子どもは個性を持って生まれてきます。
しかしその個性を開発しないと、埋没させたまま人生が終わってしまいます。
親としては「最終的に子供が独り立ちしてくれればいい」という程度の基準で子育てをしている人がほとんどだと思います。
しかしテストでも同様ですが、「60点とれればいいや」「欠点とらなければいいや」という考えでいると、60点も取れません。
ですから、「100点取ろう」「世界一になろう、日本一になろう」という基準を持っていないと、最終的に納得できる結果は得られないと思います。
親としては「お父さんお母さん、この世に生んでくれてありがとう」と毎日思ってもらえることが親冥利に尽きるのではないでしょうか?
子育てに答えはあるのでしょうか?今回はそのことについてお話したいと思います。
まずは親である私自身のお話をします。
私はRAPTブログに出会うまで「何事も60点でいいや」という「楽していきたい」という人生を歩んできました。
最初からそのように、だらだらと考えて生きてきた訳ではありません。
中学高校くらいから、「この世の不平等さ、不公平さ」に気付き、解決策が見つからず、「努力するのが馬鹿馬鹿しい」と思い始め、人生が詰まらなくなりやる気がなくなってしまったのです。人生に冷めてしまったのです。
しかし、30代の後半に人生最大の挫折を味わい、RAPTブログに出会います。
そして聖書を読み、朝会の音声などを聴くことで、生きる事に希望が持てるようになり
「人間は完璧を目指すことで人間本来の能力を開発でき、本当の幸福を感じることができるのだ」ということはっきりと知りました。
「適当に」とか「楽して成功」「要領よく」「ゆるく」という世の中の考え方通り、楽観的に生きていては、人間は幸せになれないと身を持って知ったのです。
言い訳がましいですが、「完璧になるにはどうしたら良いのか?」という方法を高校や大学、親や友達は教えてくれませんでした。
ですから自分なりにウソや誤魔化しを駆使し「裏道」や「近道」ばかり探してずる賢く生きてきてしまったのです。
また、宗教を毛嫌いしており、「宗教は弱い人間が頼るものだ」と勝手に思い込み、聖書を読むことを避けてきてきました。
世の中の自己啓発の本やセミナーを受けても、そこに答えはなかったので「人生に答えがない」とわかり、半ば諦めていました。
その諦めムードの中、「一時的な見栄や欲望を満たせればいい」と甘い考えで生きてきてしまったのです。
今、結婚し親となり長子は小学校低学年です。
長子は
・日々の宿題、課題、
・翌日の準備
・朝の準備
など「言われないとできない」「指示がないと動けない」でいます。
ましてや「家事手伝い」を自分で気づいて、自主的にすることはありません。
週末にはタブレット貸し出し許可しているため、もっぱら休日となるとゲームやネット動画に夢中になります。
タブレット1つでゲームや動画が見れるため、
わざわざ準備して集団登校して学校に行かないと勉強できない、友達と遊べないという現実世界よりも、タッチ1つで自分のペースで気軽に始められるスマホゲームやアプリの方が楽しいようです。
ある意味、小学校で文字やタブレット操作を覚えて、どんどん新しいゲームをするようになっていき、知能は発達してきています。
その点は喜ばしいことなのですが、人間は「肉の生活」、この世で肉体を管理しなくては脳の成長、精神世界の成長もできないように創られています。
ですから、身の回りのことを完璧に管理もせず、精神世界、脳の機能だけ高めても、社会で通用しないという現実が待っています。
社会は「相対的に比較されて評価される仕組み」となっているので
「”自分の思い描く自分”と”実際の現実世界での自分との差”」がある状態が生まれます。
実はゲームは製作者に広告料が入るように「させられている」のですが、巧妙に作られておりプレイヤーは「自分が主体的にやっている」と錯覚してしまいます。
少しずつ課題の難易度が上がっていくため、成長していると勘違いしてしまうのです。
残念ながら、その課題をこなしていっても実社会で使える課題解決能力になりません。
親としては、本人は夢中でやっている傍ら「せっかく、学校の勉強や運動、スポーツで得た、知能や集中力が、ゲームという狭い世界でしか発揮できないことが勿体ない」と感じてしまいます。
ゲームを止めるとしばらくぼーっと放心状態になっていますし、しばらくすると、衝動的な言動が増えます。
ゲームプレイに「集中力、精神力」を注いでいるため、実生活で「物事を組み立てて考える力」が残っておらず、何かあると、すぐに感情的に行動するようになります。
仮想現実の世界で、我慢したり思考して、脳機能をフル活用しているため、肉体のある世界に戻ってくると、思う通りにできないことがあると「つまらない」と感じるようです。
ゲームの世界よりも、実生活の方がルールやライバルが多く「難易度が高い」のです。
「ゲームを通して儲けることしか考えていない人たち」が作った世界観のゲームをやっても、余計に実生活とかけ離れていくだけなのです。
仮想現実から現実に戻ってくると、自分の能力が通用しないから、周囲に興味関心がなく、配慮もしません。
そこを努力して改善していこうという意欲も残っていないことが問題だと感じます。
ゲーム自体が悪いのでなく、ゲームという「精神世界」「仮想現実」と「日常生活」「現実世界」が繋がっていない状態に問題があると思います。
ですから、生身の人間同士で行う、スポーツの方が「実生活」が関係するため、まだマシだと感じます。
結論からすれば、「仮想現実の世界と実生活」とを「親や社会が繋げてやればいい」と思います。
多くのゲームが、「強くなって相手を倒す」「お金やポイントを溜めて豪邸に住む」というものばかりです。
最近はネットで繋がってボイスチャットしながら、クエストをクリアしていく協力型、参加型のゲームも増えています。
ゲームをしても「日常生活能力」は上がっていきません。
ですから、ゲームしかやっていない子は、実生活で競争すると負けてしまいます。
具体的にどうやって、仮想現実と実生活を繋げていくか?というと、子どもは親と過ごし、親と競争することで、親の持つ能力の一部でも獲得できるようになるという方法です。
目の前に具体的なモデルがいるため一番の成長に繋がると共います。
その代わり、親自体がどんどん成長していかないと、子供に追いつかれ、愛想をつかれてしまいます。しかし大人の成長、親の成長はどうやってすればいいのでしょうか?
大人になると経済や金を得るために、会社のための努力しかしません。
ですから、損得勘定でしか努力しなくなるので、本当に自分がしたいことをあきらめ、いやいや努力させられています。
ですから、多少の能力は上がりますが、自主性がないため、とびぬけた能力開発や成長をしていきません。
大人になると「夢や希望を失うため成長しない」言い換えれば
「夢や希望を持って生きていない」と人間は成長できないという壁にぶち当たります。
金にならないことをやりたくない人は、新しいことに挑戦しません。
つまり、損得勘定だけで生きている人は新しいことに挑戦しないため成長できないのです。
休日の朝からパチスロに並んでいる人達を見て、「成長している」と感じますか?
未来に希望がないと、新しいことに挑戦しません。
大人はどうすれば成長できるのか?その方法について教えてくれるのはRAPTブログだけです。
父は「会社と家の行き来の人生」、妻は「家事と子どもの世話と女子会だけの人生」では、子育てはできないと思います。
子どもだけでなく、人間は何歳になっても犬や猫といったペットよりも、無限の可能性を持っているとRAPTさんは伝えてくださっています。
ですから、私は子育ての神髄は「親がどんどん発展していって成長することだ」と思います。
そして、人間がどんどん成長していって発展していく方法は、信仰によるもの、神を愛する生き方にあると思います。
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