小学校の修学旅行で訪れたのが51年前、当時和尚は36歳で住職をしていたんだと聞きました。
51年ぶりに大徳寺大仙院に訪れ、和尚とも51年ぶりの再会がはたせるとは思っても見ませんでした。
私にはとんでもなく神聖な聖地で、ピシッとした緊張感のある空気に包まれ、現住職の説明に続いて前住職の和尚の説法を聞くことに。
51年前に教わった、
『今とは常に過去なり、今と言うその一瞬を力一杯生き抜け』
と言う言葉そのものは無かったものの、今と言う言葉が使われ真髄は変わっていませんでした。
そしてその説法の核となる部分の迫力たるは87歳とは思えない気迫を感じ、51年前と変わらないものを感じられました。
私が60歳を過ぎ、会社も50周年と言う新たな一歩を踏み出すタイミングでと大徳寺大仙院を51年ぶりに訪れ、頂いた言葉が『今こそ出発点』
なんだか運命的なものを感じます。
この言葉は44歳頃から使っているんだとか、きっとそれ以前が力一杯だったのかもなんて思いました。
これから新たな『今』を胸にまた歩んで行くことが出来そうです。
51年ぶりに大徳寺大仙院に訪れ、和尚とも51年ぶりの再会がはたせるとは思っても見ませんでした。
私にはとんでもなく神聖な聖地で、ピシッとした緊張感のある空気に包まれ、現住職の説明に続いて前住職の和尚の説法を聞くことに。
51年前に教わった、
『今とは常に過去なり、今と言うその一瞬を力一杯生き抜け』
と言う言葉そのものは無かったものの、今と言う言葉が使われ真髄は変わっていませんでした。
そしてその説法の核となる部分の迫力たるは87歳とは思えない気迫を感じ、51年前と変わらないものを感じられました。
私が60歳を過ぎ、会社も50周年と言う新たな一歩を踏み出すタイミングでと大徳寺大仙院を51年ぶりに訪れ、頂いた言葉が『今こそ出発点』
なんだか運命的なものを感じます。
この言葉は44歳頃から使っているんだとか、きっとそれ以前が力一杯だったのかもなんて思いました。
これから新たな『今』を胸にまた歩んで行くことが出来そうです。