竜馬、海援隊を結成します。
亀山社中のメンバーとそんなに変わらないのですが、根本的に組織の立場が異なります。亀山社中は薩長同盟のために幕府に追いつめられた長州を薩摩をスポンサーとして助ける組織として司馬氏によって描かれていますが、海援隊は倒幕に土佐藩を加えるために共同作戦をとる組織。幕府排除と王政復古のための薩土同盟ですな。海援隊を組織する上で画期的なのは郷士出身で脱藩浪人の竜馬が土佐藩上士の後藤象二郎と手を結んだことです。それぞれが命を狙われるような暴挙ですが、薩長に土佐を加えるには土佐勤王派と土佐藩上士を結びつける必要があります。岩崎弥太郎、中岡慎太郎、乾退助(後の板垣退助)等、七巻からは土佐人の活躍がクローズアップされてきます。薩摩や長州のように藩単位で動く彼らと違って、彼らはそれぞれ彼らの立場立場で好き勝手に動きます。岩崎弥太郎は郷士竜馬よりも低い地下浪人の出自ですが、土佐藩で才能を認められ長崎留守居役となって竜馬達に巡り合います。土佐藩に絶望して脱藩した竜馬とは全く異なるアプローチです。それ故に竜馬と弥太郎は互いに良い関係を持つことはなかったようですが、弥太郎は藩命により海援隊の経理を担当することになりました。明治維新後、土佐藩の財産(と借金)を後藤象二郎からもらい受け海運業を始め三菱商会を設立します。それだけに弥太郎の視線から見た龍馬を伝える来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」が楽しみです。
この時代の重要なプレーヤーとして土佐藩主山内容堂は無視できません。彼を含む四賢侯会議が京都で行われますが、土佐藩が薩摩と倒幕に巻き込まれそうな気配をさっすると急病と称してさっさと土佐に帰ってしまいます。そこら辺はさすがですな。アホではありません。土佐がそのまま薩摩と倒幕に兵を挙げていたらボロボロになって負けていたか、勝ったとしても英国の意のままに支配されていたことでしょう。四賢侯会議に遅れて上京した竜馬は後藤に船中八策を託して、大政奉還を容堂に言上させます。将軍徳川慶喜がそれを受け入れるか分かりませんでしたし、薩長に対して裏切りともいえる大政奉還には竜馬の同志も賛成しませんでしたが、戦に陥ることなく現状を納めるには他に手段がありませんでした。容堂も徳川慶喜もアホではありませんから大政奉還を受け入れ国を二分するような戦争を避けます。ここら辺も日本史の奇跡といえます。
船中八策で重要と思えるのは大政奉還だけでなく、その後の国を治める方策についてまでも述べられているところです。特に第二策。「上下議政局を儲け、議員を置きて、万機を参賛せしめ、万機よろしく公議に決すべき事」が重要です。議会制民主主義がたった一文で表現されており、これが実現されるためには明治維新後何年も費やすことになります。竜馬の先進性がみごとに表現された一文であります。
龍馬の死後の話ですが、山内容堂は戊辰戦争が勃発すると自分が土佐藩兵約百名を上京させたにもかかわらず、土佐藩兵はこれに加わるなと厳命しました。しかし、土佐軍指揮官乾退助はこれを無視し自発的に新政府軍に従軍。普通なら切腹ものの行動ですが、土佐人はこともなげに命を懸けて行動してしまいます。それに対して殿様容堂は、信頼していた家臣に裏切られたにもかかわらず江戸攻めへ出発する土佐藩兵に寒いので自愛するよう言葉を与え酒をふるまったそうな。たとえ藩主であっても自分の活躍する舞台が終わればさっさと退場して、次のものを応援し酒飲んで見物するのが土佐人のいいところ。西南戦争を終えるまで引っ込むことが出来なかった薩摩人とは大きな違いがここにあります。
有能な人材がそれぞれバラバラなために土佐は薩長と比べて遅れをとりますが、土佐人の活躍なしでは幕府から明治政府への政権移行は血で血を洗う混乱を避けることが出来ず、英国かフランスに搾取され惨めなアジアの小国に陥ることを免れなかったでしょう。
七巻あたりから竜馬が暗殺される気配がぷんぷん匂ってきます。この長編小説を読み終えるのが寂しいのでついつい読むペースを遅くしてしまいがちになりますが、これからが面白くなってしょうがありません。
本日のお酒:土佐栗焼酎 ダバダ火振
