「#悩みを抱えて生きている人はどれくらいいるのだろうか?」私は28歳で2度目の大学生になりました。
一度学士を取得しているため、3年次編入という制度も考えたのですが、学部学科の特殊性から1年生から始めました。
私は社会人を経て2度目の大学生となったため「#ドロップアウト」した組、「#社会不適合者」と言われてもおかしくない存在だと
認識していました。
私は大学を卒業してストレートで #警察官採用試験 に合格し、県警にて4年間警察官として勤務しました。
当時、2クラスあり、同期生は80人ほどいました。
団塊の世代の大量退職を見据えて、大量採用していた時期だったのです。
#公務員志向 だった私は、「別に熱い気持ちもないし、潰れない会社、公務員だから競争社会じゃないから、#一生安泰 だろう」と
高を括っていました。
しかし、#警察学校 にはいり、卒業して一線に出てみると、仕事は面白いが、#やりがい や #生き甲斐 までは感じない。
自分じゃなくてもできる仕事だし、警察という官僚的組織、不公平な昇任試験、縦社会を定年退職まで続けることを考えると発狂しそうになっている自分がいたのです。
例えば、成田空港警備隊などに出向すると、評定がAAAとなり、すぐに巡査部長に昇任できます。
その他、刑事総務課に出向すると、警察大学などで研修経験や外事通訳などをすれば主任、係長とポンポンと出世できます。
階級が全て、肩書が全ての社会であり、実力が全てではありません。
警察組織には、「筆で殺す」という伝統があり、これは内部リークや内部通報制度に近いものがあります。
簡単に言えば、上司は部下の評価をするという制度で、余程の事がない限り、部下に評定をABCDでAをつけられません。
この評価制度で部下に対して酷評をつけられる幹部が、内部粛清ができる人材として組織維持力があると評価されるのです。
人脈だけで出世してきている「警備部」出身の課長の元で働くと、文字通り、1mmでも気に食わないことがあると「#筆で殺される」
のです。
私が一線をはなれたのはかれこれ20年以上前の話になりますが、おそらく10年1日の組織であるため、今よりも仕事はしづらくなっていることは予測されます。
内勤になり、立て続けに検視やひき逃げ事故、強盗などにより、時間外の呼び出しが続き
「こんな組織の奴隷として、自分の全人生の時間を差し出してまでして、警察として出世して、偉くなって人生に何の意味があるのか?
もし、道半ばで死んだり、事故にあったり、怪我をして働けなくなったら?出世できなくなったら?生きている価値があるのだろうか?」
という考えが取れなくなりました。
「#こち亀 の両津勘吉でいいのになぁ」
「事件屋なんかより、交番で市民に近い所で、善良な市民と接する仕事だったらいいのに」
そんな怠惰な考えも取れませんでした。
この時、私は「#人生に疲れてしまった」と無意識に感じていて、虚無感と目標を見失う迷走状態にあったのです。
そこで、私は「もう一度、社会について、人生について学び直したい」という気持ちから2度目の大学進学を選択しました。
そこで卒後資格取得ができる、国公立の医学部看護学科を選択したのです。
そこで一番興味を持ったのが、心の問題を取り扱う、「精神看護学」でした。
80人クラスで、精神看護学の講義を聴いているのは1割の8人。
目に見えない世界だから、興味がない。
「心を病んでいる人を見ると、自分も病みそう」と忌避するようです。
結論からすれば、精神医学には答えはなく、心の問題や精神疾患は現代医療では治療回復できません。
ですから、「聞いて、知った」だけで、何も解決策は得られないのです。治療方法を知ってもそれは現段階で有効だと考えられる方法であって、治療実績はないのです。
「精神病は障害だから仕方ない」と精神医学は逃げるのです。
本当にそうでしょうか?私は #RAPTブログ を読み、聖書や有料記事の御言葉から、見えない世界を知り、本当の人類の歴史や、人間の創造目的などを知り、それこそ 神の存在についてまで知ることによって、人間の根本的な問題、心の問題の解決方法はRAPTブログにあると解りました。
ですから、私はRAPTブログと出会い、人生の問題は解決できていますし、近い将来、全て解決すると確信できています。
ですから、いちいち小さなことで悩みませんし、落ち込みません。
#悪人から騙されない、#マスコミに右往左往しない、#後悔しない生き方、#悩まない生き方 ができるようになったのです。
無神論、唯物論で生きていては幸せになれない。人生に悩む人、苦しむ人、疑問を解決したい人の答えはRAPTブログにあるのです。
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