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愛媛国体に天皇が来る?何故スポーツをわざわざ見にくるのか?

2017年10月01日 | 学歴もスポーツも同じ
以下転載
 天皇皇后両陛下は愛媛県で30日から始まった国民体育大会の開会式に出席された。

 天皇皇后両陛下は30日、愛媛県で64年ぶりに行われている「えひめ国体」の開会式に出席された。開会式では約2000人が参加し、愛媛の文化や自然などを紹介するパフォーマンスが行われた。

 式典の最後には国体のシンボルとしてともされるオリンピックの聖火にあたる炬火(きょか)台に火がともされた。

 両陛下は来月1日、道後温泉本館などを視察し、帰京される予定。


天皇陛下の服装、どこからどう見てもフリーメーソンの衣裳そっくりですね笑笑


国体が始まりました。
国体開催場所の翌年に柔道のマスターズが開催されます。
今はマスターズと言わず、 ベテランズに変わりましたね。

さて、私は以前からこのブログを通して

『学歴もスポーツも同じ』人生を潰すための洗脳工作だと再三説明しつきました。

特に、プロスポーツがあるジャンルは、バックに大手スポンサーが山ほどついている訳ですから、スポンサー側、メーカー側からすれば、スポーツ選手は、単なるアイドル的存在であり、広告塔だというくらいしか考えられていません。
金のなる木なのです。
もっと、大衆から注目を浴びるように、そして多大な影響が与えられるように、悪魔達は、スポーツ選手に富や名誉、それこそ、見た目が綺麗な異性を与えたり、高級車を与えたり、チヤホヤする訳です。
それを見て大衆は、スポーツで成功すると、あれだけ贅沢でリスペクトしてもらえると錯覚するのです。


私の地元の中日ドラゴンズの黄金期を支えた大豊選手は、プロ野球引退後、51歳の若さで白血病で亡くなっています。
以下転載
<日刊スポーツ:2015年1月20日付>

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の1月20日付紙面を振り返ります。2015年の1面(東京版)では中日、阪神で活躍した大豊泰昭さんの死去を伝えました。

◇ ◇ ◇

 中日、阪神で活躍した大豊泰昭(たいほう・やすあき)氏(本名・陳大豊=ちん・たいほう)が18日午後10時41分、急性骨髄性白血病のため名古屋市内の病院で死去した。51歳。台湾から84年に来日。中日の主砲だった94年には本塁打、打点の2冠を獲得した。あこがれの王貞治氏と同じ1本足打法の長距離砲として通算277本塁打。引退後の09年に白血病の診断を受け、闘病生活が続いていた。

 屈強な肉体とパワフルなスイングで魅了した大豊さんも、病魔には勝てなかった。18日夜、思い出の詰まった名古屋で波瀾(はらん)万丈の人生を静かに閉じた。

 王貞治氏にあこがれ、20歳だった84年に台湾から日本に渡った。名古屋商大から1年間の中日球団職員を経て、88年ドラフト2位で中日入り。1年目から14本塁打を放って活躍。93年の1本足打法挑戦をきっかけに飛躍。翌94年には38本塁打、107打点で2冠王に輝いた。

 94年、巨人との「10・8」決戦でも4番を務め、敗れた。トレード移籍した阪神での3年間も含め、現役14年間で優勝は1度もなかった。豪快なスイングの代償で三振も多かった。阪神の4番を任されたが、チームは最下位で「台湾に帰れ」などヤジも飛ばされた。「お前のパパ、三振ばっかりやって」。当時小学校低学年だった長女はいじめられたという。「俺の娘に生まれたばかりに…。子どものためにも打たないといけないんだ」と男泣きした夜もあった。97年6月5日の横浜戦。ディミュロ球審のストライクの判定に「何でなんだ」と日本語で言ったにもかかわらず暴言退場に。不器用さが数々のドラマを生んだ。

 グラウンドを離れると、温厚そのものだった。大豊さんが球団職員だった88年から寮に入った中日OB立浪和義氏は「高校から入って、話す人があまりいなかった僕をかわいがってくれた。大豊さんと話しているときが、安らげる唯一の時間だった」と振り返る。

 02年限りで引退したあとも、山あり谷ありだった。中日のアジア地区スカウトとして故郷台湾のチェン・ウェイン(現オリオールズ)獲得に貢献した。その後、名古屋市内で台湾料理店を開き、自らもきさくに接客するなど人気を集めた。現役時代から有名な大食漢で、飲食店を開くことが引退後の夢だった。

 だが、苦難はここからだった。05年に弘子夫人を突然の心筋梗塞で失った。そして09年、自らが白血病と診断された。絶望の中、妹の骨髄を移植し、一時は持ち直したが、再発。岐阜・海津市に店を移していた昨年10月に、治療に専念するため休養を宣言した。

 その際、店のホームページにはこうつづっていた。「大豊泰昭はこの病気を克服し、またみなさまに再会できるよう強い意志で病気と闘います。その時は、1番の笑顔で店に立ち、夢の続きをみなさまと一緒に見たいと思います。本当に今までありがとうございました。大豊の運勢と生命力をかけて、必ず復活します。また、逢いましょう。野球人 大豊泰昭」。復活への決意をにじませた。

