進だった。
皆それぞれ真紅の髪を靡かせながら、槍の穂先を天に向けて馬に乗って進んでいた。
(軍が行進しているとなると・・余り時間はないな。)
有匡は軍を避けようと裏路地へと入ろうとしたが、馬上の者に目敏く見つけられてしまった。
「貴様、何者?人間が何故妖狐界に居る?」
「離せ、わたしは宮城に・・」
「怪しい奴め、捕えよ!」
有匡は軍に捕えられ、宮城へと連行された。
「こやつが街中に居たとな?妖狐族の街に、人間が?」
「はい、王(ハーン)。怪しい奴ゆえ、捕えました。」
「顔を見せよ。」
兵士の一人にいきなり俯いていた顔を上げさせられた有匡は、そこで妖狐族を統べる王を見た。
「そなた、あの人間の・・」
有匡と目が合った王が瞬時に顔を強張らせると、憎々しげに彼を睨みつけた。
「誰か剣を。この者の首を刎ねて・・」
「お待ちくださいませ、父上!」
謁見の間に駆け込んできたのは、母・スウリヤだった。
「スウリヤよ、邪魔立ては許さぬぞ!」
「父上、わたくしの息子です。父上といえども手出しは許しません。」
娘の言葉に王は怒りで顔を赤く染めたが、忌々しそうに有匡達にこう告げた。
「さっさとその男を連れて行かぬか。目ざわりでならん。」
母に命を救われた有匡だったが、火月達の事が気に掛かってしまい、礼も言えなかった。
「そなたの妻と子ども達は無事だ、有匡。」
「そうですか・・」
有匡がそう言って所在なさげに周りを見渡していると、火月と子ども達が彼の方へと駆け寄ってきた。
「先生!」
「火月、会いたかった!」

有匡は漸く妻・火月と再会し、二人は互い、一目も憚らず熱いキスをした。

有匡が妖狐界に来て、妻子と再会して数日後、紅牙族と人間との争いが激化しているという知らせが彼の元に届いた。
「先生、琥龍達は・・」
「あいつらなら無事だ。それよりも火月、母上には良くして貰ったか?」
「ええ。スウリヤ様は何かと僕達に気を配ってくださいましたし、雛(すう)が熱を出した時も看病をしてくださいました。」
「雛が熱を?」
妻の言葉を聞き、有匡の眦が上がった。
「ええ。先生と突然地震で離ればなれになって、妖狐族の牢獄に囚われていた時になかなか熱が下がらなくて。」
「雛は何処だ?」
「あの子なら庭園で遊んでいます。」
「そうか。熱が下がったのならいいが。」
もしやまた双子に変幻が起きるのではないか―有匡はそんな事を思いながら、スウリヤの部屋へと向かった。
「母上、失礼致します。」
「有匡か。雛の事を聞きに来たのなら、あの子はもう大丈夫だ。」
スウリヤはそう言うと、咥えた煙管に火をつけた。
「そうですか。それよりも今回の地震といい、人間界での異変といい・・原因が全く判りませんね。」
「近いうちに人間界と魔界が呼応する時が来よう。その時は有匡、火月達と逃げろ。」
「しかし、母上・・」
「わたしの事は自分で何とかするから、心配するでない。だからお前は、家族を守れ。」
「母上・・」
スウリヤのまっすぐな目から、有匡は視線を逸らす事が出来なかった。
彼女は、夫と有匡を残し、単身妖狐界へと戻っていった。
それは二人を捨てたのではなく、スウリヤと有仁が有匡を人間として育てることを決意したからの、行動であった。
「親子としてわたしとお前は共に居られなかったが、お前は違う。あの双子を守れ。」
「解りました。」
スウリヤの部屋から辞した有匡は、雛が遊んでいる庭園へと向かった。
「あ、蝶々!」
蒼い羽根を持つ蝶を見た雛は、それを捕まえようと脇目も振らずに走り出した。
あと少しで捕まえられると彼女が思った時、小石につまずいて転んでしまった。
「痛ぁい・・」
擦りむいた膝を擦りながら雛は蝶を探したが、蝶は何処にもなかった。
「あ~あ、逃がしちゃった。綺麗だったのに。」
「雛、大丈夫か?」
向こうから父親が血相を変えて走って来た。
「お父様!」
数ヶ月の間離ればなれだった父親と再会し、雛は彼に抱きついた。
「全く、すぐ目を離すとこれだから・・」
お転婆盛りの娘を抱き上げながら、有匡は溜息を吐いた。
「だって綺麗な蝶を見つけたから、捕まえようと思ったんだもの。」
「綺麗な蝶?」
「うん。蒼い大きな羽根だったよ。」
「そうか。もうここは寒いから部屋に戻ろう。」
「うん!」
庭園を去る時、有匡は一瞬殺気を感じたが、それはすぐに消えた。
「お父様?」
「何でもない、行こうか。」
(今誰かに見られたような・・)
彼らが庭園を去った後、茂みが激しい音を立てて一人の男が出てきた。
「なるほど、ここが妖狐族の宮城ですか。」
帝の護持僧・文観はそう言うと笑った。
「スウリヤ様、結界に侵入者が・・」
「人間だな。放っておけ。わたしはもう休む。」

スウリヤはそう言うと、寝台に横たわった。

(また、見られているような・・)
家族で朝食を囲んでいると、有匡は執拗な視線を感じた。
「お父様、ストーカーに狙われてるの?」
雛がそう言って有匡を見ると、彼は何かを考え込んでいた。
「そなたがストーカーに遭うとはのう。もしや昨夜感じた“気”も、ストーカーかもしれぬな。」
スウリヤがそう言った時、女官達が部屋に入ってきた。
「スウリヤ様、大変です!」
「どうした?」
「人間の男が、宮城の敷地内に!」
女官達の言葉を聞いた有匡が驚きで目を見開いた時、またあの視線を感じた。
「お久しぶりですね、有匡殿。」
凛とした声が背後から聞こえ、有匡が振り向くと、そこには文観が立っていた。
「文観、貴様何故妖狐界に?」
「さぁ、わたしも何故ここに来たのか判りません。寺には身重の妻を一人残しておりますし。」
文観の言葉に、有匡の眦が上がった。
彼の言う“身重の妻”とは、有匡の妹・神官(シャマン)のことだった。
「有匡、そやつと知り合いか?」
「あなたが、皇女スウリヤ様ですか?」
文観の視線が、有匡からスウリヤへと移った。
「そうだが。そなたは、艶夜の夫か?」
「いかにも。お初にお目にかかります、スウリヤ様。」
文観はそう言うと、スウリヤに頭を下げた。
「艶夜が身重とは、どういう事だ?」
「実はこの度、二人目の子を授かりましてね。しかし体調が芳しくなく、安定期を過ぎても悪化の一途をたどるばかりで、このまま無事に出産を迎えられるかどうか・・」
「そうか。文観とやら、わたしを人間界へ連れて行け。」
「皇女様、なりません!」
「妖狐界から王の許可なしに出るとは、正気の沙汰とは思えませぬ!」
女官達が抗議すると、スウリヤはキッと彼女達を睨んだ。
「黙れ、子に会いたいという母親を止めるでない!」
「わたし達も参りましょう、母上。」
こうして有匡達は、文観とともに醍醐寺へと向かった。
「こちらです。」
彼に案内され、有匡は神官が寝ている部屋へと向かった。
そっと御簾を上げた途端、凄まじい瘴気が有匡と文観を襲った。
(これは、一体・・)
「いつからこんな瘴気が?」
「昨年の夏ごろから、悪阻にくわえて意識障害も出て来ておりまして。」
有匡が御帳台の中で眠る神官を見ると、彼女の顔は何処か蒼褪めている。
そっと彼が妹の下腹に触れると、微かに胎児の鼓動を感じた。
だがそれとは別に、何かが蠢く気配がした。

禍々しい、魔物の気配。

「有匡殿?」
「腹の子の他に、魔物の気配を感じた。魔界と現界が呼応する時が近づいているというのは・・」
「艶夜の胎内に宿りし子が産まれし時じゃ。このままだと腹の子もろとも助からぬであろう。」
スウリヤはそう言うと、娘の前に腰を下ろした。
「何か手立てはありませんか?艶夜と腹の子、二人が助かる方法を。」
「本人達の生命力に賭けるしかなかろう。」
スウリヤと有匡、そして文観は、神官と腹の子を助ける方法が見つけられぬまま、残酷に時は過ぎていった。

そして、神官は産み月を迎え、吹雪の夜に彼女は産気づいた。

「もっと護摩を焚け!」
「ですが僧正、これ以上焚いては・・」
「煩い!」
神官が産気づき、文観は彼女と子が無事にこの危機を乗り越えられるよう、加持祈祷を行っていた。
護摩壇からは、天にまであと少し届くかのような紅蓮の炎が上がっていた。
文観は独鈷杵(とっこしょ)を握り締め、祭文を唱えた。
一方、白一色に染められた神官の寝室で、彼女は絶え間なく襲う陣痛に耐えていた。
「ミツタダ・・」
神官は夫の名を呼びながら、荒い呼吸を繰り返した後意識を失った。
「火月ちゃん、殿を呼んできて!」
「解った!」
火月は産室から出て有匡が居る本堂へと向かうと、そこには文観と加持祈祷をしている彼の姿があった。
「先生、大変です!神官が・・」
「どうした、火月?」
「突然意識を失って・・」
有匡と火月、文観が産室へと向かうと、そこは魔物の瘴気に満ちていた。
「火月、暫く外に出ておけ。お前まで巻き込まれる。」
有匡はそう言って妻を背後に下がらせると、呪を唱えた。
すると、産室全体が大きく揺れ始めたかと思うと、神官の身体から魔物が現れた。
それは黒い衣を纏った女だった。
「貴様か、神官に取り憑いていた魔物は?」
「コノ身体ハワタサヌ。血肉ゴト食ライ尽クシテクレヨウゾ。」
女がそう言って口端を歪めて笑うと、また産室が軋みを上げて大きく揺れた。
有匡が呪を唱え始めると、女は苦しげに胸を掻きむしった。
「オノレ、陰陽師メ・・」
女はかっと目を見開き、恐ろしい形相で有匡を睨んだ。
「その様子だと、効いているらしいな。」
有匡はふっと笑うと、女に留めを刺すべく剣を取り出した。
「オノレェ・・」
女は苦しそうに床に蹲り、外に居た火月に目を向けた。
「器ハ変ラレル・・」
「妻には手を出すな。」
有匡は間髪いれずに女の胸を刃で貫いた。
女は凄まじい悲鳴を上げ、消えた。
「先生、大丈夫ですか?」
「ああ。魔物の気配はもうしないが、油断は出来ん。」
有匡がそう言って火月を見た時、神官が意識を取り戻した。
「後はお前に任せるぞ。」
「はい、先生。」
有匡と文観が産室を出た後、火月は神官の出産を介助した。
やがて産室から元気な産声が聞こえた。

産まれたのは女児だった。

「そうか、産まれたのは姫君か。一時はどうなることかと思うたが、良かった。」
スウリヤはそう言うと、盃を満たしていた酒を一口飲んだ。
「これも有匡殿のお蔭です。」
「ふん、礼を言うほどのことでは・・」
「シスコンだもんね、先生は。」
火月に図星をさされ、有匡がジロリと彼女を睨むと、彼女はスウリヤと談笑していた。
「火月よ、次はそなた達の番だな。」
「母上、それはまだ・・」
「そなたらの様子を見ていると、三人目も遅くはないようだからの。」
三人目を催促し、戸惑う息子夫婦を前にして、スウリヤはほくそ笑みながらまた酒を一口飲んだ。

それから火月が三人目を授かるのは、そう時間が掛からなかった。

妹・神官(シャマン)の出産が無事終わり、有匡は妻子を連れて鎌倉へと明日戻ろうとしていた。
「もう少しこちらでゆっくりすればよいものを。」
「用は済んだからな。それに幕府側の人間であるわたしが、いつまでも醍醐寺(ここ)に居てはお前の立場もないだろう?」
「お優しいことをおっしゃるのですね、義兄上(あにうえ)。」
宿敵に“兄”と呼ばれ、有匡はあからさまに不機嫌そうな顔をした。
「それよりもあの魔物、消えたのはいいですが正体が判らないとは。一体なんだったのでしょう?」
「さぁな。それよりも母上の言っていたことが気になる。」

“近いうちに人間界と魔界が呼応する時が来よう。”

妖狐界で母が自分に言った言葉の意味を、有匡は考えていた。
人間界と魔界が呼応する時―いずれまた戦が起こるという意味だろうか。
それとも―
「僧正、帝からの使いが・・」
「今は取り込み中だとお伝えしろ。」
「いえ、それが・・土御門有匡殿に用があるとか。」
弟子の言葉に、文観と有匡は一斉に彼を見た。
(帝がわたしに用だと?)
土御門家とは完全に絶縁したので、今更帝は自分に用はないと思っていたのだが。
「わたしに用とは?」
「実は、帝の東宮様が、あなたのお噂を耳にし、是非会いたいとおっしゃられて・・どうか、一度内裏へ参内してはいただけませぬか?」
「大変光栄な申し出ではあるが、丁重にお断りさせていただく。わたしは明日、鎌倉へと発つ予定で・・」
「東宮様は、貴殿の奥方にもお会いしたいとか。」
帝の使いがそうはなった言葉に、有匡は驚きで目を見開いた。
「東宮様が、わたしの妻にお会いしたいと?一体何の用件で?」
「それは直接お会いになってからお聞きしたほうがよろしいかと。」
向こうは有匡が東宮の誘いを断らないという想定内でそんな言葉をかけると、早々と醍醐寺から去っていった。
「どうなさいます、有匡殿?」
「どうもこうも、出発を早めて鎌倉へと戻る。火月の体調次第だが。」
三人目を身籠っている火月の体調は少し芳しくなく、悪阻が重いようで一日中床に臥せっていた。
「大事な時期ですので、余り無理をかけてはいけませんね。」
「そうしたいのは山々だが・・」
東宮が何故自分達に興味を持ったのか、有匡には理解できなかった。
翌朝、有匡は妻子を連れて鎌倉へと発とうとしていた。
その時、間の悪い事に文観が悪い知らせを彼に持ってきた。
「今から、東宮様がこちらに来られると仰せです。」
「東宮様が?今から鎌倉を発つというときに、厄介な。」
有匡はそう言うと舌打ちした。
「火月、お前は部屋に隠れていろ。」
「はい・・」
ほどなくして、東宮が醍醐寺に現れた。
「文観よ、そちらが土御門有匡殿か?」
まだ17の若さではあるもの、東宮の全身からは威厳に満ちたオーラが発せられていた。
「はい、東宮様。土御門有匡と申します。今日はどういったご用件で?」
有匡がそう東宮に尋ねると、彼は扇子で自分の傍に寄るよう有匡に指示した。
「ほぉ、美しい顔だ。それでいて有能な陰陽師というだけある。そなたの妻は何処だ?」
「生憎ですが、妻は悪阻が酷く床に臥せっておりまして。それにわたくしは鎌倉へと発つことになっており・・」
「そなたを鎌倉へは行かせぬ。」
御簾がするすると上がったかと思うと、東宮がそっと有匡の手を握ってきた。
「そなたは我の元に仕えるのだ、有匡。」
「何をおっしゃいますか、東宮様。有匡殿は幕府お抱えの陰陽師ですよ?そのような事は許されませぬ。」
文観が東宮に抗議したものの、彼は聞く耳を持たなかった。
「すぐに御所へ参れ、有匡。そなたの妻と子どももともにな。」
有無を言わさぬ口調で東宮は有匡にそう告げると、彼は口端を歪ませて笑った。
こうして半強制的に、有匡と火月達は東宮によって御所に連れていかれた。
何が何だか訳が解らぬまま、火月は後宮へと入ることになってしまった。
「先生、これからどうすれば・・」
「心配するな、火月。どうせ東宮様の気紛れだろう。すぐに帰れるさ。」
そう言って妻を励ました有匡であったが、いつ鎌倉に帰れるのか不安で堪らなかった。
「東宮様、土御門有匡様が参りましてございます。」
東宮が住まう部屋へと有匡が向かうと、彼はそれまで物憂げな表情を浮かべていたが、有匡の顔を見るなり一転晴れやかな表情を浮かべた。
「有匡、ようきてくれたな。待ちくたびれておったぞ。」
「東宮様、このようなことをなさったのは何故ですか?ご用件が分からねばこちらとしてしても・・」
「そなたの妻を、我の妃といたせ。」
「東宮様、戯言を。」
「戯言ではないぞ。我はいつも本気だ。」

東宮は有匡がどう反応するのかを、横目でチラチラと見ては嬉しそうに口元を歪めた。

「と、東宮様・・それはできませぬ。」
「何故じゃ?それほどにそなたは妻を愛しておるのか?」
東宮はそう言って有匡の狼狽した顔を見て笑った。
「東宮様、戯言を申されるのはお止めになされませ。有匡殿が困っておいでではありませぬか。」
すかさず東宮の傍に控えていた男がそう彼を窘めたが、彼はブスっとして男を睨んだ。
「お話しがお済みになりましたので、わたくしはこれで失礼致します。」
「嫌じゃ、待て、有匡!」
東宮は突然駄々を捏ね始め、有匡の手を掴んで離さなかった。
「では、わたくしはこれにて。」
有匡は東宮の手を振り払うと、東宮の寝所から辞した。
(全く、何なんだ東宮様は。突然駄々を捏ね始めて、まるで子どものようではないか。)
「もし、有匡殿。」
廊下を歩いていると突然声を掛けられ、有匡が振り向くと、そこには東宮の傍に仕えていた男が立っていた。
「何かわたしに用でしょうか?」
「実は、東宮様の事で・・」
「東宮様の?」
「ええ。先程は驚かれたと思われますが、東宮様は時折あのような駄々をお捏ねになったりなさるのです。お母君を幼くしてお亡くしになられたので、他人の温もりといったものが欲しいのでしょう。」
「確か東宮様は今年で17となられる筈。東宮の母君がお亡くなりになられたのは東宮様がおいくつの時ですか?」
「そうですね、まだ東宮様が御袴着の儀を迎えられた後でしょうか。母君亡き後、帝は弘徽殿女御様を妃に迎えられ、女御様は男子(おのこ)をお産みあそばされて、東宮様はそれ故蔑ろにされたのです。」
男から東宮の生い立ちを聞き、先程の行動は幼少期の愛情不足からくるものだったのかと有匡は思った。
だとしても、他人の妻を自分の妃にするなど、理解し難い。
東宮は何を心の底に抱えているのだろうか。
宮中に参内するのは久しぶりだから、有匡はつい道に迷ってしまった。
道を聞こうにも人気がなく、元来た道を戻ろうと彼が踵を返した時、向こうから人の話し声が聞こえた。
「全く東宮様にも困ったものよの。あれでは弟君に廃嫡されるのも無理はない。」
「ほんに。弘徽殿女御様は、何故あのような無能な者を東宮にするのだと、大変お怒りだそうな。」
「まぁ、東宮様には誰も期待はしておるまい。いずれ土佐にでも流されよう。」
公達達がヒソヒソと話しながら、遠ざかっていった。
彼らの話を聞く限り、東宮は継母である弘徽殿女御から冷遇され、弟君と何かと比較されて育ったようだ。
それ故に突飛な行動をして周囲を驚かせ、気を惹こうとしているのではないのだろうか―有匡はそう思いながら、鎌倉へと戻る日を待ちわびた。
夜の帳が下りた後宮では、女達がすやすやと寝息を立てて眠っていた。
そんな中火月は、悪阻に苦しんでいた。
双子を妊娠した時は全くなかったのに、今回の妊娠に限って酷い。
お腹の子はちゃんと育っているのだろうか。
火月はそっと下腹に手を当て、この子が無事に産まれてくるように願った。
(先生、今どうしているかな?)
そう思いながら彼女が御簾越しに月を眺めていると、こちらへと向かってくる足音が聞こえた。
「誰です、こんな時間に?」
「・・そなたが火月か。」

