「目に見えるものしか信じない」社会になって、物質的に日本は豊かになりました。
しかし、日本は世界でトップクラスの自殺率を誇り、不正や貧困がは蔓延る社会を「金や経済力」だけでは解決することはできません。
これだけ経済的に豊かになっても、自殺する人が後を絶ちません。
世界的に見ると日本の自殺率は第6位だそうです。
それは、物質的に豊かになっただけで、「心の豊かさがないから」です。
心の豊かさを求めるために、ボランティア活動をしている人もいますが、ボランティア団体が悪質な団体ばかりですし、
ボランティアをしたところで、一時的に達成感はあるものの、虚しさしか残りません。
ボランティアが虚しいと感じるのは、「ありがとう」といくら言われても、一時的なものであるからです。
「ボランティアをするために、バイトなどをして生活費を稼ぐ」「生活費などを稼ぎながらボランティアをする」
というくらいまでいかないと、ボランティアをして満たされることはないです。
(それでも最後は一体何だったのか?と自己満足すら感じなくなるでしょうが。)
つまり「可哀想だから」という気持ちでボランティアをするだけでは心が満たされません。
・自己満足のために仕事をしても満たされない。
・他人のために仕事をしても満たされない。
・ましてや、富や権力を得るために仕事をしても満たされない。
日本において、ボランティアを必要とする人は、人間ではなく、人間を雇うだけのお金が足りないだけだからです。
ですから、残念なことに実際「お金を寄付すること」が日本においてはボランティアになるわけです。
しかも、売名行為や税金対策で寄付するのでなく「本当に好きに使ってほしい」と寄付することです。
もしくは、経営者となり、職員の給料を上げることがボランティアなのです。
(麻薬の密売でぼろもうけした日本財団のように福祉事業などに積極的に関わるような偽善事業をしていることが、ボランティアのイメージを悪化させています。そして日本財団の創始者「笹川良一」は「統一教」の政治団体「勝共連合」の名誉会長でしたね。詳しくはこちら)
本題に戻しますが、「私たちはなぜ生存しているのか?」ということを追及するために、私たちは科学を学びます。
私たちは理知的に、「人間とは何か?」とその存在を追及し始めるのです。
その純粋な心が、人類に英知を与え、文明の発展に寄与してきました。
その純粋さに神が宿るのでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・(一流の科学者が「神の存在」を信じるワケ 8/18(土) 14:00配信 東洋経済オンライン)
一流の科学者が「神の存在」を信じるワケ
キリスト教の教えを大きく揺さぶってきた科学。
最先端を突き詰めた先に科学者たちが見たものとは?
あなたは神を信じますか?
こう訊ねられたらどう答えるだろう。日本だと、神様は存在しないと思うけど神頼みはする、というのが多数派だろうか。この本『科学者はなぜ神を信じるのか』で問われるのは、我々が普段思い浮かべるようないたるところにいる神様ではない。
キリスト教の神、創造主としての神である。
■科学者たちは神とどのように折り合いをつけてきたのか
科学者のスタンスはどうだろう。『利己的な遺伝子』のリチャード・ドーキンスは『神は妄想である』という著書で、科学的合理性こそが重要で、宗教はそれに反するものであると痛烈に批判した。この本、宗教的背景からか日本ではあまり話題にならなかったが、世界中で100万部を越すベストセラーになった。もちろん賛否激論である。
一方、ヒトゲノム計画を率いた一流の生命科学者、米国・国立衛生研究所(NIH)所長のフランシス・コリンズは、無神論者の家庭に育ったが、後に敬虔なクリスチャンとなった。
<フランシス・コリンズ>
そして、科学的真理と信仰的真理は矛盾しないと確信し、『ゲノムと聖書:科学者、〈神〉について考える』という本まで上梓している。
ドーキンスとコリンズは、10年ほど前に『タイム』誌で対談している。
その際、ドーキンスは、宇宙創造の背後に神のようなものが存在することまでは否定していなかった。
宗教上の教義による思考停止が科学に反する、というのが、神は妄想であると敵視する根本的な姿勢なのだ。
この2人は生命系の科学者である。
それに対して『科学者はなぜ神を信じるのか』は、素粒子論を専門とする一流の理論物理学者にしてカトリック教会の助祭でもある三田一郎先生による、物理学の歴史という視点からの神についての考察だ。
<中略>
1章ずつに、それぞれの理論とその周辺が説明される。そして、多くの物理学者たちが神とどのように折り合いをつけてきたのかが解説されていく。とてもわかりやすく説明されているし、どのエピソードもバツグンに面白い。
たとえばニコラウス・コペルニクス(1473~1543年)のお話。まったく知らなかったのだが、コペルニクスはキリスト教の司祭でもあった。
しかし、地動説に気づいてしまう。その考えは口コミで広まり、教皇の耳にまで届くが、当時の説の精度の低さからか、さして咎められはしなかった。
意外なことに、聖書の教えに背く者として徹底的に糾弾したのは、カトリックではなく、宗教改革の火の手をあげたマルチン・ルターであった。おもしろいのは、ルターから徹底的な攻撃をうけたコペルニクスだったが、宗教戦争の時代にルター派の若者をかくまったということだ。コペルニクスが心優しき聖職者でもあったことがよくわかる。
■「宇宙はもっと美しいものであるはずだ」
コペルニクスは心から神を敬い、神がどのような宇宙を作ったかを知りたかった。そして、「宇宙はもっと美しいものであるはずだ」という考えから、宇宙に複雑な仮定が入り込むことを許せなかったのだ。その考えが、観測が進むにつれて矛盾が噴出していた天動説を否定することにつながり、地動説という新しい時代の宇宙論の嚆矢となった。
