九州大学が放火されました。
逆恨みして、放火し結局犯人は自殺してしまったそうです。
一体彼は何のために生まれてきたのでしょうか?
私たちは、生まれてきて、それぞの個性才能を生かして活躍しなくてはいけません。
しかし、世の中では、
「いかに自分の欲望を満たすか?」「いかに楽して大金をせしめるか?」
「いかに権力を取って、この世を支配するか?」
ぐらいしか人生の喜びを教えてくれません。
ブランド品を持ち、高級車にのり、豪邸に住み、飽きるま食べ、酒を飲んでいても、それは一時的な喜びであり、喜びは持続しません。
いえ、かえって、他人の放蕩ぶり、贅沢三昧を見て「くそ、俺よりリッチな生活しやがって」と嫉妬や怒りが湧いてきて、より多くのお金や権力や名誉を手に入れようと躍起になるでしょう。
しかしそれらを仮に手に入れたとしても、「心は満たされない」のです。
人間の欲望は尽きません。
そして、欲望に溺れ、自滅していくのが人生なのではないでしょうか?
親が子供をどう育てればよいのでしょうか?
今回は、大学院で学んでいても、報われず、報復に出てしまった国立大学の学生についての記事を見ていきたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・(九大箱崎キャンパス火災 元院生の男性 放火し自殺か 身元判明、福岡東署 2018年9月16日 6時0分 西日本新聞)
福岡市東区箱崎6丁目の九州大箱崎キャンパスで7日朝に研究室を焼いた火災で、福岡東署は15日、焼け跡から見つかった遺体は研究室に出入りしていた同区の職業不詳の男性(46)と発表した。署によると、死因はやけどによる火傷死。男性が放火、自殺したとみて調べている。
署は、現住建造物放火か、非現住建造物放火の疑いで、男性を容疑者死亡のまま書類送検することも視野に入れている。
男性は九大法学部の卒業生。署によると、研究室の内側からテープで目張りがされた上、遺体の近くに灯油用のポリタンクやライターがあった。自宅からは、9月上旬にポリタンクを購入した際のレシートも見つかったという。
九大によると、男性は大学院に進学し、2010年の退学後も研究室を使用。大学院は、9月末に同市西区の伊都キャンパスへ移転を完了する予定で、男性に再三退去を求めていた。
◇ ◇
■困窮、研究の場も無く 「経済破綻に直面」知人に訴え 非常勤職失い複数のバイト
福岡市東区の九州大学箱崎キャンパスの火災で亡くなった卒業生の男性(46)は、2010年の退学後も常勤の研究職を目指していたが、非常勤職を“雇い止め”に遭うなどして困窮を深めた。家賃の支払いも滞り、肉体労働を掛け持ちして研究室で寝泊まりするようになった。そこに学舎の移転が重なる。「耐乏生活を強いられる」「経済破綻に直面」-。男性は親交のあった大学関係者に宛てたメールで、苦しい胸の内を訴えていた。
複数の関係者によると、男性は15歳で自衛官になったが退官し、九大法学部に入学。憲法を専攻し、1998年に大学院に進学した。修士課程を修了して博士課程に進んだが、博士論文を提出しないまま2010年に退学となった。
ドイツ語を勉強し、文献の校正ができるほどの力を付けた。生前は少なくとも県内の二つの大学で非常勤講師を務める傍ら、教授の研究補助もしていた。元教授は「授業の発表も丁寧で、論文を書く能力もあったのに」と振り返る。
大学側によると、男性は15年以降、研究室を1人で使用。ただ、顔を出すのは夜間で、ほかの院生と接触しない“孤立”状態だった。
◇ ◇
そんな男性が、信頼した九大関係者に心の内をメールで明かしていた。
月末払いの家賃を振り込もうとしましたが、金額が足りませんでした。経済破綻に直面しています(昨年6月1日)
3、4月はほぼ無給だったことや、専門学校の非常勤職が“雇い止め”となり、5、6月の月収は14万5千円とつづった。
10万円借りることができました。なんとか過ごせそうです(同月4日)
男性は同月から昼間に週4回、宅配便の仕分けのアルバイトを始めた。
昼のバイトを始める時73キロあった体重が、現在61キロ(今年3月12日)
昨年12月からは夜も週4回、肉体労働の別のバイトも掛け持ちしていた。
研究室の移転も始まっています。宝くじが当たるなどしない限り、泥沼から脱出できないでしょう(7月27日)
この頃は夜のバイトを週6回に増やし、研究室に寝泊まりする状態だった。
時の経過とともに、事態は悪化しています(8月9日)
大学側から研究室退去の要請を受けていたが、片付けに着手していなかった。
◇ ◇
「院生はみな厳しい現実を共有していた。私が彼だったかもしれない」。男性をよく知る研究者は声を落とす。
大学院生が研究を続けて「教授」や「准教授」といった常勤職を得るのは容易なことではない。文部科学省によると、博士号取得者または博士課程の単位取得者で、大学などに任期付きで籍を置きながら研究を続ける人を「ポストドクター」と定義し、1万5910人(15年度)に上る。男性は「ポスドク」に当たらないが、大学側も今年5月までは「ポスドク」と誤解して研究室の利用を黙認していた。
男性と長年交流のあった元九大教授の木佐茂男弁護士は、男性の心中をこう推し量る。「彼は純粋に研究する場が欲しかったはず。労働と研究の両立が困難で、思いあまったのかもしれない。(学舎と)一緒に灰になってもいいと思っていたのではないか」
=2018/09/16付 西日本新聞朝刊=
・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
進む道が間違っていたのでしょうか?