低い男の声が聞こえたかと思うと、東宮が部屋に入ってきた。

「と、東宮様?」
突然の東宮の来訪に、火月は戸惑った。
「何故こんな時間に起きておる?」
「少し体調が優れなくて・・東宮様は、何故こちらに?」
火月がそう東宮に尋ねると、彼はいきなり火月を抱き締めた。
「何をなさいます、東宮様。お離しくださいませ。」
「嫌じゃ。」
火月は東宮から離れようとしたが、彼は一向に火月を離そうとはしない。
「そなたからは母上と同じ匂いがする。」
東宮はそう言うと、火月の金髪を梳いた。
「東宮様のお母君は、どんなお方だったのですか?」
「余り良く憶えておらぬ。母上は我がまだ幼いときにお亡くなりになられたゆえ。」
「まぁ、そうでしたか。僕・・わたしも幼い頃、両親を亡くしましたので、お気持ちは解ります。」
「そうか。有匡は何故、そなたを妻としたのじゃ?」
「さぁ・・互いに惹かれ合っておりましたので、自然と夫婦になりました。」
「自然と夫婦に、か・・我もそうなりたい。」
東宮はそう言うと、漸く火月から離れた。
「東宮様、もうお戻りになられませんと。」
「嫌じゃ。そちと朝までここに居る。」
「東宮様・・」
火月は東宮に戻るよう説得したが、彼は駄々を捏ねてしまい、結局火月の膝枕で眠ってしまった。
「火月、どうしたんだ?」
「先生・・」
翌朝、有匡が火月の元に行くと、そこには彼女の膝で眠っている東宮の姿があった。
「昨夜急に訪ねてこられて・・寝所にお戻りになられたらとおっしゃっても、なかなかお戻りになられなくて・・」
「そうか。」
「東宮様、幼いときにお母君を亡くされて、色々と心細い思いをなさったのでしょうね。」
「まぁ東宮様のお気持ちは解らぬでもないが・・悪阻は辛くないか?」
「最近は酷くなったり、なかったりと、波があって。無事生まれるかどうか。」
有匡はそっと、火月の下腹を触った。
すると、腹の中から楽しそうにはしゃいでいる胎児の声が聞こえた。
「大丈夫だろう。余り気に病むな。魔物の気配もないしな。」
「そうですか。」
有匡の言葉に、火月は安堵の表情を浮かべた。
「雛(すう)と仁(じん)はどうしている?」
「二人なら良く遊んでいますよ。」
「そうか。さてと、わたしは東宮様を寝所にお連れするとしよう。」
有匡は東宮を揺り起こすと、彼は低く呻って目を開けた。
「東宮様、お戻りになられませんと。」
「嫌じゃ、火月とここに居るのじゃ。」
「東宮様、どうか・・」
駄々を捏ね始める東宮に溜息を吐いた有匡が彼を後宮から連れ出そうとすると、衣擦れの音が向こうからした。
「あら、あれは・・」
「東宮様の弟君ではないの。」
「いつ見ても凛々しいお顔だこと。」
東宮の弟君・雄仁が後宮に現れると、女達が急に色めき立った。
有匡が御簾の向こうから外を見ると、そこには一人の公達が歩いてくるところだった。
紅の直衣を纏い、烏帽子を被っている彼の姿は、堂々としていた。
「さぁ東宮様、お戻りを。」
「嫌じゃ。我はあやつに会いとうない!」

雄仁の姿を見た瞬間、東宮はそう声をあげ、ガタガタと震え始めた。
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真~TRUE~緋 第2話(後半)

2024年09月27日 | 火宵の月 現代×鎌倉ファンタジーパラレル二次創作小説「真~TRUE~緋」
「火宵の月」の二次創作小説です。

作者様・出版社様・制作会社様とは一切関係ありません。


色々と捏造設定ありです、苦手な方はご注意ください。

「また会えたのう、陰陽師よ。」
蒼いドレスの裾を翻しながら、金髪の少女―悠葉(ゆずは)がそう言って有匡と秀介の前に姿を現した。
「貴様に構っている暇ではない。そこを退け。」
「ふん、折角助けてやったというのに礼もなしか。」
悠葉はそう言うと、鼻を鳴らした。
「何の用だ?貴様と遊んでいる暇はないんだ。」
「そうか。では、お前を殺すまでだ!」
悠葉は床を蹴ると、有匡に向かって斬りかかってきた。
有匡は彼の攻撃を避けながら、咄嗟にデッキに飾ってあった洋剣を掴んで応戦した。
「ほう、なかなかやるな。」
顔の前で刃を交えると、悠葉は余裕綽々とした表情を浮かべ、口端を歪めて笑った。
その時、遠くから火月の声が聞こえたかと思うと、彼女がデッキに現れた。
「火月、来るな!」
「あり・・」
「余所見をするでない!」
悠葉は有匡の向こう脛を蹴ると、彼の手から洋剣を奪い、首の前で交差して床に彼を押し倒した。
「下手に動くでないぞ。」
「何してんのよ!」
悠葉に向かって火月が怒鳴ると、彼はじろりと火月を睨んだ。
「小娘、邪魔をするな。邪魔立てすると貴様も海の藻屑にしてやろう。」
悠葉はさっと立ち上がると、火月の方へと突進した。
だが、一発の銃弾が彼の胸を貫いた。
「おのれ・・」
「良かった、こんな時に銀の銃弾持ってて。」
涼やかな声が背後から聞こえ、火月が振り向くと、そこには拳銃を構えた秀介の姿があった。
「貴様、よくも!」
「火月様、逃がしはいたしませんよ!」
慌しい足音が聞こえたかと思うと、老女と白装束の男達がデッキに雪崩れ込んできた。
「来ないで!来たらここから飛び降りてやるから!」
火月は船尾へと向かうと、その裏側へと回った。
「火月様、お気を確かに!さぁ、落ち着いてこちらへ!」
「嫌よ、誰があんたらの言いなりになるかっての!」
火月が老女達にそう怒鳴ったとき、突然突風がデッキを襲った。
「火月!」
有匡は首の前で交差する剣を二本とも抜くと、船尾で悲鳴を上げている火月の方へと駆け寄った。
「掴まれ!」
「きゃぁ~!」
あと少しというところで火月が有匡の手を掴もうとしたとき、新たな突風にあおられ、海中へと落ちてしまった。
有匡はためらいもせずに冷たい海の中へと飛び込んだ。
激しい潮の流れの中、彼は火月の身体を抱き締めた。
「火月様・・あぁ、なんてことでしょう!高原家の最後の希望が!」
老女は二人が消えた海を見つめ、悲嘆に暮れた。
「海の藻屑と化したか、陰陽師よ。哀れよの。」
悠葉はそう言って笑うと、姿を消した。
波音が聞こえ、海岸に打ち上げられた火月が目を開けると、そこには自分を抱き締めたまま気絶している有匡が居た。
「ねぇ、起きてよ。」
火月は有匡の頬を叩くと、彼は激しく咳き込んで海水を吐き出した。
「さっさとどけ、重くてかなわん。」
「さっきはいい奴だと思ってたけど・・やっぱりあんたって最低!」

こんな非常時でも、二人はいがみ合ってしまうのだった。

「一体ここ何処なのよ?まさか無人島だったりして。」
豪華客船のデッキから海に転落し、何処かの海岸へと流れついた火月と有匡は海岸を離れ、人里を探しに森の中へと入っていった。
「さぁな。船が今何処に居るのかは解らんが、わたし達が遭難していることは向こうに伝わっていると思うだろう。」
「あんたねぇ、何でこんな時に冷静な訳?もう少し慌てたら?」
「無駄なパニックは命取りだ。式神に情報収集させてあるし、奴らに聞けば住む事だ。」
「あっそ。それよりもお腹空いたなぁ。何か持ってない?」
「持ってる訳がないだろう、あんな状況で。それとも何か?今すぐ海に戻って魚でも獲って来いと?」
「あたしにしろっていうの?か弱い乙女に裸になれって?」
「何処かか弱いんだ?勝手な行動はするわ、向こう見ずだわ、煩く怒鳴るわ・・こういう所は変に妻に似るものだな。」
「はいはい、悪かったわねぇ。それにしても暑いったらありゃしない。」
水を吸った振袖は徐々に乾き始めてはいるものの、暑くて仕方がない。
グタグダと火月が文句を垂れながら森の中を歩いていると、やがて目の前に道が開け、遥か遠くに村と思しきものが見えてきた。
「無人島じゃなくて良かった!これで食べ物にありつけるよ!」
火月が歓声を上げながら村へと駆けてゆくのを、有匡はあきれ顔で見ていた。
(全く、馬鹿な女だな・・)
妻と名前も顔も同じだが、性格は全く違う。
一つ自分が嫌味を言えば、彼女はそれを十も返してくる。
その所為で火月と顔を合わせるたびにいがみ合ってしまう。
ただでさえ妖狐界に居る妻の身を案じてストレスを感じているのに、彼女との低次元の争いで無駄なエネルギーを使いたくない。
かといって、彼女と歩み寄るつもりはないし、どうしたらよいのか・・
「きゃぁ~!」
遠くから火月の悲鳴が聞こえ、有匡が彼女の方へと駆け寄ると、そこには鍬(くわ)や鋤(すき)、槍で武装した村人達が彼女を取り囲んでいた。
「一体何をした!?」
「何もしてないって!村に入ってきたら突然囲まれたんだから!」
有匡が火月の方へと一歩近づくと、村人達が彼の喉元に槍を突き付けた。
「お前達、何者だ?」
そう言ったのは、顔に鮮やかな刺青を彫った褐色の肌をした青年だった。
「わたし達は怪しい者ではない。遭難し、ここに流れ着いてきた。」
「解った、話を聞こう。」
青年は槍を収めると、村人達に向かって何かを命令した。
彼らは解らぬ言葉で口々に喚いていたが、青年が一喝すると一斉に黙り込んだ。
どうやら青年は、村のリーダー的存在らしい。
「村長がお前達を呼んでいる。」
「解った。」
恐怖で顔を引き攣らせている火月の手を握りながら、有匡は青年の後に黙ってついていった。
するとそこには、周囲の茅葺屋根の家と比べて煉瓦の頑丈な造りの家が目の前に現れた。
「村長、侵入者を連れて来ました。」
「解った、入れ。」
贅を尽くした大理石で作られた玄関ホールに三人が入ると、廊下の奥から若い男の声が聞こえてきた。
青年とともに廊下のつきあたりにある部屋を入ると、そこはペルシャ絨毯がひかれ、優美なヴィクトリア様式のソファに横たわった一人の白人男性が居た。
年の頃は30前後といったところだろうか、注文服(オートクチュール)の高級スーツを着こなしている姿からして、何処かの貴族だろう。
「シキ、お前は下がっていろ。」
「解りました。」
シキと呼ばれた青年はそう言って白人男性に頭を下げると、部屋から出て行った。

「初めまして。わたしはレイモンド、この村を統治する者だ。あなた方は?」

彼はそう口を開くと、好奇心を剥き出しにした視線を有匡に送った。

「遭難して、この島に流れ着いたものだ。」
「そうですか、それは大変だったでしょう。確かこの前、ニュースでそんな事をやっていたな。」
この村の“村長”・レイモンドはそう言うと、今朝の朝刊を有匡達に見せた。
そこには、『豪華客船に暴風雨襲う、男女二人未だに不明』という一面記事が載っていた。
「この記事に書かれているのは、あなた方のことかな?」
「はい、そうです。」
「ではわたしが連絡しておくから、暫く我が家でゆっくりと身体を休めてください。遠慮は要りませんよ。」
「ありがとうございます。」
レイモンドの言葉に多少ひっかかりを感じた有匡だったが、素直に彼の好意に甘えることにした。
「シキ、彼らをお部屋へ案内しろ。」
「かしこまりました、旦那様。」
先程の青年がリビングに入ってきて、有匡と火月を寝室へと案内した。
「ひとつだけ言っておく、奴の事は余り信用するな。痛い目をみるぞ。」
「それは一体どういう・・」
有匡がそう言って青年を問いただそうとした時、リビングのドアからレイモンドが顔を出した。
「シキ、無駄口を叩いてないで早く行け!怠け者に金はやらないからな!」
そんな言葉を投げつけられたシキは怒りで一瞬顔をどす黒くさせたが、レイモンドに向かって黙礼すると、二階へと向かっていった。
「あいつが“村長”か?何処かいけ好かない奴だな。」
「ああ。表面上あいつが村長だが、みんなはあいつに辟易しているんだ。金持ちの道楽でこの島を私物化して、俺達の生活を壊しているんだ。」
シキはレイモンドへの嫌悪を滲ませた口調で言うと、豪華な絨毯に唾を吐いた。
どうやら彼は、あの村人達に憎まれているようだ。
「ここが、お前達の部屋だ。」
シキに案内されたのは、まるで新婚夫婦が使うような部屋で、寝台にはハート形の花弁が飾られていた。
「何か勘違いしているようだが、わたし達は新婚じゃないぞ。」
「そうか、済まん。」
シキはそう言うと、そそくさと花弁を片付けた。
「この村はいつからレイモンドの支配下になった?ここは何処だ?」
「ここはアバソロ島だ。丁度お前達が乗った船の航行ルートにある。農業と漁業が主な産業だが、数年前からあのレイモンドが観光業を始めた。その所為で余所者がこの島の生態系や伝統、文化を破壊した。今やあいつのような強欲な禿鷹野郎どもがこの島に跋扈(ばっこ)してやがる。」
「シキと言ったな?顔の刺青にはどういった意味がある?」
「これか?」
シキはそっと顔の刺青を撫でた。
「これは古くから俺達民族に伝わる神との契約だ。神はこの島に精霊を遣わせ、俺達の祖先とともにこの島の秩序と自然、伝統を守ってきた。」
「それをあのレイモンドが壊したということか。それと同時に、神の怒りを買ってしまったのか?」
「まぁ、そうなるな。実際、この島を通りかかる船や飛行機は必ず嵐に襲われる。」
シキは淡々とした口調で有匡にアバソロ島の歴史を掻い摘んで説明してくれた。
「お前達が乗った船は無事にフランスの港に着いた。いずれ助けが来るだろう。」
「暫く世話になる、宜しく頼む。」
有匡がそうシキに頭を下げると、彼は苦笑して彼に右手を差し出した。
「こちらこそ宜しく頼む、アリマサ。」
男達の間に友情が生まれた時、火月は村の女達が集まるある場所へと向かっていた。
「ここは何処なの?」
「ここは観光客への土産物を作る場所さ。今からあんたに仕事を教えるからね。」

そう言って火月の前に一人の太った女がやってきた。

「あのう、あなたは?」
「あたしかい?あたしはここの責任者の、マテーシャさ。あんた、裁縫は出来るかい?」
「え、ええ・・」
「そうかい。じゃぁあっちで先輩達に仕事を教えて貰いな。」
女は太った身体を揺すりながら、作業場から出て行った。
(何なの、あの婆。カンジ悪っ!)
火月はモヤモヤとした気持ちを抱えながら女達が集まっている場所へと向かうと、彼女達は刺青を彫った顔を一斉に自分に向けた。
「初めまして、火月です・・」
「どうも。あたしはリンガル。それでこっちはメイシャさ。じゃぁ早速仕事を始めるよ。誰かこの子に裁縫箱を持って来て!」
背の高い女・リンガルがそう声を張り上げると、何処からともなく螺鈿細工が施された黒塗りの裁縫箱が火月の前に現れた。
彼女が中を開けてみると、そこにはよく手入れされた裁ち鋏と糸切り鋏、待ち針などの裁縫道具が整然と仕舞われていた。
「あんたにはこの図柄を刺繍して貰うよ。」
そうリンガルが火月に渡したのは、不死鳥が描かれた紙だった。
「何か難しそうですね。」
「ちょっとしたコツがあるからね。」
先程の偉そうにしているマテーシャとは違い、リンガルは懇切丁寧に刺繍の仕方を火月に教えてくれた。
「あの、皆さんはいつもこんな事をなさっているんですか?」
「生活の為さ。昔は魚が沢山獲れたけど、あの禿鷹野郎が来てからはさっぱりさ。男達は出稼ぎで留守にしているし、あたし達が家計を支えてんのさ。」
女達は仕事の手を休めずに、生活が苦しい事などをそれぞれ愚痴っていた。
「ここは“楽園の島”って呼ばれてるけど、ありゃ嘘っぱちさ。あいつが来てからあたし達はいつも食いっぱぐれてるのに。」
火月は女達の話を聞きながら刺繍を施していると、それはいつの間にか完成していた。
「今日はお疲れさん。」
「あのう、あたしと一緒に居た男は?」
「多分レイモンドの館だろうね。ここだけの話だけど・・」
リンガルは突然声を落とすと、火月の耳元に何かを囁いた。
「え、何か女癖悪そうな顔してたのに、そっちだったんですか?」
「まぁ、人はみかけによらないからね。さてと、今夜はあたしの家に来ておくれ。」
リンガルに手をひかれ、火月は作業場を出て彼女の家へと向かった。
彼女家は、村を抜け、島一番の観光スポットとなっている旧市街に建ち並ぶアパートの一室だった。
まるで中世ヨーロッパを思わせるかのような石畳の道を歩きながら、火月は風光明媚な街並みに見惚れていた。
「ようこそ、我が家へ。」
「お世話になります。」
火月が頭を下げると、リンガルは彼女に優しく微笑んだ。
一方、レイモンドの館にある客間に泊まることになった有匡は寝台で寝ていると、不意に胸の上に誰かがのしかかっている感覚がして目を開けた。
「誰だ?」
「君、良い身体をしているね。」
レイモンドの声が闇の中から聞こえたかと思うと、レイモンドが有匡の顔をぬぅっと覗きこんだ。
「貴様、何しに来た?」
「何って、君を抱きに来たのさ。」
レイモンドはそう言うと、有匡の引き締まった腹筋を見て舌なめずりした。
「近寄るな!」
「ふふ、そう怯えないで。痛みは一瞬だよ・・」
夜着を脱がそうとしてきたレイモンドの顔を、有匡は裏拳で殴った。
「そうか、君はこういうプレイが好きなんだね!」
「何を言う!」
どうやらレイモンドはMだったようで、さっきのは逆効果だった。
「やめろ、近づくな!」
「もっと僕をいじめてよ!」