コペルニクスの考えが正しいことを明確に証明したガリレオ・ガリレイ(1564~1642年)は、ご存じのとおり宗教裁判にかけられた。コペルニクスと同じく、キリスト教の教えをおおきく揺さぶったガリレオだったが、自身は神の存在を疑うことなどまったくなかった。
ガリレオと入れ替わるかのように生まれたのがアイザック・ニュートン(1642~1727年)である。ニュートンは、運動方程式の確立、万有引力の発見、微分積分法の開発などを、わずか1年半の間、それも25歳になるまでに成し遂げたという真の天才だ。
ちなみに、そのニュートン、人間のことは信じられなかったが、無神論者を説得するほどに、創造主としての神のことは信じていた。
ニュートンの業績により、初期値さえわかれば、全知全能の神でなくとも方程式を使って未来を予測できる、ということになってしまった。言い換えると、神の領域が科学の領域へと引きずり下ろされたのである。
聖職者にとっても科学者にとっても、どれだけ大きな衝撃であったろう。
この時代から、議論は、神そのものの存在ではなく、「宇宙に創造主は存在するか否か」へと収斂していくことになる。
本の後半、は読んでのお楽しみだが、もうひとり、三田先生と同じく、聖職者であると同時に物理学者であったジョルジュ・ルメートル(1894~1966年)だけは紹介しておきたい。宇宙膨張論はエドウィン・ハッブル、ビッグバン理論はジョージ・ガモフによると世に知られているが、じつは、いずれもルメートルが先んじていたというから驚きだ。
どうしてルメートルにクレジットがいかなかったかというと、ルメートルの謙虚な人柄と、科学と宗教という「不毛な議論」をさけようとした姿勢のためだとされている。しかし、これも意外なことに、非常に早い段階で、教皇により「ルメートルらの発見は神の創造を科学的に証明したもの」で「ビッグバンはカトリックの公式の教義に矛盾しない」と認められている。
■「神の存在を信じる」ようになった理由
『最後に言っておきたいこと 私にとっての神』と題された短い最終章を読めば、三田先生がこの本を著された理由がわかる。子どものころに洗礼をうけたが、宗教にはさして興味なくすごしておられた。しかし、50代になって、物質と反物質の研究から宇宙のはじまりを見つめ、「神の意志を感じ」、「神の存在を信じる」ようになられたのだ。
“「ついに人間が宇宙のはじまりを、神を持ち出さずにすべて理解した。もはや神は必要ない」と考えることは、それこそ思考停止なのではないでしょうか。どこまでいっても、宇宙をすべて理解した、と言いきることは決してできないはずだからです。”
創造主としての神を信ずる姿勢は、「自然に対して最も謙虚であるべき科学者」と全く矛盾しない。ドーキンスが拒絶する思考停止とは真逆で、科学と神について考え続けることこそが正しいく科学的な姿勢である、というのが三田先生のお考えだ。
“初めに神は物理法則を創られた。そしてエネルギーの塊から物質と反物質を創られた。物質の方がほんの少し多かった。同量の物質と反物質は消滅しあい、エネルギーに戻った。ほんの少し多かった物質が残った。”
そして神は天地を創られた。
もし『三田一郎版聖書』があれば、こういう書き出しになるらしい。
なるほど、こんな神なら存在しうるのかもしれない。
これほど素晴らしい知的刺激にあふれた本、それも、日本人によって書かれた本はめったにない。科学に興味のある人にも、宗教に興味がある人にも、いや、どちらにも興味のない人にこそ読んでほしい1冊である。
・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
子供は純粋ですから「なんで?」「なんで?」と質問してきます。
一番簡単な回答は「神様が作ってくださったからだよ」と心から思い、答えることです。
世の中の物理法則や化学、科学の法則は、人間が作ったのでなく、人間が発見しただけなのです。
しかも、発見した人達は、皆、インスピレーションを受けて発見しているのです。
ではそのインスピレーションはどこからきているのか?
というと、既に「わからない」
となるわけです。
世の中に秀才は沢山います。
しかし、神から使われる人というのは、人一倍努力しており、さらに「神がこの人を使って人類を幸せにしたい」と思える人ではないでしょうか?
「神様なんて存在しない」「神に頼るなんて弱いやつがすることだ」
と思うような人に神様はインスピレーションを与えるはずありません。
そして、そのような親に育てられたこどもに神が働くはずありません。
<小林一三の孫 松岡修造>
今日から「自分を信じろ」とか「努力を信じろ」と子供に言うのを止めましょう。
ぶっつけ本番の人生から、いつも神が働く人生を選択してください。
普段から神を信じることによって、神が働かれるのですから。
斎藤一人のような「天国言葉を使う」など詐欺まがいの信仰がありますが、そのような偽善で形式的なことをしても神は働かれません。
神が働かれるにはどうしたらいいのか「こちら」で学んでみてください。
イエズス会フランシスですから、無宗教はデマでしょう。
しかし、彼がどの宗教を信仰しているのかはまだ分からない。 Facebookの共同創立者でCEOのマーク・ザッカーバーグ氏は、 ...
https://m.huffingtonpost.jp/2017/01/02/mark-zuckerberg_n_13934434.html
ここからのインスピレーションですけど
ヒトゲノム=究極の優生学
じゃないかな