自分が進みたい道があるのに、大学院という場所にこだわってしまったからこのような人生を歩むことになってしまったのではないのかと思います。
大学院でしかできなかったのでしょうか?
そんなことはないでしょう。
独身なら、ひと月14.5万円稼いでいれば、生活できます。
派手な生活はできませんが、自分のやりたいことはやれるし研究もできずはずです。
となると、彼は博士過程がとれなかったことに限界を感じていたのかも知れません。
そして、限界にぶつかったとき、一人で乗り越えようとした。
しかし、乗り越えられなかったのでしょう。
ですから、「現実が受け入れられず、大学のせい、大学院のせい」にして放火自殺したのかもしれません。
私たちは、生きていて、現実があまりにもつらく、理不尽で受け入れられないことは沢山あると思います。
「なりたい自分になれる」
こんな素晴らしい人生はないでしょう。
しかし、「なりたい自分になれない」のがこの世の常識です。
たまたまなりたい自分になれた人の成功哲学を読んでも、絶対に成功できません。
なぜなら、この世で成功している人の多くが、努力で成功したのでなく、実はコネで成功した人ばかりだからです。
確かに類稀な才能と努力で成功した人はいます。
しかし、多くは途中で失敗するか、不祥事を起こしてしまう人、引退して事業に失敗する人などばかりです。
実は人生において、何が一番大切か?というと
「目的」にあたります。
「成功すること」「なりたい自分になること」「夢をかなえること」
が目的では、仮にその目的が達成されたとしても、そこで終わってしまいます。
しかも、そのような私利私欲の塊のような目的では、周囲から足を引っ張られて失敗に終わるでしょう。
逆に言えば「人生の目的」を持たず、ひたすら努力しても、行く先のない旅をしているだけですから、いずれ心が折れてしまいます。
私たち大人は子供たちに「人生の目的」を明確に示してあげなくてはなりません。
そして、大人自身が目的を達成するために、目標を立てて、コツコツと努力していないといけない。
そんな大人がこの世にどれだけいるのでしょうか?
実は、私たち大人は何歳になっても、歳を重ねても、「実は何も知らないこどもと同じ状態」なのです。
ですから、今回のケースのような、九州大学の大学院で修士まで取得した人が、最後はぼろぼろの生活をして、逆恨みによる放火自殺をしてしまうのです。
今回自殺した彼を責めるつもりはありませんが、彼の人生は間違っていたのです。
人を殺してしまう学問も正しくないのです。
ですから、私たちは正しい物とは何か?
「善と悪を割くこと」で真理を知ることが人生において重要なのです。
ですから、学歴やスポーツをする前に、「真理」を知ること、そして「人生の目的」に至ることが私たちの至上命題なのです。
大人が真理に至っていなければ、子供は到底真理には至りません。
どれだけ賢くて、優秀でも、学べば学ぶほど、今回の大学院生のように、「袋小路に入っていき」人生は絶望しかなくなってしまうのです。
子供たちにこのような思いはさせてはなりません。
ぜひ、私たちは「真理」を追い求め、真理に至ることで「人生の意味」を手に入れるべきなのです。
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