レイモンドが迫って来た時、不意に彼の後頭部を誰かが殴った。

「大丈夫か?」
気絶したレイモンドの顔を踏みつけているのは、シキだった。
「礼を言う、もう少しでこいつに犯されるところだった・・」
疲労困憊した有匡は荒い息を吐きながらシキを見ると、彼は腰に巻いていた荒縄でレイモンドの身体を縛った。
「まぁこいつは男が好きでな。お前のような美男子を見つけると、自分の館に招き入れて色々と遊ぶんだ。犠牲にならずに済んだが。アリマサ、俺とともに来てほしい所がある。」
「解った・・」
有匡とシキが出て行った部屋の天井には、亀甲縛りで縛られたレイモンドが吊るされていた。
彼と共に向かったのは、深い緑で覆われているジャングルの中だった。
「こっちだ。」
闇の中を難なく走り抜けるシキの後を、有匡は必死でついてゆくしかなかった。
「何処へ向かってるんだ?」
「神が祀られている祭壇だ。あと少しで着く。」
神が祀られている祭壇は、ジャングルの中にひっそりとあった。
石にはシキの刺青と同じ文様が彫られていた。
「荒れているな。」
「昔は俺達がこの祭壇に魚や木の実を捧げ、敬ってきた。だがあいつが来てから神は蔑ろにされたことを怒っている。」
「そうか・・」
有匡がそっと祭壇に手を置くと、石が脈打ったような気がした。
「どうした?」
「石が脈打ったような気がした。気のせいか。」
「そうか。」
シキがそう言った瞬間、祭壇が突如蒼い光に包まれた。
「何だ!?」
「一体何が・・」
激しい揺れに襲われ、有匡とシキは身を屈めた。
“わたしの家で何をしておる”
玲瓏な声が直接頭の中に響いてきたので、二人が周囲を見渡すと、そこには真紅の衣と烏帽子を被った男が祭壇の前に立っていた。
彼の全身から発せられる“気”を感じたとき、彼がこの島を守る神だと有匡は悟った。
「あなたは、この島を守る神か?」
“そうだ。わたしはこの島を古より守ってきた。だが、余所から来た男がこの島を滅茶苦茶にした。”
「あなたの怒りは良く解る。しかし、罪なき人間の命を弄ぶのは神にあるまじき所業。どうか怒りを収めてくれぬか?」
有匡の説得に、男は美しい眦を上げた。
“それはできぬ。人間など信じられぬ。”
そう言った彼の横顔が、酷く寂しいものに見えた。
かつて人々に崇められ、尊敬された神は人間の欲により蔑ろにされ、魔物へと変貌しつつある。
それほど、彼の怒りは凄まじいものなのだ。
「どうか気をお鎮めください、神よ!わたくし達が愚かでした!」
シキが男の前に身を投げ出し、そう言って彼に跪いた。
“もう遅い・・”
島を守っていた神は突風を吹かせると、有匡とシキの前から消えてしまった。
「パパ、雨が降ってきたよ。」
「何だ、せっかく来たのに・・これじゃぁ台無しだな。」
観光客向けのプライベートビーチ上空に突如黒雲が覆い、バーベキューをしていた家族連れがそう言いながらゴミを海に捨ててホテルの中へと戻ろうとした。
その時、激しい雷鳴が轟いた。

“愚かな人間どもよ、思い知れ”

稲光が一瞬光ったかと思うと、それはプライベートビーチ全体を襲い、全てを焼き尽くした。

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真~TRUE~緋 第2話(前半)