亀山社中のメンバーとそんなに変わらないのですが、根本的に組織の立場が異なります。亀山社中は薩長同盟のために幕府に追いつめられた長州を薩摩をスポンサーとして助ける組織として司馬氏によって描かれていますが、海援隊は倒幕に土佐藩を加えるために共同作戦をとる組織。幕府排除と王政復古のための薩土同盟ですな。海援隊を組織する上で画期的なのは郷士出身で脱藩浪人の竜馬が土佐藩上士の後藤象二郎と手を結んだことです。それぞれが命を狙われるような暴挙ですが、薩長に土佐を加えるには土佐勤王派と土佐藩上士を結びつける必要があります。岩崎弥太郎、中岡慎太郎、乾退助(後の板垣退助)等、七巻からは土佐人の活躍がクローズアップされてきます。薩摩や長州のように藩単位で動く彼らと違って、彼らはそれぞれ彼らの立場立場で好き勝手に動きます。岩崎弥太郎は郷士竜馬よりも低い地下浪人の出自ですが、土佐藩で才能を認められ長崎留守居役となって竜馬達に巡り合います。土佐藩に絶望して脱藩した竜馬とは全く異なるアプローチです。それ故に竜馬と弥太郎は互いに良い関係を持つことはなかったようですが、弥太郎は藩命により海援隊の経理を担当することになりました。明治維新後、土佐藩の財産(と借金)を後藤象二郎からもらい受け海運業を始め三菱商会を設立します。それだけに弥太郎の視線から見た龍馬を伝える来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」が楽しみです。
この時代の重要なプレーヤーとして土佐藩主山内容堂は無視できません。彼を含む四賢侯会議が京都で行われますが、土佐藩が薩摩と倒幕に巻き込まれそうな気配をさっすると急病と称してさっさと土佐に帰ってしまいます。そこら辺はさすがですな。アホではありません。土佐がそのまま薩摩と倒幕に兵を挙げていたらボロボロになって負けていたか、勝ったとしても英国の意のままに支配されていたことでしょう。四賢侯会議に遅れて上京した竜馬は後藤に船中八策を託して、大政奉還を容堂に言上させます。将軍徳川慶喜がそれを受け入れるか分かりませんでしたし、薩長に対して裏切りともいえる大政奉還には竜馬の同志も賛成しませんでしたが、戦に陥ることなく現状を納めるには他に手段がありませんでした。容堂も徳川慶喜もアホではありませんから大政奉還を受け入れ国を二分するような戦争を避けます。ここら辺も日本史の奇跡といえます。
船中八策で重要と思えるのは大政奉還だけでなく、その後の国を治める方策についてまでも述べられているところです。特に第二策。「上下議政局を儲け、議員を置きて、万機を参賛せしめ、万機よろしく公議に決すべき事」が重要です。議会制民主主義がたった一文で表現されており、これが実現されるためには明治維新後何年も費やすことになります。竜馬の先進性がみごとに表現された一文であります。
龍馬の死後の話ですが、山内容堂は戊辰戦争が勃発すると自分が土佐藩兵約百名を上京させたにもかかわらず、土佐藩兵はこれに加わるなと厳命しました。しかし、土佐軍指揮官乾退助はこれを無視し自発的に新政府軍に従軍。普通なら切腹ものの行動ですが、土佐人はこともなげに命を懸けて行動してしまいます。それに対して殿様容堂は、信頼していた家臣に裏切られたにもかかわらず江戸攻めへ出発する土佐藩兵に寒いので自愛するよう言葉を与え酒をふるまったそうな。たとえ藩主であっても自分の活躍する舞台が終わればさっさと退場して、次のものを応援し酒飲んで見物するのが土佐人のいいところ。西南戦争を終えるまで引っ込むことが出来なかった薩摩人とは大きな違いがここにあります。
有能な人材がそれぞれバラバラなために土佐は薩長と比べて遅れをとりますが、土佐人の活躍なしでは幕府から明治政府への政権移行は血で血を洗う混乱を避けることが出来ず、英国かフランスに搾取され惨めなアジアの小国に陥ることを免れなかったでしょう。
七巻あたりから竜馬が暗殺される気配がぷんぷん匂ってきます。この長編小説を読み終えるのが寂しいのでついつい読むペースを遅くしてしまいがちになりますが、これからが面白くなってしょうがありません。
本日のお酒:土佐栗焼酎 ダバダ火振