 最後は現役時代からは想像のつかない、やせ細った姿になっていたというが、努力で切り開いた野球人生と同様に、希望を失わず、最後まで闘い続けた。

 ◆大豊泰昭(たいほう・やすあき)本名・陳大豊。1963年11月15日、台湾南投県埔里生まれ。兵役の関係から台北市の華興高で卒業後も2年間コーチを務め、20歳で来日。名古屋商大に入学し、現在も愛知大学リーグ記録の通算24本塁打。来日5年で日本人扱いとなるため、卒業後は1年間中日の球団職員に。88年ドラフト2位で中日入団。94年に本塁打、打点の2冠。同年の広島戦18本塁打は、現在も同一カードのシーズン本塁打日本記録。巨人との最終戦決着となった「10・8」では4番を務めた。97年オフに矢野とともに、関川と久慈+金銭の交換トレードで阪神へ移籍。00年オフに契約更改交渉がこじれて自由契約となり、中日復帰。02年現役引退。現役時代は185センチ、95キロ。左投げ左打ち。引退後は中日スカウトを経て、04年名古屋市に飲食店「大豊飯店」を、11年岐阜に「大豊ちゃん」開業。長女の祐子さんは芸名「ひろ香祐」で宝塚歌劇団星組の男役。元ロッテの大順将弘内野手(本名・陳大順)は実弟。

転載ここまで
急性骨髄性白血病ですから、移植手術をし、抗がん剤治療などして殺されたのかなと推測しますが…
こんなもんで治る訳ありません。
まず、癌は存在しないのですから。
癌は存在しない

彼は奥さんを亡くし、晩年は海津市にある、おちょぼ稲荷の参道のテナントに入ったのか営業権を買ったのか知りませんが、神社の参道で商売を始めました。
しかし、敢え無く51歳の若さで亡くなりました。

プロ野球選手として、チヤホヤされていましたが、引退後の没落を見ればわかるように
彼は結果として『野球しかやってこなかった人生』でした。
彼には野球以外の才能もあったと思います。
しかし、彼はイルミナティが支配しているプロスポーツの魅力に憧れ、そこで一旗揚げて、栄光の道を歩みたい一心で人生を賭けてしまったのです。

最後は、残念ながら惨めなものとなってしまいましたが、健康作りや体力作り程度でスポーツすることにはメリットがありますが、やり過ぎるとこのように破滅が待っています。
スポーツもお酒やギャンブルと変わりありません。
ある一線を越えると毒となってしまうのです。
この世の学問、受験勉強も同じです。
知識を得て学ぶこと自体に問題があるのではなく、有名大学に入る事で得られる、名誉やら名声、卒業後の進路が有利になるといった計算が入って来ると、それは結果的にその人を苦しめる足枷や高慢、プライドにつながり、人生の最大の苦悩となってしまうものとなるのです。
スポーツや学問、学歴は時として、薬となったり毒となります。
豊かな人生を送りたくて必死に頑張っても、その方向性を狂わせて来るのが、プライドや欲望、富、権力、名声、異性なのです。

話を戻しますが、国体に出られるレベルのスポーツ選手はその筋ではどのくらいのレベルかご存知だと思います。
人生をスポーツに捧げてます。
むしろ、スポーツで人生生きてきた、ある意味、得してきた人ばかりです。

スポーツをとったら何も残らない、オンリーワンな方々ばかりです。
スポーツによって得られる周りからの賛同や名誉に気持ち良くなり、踊らされてきた、残念な人たちです。
そして、好きでやっていたスポーツが
結果を出す事が第一優先となり、勝つためにルール内であれば、何でもやる獣と化します。
このレベルまで来ると、結果次第ではその人のその後の人生まで左右されますから、命懸けでやるだろうし、そのプレッシャーは相当なものでしょう。
苦痛を感じ、誤魔化して日々苦しい練習を乗り越えている、まさに密教のお坊さんです。
行く先は大豊選手やバトミントンの桃田選手のような地獄しかないのに、それを手に入れるために、目先の名誉を手に入れるために、あくせく戦う、、、、。

スポーツの持つ、爽やかさや潔さとは程遠い世界です。
『国体で入賞すれば、指定校推薦で、筑波大学に入れる』
『実業団で金一封が出る、警察官なら昇任できる』
そんな肉的な欲望の強さで戦っているの現状でしょう。
スポーツがサタンによって金儲けの道具とされ、汚されきってしまっているのです。

そして、それを知って、天皇陛下らは、それをわざわざ見にくるのでしょう。
そして、現在のスポーツを価値あるものと錯覚させ騙すための、強力な広告塔なのです。
どこまで悪魔なのでしょうか?

賢い、賢明な親なら、スポーツも深入りさせるべきではありません。
いくら、子供がその道で進みたいと行っても、最後は破滅の道しかありませんから。
金メダリストやらプロスポーツ選手しか幸せになれないという洗脳が解けているなら、ストレス発散、コミュニケーションのためにスポーツを活用するのは良いと思います。
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