2024年09月27日 | 火宵の月 現代×鎌倉ファンタジーパラレル二次創作小説「真~TRUE~緋」
「火宵の月」の二次創作小説です。

作者様・出版社様・制作会社様とは一切関係ありません。

色々と捏造設定ありです、苦手な方はご注意ください。

「彌、待って!」
同級生が殺されたことを知り、激しく動揺して家を飛び出した従弟を慌てて追いかけた火月は、彼の手を掴んだ。
「どうして有匡様は佐々木さんを助けてくれなかったの?登は助けてくれたのに、どうして?」
彌はそう言ってTシャツの袖で涙を拭った。
「あいつにはあいつの考えがあるのよ。それにね彌、佐々木さんを殺した犯人は、あんたの友達を操ってたやつなのよ。」
「あの金髪の人が?」
「まだ確証は掴めないけれど・・きっとあいつの仕業だって。あたしがあの金髪の奴をぶちのめすから、家に戻りましょう?」
火月は従弟の頭を優しく撫でながら言った。
「本当に、佐々木さんの仇を討ってくれる?」
「当たり前でしょ。金髪野郎の顔にあたしの強烈な右フックをお見舞いしてやるわよ。」
火月は拳を鳴らしながら彌に微笑んだ。
二人が家に戻ると、風呂上がりの有匡がタオルで濡れた髪を拭きながらリビングに入ってくるところだった。
「有匡様、さっきはごめんなさい。」
彌は有匡にそう言って頭を下げた。
「謝らなくてもいい。同級生が突然死んだのだから、動揺するのも無理はない。それよりも、お前の友人が襲われた時のことを少し話してくれるか?」
「うん、わかった。」
彌は椅子に腰を下ろし、数日前登が金髪の少女に操られた一部始終を有匡と火月に話した。
「お前の友人の様子がおかしくなる前に、急に空が曇り始めたんだな?」
「うん。あの日は雨なんか降らないって思ってたのに、急に曇り出したんだ。そのあと、登が変になって・・」
彌はそう言うと言葉を詰まらせた。
何者かに操られていたとはいえ、親友に刃を向けられた事件からほんの数日も経っていない。
親友に刃を向けられた恐怖心はまだ幼い彌の心を深く傷つけ、その恐怖が彼の無垢な魂を穢そうとしている。
「そこまで話してくれただけでいい。立て続けに辛い事が起きたんだ、お前が立ち直るまでわたしは何も聞かない。」
有匡はそう言って彌に微笑み、そっと大きな手で彼の小さな頭を優しく撫でた。
「うん・・」
彌は再び堪えていた涙を流し始めた。
「あんた、あたしには厳しいのに彌には優しいんだね。」
火月は有匡と通学路を歩きながら、そう言って隣で歩いている彼を見た。
「昔は子どもは苦手だったが、父親になってからは違った。」
「父親!?あんた子どもいたんだ!?」
「わたしと妻にそれぞれ似た双子の息子と娘がいた。丁度その息子とあいつの年が近いのでな。」
「ねぇ、ひとつ聞いてもいい?あんた、家族に会いたくないの?」
一瞬、二人の間に重苦しい沈黙が流れた。
「会いたくないと言えば嘘になる。だがこちらから妻たちがいる所へ戻る術が見つからぬ限り、一生会えぬかもしれぬ。」
有匡はそう言って目を伏せた。
目の前の彼は、火月が今まで熱を上げていた伝説の陰陽師・土御門有匡とは違う姿を見せていた。
夫であり、二児の父親である彼の姿が、そこにはあった。
「多分、あたしが思うに、あたしとあんたが出逢ったのは、何か意味があるんじゃないかなぁ?少しオカルトっぽくなるけど、まるで誰かがあたし達を導いて引き合わせてくれたかのような。」
火月の言葉を聞いてそれまで暗い表情を浮かべていた有匡は、ふっと笑いながらゆっくりと顔を上げた。
「・・そうかもしれぬな。」
やがて二人は、火月が通っている高校の校門へと着いた。
「じゃぁ、あたしはここで。また放課後にね。」
火月はそう言って有匡に手を振った。
「ああ。」
有匡は火月に手を振り返して背を向けて歩き出そうとした時、背後から怒声が響いた。
「火月、俺っていう男がありながら浮気してんじゃねぇよ!」
有匡が振り向くと、そこには一人の少年が怒気を孕んだ瞳で火月を睨んでいた。
「あんたとは別れたじゃん、猛(たける)。これ以上あたしに付き纏わないでよ、迷惑なんだけど。」
火月は自分の手を掴む少年のそれを邪険に振り払った。
「このアマ、調子に乗ってんじゃねぇぞ!」
いきり立った少年はポケットからバタフライナイフを取り出し、それを火月に向かって振りかざそうとした。
その時、一匹の青龍が突然唸り声を上げながら少年に向かってきた。
「な、なんだよ、こいつ!?」
少年が悲鳴を上げながら地面に尻餅をついてバタフライナイフを落とした。
「これは彼女のボディガードだ。」
青龍の出現により弾みで青龍に乗ってしまい、それが消えた途端地面に落下しそうになった火月を、有匡は寸でのところで受けとめながら少年にそう言って睨みつけた。
「てめぇ、何なんだよ!火月はなぁ、俺の女なんだよ!」
「ほう?彼女はそうは思っていないようだが?痛い目に遭わされる前に、さっさと消え失せろ。それとも、こいつの牙と爪で八つ裂きにされたいのなら別だが。」
「くそ、覚えてろよ!」
少年は舌打ちして、校舎の中へと駆けて行った。
「助けてくれて、ありがと。」
火月は照れ臭そうに有匡に礼を言うと、校舎へと向かった。
「聞いたよ火月、あんたイケメンにあの最低野郎から助けて貰ったんだってぇ?」
教室に入ると、友人がそう言って火月の肩を叩いた。
「あいつは今我が家で世話になってる居候。別に何の関係もないから。」
「ふ~ん、怪しいもんだ。」
「だから、違うって!」
そう言い合う火月と友人を、教室の後ろで一人の女子生徒が睨みつけていた。
有匡が火月の元彼・猛を撃退したことは、あっという間に校内に知れ渡り、その事で火月は行く先々で友人達から質問攻めにあった。
「ねぇ、さっきのイケメン紹介してよ~!あと、彼に友達いたら合コンやろうよ!」
「あのさぁ、あいつは単なる居候!それにあいつには友達いないから合コン無理なの!」
「え~、つまんないなぁ。」
昼休み、友人はそう言って口を尖らせながら唐揚げを口に放り込んだ。
「それにしてもさぁ、猛ってまだあんたのこと諦めてなかったんだ。とっくに別れたのにさ。」
「うん。向こうは未練たらたらで困っちゃうよ、全く。」
あの時―猛に襲われそうになった時、式神が発動していなかったらどうなっただろうかと想像したら火月は鳥肌が立った。
「そのピアス、何処で買ったの?」
「ああ、これ?昨夜あいつから貰ったの。お守りだとか何だとか言って。」
そう言って火月が友人を見ると、彼女はニヤつきながら火月を見た。
「やっぱり、そういう仲なんじゃん。」
「ち、違うって!このピアスは、あいつの奥さんのもんだったんだから!」
「あのイケメン、妻子持ちなの!?じゃぁなに、禁じられた火遊び?」
「だから、違うって!」
火月が友人に向かってそう吼えていると、背後から強烈な視線を感じた。
振り向くと、教室の後ろーロッカーの近くで自分を睨みつけている一人の女子生徒と目が合った。
「あの子、誰?」
「ああ、高橋?あの子さ、猛のこと好きだったんだよ。あんまり関わらない方がいいって。」
火月はさっとその女子生徒から目を逸らすと、友人に向き直った。
だが刺すような視線は、いつまでも感じた。
「あなたが、猛さんの彼女かしら?」
「そうだけど?」
体育の時間、着替えを終えた火月が下足箱でスニーカーに履き替えていると、昼休み中に自分を睨みつけていた女子生徒―高橋がそう言って火月を呼び止めた。
「あなたに少しお話があるのだけれど、よろしいかしら?」
「うん、いいけど・・」
高橋に連れられたのは、人気のない体育館裏だった。
「話ってなに?」
「あなた、猛さんにもう付き纏わないでくれる?」
「はぁ?あたしと猛はもう終わったの。それにね、付き纏われて迷惑してんのはあたしの方。あんた猛の事好きなんだって?じゃぁ猛に言っといて、あたしはあんたのことなんか全然好きじゃないって。」
一方的に火月は高橋にそう言い放つと、彼女に背を向けて歩き出した。
「・・待ちなさいよ。」
氷のような冷たい声が、火月の背中を刺した。
「猛さんを傷つける者は許さない・・あの人の為なら、わたしは何だってやるわ。」
そう言ってゆっくりと顔を上げた高橋の瞳は、血の色に染まっていた。
「悪いけど、あなたにはここで死んでいただくわ。だってそれが、猛さんの為だもの。」
彼女は鞄の中から肉切り包丁を取り出してそれを翳すと、火月に向かって突進した。
(駄目だ、やられる!)
火月が目を瞑ると、頬に何か生温かいものが飛んできた。
「なに、これ・・」
目の前には青龍の牙と爪で全身を切り裂かれ、血の池の中で息絶え絶えに足掻いている高橋の姿だった。
「たすけて・・」
火月は恐怖の叫び声を上げながらその場から逃げだした。
「火月、どうし・・きゃぁぁ!」
友人がそう言って高橋の姿を見て悲鳴を上げた。
「誰か、救急車!」
やがて、サイレンが春の風に乗って響いてきた。
高橋が火月の耳飾りに仕込まれていた有匡の式神・青龍に襲われ、救急車で病院に搬送された。
彼女が“襲われた”現場である体育館裏には数人の警察官や鑑識課署員らが現場検証や目撃者の聞き込みなどを行っていた。
火月は、一人の刑事から事情聴取を受けていた。
「本当に、君は何もしてないんだね?」
「はい。突然彼女が肉切り包丁を取り出してわたしを襲ってきたんです。その後のことは余り覚えていません。」
本当は青龍が彼女を襲ったところを少し見ていたが、火月は咄嗟に嘘を吐いた。
「そうか。では彼女は君に殺意があり、何者かが君を殺害しようとした彼女に危害を加えたということだね?」
「はい。高橋さんはわたしに恨みを持っていました。わたしが付き合っていた恋人に想いを寄せていて、彼と別れているのにわたしが彼に付き纏っていると勘違いして・・」
「痴情の縺(もつ)れか・・」
刑事はぼそりとそう呟くと、溜息を吐いて火月を見た。
「色々とありがとう。もう君は行ってもいいよ。」
「では、失礼します。」
凄惨な現場から背を向け、火月はその場から走り出した。
「火月、大丈夫?」
高橋が式神に襲われた直後に駆けつけて来た友人の凛夏(りんか)がそう言って火月を心配そうな表情を浮かべて見た。
「大丈夫。少し落ち着いた。ごめんね、みんなには迷惑かけちゃって・・」
「気にしないでよ。それよりさぁ、高橋って結構カゲキな子だったんだねぇ。あんたを呼び出して殺そうとするなんてさぁ。でも返り討ちに遭っちゃったんだよね。」
凛夏はそっと火月の手を握ると、少し声を潜めた。
「高橋全身何かでメッタ刺しにされてたよね?あいつ肉切り包丁持ってたんでしょ?もしかしたら高橋が嫌いな奴に返り討ちにされちゃったりして・・」
友人の言葉に、高橋の血塗れになった姿が脳裡に浮かび、火月は猛烈な吐き気を催して教室から飛び出して行った。
女子トイレの個室に駆け込んで鍵を閉めると、火月は髪を掴んで胃の中の物を全て吐いた。
数回それを繰り返して気分が落ち着いたところで彼女が個室から出ようと立ち上がろうとした時、女子トイレに数人の生徒が入って来る気配がした。
「ねぇ聞いた?さっき体育館裏でさぁ・・」
「あ~、聞いた。高橋って子が誰かに襲われたんでしょう?あの子性格悪いからねぇ。あいつに恨み持ってた奴多いし。」
「何でも、猛の元カノに変な言いがかりつけたらしいよ。しかも、家から持ってきた肉切り包丁でその元カノ殺そうとしたって。」
「うわぁ、怖い。でもさ、良い気味だよね。」
「そうそう。身から出た錆ってやつ?」
女子生徒達は口々に好き放題言い合うと、豪快な笑い声を上げながらトイレから出て行った。
(あたしが、高橋を傷つけた・・)
今朝青龍が自分を猛の刃から守ってくれたことに感謝した火月だったが、今は自分に対して危害に加える者に容赦なく牙を剥くその存在に彼女は恐怖を抱き始めていた。
「ただいま。」
疲労とともに帰宅した火月は、有匡がいる和室へと向かった。
「今日は早かったな。」
「ねぇ、聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「何だ?」
「あんたの式神が今日、あたしのクラスメイトを襲ったの。あんた、言ったよね?何かあたしの身にあれば式神が動くって。あれってあたしに危害を加える者は全員あんたの式神に殺されるってこと?」
「どうした、一体何が・・」
有匡は火月の肩に触れようとしたが、その手を彼女に邪険に払い除けられた。
「ねぇ、答えてよ!」
そう叫んだ火月は泣きながら有匡を見た。
「式神が動くというのは、そういう意味である事も事実だ。」
「じゃぁ高橋は?あの鋭い牙で全身を切り裂かれたあの子は、どうなるの?」
火月の問いに有匡は無言で首を横に振った。
「これ、返すね。」
火月は紅玉(ルビー)の耳飾りを左耳から外すと、それを有匡に渡して和室から出て行った。
その背中を、有匡はただ黙ってじっと見つめていた。
(式神が人を襲うとは、想定外だったな。)
その夜、和琴を奏でながら有匡は溜息を吐いた。
鎌倉時代にいた頃、妻・火月の耳飾りに施した式神(青龍)は、単なる張りぼてに過ぎず、相手を怯えさせるだけの道具としての役割だけであった。
だが、今回の式神は違う。
主である自分の命令で動いているのではなく、己の意志で動いている。
通常、式神は個性や性格、己の意志すら持たないものだ。
何故、今回の式神は己の意志を持ち、人を襲ったのか。
和琴を弾くのを止め、有匡はそっと妻の耳飾りを掌に乗せた。
祭文を唱え、式神を呼び出した。
部屋に白い光が満ち、青龍が姿を現した。
『お呼びでしょうか?』
そう言った青龍の金色の瞳には穏やかな光を湛えていた。
「お前に問う。何故人を襲った?」
有匡は険しい表情を浮かべながら青龍を見ると、青龍は目を細めてこう答えた。
『あの女には、邪悪なものが取り憑いて穢れていた。ああしなければ、火月様はあの女に殺されていた。』
「邪悪なもの?まさかあの鬼族の仕業か?」
『違う。誰の仕業でもない。あの穢れは女自身が作ったもの。浄化するには遅過ぎた。』
そう言って青龍は再び耳飾りの中へと消えた。
その頃、火月を襲った少女―高橋は口に酸素マスクを、全身に医療用チューブを付けられ、集中治療室のベッドに横たわっていた。
巡回した看護師が集中治療室に入って来た。
「可哀想に・・意識が回復する見込みはないのに・・」
彼女がそう呟いて集中治療室を出ようとした時、高橋の背後で蠢く影があった。
「な、なに・・」
手に持っていた懐中電灯で照らされた怪しく蠢く影は、看護師を恐怖に陥れるには充分だった。
「誰か来て!」
集中治療室のドアを開けようとしたが、何故か開かない。
看護師が必死にドアを開けようとすると、徐々に彼女の方へと影が迫って来た。
「嫌・・誰か、助けて・・」
彼女の叫びは、漆黒の闇へと消えた。
影は暫くすると高橋の身体へと戻って行った。
彼女の目がゆっくりと開かれた。
同じ頃、都内某所にある高級ホテルのロビーに、美しく着飾ったあの金髪の少女が周囲を見渡していた。
(ここには碌な人間しかおらぬ。)
少女はバッグからコンパクトを取り出すと、左頬に残る火傷の痕を見て忌々しそうに舌打ちした。
脳裡に、火傷を負わせたあの忌々しい陰陽師の姿が浮かんだ。
(よくもこの美しい顔に傷をつけてくれたな。必ずやこの手で殺してやる。)
コンパクトを乱暴に閉じた少女は、それをバッグに仕舞った。
ソファからゆっくりと立ち上がり、エレベーターホールへと向かおうとした時、少女は初めて自分を見つめる男に気づいた。
「おや、どなたかと思ったら、麗しい金髪の姫君様でしたか。」
そう言って少女の前で跪いた男は炎のような真紅の髪を揺らしながら彼女の手の甲に接吻した。
「いつ日本に来た?」
「数時間前です。あなたのお顔を見に。」
少女と共にエレベーターに乗り込んだ男は、そう言って少女を見た。
「冗談も程々にしろ。余りふざけたことを言うと殺すぞ。」
「おやおや、怖い方ですね。」
男は笑いながら、少女の左頬をそっと撫でた。
「その傷はどうしたのですか?もしかして陰陽師にやられたとか?」
男の言葉を聞いた少女は、銃口を彼のこめかみに突き付けた。
「・・どうやら図星のようですね。」
両手を上げて降参のポーズを男が取ると、少女は拳銃をバッグに仕舞った。
その時、エレベーターが宴会場のある階に止まった。
「では、またお会いいたしましょう。」
宴会場に少女が入る前、男はそう言って彼女のうなじにキスをして颯爽と立ち去って行った。
「遅かったな、悠葉(ゆずは)。」
宴会場に少女が入ると、そこにはあの黒髪の男がワイングラスを片手に持って立っていた。
「途中で変な奴に絡まれた。銃で脅したから大丈夫だ。」
「そうか、それは良かった。妖狐(ようこ)などに気を許すな。奴らと我らは敵同士なのだからな。」
「判っている、兄者(あにじゃ)。」
「可愛い弟よ、お前をこれ以上危険な目に遭わせる訳にはいかぬ。」
黒髪の男は少女の手を優しく握ると、華やかなパーティーの中へと戻って行った。
一方、少女にエレベーターの中で絡んだ真紅の髪の男はホテルを出て、愛車である場所へと向かっていた。
信号待ちをしていると、上着の中で携帯が鳴り始めた。
「もしもし?」
『あの鬼族と会ったか?』
通話口の向こうから聞こえるのは、渋い老人の声だった。
「ええ、会いましたよ。随分と警戒してましてね、なかなか落とせませんでしたよ。それよりも、奴の左頬に火傷の痕がありました。」
『火傷の痕だと?それは本当か?』
「本当です。普通の火傷じゃありませんでした。陰陽師にやられたものじゃないかと。傷から相手の“気(オーラ)”を感じましたからね。」
信号が青となり、男は携帯の通話をスピーカーフォンモードにした。
『“気”だと?どんなものだ?』
「そうですね。単純に言えば、刃物のようなギザギザとしたものでした。それに、その陰陽師とやらは俺らの血をひいているようなんすよ。」
通話口の向こうで、唾を飲み込むような音が聞こえた。
『妖狐の血をひく、陰陽師だと?』
「ええ。ただ、半分だけですが。妖狐の血を半分ひく奴なんて一人しか思い浮かばないでしょう?」
男はそう言って通話ボタンを押した。
彼が運転した車は、火月達の家の前に停まった。
「ここに奴が居る。結界張ってるのバレバレだぜ、陰陽師様。」
男はふっと笑いながら、有匡の結界内に侵入した。
その途端、火花が家の中で激しく散った。
(結界内に侵入者。まさかあの鬼族か?)
和室で寝ていた有匡は異常を感じて飛び起き、和室から飛び出した。
すると廊下には、真紅の髪をなびかせた一人の男がニヒルな笑みを浮かべて立っていた。
「あ~、俺の愛しいカノジョに怪我させたのはやっぱあんたか、土御門有匡様。」
「お前は、あの時の・・」
有匡の脳裡に、愛しい妻と子ども達を攫った憎い男の顔が浮かんだ。
「思いだしてくれた?流石同胞だね。でもさぁ、カノジョの邪魔しないでくんないかなぁ?あいつ今大事なお仕事の真っ最中なんだよねぇ。あんたに邪魔されると困るんだよ。」
「一つだけ問う、妻と子ども達は何処に居る?」
「王(ハーン)の城にいる。けど、あんたは此処で死ぬから関係ねぇよな!」
男はそう叫ぶと、掌に宿した炎の塊を有匡にぶつけた。
有匡は素早く呪を唱え、印を結んだ。
「へぇ、なかなかやるじゃん。そうでないと喧嘩のしようがねぇよ。」
「表に出ろ。」
有匡は懐に仕舞っていた筮竹を取り出しながら男を睨みつけた。
「それじゃぁ久しぶりに暴れようかな?」
同じ頃、高橋は静かに壁を伝いながら、病院の廊下を歩いていた。
白いリノリウムの床は、彼女の犠牲者達の血で真紅に染まっていた。
「おらおら、どうしたぁ?」
男の攻撃に、有匡は印を結べずに、近くの公園に植えられている木陰にその身を隠した。
(クソッ、何とかしなければ・・)
有匡は舌打ちしながら、呪を唱えた。
顔の横を蒼い炎が掠めた。
(一か八か、やってみるしか・・)
「見つけたぜ!」
歓喜の表情を浮かべた男が有匡の前に姿を現した時、有匡は式神を彼の胸へと放った。
有匡の反撃を予想していなかった男は驚愕で目を見開き、咄嗟に青龍の攻撃をかわしたが、鋭い爪で左肩を引き裂かれ、地面に崩れ落ちた。
「お前には聞きたい事がまだある。」
男の髪を掴んで無理矢理彼を立たせると、有匡は彼を睨んだ。
「何故わたしの妻と子ども達を攫った?」
「俺はただ王(ハーン)の手伝いをしただけだ。」
「王は何を企んでいる?」
「さぁな、それは俺も知らねぇよ。でも王はお前の事を気にいらねぇみたいだぜ?」
男はニヤリと笑いながら、有匡を見た。
「妖狐族の皇女でありながら、人間との混血児を産んだスウリヤ様のことも憎いが、その息子であるあんたが野猫族の女と子を為して高尚な一族の血を穢していることに王は耐えられないんだとさ。」
「馬鹿らしい、血統に拘るなどまるで人間のようではないか。」
有匡は男の言葉を鼻で笑った。
「人間でも妖でも、自分達が属する一族の血は命そのものなんだよ。純血志向が強い輩は、あんたみたいな混血を迫害している。」
男の話がもし本当だとしたら、妖狐族の王によって監禁されている妻と子ども達の命が危ない。
「その話、詳しく聞かせろ。」
吹雪によって舞い散る雪が、部屋の中にも入ってきて、有匡の妻・火月は寒さで身を震わせた。
「母様、いつここから出られるの?」
彼女の方へ、黒髪の少年―有匡の息子・仁(じん)が駆けてきた。
「さぁ、わからないわ。それよりも雛(すう)は? まだ熱が下がらないの?」
「うん・・あの人達が出したお薬が効かないみたい。」
火月は部屋の隅に置かれている寝台に横たわっている娘の方へと向かった。
自分と瓜二つの容姿を持った娘は、高熱に苦しみ、荒い息を吐いていた。
「かぁさま・・」
娘の小さな手が母の手を求め、空中で幾度も彷徨う。
「母様は此処だからね。大丈夫、何処にも行かないからね。」
火月は娘を安心させる為、娘の手を握り締めた。
数ヶ月前、火月は子ども達とともにこの城に拉致・監禁された。
あの日はいつものように多忙な夫が仕事から帰って来るのを子ども達と待っていたのに、突然結界を破り数人の男達が有無を言わさず魔界へと連れ去られてしまった。
これから自分達がどうなるのか、夫は今どうしているのか・・火月は毎日不安を抱きながらも、子ども達と身を寄せ合い生きていた。
(先生・・)
火月はそっと、左耳に触れた。
そこにはいつも身に付けている紅玉の耳飾りがない。
あの耳飾りは夫と出逢った時にプレゼントしてくれた、大切なものだった。
(先生、早く・・早く助けに来て・・)
火月が病に臥せっている娘の手を握りながら窓の外を見ていると、不意に固く閉ざされていた扉が開いたかと思うと、美しい真紅の髪を持った女が入って来た。
「お前が、火月だな?」
女はそう言って、髪の色と同じ瞳で火月を見た。
「ええ、そうですけど・・あなたは?」
「わたしはスウリヤ。」
突然の有匡の母親の出現に、火月は驚愕の表情を浮かべた。
「スウリヤ・・様・・?」
火月は突然現れた夫の母親―妖狐族の皇女・スウリヤを見た。
(この人が、先生を産んだ母親・・)
「子ども達は、どうしている?」
スウリヤはそう言って、寝台に横たわっている雛を見た。
「雛の熱が下がらなくて・・薬を飲ませたんですけども、全然効かなくて・・」
火月の言葉を聞いたスウリヤは、そっと雛の元へと近づいた。
「変幻は昔、防げた筈だな?」
「え、ええ・・」
雛と仁が一歳を迎えた頃、2人に流れる妖狐の血が濃過ぎて、変幻を招きそれを有匡が防いだことがあった。
「恐らく、まだこの娘には妖狐の部分が残っているのかもしれぬ。」
スウリヤは雛の金髪をそっと梳いた。
「そんな・・」
火月はまだ禍の種が娘の中に残っていることを知り、愕然とした。
「有匡は今何処にいる?」
「わかりません・・それよりも僕達はここからいつ出られるんですか?」
「父はお前達をここから出すつもりはないだろう。」
スウリヤは寝台の端に腰掛けると、じっと息子の嫁を見た。
彼女の脳裡に、娘と出産後引き離された記憶が甦った。
「いずれ父はわたしから神官を取りあげたように、お前から息子と娘を奪うつもりだ。これ以上、一族の血を汚さない為にも。」
「そんな・・どうしてそんな酷い事を?」
「父はわたしに期待していた。やがて自分の跡を継ぎ、妖狐族を統率する女帝として活躍してくれると。父はわたしの皇女という身分に見合う相手と結婚させようとしていたが、わたしは人間と恋に落ち、有匡と神官を産んだ。」
有匡から幾度も聞いていた彼の境遇。
彼は妖狐との混血児というだけで蔑まれ、利用されてきた。
その所為で自分の血を濃く受け継ぐ子どもを望まなかったことも。
だが息子と娘が産まれ、幼い頃母親に捨てられたと言う偽りの記憶に気づいた有匡は、自分達と新しい人生を歩み始めた。
「先生から聞きました、スウリヤ様のことは。でも本当はスウリヤ様に捨てられたんじゃないって気づいて・・」
「神官は・・わたしの艶夜は、どうしている?」
「人間と結ばれて一児の母となっています。」
「そうか・・わたしの子ども達はそれぞれ伴侶を得て満ち足りた生活を送っているのだな。わたしとは大違いだ。」
スウリヤはそう言って言葉を切ると、自嘲めいた笑みを口元に浮かべた。
「スウリヤ様・・」
火月はスウリヤが慈愛に満ちた表情を浮かべながら娘の髪を撫でるのを、黙って見ていた。
彼女は、有匡と神官を自分の手元で育てたかったに違いない。
だが有匡は夫に託し、身籠っていた神官は父親に奪われ、滅多に会う事が出来なかった。
自分が産んだ子ども達が幸せを掴んだことを彼女が喜ぶのは、当然なのかもしれない。
「スウリヤ様、ひとつお聞きしたいんですが・・」
「何だ?」
「スウリヤ様は、先生・・有匡様のことを愛していらっしゃいましたか?」
暫し、2人の間に気まずい沈黙が流れた。
「あの子が産んだ日、わたしは有仁と結ばれて良かったと・・彼を選んで良かったと思った。お前はどうなのだ、火月? 有匡を選んで後悔していないか?」
「いいえ。」
火月はそっと目を閉じ、有匡と結ばれるまでの出来事を思い出していた。
「一人ぼっちだった僕に、優しく手を差し伸べてくれて、怪我を治してくれたのも先生だけでした。僕は、昔から自分の居場所は先生の傍にしかないと思ってます。それは今も変わりません。」
火月の言葉にスウリヤは満足気な笑みを浮かべた。
「父には何とかお前達のことを考えなおして貰うよう、説得してみる。」
彼女はそう言うと、さっと立ち上がると部屋から出た。
スウリヤが出て行き暫く経つと、外からガチャガチャと金属が擦れ合う音が聞こえたかと思うと、牢に武装した兵士が入ってきた。
「なんですか、あなた方は?」
火月がそう言って兵士達を睨むと、その中の一人が彼女の腕を掴んだ。
「貴様が、カゲツだな。我々とともに来て貰おう。」
「嫌です、子ども達を置いてはゆけません!」
熱に魘されている娘と、不安がる息子を見ながら、火月は兵士達の手から逃れようとしたが、いともたやすく捕まえられてしまった。
「母様を放せ!」
仁が兵士の向こう脛を蹴飛ばしたが、逆に頬を殴られた。
「仁、雛を・・姉上を守るのですよ!」
「母様~!」
兵士達によって牢に出された火月は、一体彼らが何処に向かっているのかが解らなかった。
もしこのまま処刑され、夫や子ども達の元に戻れなかったら・・そう思うと、恐怖と不安で彼女の胸は押し潰しされそうだった。
「一体僕を何処へ連れて行くというのです?」
「煩い、黙れ!」
兵士の一人が苛立った様子で火月の華奢な身体を突き飛ばした。
「きゃぁっ!」
彼女は強かに地面に腰を打ち、その痛みで顔を顰めた。
「そこで何をしておる!」
「ス、スウリヤ様・・」
鞭のように鋭い声が頭上でしたかと思うと、兵士達が慌てて地面にひれ伏した。
「大事ないか?」
そう言って皇女スウリヤは火月に手を差しだした。
「ありがとうございます。僕は大丈夫です。ですが子ども達が・・」
「これからこの者をわたくしの部屋へ連れて行く。お前達、この女の子どもをわたくしの元へ。」
「ですがスウリヤ様、わたくしどもは王に命じられ、この女を・・」
「黙れ!この者はわたくしの義理の娘ぞ、わたくしに逆らう気か!?」
スウリヤの全身から漂う凄まじい妖気を感じた兵士達は、すごすごとその場から立ち去っていった。
「助けてくださって、ありがとうございました。」
「これからはわたくしがそなたの面倒を見る。無論、二人の孫達もな。」
「スウリヤ様・・」
火月の真紅の双眸から、大粒の涙が流れた。
「泣くでない。そなたは母親ぞ、我が子の前で決して涙を見せるでない。」
「はい・・」
その後火月はスウリヤに連れられ、彼女の部屋へと向かった。
「そなたは今日からわたくし付の侍女だ。父上はわたくしの侍女であるそなたに惨いことはしまい。安心いたせ。」
「あの、スウリヤ様、子ども達は・・」
火月が牢に残してしまった子ども達の事を心配していると、廊下の向こうからパタパタとせわしい足音が聞こえたかと思うと、部屋に子ども達が入ってきた。
「母様~!」
「ははうえ~!」
火月の姿を見るなり、仁と雛は顔を涙でグシャグシャにして彼女に抱きついた。
(子ども達を守れるのは、僕しかいない!)
スウリヤという強力な味方を得た今、火月は母親として一層強く生きようとしていた。
一方現界では、有匡が妖狐界へと連れ去られた妻子を救出するための策を考えていた。
『王は・・必ずお前の女房と子供を処刑する・・何も出来ずに居る自分を悔やむんだな・・』
死に間際にあの男が遺した言葉を何度も反芻しながら、有匡は部屋を右往左往しているばかりだった。
「有匡さん?」
「何だ。」
火月が部屋に入ると、有匡は亡き祖母の和琴を弄りながら溜息を吐いていた。
「どうしたの、何か悩み事・・」
「放っておいてくれ。」
「何よそれ!あたしはあんたの事を心配して・・」
火月は有匡の言い草にムカッときて彼の腕を掴むと、彼は乱暴にそれを振り払った。
「お前には解らぬだろう、家族の元に駆け寄りたくても出来ぬ歯痒さが!」
「あたしにはもう、両親は居ないわよ!その重い現実を受け入れられずに施設に行った後、何度も前に住んでいた家に行ったわ!でもそこは灰と化して何もなかったわ。夢にだって出て来てはくれなかった両親を、あたしは何度も恨んだことか・・」
両親を亡くした時期のことを思い出していたら、自然と涙が出てきた。
涙なんて、とうに涸れてしまったものかと思っていたのに。
「・・あんたはいいわよね、あんたの事を待ってくれる家族が居るんだから・・」
しゃくり上げる火月を前に、有匡はそっと彼女を抱き締めた。
「何も知らずに酷い事を言って済まなかった。少し苛々していた。」
「いいのよ。」
火月がそう言って有匡に微笑んでいると、部屋の襖が開いて聡子が部屋に入って来た。
「火月ちゃん、ご飯よ。あら、お邪魔だったかしら?」
「お、叔母さんこれは違うの・・」
「お邪魔虫は消えるわねぇ~」
その後、夕食は気まずい空気になり、火月と有匡は居たたまれなかった。
「ねぇ、今度の日曜、鶴ヶ岡八幡宮に行ってみない?そこで何か解るかもしれないし。」
「ああ、そうだな。」
日曜、火月と有匡は鶴ヶ岡八幡宮に来ていた。
そこには何の変哲もない所だった。
「何も変わった所はないわねぇ。」
「ああ。」
有匡が溜息を吐いて石段から降りようとした時、何かを見つけた。
それは、妻・火月に送った紅玉(ルビー)の耳飾りだった。
(一体どういう事だ?何故耳飾りがここに?)
「どうしたの?」
火月が石段の下で座り込んでいる有匡に声を掛けると、彼は紅玉の耳飾りを持っていた。
「それ、奥さんの?」
「ああ。まさかこんな所にあるなんて・・」
有匡がそう言った時、彼の手の中で耳飾りが突然光った。
“先生?”
遠くから声が聞こえたかと思うと、有匡の前に妻が現れた。
「火月・・火月なのか?」
“ええ。先生、安心して下さい。僕と子ども達はスウリヤ様に良くして貰ってますから。”
「母上に?いじめられたりはしていないか?」
“大丈夫です。先生、僕達待ってますから・・必ず僕達を迎えに来てくださいね。”
「ああ、解った。待っていろ、必ず・・」
有匡が俯き、泣いているように火月は見えた。
歴史書の中では「冷血漢」「血も涙もない陰陽師」として彼を酷評する資料があったが、それは違うと火月は思った。
彼は冷血漢だったかもしれないが、家族の事を想って泣く夫でもあり、子を恋しがる一人の父親でもある。
偏った解釈によって有匡は世間から「冷酷非情な陰陽師」という誤解を受けたまま、その名を残している。
それを、誰かに信じて貰えなくても、火月は変えたいと思った。
「・・きて良かったね。」
「ああ。」
帰りの電車内、二人はそう言葉を交わしただけで終始無言だった。
火月はチラリと、隣で寝ている有匡の横顔を見た。
切れ長の黒い瞳に、薄い唇。
絶世の美男子が自分の肩に頭を預けて眠っている光景が珍しいのか、観光客らしき数人の女性達がちらちらと自分達の方を見ていた。
「ねぇ、起きてよ。ねぇったら!」
有匡を揺さ振ったが、彼はなかなか起きようとしない。
(んもぅ~!)
次第に苛々してきた火月は、思い切り彼に頭突きをくらわした。
「何をする、この馬鹿女!」
「うるさいわねぇ、あんたがさっさと起きないからでしょうが!」
「何だと~!」

(全く・・こんな女に同情したのが馬鹿だった!)
(やっぱりこいつ最低!)

一度は歩み寄れたものの、すぐさま火月と有匡は結局いがみ合ってしまうのだった。

瞬く間に季節が過ぎ、火月たちが通う高校は夏休みに入った。
「あ~、暑い!」
火月はクーラーの効いた室内で宿題をしていると、有匡が和室から出てきた。
「何だ、こんなに部屋を冷やさんと勉強ができんのか貴様は?」
そう言うなり、彼はクーラーのスイッチを切った。
「ちょっと、何すんのよ!」
彼の手からリモコンを奪い返そうとするも、有匡はそうさせまいと腕を高く上げた。
「大体、こんなもので涼を取るなど、邪道だな。見ろこの部屋の室温を。23度だぞ?」
「ちょうどいいじゃん、それくらい。」
「よくない!」
有匡と火月がリビングで言い争っていると、玄関のチャイムが鳴った。
「お前、出ろ。」
「なんであたしが?あんたが出ればいいでしょう!あたしは宿題やってんの!」
火月はそう言って有匡に背を向けると、ダイニングテーブルへと戻った。
有匡がインターホンの画面を覗き込むと、そこには火月と同じクラスの男子生徒が立っていた。
『あの、高原さん居ます?』
「誰だ貴様は?火月に一体何のようだ?」
不機嫌な表情を隠しもせずに有匡が男子生徒にそう問うと、彼は突然聞こえた男の声にビビッていた。
顔は見えないが、有匡の怒りが彼に伝わったのだろう。
「なに、どうしたの?」
「お前に用があるらしい。」
火月がインターホン画面を覗き込むと、彼女は嫌そうな顔をした。
「ゲッ」
「こいつを知ってるのか?」
「知ってるも何も、関わりたくない奴だよ!あんたちょっと行って追い払ってきて!」
「おい、人をこき使うのもいい加減にしろ!」
有匡はそう言ってブチギレた。
「何よ、鎌倉への交通費、誰が出したと思ってんの!?それに食事代だってあたしが全部出したでしょうが!」
「だからといってお前に下男扱いなどされる憶えはないぞ!全く、似ているのは顔と名前だけだな!」
「なんですってぇ~!」
二人がギャーギャー言い合っていると、今度は玄関のドアが叩かれた。
「高原さぁ~ん、居るんでしょう?」
「あたしは留守ってことにして、お願いね!」
火月はそう言ってダイニングテーブルに広げた宿題を掻き集めると、二階へと上がっていった。
「火月なら留守だが、彼女に何か用か?」
有匡が玄関のドアを開けると、そこには髪を金メッシュに染めた少年が立っていた。
「どうも、近衛秀介です。高原さんとお話がしたいんですが・・」
「居ないと言っているだろう。」
不機嫌な表情を有匡が浮かべると、少年―秀介は彼から一歩後ずさった。
「そうですか。じゃぁあなたでもいいや。」
「は?」
有匡が怪訝な顔をして秀介を見ると、彼は突然有匡の腕を掴んで外へと連れ出した。
「おい、何処へ連れて行くつもりだ?」
「すぐに済みますんで。」
ニコニコしながら秀介は有匡の腕を引っ張ったまま、近所のファミレスへと入った。
「何頼みます?僕の奢りだから、何でもいいですよ。」
「その前に貴様は一体何者だ?火月に何を話したいんだ?」
「何って・・あなた火月さんとどういう関係なんですか?まさか親戚とかありきりたりな嘘、僕には通じませんから。」
先ほどまでニコニコとしていた秀介の顔が突然真顔となり、有匡の顔が険しくなった。
「そんなプライベートなことを、何故お前に教える必要がある?」
「だって僕は火月さんの許嫁だもの。恋敵が現れたとなっちゃ、行動を起こすのは当然でしょう?」
秀介はそう言うと、ドリンクバーで取ってきた水を一気に飲み干した。
「お前が火月の許嫁だと?お前の誇大妄想に付き合ってる暇などない。」
有匡がさっと椅子から立ち上がろうとしたが、秀介がそれを阻んだ。
「まだ話は終わってないよ。こっちはまだまだ聞きたいことがあるんだから。」
「火月からお前の話は一度も聞いたことがないが、それでも許嫁と言えるのか?」
「だから、その事を食事しながらそこら辺の事情を話そうとしてるんじゃない。」
有匡は渋々と席に戻ると、秀介を睨んだ。
(一体こいつは何を考えてる?)
「さてと、何頼む?」
「和食なら何でもいい。」
「あっそ。じゃぁ僕はボロネーゼでも頼むね。あとポテトも。」
秀介はそう言うと、呼び出しボタンを押した。
初めて見るそれに、有匡は少し驚いてしまった。
そんな彼を、秀介は馬鹿にしたような目つきで見た。
「それで?お前が言う、“そこら辺の事情”とは何だ?」
「話せば長くなるかなぁ。」
秀介が次の言葉を継ごうとしたとき、店員がポテトを運んできた。
「うちの母親と、火事で亡くなった火月さんの母親は、従姉妹同士なんだよね。所謂血族結婚ってやつ?従姉妹同士の子どもを結婚させて、家を繁栄させる目的でするんだ。今じゃぁ珍しいけれどね。」

淡々とポテトを頬張りながら話す秀介を、有匡は睨みつけていた。

火月の母親と、秀介の母親・頼子は従姉妹同士で、更に近衛家と高原家は姻戚関係であった。
家同士の結束を固めるため、両家の間では幾度となく血族結婚を繰り返してきた。
その所為で、精神障害を抱えたりする者が多く生まれ、その者は座敷牢にて戦前は監禁されていたという。
「要するに、血の歪(ひずみ)が顕著に現れてしまったってことだね。でも両家は血族結婚を止めようとはしなかった。ただ一人、火月さんの母親を除いては。」
そう言葉を切った秀介は、コーラを一口飲んだ。
「彼女は因習を忌み嫌い、家を出て東京である男性と交際した後、結婚した。それが火月さんの父親の、高階晃さん。」
秀介は鞄の中から一枚の写真を取り出し、有匡に見せた。
そこには、笑顔で火月の両親が映っていた。
眼鏡を掛けた火月の父親は、人が良さそうな顔をしていた。
「高階さんの実家は、明治から続く旧華族の家柄でね。彼に嫁いだ火月さんの母親―璃妃(りひ)さんは、親戚連中から陰湿ないじめを受けて、堪え切れず自殺未遂までしたそうだ。結局は晃さんが実家と絶縁したんだけれど、火月さんが生まれたことを知った高原家の連中が、彼らを家ごと焼き殺した。」
秀介の言葉を聞き、有匡は胸がざわつくのを感じた。
家の為に、殺人までいとわない連中が、この世には居るのだ。
「それで?何故そんな話をわたしに?」
「火月さんは、僕と共に京都に行くんだ。そこで夫婦の契りを交わす為にね。」
「夫婦の契りだと!?」
有匡は思わずグラスに入った水を秀介に掛けた。
「そんなに興奮しないでよ。夫婦の契りといっても、形だけさ。火月さんに手を出すつもりはないから、安心して。」
怒りをあらわにする有匡とは対照的に、秀介は飄々とした表情を浮かべながらそう言うと、彼の肩を叩いた。
「火月は、知っているのか?自分の両親を、母親の親戚が殺したことを?」
「知る訳ないじゃない。それに、彼女のお祖母さんが轢き逃げに遭ったことだって、怪しいもんだよ。」
「何だと?」
「彼女のお祖母さん・・朱鷺さんだっけ?彼女、火月さんの母親が抱えている事情を知っていてね、嫁と孫娘を守ろうと高原家にもう二人に手を出してくれるなと忠告したそうだ。その後、彼女は事故に遭った。」
「まさか、彼女も。」
「その可能性は高いね。あなたをここに呼んだのは、連中は火月さんを手に入れる為なら、どんな卑怯で悪辣なことなんて厭わないってこと。」
「憶えておこう。」
有匡はそう言って漸く和定食に箸を付けたが、それはすっかり冷めきってしまっていた。
「ただいま。」
「お帰り。ご飯は?」
「もう食べてきた。それよりも火月、何か両親の事で聞いていないか?」
「え、何突然?」
二階から降りて来た火月は、そう言って有匡を見た。
「いや、何でもない。少し部屋で休むから、静かにしていてくれ。」
有匡はさっさと和室に入っていってしまった。
「変な奴・・」
火月は首を傾げながら、浴室へと入っていった。
朱鷺の部屋に入った有匡は、和琴を弄りながら秀介からファミレスで聞いた話を整理してみた。
火月を狙っているのが彼女の母親の実家であるとしたら、彼女を手に入れるまで連中は諦めないだろう。
何とか彼女を守らなければ―そう思いながら有匡が和琴を爪弾いていると、彼の前に一人の青年が現れた。
「お前・・青龍か?」
「左様。主に伝言があり。」
「伝言?」
「火月様は妖狐族の宮城にて見合いをなさっておられるご様子。」
「見合い?」
有匡は、青龍(しきがみ)からの報告に驚きで目を見開いた。
何故、こんなことになってしまったのだろう。
「火月様、聞いておられますか?」
「は、はい・・」
鎌倉から遠く離れた妖狐族の宮城の一室で、火月は自分と向かい合わせに座っている男を見た。
夫が自分達を迎えに来るその日を待って、姑・スウリヤの女官となった火月は慌ただしい毎日を過ごしていた。
そんな中、彼女に突然縁談が舞い込んだ。
相手は貿易都市を牛耳る名家の息子で、宮城に王家への献上品を納品した際、火月を見染めたという。
勿論火月は断ったものの、スウリヤは一度会うだけでいいと言ったので、会ってみることにしたのだが―
「火月様には、お子様がおられるとか。」
「ええ、男女の双子がおります。」
「そうですか。お恥ずかしいことですが、わたしには子どもが出来ない身でしてね。後継者が居ないとわたしの代で家が途絶えてしまう。でもそれを聞いて安心いたしました。」
「あ、あの・・」
完全に相手のペースに呑まれそうになっている火月の元に、スウリヤがやって来た。
「もうその辺にしといてくださいませぬか、リィヤ殿。あなたがどんなに愛の言葉を囁こうと、彼女には届きませぬ故。」
「それは、どういう意味です、スウリヤ様?」
「彼女には愛する夫が居るのですよ。ですからこの縁談は白紙に・・」
「そうですか。」
リィヤは突然椅子から立ち上がると、火月の手を握った。
「それを知ったら、俄然あなたを諦めきれなくなりましたよ。」
「リィヤ様、放してください。」
火月がそう言ってリィヤの手を振りほどくと、彼は不満そうな顔をした。
「あなたの夫は、今何処で何をしておられるのです?こんなに美しいあなたを放ったらかしにして・・」
「夫は・・先生は必ず僕達の元に戻ってきます!ですからあなたと結婚するつもりはありません!」
「夫への操立てですか。いいでしょう、あなたがそのつもりならわたしは絶対にあなたを諦めません。」
リィヤはそう言うと、火月の頬にキスして部屋から出て行った。
「困ったことになったの、火月よ。あの者の事はわたしに任せるがよい。」
「はい、お義母様。では仕事に戻ります。」
火月はスウリヤに頭を下げて部屋から出ると、途中で華やかな衣装に身を包んだ少女達の一団と廊下ですれ違った。
以前スウリヤが話していた西国の皇女・蓮華(れんげ)達だろうか。
火月が脇に寄って少女達に頭を下げていると、彼女達の中で一番華やかな衣装を纏った少女がすいっと火月の前に出た。
「あなたが、火月様?」
「ええ、そうですけれど・・」
「初めまして、わたくしは蓮華と申します。スウリヤ様の御親族だと聞いたのだけれど、少しあなたとお話がしたいの。宜しいかしら?」
「構いませんが・・」
「そう、ではこちらへ。」
蓮華はそう言って火月を自分の部屋へと連れて行った。
「土御門有匡様の北の方様が、まさかあなたなんて驚きましたわ。確かあなたは、紅牙族の出身ですわよね?」
「ええ、それがどうかなさいましたか?」
「実は近頃、紅牙族に不穏な動きがあるという噂があってね。あなたがそれについて何か知っているのではないのかと思って・・」
唐土に住む紅牙族達の近況を知らない火月にとって、蓮華の話は寝耳に水だった。
「さぁ、存じ上げません。」
「そう、それならいいわ。」

蓮華はそう言うと、優雅な仕草で茶器を持った。

その夜、宮城では蓮華を歓迎する宴が開かれた。

王(ハーン)は美女に囲まれながら目の前で美女の舞を眺めては酒を飲んでいた。
それを横目で見ながらスウリヤは苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべており、彼女付の女官達も苦々しい顔をしていた。
女達はほとんど半裸に近い状態の衣装を纏い、惜しげもなく乳房を王の前に晒していた。
仮にも外国の賓客の、しかも皇女の前でそのような無作法な振る舞いをするとは常識に欠けている。
「父上には困ったものだ。蓮華様が見ていらっしゃるというのに・・」
「ええ、全くです。わたくしが王に一言申し上げて参りましょうか?」
スウリヤの傍に控えていた護衛官・紫苑がそう言って動こうとすると、スウリヤはそれを制した。
「止せ。父上の事は放っておくがよい。ここは蓮華様に任せよ。」
「ですが・・」
「見事な舞でしたわ。わたくしの為に国中の美女を集めてくださってありがとう。」
宴も終わりかけようとしている頃、蓮華はそう言って美女たちの舞に拍手を送った。
「蓮華様にそう言っていただけると嬉しいですな。誰か気に入った娘でもおりましたか?」
王はそう言うと、美しい皇女の横顔をちらちらと見た。
「いいえ。それよりも王、最近紅牙族の事で不穏な噂があるのはご存知?」
「ええ。何でも長年対立していた人間と和解したとか。ですがそれを快く思わぬ連中が人間の里を襲ったとか・・」
王の言葉に、火月は動揺して持っていた皿を割ってしまった。
「あ、すいません!」
「何をしておる、宴の最中に!」
「申し訳ございません・・」
火月を睨みつけた王は、立ち上がるなり彼女の腕を掴んで自分の前に引き摺りだした。
「誰か剣を持ってまいれ、この者を討つ!」
「お待ちくだされ、王!皿を割っただけにございます、どうか怒りをお収めに・・」
紫苑が慌てて両者の間に割って入ったが、王は彼の頬を殴った。
「黙れ!お前の事は前々から気に入らなかったのだ!」
「どうかお願いです、お命だけはお助け下さい・・」
恐怖で顔を引き攣(つ)らせながらも、火月は必死に命乞いをした。
「お待ちください、王。わたくしはそのような些細な事で気分を害したりはいたしませんわ。その者をわたくしに免じてお許しくださいな。」
蓮華の玲瓏とした声が広間に響き渡り、王は怒りで顔を一瞬歪めたが、火月を乱暴にスウリヤの方へと突き飛ばすと、再び玉座に腰を下ろした。
「ありがとうございます、蓮華様。」
「お礼を言っていただかなくても結構よ。それよりも紅牙族の事も心配だけれども、鬼族の事も気掛かりね。」
「鬼族、ですか?」
「ええ。何でもあなたの夫に鬼族の若君が火傷を負わされたとか。それで鬼族達は怒り狂っているそうよ。」
「そんな事が・・」
「だから用心をするに越したことはないわ。決して一人になっては駄目よ、解った?」
「はい、解りました。」
蓮華皇女から忠告を受け、火月は有匡の身に何かが起こるのではないのかという一抹の不安を抱きながら、眠れぬ夜を過ごした。
一方人間界では、火月達の元に一通の招待状が届いた。
「豪華客船のチケットじゃない、これ?」
「確かこの前、マスコミで取り上げられていたやつ?でもどうしてこの船の招待状があたし達の所に?」

火月がそう言って招待状の送り主を確かめようと封筒の裏を見ると、そこには秀介の名と住所が書かれていた。

数日後、有匡と火月は、豪華客船・イリアス号に乗船した。

6月に就航したばかりのイリアス号は、映画館やプール、ナイトクラブやエステなどが併設されているまさに“動くホテル”そのものだった。
何故イリアス号のチケットをあの秀介が贈ってきたのか、火月は理解できなかった。
「ねぇ、あんた秀介と何か話したんでしょう?何話したの?」
「飯を奢って貰っただけだ。それよりも秀介って奴は信用できんな。」
「でしょう?何だか腹の底で何考えてるのか解らないっていうか・・気味が悪いのよね。」
火月がそう言いながら客室のカードキーを挿し込んで中に入ると、そこには噂の人物が居た。
「やぁ、久しぶり、高原さん。」
「何であんたがここに居るの!?」
「僕が贈ったチケットの部屋番号、僕の部屋番号と同じだから。あぁ、心配しないで。僕はこの人と寝るから。」
有匡の腕を掴んでそう言うと、秀介は火月に微笑んだ。
「貴様、一体どういうつもりだ?」
「別に。僕はただ彼女を守りたいだけ。そういえばあなた、独身?」
「いいや。妻と双子の娘と息子が居る。」
「妻子持ちかぁ、それはそれでいいかもね。障害がある恋愛の方が燃えるって言われてるもんねぇ。」
「何故そんな方向に話を持って来るんだ、貴様は?」
ディナーの為に選んだドレスをフィッティングルームで試着している火月を待ちながら、有匡と秀介は火花を散らしていた。
「お待たせ~!」
フィッティングルームから出てきた火月は、裾にレースがふんだんと使われている薔薇色のドレスを纏っていた。
「似合うね、高原さん。僕の見立ては間違っていなかったよ。」
「どう、少しは見直したでしょう?」
火月はそう言って有匡を見た。
「ふん、馬子にも衣装だな。見掛けだけは騙せても、普段の立ち居振る舞いで化けの皮が剥がれるぞ。」
「何よムカつく~!」
火月は怒りで顔を引き攣らせ、ドレスの裾を摘んで有匡に背を向けた。
「女心が解っていませんね。まぁそんなあなたでも結婚出来たんだからいいですよね。」
「ほう、僻んで居るのか?まぁ貴様のような自己中心的な男には誰にも相手にされんな。」
「へぇ、そうですか。相手にされなくて結構です。僕は独りが好きなんですよ。」
有匡と秀介が言い争いながら大広間へと向かっていると、突然奥の通路から女性の悲鳴が聞こえた。
「どうかなさいましたか?」
「ひ、人が死んでるのっ!」
彼女がそう言って指した先には、血だまりの中で倒れている振袖姿の少女の姿があった。
「嗚呼、お嬢様!何てお姿に!」
部屋のドアが開き、朽葉色の着物を着た70代の老婆が出て来て、少女の方に駆け寄ってきた。
「お嬢様、目を開けてくださいませ~!」
突然豪華客船内で起きた殺人事件に、乗客達は騒然となった。
「全く、冗談じゃありませんわ!優雅なヴァカンスを期待しておりましたのに、殺人事件だなんて・・」
厚化粧をして両手の指全てに指輪を嵌めた紫のドレスを纏った太い女がヒステリックにそう叫ぶと、有匡を見た。
「そこのあなた、警察でしょ?何とかなさいな!」
「何を言っているんだ、この婆。わたしは警察でも何でもないぞ。」
「んまぁ、目上の者に対して失礼な物言いね!わたくしが誰だか知らないの?わたくしは大野木京子、この船のオーナー夫人よ!この船で一番偉いのよ、お解り?」

女がドヤ顔で自己紹介する脇を有匡はさっさと通り過ぎ、大広間へと向かった。

「どうしたの、何かあった?」
大広間で開かれているパーティーに有匡が遅れて入ってきたので、火月はそう言って彼を見た。
「ああ。途中で変なのに絡まれてな。確か大野木とかいったか。」
「大野木って、日本で五指に入る財閥じゃない?確かこの船のオーナーだったわね。」
「そのオーナー夫人が妙に威張り散らしていてな。殺人事件が発生して折角の休暇が台無しだとか文句を垂れていてな。」
「殺人事件?何でそれ早く言ってくれないのよ!」
「言っても何もしないだろう。わたし達は警察ではないんだからな。こういった事はその道のプロに任せた方が良いとは思わないか?」
「そうね。あ、何か食べる?」
火月はそう言ってドレスの裾を摘むと、ビュッフェテーブルへと向かった。
そこには、一流パティシエが作ったスイーツやシェフが腕を振るった料理などが並んでいた。
「全く、色気よりも食い気だな。うわべだけ着飾っても、何の意味もない。」
「何よぉ、あんたってムカつくわね!あんたの奥さんはどうして自己中心的で俺様なあんたの何処に惹かれたんだか・・」
「青臭いガキのお前に、男女の恋愛について講釈しても仕方なかろう。まぁ、妻とは紆余曲折があってな、今の幸せを掴むために色々と辛い思いをした。」
「そう・・」
少し寂しげな有匡の顔を見て、火月は何も言えなかった。
「それにしても、被害者の子って、誰か解る?」
「さぁな。ただ、部屋から和服姿の女性がやって来て“お嬢様”と叫んでたな。」
「ふぅん、どんな顔だった?」
「知らん。婆を撒くのに必死だったからな。」
有匡がそう言って日本酒を飲んでいると、大広間に太った女が入って来て彼の方へと近づいて来た。
「まぁあなた、さっきは良くもわたくしを虚仮にしてくれたわね!」
「何故こういう場には日本酒が少ないんだろうな?」
「さぁね、余り好きじゃない人が多いからじゃない。」
「ちょっと、聞いてるの!」
女を完全に無視して、有匡は火月に秀介のことを話した。
「あいつのお母さんと、亡くなったあたしのお母さんと従姉妹同士だなんて、初めて聞いた。お母さん、そんなの話してくれなかったから・・」
「それはそうだろうな。お前が亡くなった祖母が、母親の実家からお前を守ろうとしていたようだし。余り高原家に関わらないに越したことはない。」
有匡がそう言って言葉を切ったとき、大広間に少女の遺体に駆け寄った老女が入ってくるなり、有匡の方へと駆け寄ってきた。
「お願いです、お嬢様を生き返らせてくださいませ!」
「何を言っている。訳が解らんぞ?」
「どうか、お願いです!お嬢様を、多喜子様を生き返らせてくださいませ!」
額を地面に擦りつけんばかりに老女が有匡に土下座すると、周囲の目が彼らに向けられた。
「詳しい事情を聞こうか。行くぞ。」
「う、うん・・」
先ほどから秀介の姿が見えないことに気づいた火月だったが、慌てて有匡の後を追った。
「それで?何故わたしがあの少女を生き返らせなければならん?」
老女に連れられて二人が入ったのは、ロココ調の華美な家具と内装に囲まれた部屋だった。
「わたくしは一度、あなたが死んだ鷹の雛を生き返らせたのを見ました。」
「ああ、その事か・・」
鎌倉への帰り、途中で有匡は地面に転がっていた鷹の雛を呪術で生き返らせたことがあったが、それを老女が見ていたとは知らなかった。
「どうかお願いいたします、多喜子お嬢様を生き返らせてください。報酬はいくらでも払いますから!」
「馬鹿を言え。死者の反魂など、禁術だ。誰一人として反魂に成功した者はいない。諦めるのだな。」
「そんな・・もう高原家の直系の娘は、多喜子お嬢様しか居られないというのに!」
老女の言葉に、部屋を出て行こうとした有匡の足が止まった。
「今、何と?」
「申し遅れました。わたくしは高原清と申します。」
老女はそう言って、有匡に取り縋った。
「どうか、お嬢様を・・」
「行くぞ。」
「う、うん・・」
有匡は老女を振り払い、部屋から出た。
「あの人、どうしちゃったんだろ?」
「さぁな。」
大広間にある階段を上がった先には、ひとつの隠し扉があった。
そこには、ある団体が会合を開いていた。
「いらっしゃいませ。どうぞ。」
「ありがとう。」
秀介は受付の男から仮面を受け取り、隠し扉を開けた。
そこは舞台と客席があり、舞台には1人の男が台に横たえられていた。
「皆様、ようこそお越しいただきました。これより儀式を始めます。」
舞台袖から白装束を纏った男が登場し、錫杖を鳴らしながら呪文を唱え始めた。
すると台に横たえられていた男が悶え苦しみ、血を吐いて息絶えた。
「さぁ皆さん、この太刀で聖なる血を浴びましょう!」
仮面を付けた数十人の男女は、次々と男の遺体に刃を突き刺した。
「これで皆さんは神からご加護を賜ったのです。さぁ、祝福の宴を開きましょう!」
(とことん悪趣味だな・・高原家もここまで堕ちるとは・・)
「旦那様、大変です!多喜子様が・・」
「多喜子がどうかしたのか?」
「先ほど身罷られました!」
部下の言葉に、周囲の者達がざわめいた。
「何ということだ・・多喜子が・・高原の血を継ぐ娘が、死んだ!」
男はそう叫んで頭を抱えると、床に蹲った。
「おのれ、誰が多喜子を殺したのだ!」
「それが・・」

部下が、男の耳元に何かを囁いた。

「一体これはどういうことだ!?」
「旦那様・・」
男が愛娘・多喜子の部屋へと入ると、彼女は寝台に寝かされていた。
一見眠っているようにも思えたが、彼女の顔からは血の気がひき、蝋のように白い。
「多喜子、本当に死んでしまったのか・・」
男はそう言うと、そっと娘の手を握った。
その手は、氷のように冷たかった。
「旦那様、お嬢様を・・」
「清、お前がついておりながら、何故多喜子を守っていなかった!」
「申し訳ありません!」
老女はそう言って床に蹲り、泣き崩れた。
「これで高原家直系の娘は途絶えた。これからどうすればよいのだ。」
「その事ですが旦那様、わたくしに考えがございます。」
「申してみよ。」
清は俯いていた顔を上げ、主を見た。
「実はこの船に、陰陽師が乗っております。彼に反魂を頼めば、きっとお嬢様は生き返りましょう。」
「そうか。では、その陰陽師を呼んで参れ。」
「かしこまりました。」
老女はそう言って部屋から出て行った。
「多喜子、待っているがよい。必ずそなたを生き返らせてみせよう。」
男はそっと亡くなった娘の額を撫でた。
(今夜は色々と疲れた・・)
部屋へと戻った有匡は、そう思いながら溜息を吐くと、タキシードを脱いで夜着に着替えた。
「あ、先に戻っていたんですか。」
「随分と遅かったな。今まで何処に行っていた?」
「ちょっと船内を散歩していただけですよ。それよりも火月さんは?」
「あいつなら自分の部屋で休んでる。」
有匡はそう言うと、ベッドに横たわった。
変な物音に目覚めて彼が起きたのは、深夜2時半過ぎだった。
ドアの外をカリカリと、誰かが爪でひっかくような音が聞こえた。
(気の所為か・・)
有匡がそう決め込んで無視していると、ドアが乱暴に蹴破られ、顔を白い布で覆った数人の男達が雪崩れ込んできた。
「何だ、貴様ら!?」
「申し訳ないが、我々と来て貰おう。」
抵抗する間もなく、有匡は男達によって目隠しをされたままある部屋へと連れて行かれた。
「旦那様、陰陽師めを連れて参りました。」
「そうか。その者の目隠しを外せ。」
そっと目隠しを外され、有匡は自分の前に白装束を纏った男が立っていることに気づいた。
「誰だ、貴様は?」
「わたしは高原正親(まさちか)、高原家19代目当主だ。貴殿が陰陽師であることを聞き、頼みがある。」
「娘を蘇生させるのは無理だ。」
「それでは高原の家が滅ぶのを、黙って見ていろと!?」
「貴様の家が滅ぼうが滅びまいが、わたしには関係ない。夜中に人を叩き起こして無理難題を吹っ掛けるな!」
低血圧の有匡は不機嫌さを隠さずにそう男に怒鳴りつけると、部屋から出ていった。
「あの陰陽師、一筋縄ではいきませんね。どうなさいます、旦那様?」
「焦るな。まだ策はある。」
正親は、そう言うと多喜子の遺体を見た。
(わたしは必ず、娘を生き返らせる!)
一方、火月が部屋で寝ていると、誰かが入ってくる気配がした。

「誰?」

ランプをつけようと手を伸ばした火月は、その前に何者かに液体を染み込ませたハンカチを無理矢理嗅がされ、気絶した。

「火月、居るのか?」
翌朝、有匡が火月の部屋をノックしたが、中から返事がなかった。
不審に思った彼がカードキーを挿し込んで中に入ると、そこには誰も居なかった。
「火月?」
浴室やトイレまで探したが、彼女の姿は何処にもなかった。
(一体何が・・)
「どうしたの?」
「火月が居ない。船内の何処かに監禁されているのかもしれん。」
「どうしてそう言いきれるの?まさか高原家の者に何かされそうになった?」
「ああ。手分けして火月を探すぞ。」
有匡と秀介が船内を捜索している間、火月はあの部屋の寝台に寝かされていた。
「ん・・」
「気が付かれましたか?」
彼女が目を開けると、そこにはあの老女が立っていた。
「あなた、昨夜の・・」
「憶えてくださってくれたのですね。」
火月は寝台からゆっくりと起き上がると、自分が振袖を纏っていることに初めて気づいた。
真紅の布地に金色の蝶が飛んでいる図柄のそれは、何処かで見覚えがあった。
「どうしてあたしはここに居る訳?」
「それは、あなたが高原の血を受け継ぐ娘だからです。」
「え・・」
老女の言葉に、火月は驚きで目を見開いた。
「ご存知なかったのですか、ご自分が神聖なる高原の血を継いでいらっしゃることを。ああ、あなたのお母様は高原家を嫌い、家を出ていきましたものね。知らないのは当然ですね。」
老女はそっと火月の頬を撫でると、ほくそ笑んだ。
「これで、家が滅ぶ心配はありません。なぜなら、あなたが居るのですから。」
「あたしを、どうする気?」
「それは旦那様がお決めになることです。それまで暫くここで大人しくしていてくださいね。」
老女はそう言って部屋から出ると、ドアに結界を張った。
「どうだった?」
秀介の問いに、有匡は首を横に振った。
「何処か彼女が行きそうな所って、ないかなぁ?」
「さぁな・・」
有匡が彼と通路を歩いていると、彼は突然火月の“気”を感じた。
(あそこは、確か・・)
「どうしたの?」
「火月の居場所が解った。」
有匡はそう言うなり、あの少女の部屋へと向かった。
「ここだ。」
「灯台下暗(もとくら)しってやつか。まどろっこしいのは嫌だから、さっさと入ろうか。」
秀介がドアを開けようとドアノブに手を掛けようとした時、火花が飛び散った。
「うわっ、何だよ!」
「結界が張られている。外部からの侵入を防ぐためだな。」
「それじゃ、破ってよ。」
「馬鹿か。他人の結界を破るのは無謀だ。」
そう言うと、有匡は数珠を取り出し、祭文を唱え始めた。
「居たぞ、あいつだ!」
「二人を生け捕りにしろ、逃がすな!」
(チッ、邪魔が入ったか。)
あと少しで火月を救出出来るところだった有匡は、後ろ髪を引かれる思いで部屋の前から去った。
「全く、一体どうなってるんだか!」
「それはこっちの台詞だ!」
数人の男達に追われながら、有匡と秀介はデッキへと出た。
「もう逃がすまいぞ!」
「捕えろ!」

男達が動き始めた時、上空から何かが光ったかと思うと、男達が血しぶきを上げて倒れた。

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真~TRUE~緋 第1話

2024年09月27日 | 火宵の月 現代×鎌倉ファンタジーパラレル二次創作小説「真~TRUE~緋」
「火宵の月」の二次創作小説です。

作者様・出版社様・制作会社様とは一切関係ありません。

色々と捏造設定ありです、苦手な方はご注意ください。

西暦1333年夏、唐土。

鎌倉陰陽師・土御門有匡は、妻・火月と息子と娘を連れ、紅牙の村へとやって来た。
「火月、久しぶり~!」
有匡と火月が子どもたちの手を引きながら広い草原の中を歩いていると、遠くで火月の友人・禍蛇が手を振っていた。
「禍蛇、久しぶり。ねぇ、もう動いて大丈夫なの?」
そう言って火月は禍蛇の少し膨らんだ下腹を見た。
禍蛇は一昨年長年の幼馴染であった琥龍と結婚し、三人の子宝に恵まれ、現在第四子を妊娠中だ。
「大丈夫だよ。悪阻も少し治まったし。それよりも琥龍がさぁ、また女んとこ泊まってたんだよね。」
禍蛇は深い溜息を吐きながら下腹を擦った。
「禍蛇おばさん、こんにちは。」
「こんにちは。」
有匡と火月との間に産まれた雛(すう)と仁(じん)が、そう言って禍蛇に頭を下げた。
「雛と仁、会わない内に大きくなったねぇ。雛、変な男に引っかかっちゃ駄目だぞ。」
「はぁい。」
雛は禍蛇の言葉の意味も判らずに無邪気に答えた。
「余り娘に変なことを吹き込まないで貰おうか。」
不機嫌な表情を浮かべながら、有匡はそう言って禍蛇を睨んだ。
「はいはい、わかったよ。みんな待ってるから、もう行こう。」
禍蛇は雛と仁の手を引きながら、村へと向かった。
「どうやらあのサルは相変わらずのようだな。」
有匡は溜息を吐きながら火月を見た。
「そうみたいですね。」
「まぁ、サルが何かしでかしたらあいつらが始末するだろう。」
「もう、先生ったら・・」
紅牙の村で、有匡達は楽しい休日を過ごした。
「ねぇ、先生、もし生まれ変わっても僕と一緒にいたいと思います?」
その夜、火月は自分を抱き締めている夫を見上げながらそう言って彼を見た。
「愚問だな、それは。」
有匡はそう言って妻の唇を塞いだ。
窓の外に広がる漆黒の闇空に、流れ星が光った。
「生まれ変わっても、ずっと僕は先生の傍にいますからね。」

西暦2009年、春・鎌倉。

「ここが、伝説の陰陽師・土御門有匡(つちみかどまさ)の邸跡かぁ。」
鎌倉市内が見下ろせる小高い山の中で、一人の少女がそう言って溜息を吐いた。
輝く金髪を春風になびかせ、真紅の瞳を煌めかせている彼女の姿は、まるで地上に舞い降りた天女のようだった。
「火月、こんなところにいたの。もうすぐバスの時間だよ~!」
背後から友人の声がして、少女は振り向いた。
「ごめん、今行く~!」
少女は友人に返事をして、そっと目の前に建てられている石碑にそっと触れると、山を下り始めた。
「もう、一体何してたの?あんな山ん中で。」
「へへっ、ちょっとね。伝説の陰陽師様の邸跡を見てきたの。」
鶴岡八幡宮へと向かうバスの中で、少女はそう言って瞳を輝かせながら友人を見た。
「歴女だねぇ、あんた。ここに来てまでそんなマイナーな所行くなんてさぁ。」
友人が呆れたようにそう言うと少女を見て溜息を吐いた。
「マイナーじゃないもん、あたしにとって土御門有匡様は憧れのスターなんだから。」
少女はそう言って携帯を開いた。
そこには先ほど訪れた土御門有匡邸跡に建てられていた石碑が写っていた。
「あ~、有匡様が現代に生きてたらなぁ~。」
「あんたはそればっかりだね。いい、あんたの大好きな有匡様は六百七十年前に死んだの!いい加減現実見て彼氏作りなって。」
友人の言葉を聞いた少女は溜息を吐いて窓の外を見た。
少女の名は、火月という。
彼女が最近夢中になっているものは、鎌倉時代末期に活躍した稀代の陰陽師・土御門有匡だ。
というのも、三年前に受験生だった彼女は書店で参考書を買おうとして、ある一冊の本に目が止まったのだ。
その本は、土御門有匡を主人公とした小説『紅玉』シリーズだった。
丁度受験勉強で疲れていた彼女はそのシリーズを買い漁り、たちまち主人公の土御門有匡に惚れ込んでしまった。
高校に入学し、華の女子高生となった火月は土御門有匡についての資料などを読み漁り、瞬く間に「歴女」となった。
そして高校に入って春の遠足の目的地が鎌倉だと知った彼女は狂喜乱舞し、土御門有匡が実際に住んでいた邸を訪れて先ほど一人興奮していたのである。
「もうすぐ鶴岡八幡宮だよ。うわぁ~、桜が綺麗だねぇ。」
友人は窓の外から見える若宮大路の桜並木を眺めながらそう言って溜息を吐いた。
「ここ、小説で何度か出てるんだよね。本物の有匡様も、あの石段を上ったのかなぁ。」
バスから降りながら火月はそう言って辺りを見渡した。
「あんたはそれしかないねぇ・・」
すっかりテンションが最高潮に達した火月の後を、友人があきれ顔でついていった。
火月が石段を上ろうとした時、誰かに呼ばれたような気がした。
「どうしたの?」
「ううん、何でもない。」
気の所為かーそう思いながら火月が本殿へと向かうと、また誰かに呼ばれた気がした。
「ねぇ、今何か聞こえなかった?」
「ううん、別に。どうかしたの?」
「うん、ちょっと誰かに呼ばれた気がして・・」
火月がそう言った時、背後に人の気配がした。
ゆっくりと彼女がそちらを振り返ると、そこには直衣を纏い、烏帽子を被った男性がじっとこちらを見つめていた。
「あの~、何かわたしの顔についてますか?」
そう言って火月が男性に一歩近づくと、彼女を抱き締めてこう呟いた。
「やっと見つけた。」
「え?何言って・・」
突然現れた男に抱き締められ、彼の腕の中にいる火月は状況が全く把握できずにパニックに陥った。
男はそんな彼女の様子などお構いなしに、そっと彼女の金髪を一房掴んで自分の方に振り向かせると、桜色の唇を自分のそれで塞いだ。
「んんっ」
火月は男を押し退けようと彼の胸を押したが、女の力ではビクともしない。
(一体何なの、こいつ?訳分かんない。)
男の舌が生き物のように火月の口腔内を這いずり回った。
本当は気持ちが悪いのに、何故か男の濃厚なキスは気持ちが良い。
脳裡に、走馬灯のようにある光景が浮かんでは消えてゆく。
金髪紅眼の少年と直衣姿の男が見つめ合う光景や、その男が自分に向かって優しく微笑む姿などが。
「はぁっ」
漸く男がそっと塞いでいた唇を離すと、火月は小さく喘いで彼を睨んだ。
「感じたか?」
自分のファーストキスを奪っておいて、澄ました顔でそう言った男の頬めがけて、火月は拳を振り上げた。
「この変態!」
春の青空に、鈍い音がこだました。
「火月、大丈夫?」
「大丈夫なんかじゃないって!ファーストキス奪われたんだよ、あの変態に!」
男にパンチを喰らわせ、足音荒く鶴岡八幡宮から去って行った火月は、帰りのバスの中でそう叫んで友人を見た。
「それにしても、あいつ変な格好してたよね。源氏物語に出て来そうなカンジの。コスプレか映画かなんかの撮影だったのかなぁ?」
「知らないよ、そんなの!それよりもあたしのファーストキスを返せ~!」
やがてファーストキスを謎の男に奪われ怒り狂う火月を乗せたバスは鎌倉を出て東京へと入り、彼女が通う高校に着いた時には青かった空が茜色に染まり始めていた。
「火月、美味しいもの食べて機嫌直そうよ。奢るからさ。」
「え、マジで!」
先ほどまでの不機嫌さは何処へやら、友人の言葉を聞いた途端に火月の顔がぱぁっと明るくなった。
二人はいつも放課後に立ち寄るファミレスに入った。
時間帯が夕飯時で、しかも土日とあってか、店内は家族連れなどでごった返していた。
「どうする、出直す?」
「ううん、別にいいよ。二人だからすぐ空くでしょ。」
火月はそう言った時、レジへと向かう男子高校生の姿が目に入った。
そこには、彼女が最も会いたくない人物がいた。
「久しぶりだなぁ、火月。」
「猛(たける)・・」
メッシュでライトブラウンに染めた髪に、腰パン姿の男子高校生の名は猛。
火月の元彼。
「なぁ火月、今度隣のカノジョと一緒に合コンやろうぜ。昔みたいに面白おかしくやろうや。」
「さっさとあたしの前から消えて。」
火月は猛に冷たくそう言い放つと、彼に背を向けて歩き始めた。
「ちっ、可愛気のない奴。」
猛が毒々しい言葉とともにあからさまに舌打ちすると、仲間と共にファミレスから出て行った。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫。今夜は思いっ切りお腹いっぱい食べるから、よろしく!」
「ええ~!」
数分後、火月は友人とファミレスの前で別れ、満腹になった腹を擦りながら自宅へと歩き出した。
自宅まで後少しというところで、火月が何かの気配を感じて振り向くと、公園の茂みから唸り声と共に一匹の野犬が躍り出て来た。
「何、こいつ・・」
突然現れた野犬を、火月はじっと睨んだ。
野犬は彼女に怯むことなく、鋭い牙を剥き出して唸りながら徐々に彼女との距離を詰めてくる。
火月はバッグの中からカッターナイフを取り出すと、その刃を野犬に向けた。
「近寄ったらこいつで刺すわよ!」
だが野犬は勢いよく火月に襲い掛かり、その弾みでカッターが彼女の手から離れた。
「誰か、助けて~!」
火月は必死に叫んだが、住宅街の中からその住民が出てくる気配が全くしなかった。
(このまま、あたし死んじゃうのかな?)
あの頃と同じような感覚に、火月は捉われた。
両親と共に炎に包まれた家の中で頭から血を流して掠れた声で助けを呼んでいた頃に。
―誰か、助けて・・
こんな所で、死にたくない。
「助けて!」
涙を流して火月がそう叫んだ瞬間、眩い光が野犬と彼女を包んだ。
すると野犬は火月から離れ、今度は光に向かって唸り始めた。
「縛鬼伏邪(ばっきふくじゃ)、急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
黒犬は光の中から出て来た何かによって倒された。
火月は恐る恐る顔を上げて辺りを見ると、黒犬がいた辺りには一匹の青龍がいた。
(これって、夢?)
試しに頬を引っ張ると、痛みを感じた。
やがて光が消え、その中心から人影が現れた。
「大丈夫か?」
その人影は、鶴岡八幡宮で自分のファーストキスを奪ったあの男だった。
「あ、あんた、何でここに?」
「お前の気を追ってここまで来たら、あの魔物がお前に襲いかかろうとしたので退治したまでだ。」
「変態の上にストーカー!?うわ、超キモいんですけど!」
火月はそう言って男から後ずさった。
「命を助けてやったというのに、礼ひとつも言えないのか、小娘。」
男がムッとしたような顔でそう言うと火月を睨んだ。
「小娘って何よ!あたしにはね、火月っていう立派な名前があるんです!あんたって本当最低ね、オッサン!」
「無礼なのは貴様の方だ。わたしはオッサンではない。土御門有匡(つちみかどありまさ)という名がある。」
男は眉間に皺を寄せながら火月を睨んだ。
「え、今なんて・・」
「若いのに耳が悪いのか、お前は?わたしは土御門有匡だ。」
(土御門有匡って、あたしが憧れている最強の陰陽師様がこいつなの!?)
まさか六百年以上前に生きていた憧れの“有匡様”がこんな変態で最低で態度がデカイ男だったとは、信じたくはなかった。
「信じないわ、クールで、セクシーで最強な有匡様が、こんな態度デカくて変態で最低な野郎なんて、わたしは絶対に信じないわ!」
「おい。」
「ああ、でも一説によると有匡様ってクソ意地悪い性格だったって言うし・・人間一つや二つは欠点くらいあるわよね・・」
「何をブツブツ言ってるんだ、貴様?脳天に虫でも湧いたか?」
謎の男―土御門有匡はそう言って怪訝そうな表情を浮かべながら火月を見た。
(憧れの有匡様に折角会えたんだもの、この際変態だろうが態度デカかろうが、全部目を瞑ってやるわ!)
「有匡様ぁ~、お会いしたかったですぅ~!」
火月は両目を潤ませながら有匡に抱きついた。
「ヌン!」
有匡は火月の額に紙のようなものを貼った。
「何これ?」
「動きを封じる札だ。」
「やっぱりあんたって最低~!」
火月の絶叫が、都会の夜空にこだました。
その頃、東京から遠く離れたハノイの路地裏で、一人の男が何かから必死に逃げていた。
“こんなところにいたのか。”
男がほっと安堵の溜息を吐き、壁にもたれて座っていると、頭上から氷のように冷たい声が降って来た。
彼がゆっくりと声がした方を見上げると、そこには一人の少女が長い金髪をなびかせながら蒼い瞳で彼を睨んでいた。
「お願いだ、見逃してくれ!」
“そうはいかないな。お前は知り過ぎた。”
少女はにぃっと口端を歪めて笑いながら、男の前に立った。
獣のように鋭い犬歯が、少女が笑うたびにちらりと覗いた。
「お、俺には家族が・・お願いだ、命だけは!」
“笑止。”
男の返り血で少女が纏っている純白のアオザイが真紅に彩られた。
彼女は愛おしそうに顔に付いた男の血を舐めた。
“やはり人間の血は美味い。”
少女は男の遺体に近づいて跪くと、持っていた刀でそれを突き刺した。
“こんなところでそんなものを食べるでない、身体を壊しても知らぬぞ。”
少女が男の遺体から臓腑を引き摺りだそうとした時、背後で玲瓏とした音楽的な美しい声が少女の耳に響いた。
そこに立っていたのは、熱帯夜だというのに長身を漆黒のスーツを纏い、じっと蒼い瞳で少女を愛おしそうに見つめる一人の男だった。
“良いではありませぬか、兄者。こんなものでも、俺にとっては貴重な蛋白源なのですから。”
“ならぬものはならぬ。兄の言う事が聞けぬと申すのか?”
男の言葉を聞いた少女は舌打ちし、男の遺体から離れた。
“お前にはもっといい獲物をやろうぞ、愛しい弟よ。”
男は少女の頬を撫でながら、彼女の唇を塞いだ。
二人の姿はやがて闇の中へと消えていった。
「どうぞ、有匡様。狭い家ですけど上がってくださいな。」
火月はそう言って、憧れの陰陽師・土御門有匡とともに我が家に入った。
「・・随分と狭い家だな。わたしの邸(いえ)とは大違いだ。」
「あらぁ、それは済みません。でもわたしにとってはお城のようなものですのよ~。」
(何よこいつ、家が狭くて悪かったわね!あんたみたいにうちの叔父さんはセレブじゃないのよ!この家だって叔父さんがこつこつと貯めてやっと建てた夢のマイホームなんだから!)
「まぁいい、邪魔するぞ。」
有匡はそう言うと浅沓(くつ)を脱いでさっさと家に上がった。
「ただいま~!」
火月が彼と共にリビングに入ると、そこには叔父夫婦と従弟の小学三年生の彌(わたる)が夕食を囲んでいた。
「火月姉ちゃん、お帰り。その人、誰?」
「ああ、この人はね、姉ちゃんの命を助けてくれた恩人なのよ。」
「へぇ~、変な格好だね!」
「なんだ、このクソ餓鬼は。目上の者に対して無礼だろう。」
彌の言葉に気分を害した有匡は、そう言ってじろりと彼を睨んだ。
「この子は彌っていって、あたしの従弟よ。彌、この人は土御門有匡さんよ。」
「え、土御門有匡って、あの有匡様?」
はじめは不審そうに有匡の顔を見ていた彌の目がぱぁっと輝いた。
「は、初めまして、有匡様!さっきは失礼な事を言ってごめんなさい!」
(この女といい、餓鬼といい、何なんだ一体。絶対脳天に虫が湧いているな。)
「火月ちゃん、夕食は食べてきたの?」
叔母の聡子がそう言って姪を見た。
「うん。ファミレスで食べてきた。」
「そう。じゃぁそちらの方はまだなのね。」
聡子はちらりと有匡の方を見ながら、テーブルに鶏の唐揚げが載った皿を置いた。
「すいません、こんなものしかありませんけどどうぞ召し上がってください。」
「肉は余り食べないが、まぁいい。丁度腹が減っていたところだから食べてやるとするか。」
(お前、何様のつもりだよ・・。)
箸で唐揚げを摘んでいる有匡を見ながら、火月は心の中で彼に悪態をついた。
「ねぇ火月ちゃん、あの人随分と失礼な人ねぇ。イケメンだけど。」
洗い物を手伝っていた火月に、聡子はそう言って彌とテレビゲームをしている有匡をちらりと見た。
「ごめんなさい叔母さん、あいつ今までセレブだったからわたし達庶民と生活感覚が違うのよ、許してあげて。」
「そう。それなら仕方がないけれど、ムカつくわぁ~。」
聡子は笑顔を浮かべていたが、目は笑っていなかった。
「有匡様、ゲーム上手いね。」
「ふん、こんなもの魔物に比べれば大したことはない。それにしても、こんな所に泊まっていいのか?」
「いいに決まってるよ。だって有匡様は火月姉ちゃんの恩人だもん!母さんは有匡様のこと、余り好きじゃないみたいだけれど。」
「そう言うのならここで世話になってやってもいい。で、わたしは今夜何処に寝るんだ?」
数分後、彌に案内されて有匡が入ったのは、六畳半の和室だった。
「ここは?」
「亡くなったお祖母ちゃんの部屋だよ。狭いけど我慢してね。」
「御帳台は何処にある?」
「お布団なら其処に敷いてあるよ。じゃぁまた明日ね。」
自分の部屋とは勝手が違う和室の中で、有匡は布団に包まりながらゆっくりと目を閉じた。
こうして鎌倉時代からやって来た俺様陰陽師と、ある一家の奇妙な同居生活が幕を開けた。
どこからか綺麗な音がする。
火月はゆっくりとベッドから起き上がって部屋から出ると、一階に下りた。
音は、和室から聞こえて来た。
そっと襖を開けると、そこには亡き祖母が生前愛用していた和琴を奏でる有匡の姿があった。
「それ、お祖母ちゃんの・・」
「起こしたか。」
有匡は和琴を奏でる手を止めて、チラリと火月を見た。
「さっきこの和琴の主が夢に出てきてな。大切な孫娘を守って欲しいと言われた。」
「お祖母ちゃんが、あんたの夢に?」
火月の祖母は五年前に帰宅途中、轢き逃げに遭って亡くなった。
幼い頃両親を火事で亡くし、叔父夫婦の元に引き取られた火月にとって、祖母は母親代わりで、何でも相談できる存在だった。
「ああ。お前を狙っている者が近々お前の傍に現れるから用心しろと。それと、自分を殺した犯人はお前の近くに潜んでいるとな。」
そう言って有匡は火月を見た。
「お祖母ちゃんね、五年前に轢き逃げに遭って死んだの。犯人はまだ捕まってないけど、黄緑色の車が現場付近で目撃されたって聞いたわ。」
「そうか。お前の祖母の事故、少し調べてみた方が良さそうだ。」
有匡は和琴を床の間に置くと、ゆっくりと立ち上がった。
「何処行くの?」
「風呂だ。身体を清めて神仏とコンタクトを取るのは陰陽師の基本中の基本だからな。」
「朝風呂!?あのさぁ、ガス代うち今節約してんの。我がまま言わないでくれる?」
「ちっ、まぁいい。」
有匡は不機嫌そうな表情を浮かべながら和室から出てリビングに入った。
「火月姉ちゃん、有匡様、おはよう。」
トーストの香ばしい匂いが漂い、火月は自分の席へと座ってトーストを一枚頬張った。
「朝はやっぱりトーストよね。」
そう言って火月が隣の有匡を見ると、彼は朝食に手をつけていない。
「どうしたの?何かアレルギーでもあんの?」
「いや、わたしは和食派なんでな。」
「有匡さん、郷に入っては郷に従えっていう言葉があるでしょう?うちにお世話になっている限りは、こちらのルールに従って貰うわよ、おわかり?」
聡子は氷のような笑みを浮かべながらそう言って目玉焼きを皿に載せた。
一瞬、リビングに季節はずれのブリザードが吹き荒れたような気がした。
有匡は無言でトーストを一口齧った。
「美味いな。」
「母さん、僕もう行くね。」
彌(わたる)はそう言ってランドセルを背負い、トーストを咥えてリビングから飛び出していった。
「有匡さん、ちょっといいかしら?」
火月と彌(わたる)、允(まこと)が次々と家を飛び出して行った後、食器を洗っていた聡子はそう言って有匡に手招きした。
「何だ?」
「彌(わたる)が手提げ袋忘れて行っちゃったの。学校まで届けてくださらない?」
有匡はテーブルの下に置かれたオレンジ色の手提げ袋を見た。
「わかった。何処まで届ければいい?」
「東田小学校って聞けばすぐに着くわよ。じゃぁ、宜しくね。」
(全く、何でわたしがこんなことをしなければならないんだ。)
溜息を吐きながら、有匡は手提げ袋を肩からぶら下げながら歩き出した。
「全く、ここに来てから碌なことがないな・・」
居候先の子どもが忘れていった手提げ袋を肩から下げながら、鎌倉時代からやって来た最強の陰陽師・土御門有匡はそう言って溜息を吐いた。
彼がこの時代に来てから半日。
あの日、妻・火月とともに鶴岡八幡宮を訪れていた有匡はそこで激しい揺れに遭い、気づいたら違う時代にいた。
時空の狭間に呑み込まれ、自分が生きていた時代とは違う時代(ところ)に飛ばされてしまったことは何故か理解できた。
だが、此処から元の時代に戻る術が判らない。
(死返珠(まかるがえしのたま)さえあれば元の時代に戻る事は簡単だが、問題はそれをわたしが持っていないということだ。)
実父の形見で、土御門家当主の証である死返珠は、鎌倉で土御門家への縁切りとしてその使者に突き返したことを有匡は急に思い出した。
(火月は今、どうしているかな。)
脳裡に、金髪紅眼の美しい妻の笑顔が浮かんだ。
この時代にも彼女と同じ名と容姿を持つ少女が居るが、彼女と妻とは全くの別人だ。
この時代の「火月」とは、全く反りが合わない。
生意気で口が悪い。
何故あんな少女の名が、奇しくも愛しい妻と同じ名なのか、未だに信じられない。
有匡は溜息を吐きながらふと空を見上げると、そこには分厚い鼠色の雲が太陽を覆い隠していた。
雨が降る前に手提げ袋を届けなければー有匡は考え事を中断し、歩を速めた。
「ねぇ、曇ってきたよ。」
その頃、彌は窓から外を見ながら、親友の大谷登を見た。
「じゃぁドッヂ出来ねぇな。つまんねぇの。」
大谷君はそう言って舌打ちした。
その時、彼の肩辺りに何か黒いものが取り巻いていることに彌は気づいた。
「ねぇ、登。何か肩に黒いものが・・」
彌がそう言って登の肩にそっと触れようとすると、彼はゆっくりと彌に振り向いた。
「ああ、これ?俺の友達だよ。困った時に助けてくれるんだ、俺の事。」
登は口端を歪めて彌に笑った。
その笑顔は、いつもの溌剌とした本来の彼の笑顔とは程遠い、とてつもなく邪悪で昏いものだった。
「ねぇ、どうしたの、登?今日何か変だよ?」
「変?俺はいたって普通だよ。なぁ彌、俺の事好きだよな?」
「う、うん好きだよ。それがどうしたの?」
「じゃぁ俺と一緒に死んでくれる?」
登はそう言ってポケットから何かを取り出した。
それは工作の時に使うカッターナイフだった。
「や、やめてよ。登の事好きだけど、僕はまだ生きたいよ。」
「ふぅん、そう?じゃぁ仕方ないなぁ。」
カッターナイフを握り締め、自分にゆっくりと迫って来る登の影に、何か変なものが映った。
言葉では言い表せないほどの、恐ろしいもの。
「ねぇ登、変だよ。気分でも悪いの?危ないからそれ、しまってよ。」
彌はそう言ってゆっくりと登からあとずさったが、彼は何も言わずに恐ろしい笑みを浮かべながら自分に迫って来る。
やがて遠くから雷鳴が聞こえ、稲光とともに影の正体が一瞬視えた。
金髪をなびかせた、美しい少女。
彼女が、登を操っているー彌は何故かそう思った。
「彌、ごめんな。」
登はカッターナイフの刃を彌めがけて振り下ろした。
「縛鬼伏邪(ばっきふくじゃ)、急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
教室の入り口から力強い声がして、一羽の鳳凰が登めがけて飛んできた。
“おのれ・・”
登を操っていた金髪の少女が鳳凰の攻撃を受けて低く呻いた。
「そいつから離れて貰おうか。痛い目に遭いたくなければな。」
教室の入り口で有匡はそう言って少女を睨むと、祭文を唱え始めた。
すると登が急に頭を抱えて苦しみ始めた。
“この・・人間風情が!”
少女は有匡を睨みつけると、黒い瘴気を彼めがけて放った。
「業火招来!」
黒い瘴気は紅蓮の炎に焼かれて霧散した。
その直後、少女が耳を劈(つんざ)くような悲鳴を上げた。
「もう一度言う、そいつから離れろ。」
少女はゆっくりと俯いていた顔を上げた。
その美しい顔の左半分は、酷く焼け爛(ただ)れていた。
“覚えておれ!”
少女は黒い瘴気を纏いながら掻き消え、それまで少女に操られていた登は力なく床に倒れた。
「登!しっかりしろよ!」
彌(わたる)は親友に駆け寄り、彼の身体を激しく揺さ振った。
「大丈夫、気絶しているだけだ。」
有匡はそう言うと、登に向かって何かを呟くと彼から離れた。
「有匡様、さっきの人は一体誰なの?」
「さぁ、わからん。ただ邪悪な物であることは確かだ。いつこいつとお前に襲い掛かってくるかもしれぬから、こいつに護りを施しておいた。」
そう言って有匡はチラリと登が首に提げている家の鍵を見た。
「護り?」
「ああ。こいつに何か危険な事があれば式神が動く。」
「登を助けてくれてありがとう。」
彌は有匡に抱きつきながらそう言って彼に微笑んだ。
ふと有匡が教室を見渡すと、そこには唖然とした様子の児童達が彼を見ていた。
「彌、そのおじさん誰?知ってる人?」
それまで一部始終を遠巻きに見ていた女子児童の一人が、恐る恐るそう言って彌に声を掛けた。
「佐々木さん、この人は土御門有匡様。最強の陰陽師なんだよ!」
「おんみょうじって、さっき変なやつ倒したの、この人なの?」
「そうだよ!」
「ねぇ、その人占いできる?」
佐々木というその児童は、そう言って有匡をじっと見た。
「占いはできるが、無料(ただ)ではできんな。」
有匡は冷たい口調で彼女に言った後、彌の方に向き直った。
「これを届けに来た。」
オレンジ色の手提げ袋を彌に手渡した後、有匡は彼に背を向けて教室から出て行こうとした。
「有匡様、もう帰っちゃうの?」
「ああ、用事は済ませたしな。」
「もうちょっとゆっくりして行ってよ。」
彌は天使のような笑顔を浮かべながら有匡の手を掴んだ。
「授業はどうするんだ?もうそろそろ始まりそうだが。」
有匡は壁に掛けられていた時計をちらりと見た。
「大丈夫、先生はイケメン好きだから有匡様のこと気に入るよ。」
そういう問題ではないと思うのだが・・。
有匡は心の中で彌の発言に突っ込みを入れながら、溜息を吐いた。
「少しだけなら遊んでやってもいい。」
「やったぁ!」
はしゃぐ彌の姿に、有匡は息子の姿を重ねた。
彌(わたる)に忘れ物を届けて帰る筈が、何故か有匡は彼の担任教師を占う羽目になってしまった。
「今年のあなたの運気は少し悪いです。特に恋愛・結婚運においては最悪です。」
そう言って目の前に椅子に座っている女性を見ると、彼女は酷く落ち込んだ様子で溜息を吐いた。
「どうしよう、わたしもうすぐ三十なのに・・このまま孤独死するのかしら?」
彼女はそう言うと遠い目で窓の外を見つめた。
「有匡様、もうちょっとオブラートに言えないの?」
隣に立っている彌が有匡を睨みながら言った。
「大丈夫だ、ちゃんとフォローするから。恋愛・結婚運は最悪ですが、今年の秋以降に運命の人と出逢うことでしょう。終わり。」
意気消沈しまくった女性に素っ気ない口調でそう告げると、有匡はさっさと椅子から立ち上がって教室から出て行った。
「待って!」
廊下を歩いていると、先ほど占いを依頼してきた女子児童が追いかけて来た。
「何だ、占いなら無料ではやらんぞ。」
有匡はじろりと彼女を睨みながら言った。
「これで、占って頂けるかしら?」
彼女はそう言って有匡に一万円札を差し出した。
小学生が一万円を持っているなど、一体どんな金銭感覚をしているんだー有匡はちらりと彼女を見ながら溜息を吐いた。
「その金はどうした?」
「お祖母様からいただいたのよ。あのね、占って頂きたいのはわたしではなくてお母様なの。」
「そうか。ならばこの金は受け取る訳にはいかぬな。親戚から貰った金ではなく、お前が自分で稼いだ金でしかわたしは受け取らん。」
有匡はそう言って彼女に一万円札を突き返すと、さっさと小学校から出て行った。
甘ったれた金持ちの我がまま娘―有匡はあの少女にそんな第一印象を持った。
恐らく物心ついた頃から両親や親族の愛情を注がれて育ち、今まで苦労や挫折などの経験が皆無なのだろう。それ故に、金にものを言わせて自分の母親の鑑定を頼んで来たに違いない。
彼女と同じ年くらいの頃、自分は実父を亡くし京の土御門家で散々辛酸を舐めてきた。
己の身体に流れる妖狐の血と、妖狐の力が自分をいつも苦しめて来た。
だが皮肉にも妖狐の力が絶大な呪力を自分に与えた。
だから鎌倉最強の陰陽師としての地位に君臨してきたのだ。
これまで妖狐の自分を頑なに拒絶してきたが、その“存在”を完全に消し去るより受け容れることを選んだ。
その所為で大事なものを失ったことがあったが。
小学校を出て帰宅した有匡が家に入ると、和室の方から和琴を奏でる音がした。
和琴は床の間に置いたままにしていたし、あそこには誰も居ない筈だ。
和室の襖を開けると、そこには檜皮(ひわだ)色(いろ)の着物姿の老女が和琴を奏でていた。
(もしかして、彼女が夢に出て来た火月の祖母か?)
有匡がそう思いながら老女を見ていると、彼女はゆっくりと彼を見た。
『初めまして、火月の祖母の朱鷺(とき)と申します。』
老女は和琴を奏でる手を止め、そう言って有匡に頭を下げた。
「あなたが、この和琴の主ですか。何故、今朝わたしの夢に?」
『恐ろしい闇の力が、この国を滅ぼそうとしています。それを伝えに来ました。』
火月の祖母・朱鷺はそっと有匡の手を握った。
彼女の手は、まるで生身の人間のように温かった。
『どうか、孫達を守ってやってください。』
「わかりました。」
有匡がそう答えると、朱鷺は笑顔を浮かべて消えた。
彼女の姿が消えた後、暫く和室には暖かい空気が満ちていた。
彼女と握った手をそっと開くと、そこには紅玉の耳飾りが掌に乗っていた。
その耳飾りは、妻が持っていたものだ。
朱鷺はこれで自分の孫娘を守って欲しいと伝えに来たのだろうか。
妻と同じ名を持つ少女を。
「あんた、今日彌の学校であいつの友達助けたんだって?」
夕食の席で、火月はそう言って有匡を見た。
「ああ。あの子どもを邪悪な何者かが操っていた。」
有匡の脳裡に、長い金髪をなびかせた少女の姿が浮かんだ。
少女の全身から発せられた黒い瘴気。
そして凄まじいほどの妖気。
彼女の正体は恐らく、鬼族(きぞく)だろう。
古来この国を豊かにし、神と崇められ敬われていたが、人間との確執により“鬼”と呼ばれ、やがては恐れられる存在となった闇の眷属。
その中で、平安の昔に鬼族の頭が霊力の強い巫女を攫い、子を為したという伝説をある書物の中で読んだ覚えがある。
もしその伝説が本当だとしたら、彼女は・・
「ねぇ、大丈夫?気分悪いの?」
はっと有匡が我に返ると、怪訝そうな表情を浮かべながら自分を見つめている火月がいた。
「いや、何でもない。少し考え事をしていただけだ。それよりも、お前に渡したいものがある。」
「渡したいもの?」
「ああ、後でわたしの部屋に来い。」
火月は有匡の言葉に何故かドキッとしてしまった。
(何でドキッとしてんのよ、あたし。あいつはちっともあたしのこと何にも想ってないのに。)
ただ渡したいものがあるから部屋に来てほしいと彼は言っただけではないか。
何故そんな言葉に心が揺れるのか、火月はわからなかった。
「入るわよ?」
夕食の後、火月がそう言って和室に入ると、そこには黒の着流しを素肌に纏った有匡が寛いだ様子で畳に座っていた。
「ねぇ、あたしに渡したいものってなに?」
「今朝お前の従弟に忘れ物を届けた後、お前の祖母に会ってこれを渡された。」
有匡はそう言って火月の掌に紅玉の耳飾りを乗せた。
火月はじっと紅玉(ルビー)の耳飾りを見た。
「これ、どっかで見たことがあんのよね。確か、あんたと鶴岡八幡宮で会った時に一瞬あたしに似た女の人がこれ付けてたような・・」
「それはわたしの妻、火月の首飾りだ。」
「え・・」
火月はそう言って耳飾りを見た。
何故鎌倉時代に生きた有匡の妻のものが、現代にあるのだろうか。
そしてそれを祖母が有匡に渡したのは、一体何の意味を持つのか。
「それにしてもこれって、純度が高い紅玉だね。あたしが死んだ母さんも同じような紅玉の指輪を持っていたけど、こっちの方がなんだか上手く言えないけれど、見ているだけで心が鎮まるというか・・」
「その紅玉は妻の涙から生まれたもの。それは不治の妙薬にもなる。」
有匡はそう言って火月の左耳に耳飾りを付けた。
「この耳飾りには護りを施してある。お前の身に何かあったら式神が動く。」
「そう、ありがとう。」
火月は照れ臭そうに有匡に礼を言って和室から出て行った。
同じ頃、六本木にある高層マンションの一室で、一人の少女がベッドに横たわっていた。
その隣にはハノイの路地裏にいたあの男が寄り添っていた。
彼はそっと少女の左頬―有匡に火傷を負わされた箇所を優しく撫でた。
そこにはうっすらと火傷の痕が残っていた。
“愛しい弟よ、こんな姿になってしまって。許さぬぞ、あの忌々しい陰陽師め。”
彼が少女の金髪を優しく梳いていると、彼女がゆっくりと蒼い瞳を開いた。
“兄・・者・・?”
“気がついたか、弟よ。安心するがいい、お前の傷の仇はこの兄が討ってやる。”
男はそう言うと、少女の唇を塞いだ。
外では、月のない闇夜の下、魔物達が跋扈(ばっこ)していた。
有匡から彼の妻の紅玉(ルビー)の耳飾りを受け取った火月はベッドに寝転びながら、そっと左耳に付いているそれを触った。
指先に温かい感触が伝わった。
宝石が熱を持つ事など通常は有り得ないが、この紅玉は普通の宝石と何かが違うと火月は思った。
伝説の陰陽師・土御門有匡について様々な歴史書や小説などが山のようにあるが、彼の家族についてのものや、晩年の彼についての記録や記述等は皆無に等しかった。
有匡の家族や彼の晩年に関しては、未だに多くの謎に包まれていた。
だから、彼の口から彼の妻の事を聞いた時、火月は驚きを隠せなかった。
しかも、彼の妻の名が自分と同じ名であるということも、驚きだった。
(あたしが、有匡様の奥様と同じ名前で、外見もそっくりなのは偶然なの?だって彼の奥さんは六百年以上前に生きてた人なのに。一体どうして・・)
頭の中で様々な疑問が浮かんでは消えてゆく。
色々と考えているうちに、火月は眠りに就いた。
翌朝、火月が制服に着替えてリビングに入ると、そこには黒の着流しを着た有匡が新聞を読んでいた。
「おはよう。何読んでんの?」
火月がそう言って有匡が読んでいる新聞を覗き込むと、「殺人」という単語が目に飛び込んできた。
「昨夜遅くに赤坂近くのマンションである一家が何者かによって殺されたらしい。これによると、被害者は彌(わたる)の同級生のようだ。」
有匡は被害者の名前を指で指しながら言った。
「ちょっと見せて。」
彼から新聞を渡された火月は、その記事に目を通した。
そこには、赤坂近くの15階建ての高級マンションの最上階に住むセレブ一家が、何者かによって惨殺されたことが書かれていた。
被害者の写真の中に、見覚えがある顔があった。
(この子、確か、彌と同じクラスの・・)
まだあどけない少女の笑顔の横に、「佐々木栞(しおり)ちゃん(9)」と氏名が書かれてあった。
数日前、有匡は栞に会った。
「わたしのミスだ。数日前、その少女はわたしに母親を占ってくれるよう頼んだが、わたしは断った。数日後に彼女は家族とともに殺された。」
「犯人は判ってんの?」
「さぁ、見当もつかぬ。だが、数日前に彌の友人を操った金髪の少女がその事件の黒幕に違いない。」
そう言った有匡は、険しい表情を浮かべながらコーヒーを飲んだ。
「そいつ、一体何者なの?」
「恐らく鬼族(きぞく)だろう。前に書物で読んだ事がある。霊力の強い巫女と鬼族の頭との間に生まれた混血児のことを。」
「半分人で、半分鬼?そんな奴が現代に居るって訳?」
火月は信じられないような表情を浮かべながら言った。
「現界と魔界との間には常に遮断され、魔物が現界に入って来ることはほとんどない。だが、一つだけ例外がある。」
「例外?」
「それは陰の気が淀み、それが魔界と呼応する時だ。戦や災害の時などが魔物を呼びやすい。それと・・」
有匡が一呼吸置いて言葉を継ごうとした時、キッチンで何かが割れる音がして彼と火月が振り向くと、そこには驚愕の表情を浮かべた彌が立っていた。
「嘘だ、佐々木さんが死んだなんて。」
「彌、わたしは・・」
有匡がそう言って彌の方へと一歩近づこうとしたが、彌は有匡から後ずさった。
「有匡様、どうして護ってくれなかったの?」
彌は涙を流しながら有匡を見てそう言うと、彼に背を向けて裏口から外へと飛び出して行った。
「彌、待って!」
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