「先生、お宅の卒業生、脳外来たんだけど、”脳動脈瘤分かりません”って言ってきた。
どうしよう??(笑)」
先日実習指導者と雑談していた時に言われた一言です。
一方、今年の4月の卒業生からは
「先生、就職したけど、現場で学校の知識とけ技術使わないよ」
「なんか、看護学校って部活でいうと、ボール触らせてもらえないバスケ部が走り込みだけさせられている期間と同じだね」
「看護学校では理不尽やパワハラに耐える、奴隷根性だけ身についた(笑)」
と上手いことを言ってきました。
「学校と臨床どっちがいい?」
「金貰えるから、臨床のほうがいいけど、臨床の先輩の方が先生より100倍怖い。
自分を出したら、病棟からBANされそう。勤務表見るたびに毎日胃が痛い」
臨地実習で引率すると、卒業生が声をかけてくれます。
そうはいいながらも、「給料安い~」「うちの病棟のプリは優しいけど、隣は鬼みたい」
などなど気さくに話しかけてくれます。
看護学校は基礎教育などと言いますが、臨床現場で病棟で求められるのは
「ミニドクター」「医療処置介助及び医療処置、指示の代行」
なのです。
意味分かりますか?
医学では、循環器や、整形、内分泌、脳外科など様々な診療科目があります。
一方看護では、急性期や慢性期、終末期などとステージ毎に看護を分けて考えます。
これは「病気、疾患を見るのでなく、人間を見るからにだ」といいますが
実は、看護教育で「人間とは?」「人生とは?」という明確な答えを教えてもらえません。
「人それぞれ個性がある」「自分の価値観を押し付けない」「個人個人の意思を尊重し寄り添う支援を」
と何か、ぼんやりとしたことしか教わらないため、臨床に出ると、「ミニドクターになって
医師の指示を先読みして病棟業務を滞りなく回せる人が好い看護師、看護をする人」になってしまいます。
その良い看護、看護師をする人は、とても意地悪で、自分の知識や経験をひけらかし、決して後輩や周囲を助けようとはしません。
「自分に従わない人間に、苦労して身に着けてきた知識、経験をタダで教える必要はない。」
と本気で考えているからです。
以前の記事でも書かせてもらっていますが、看護、医学は徒弟制度で「翔太の寿司の世界」左官工事、土木建築の世界と同じなのです。
久しぶりに将太の寿司読んだらパワハラ天国で驚愕したw pic.twitter.com/or7oAap4AI
— がんがん (@snow0000) June 17, 2016
「手に職、一人親方」なのです。
これは別に、看護師の職場に「限ったことではありません。
日本では、「人格を磨くこと」によるメリットがないのと、「人格者の基準」というものがありません。
上司が部下と不倫する、医師が看護師と不倫する、力の強いものと関係をもち、コネクションを使って高い役職につく
という枕営業的な文化が存在するからです。
異性の場合はそういった性的な不貞行為、男女の関係になって相手の力、権力のおこぼれを貰うことになります。
同性の場合は、相手の部下になり、奴隷のようになって相手をお世話して、その見返りに技術や知識を教わるという文化があります。
日本全体がそういった非合理的社会なのです。
「知識や技術を公共財として共有していく」という気がさらさらなく、多くの業界が専門知識は学校や大学に行かないと学べないという
制限を加えるのです。
表題に戻りますが、看護の事が分かっても、現場ではど素人同然です。
それは求められる能力が全く違うからです。
基礎教育が終わっていても、基礎教育ができていない人でも、縦社会の仕組み、職人さんの世界を知っている人なら
誰でもできる世界なのです。
つまり、看護師は就職して現場が育てるものであり、学校で育てるものではありません。
となると、わざわざ、入学試験を受けて、高い授業料や白衣や教科書代を払って、意味のない暗記試験を繰り返し
翌日には忘れてしまう国家試験を通過しても。「就職したら横一線」なのです。
「病気を見るのでなく人を看る」と言いながら、「人間とは?」何も知らない人が教育をしている。
「人間は猿から進化した生き物」とダーウィンの進化論というカルト宗教を科学だと信じているひとが教育をしています。
ですから、
「サルから進化したんだったら結局欲望のままに生きて、欲望を沢山満たした人が幸せなんだな」
と考えるし、「貧乏で経済力の低い障害者は欲望を満たせない人だし。生理的欲求しか満たせなくなった、寝たきり老人に生きる価値なんてあるのかな?」と考えてしまう学生が多いのも頷けます。
そこに「愛」は存在しない。
「仕事、給料を貰える業務が、単に弱者の世話だから看護する」となってしまうのです。
教育側が「人間について教えられない」、そんな人を求めず、手先が器用で機転が利く人材を求めているだけならば、
看護師は「生活介護するミニドクター」で良いと思います。
だとすれば、それは看護学校や大学で行うのでなく、病院が付属の研修機関を設けて、職員として新人研修して
育てるべきなのです。
潜在看護師数から見れば。養成機関として
自動車学校の方が、まだ良心的な教育をしていると思います。
潜在看護師が増加している傾向https://t.co/LgHuveKMap
— ”ねこっち”(社会派大喜利) (@B1U3rgXOvpqqhB3) July 26, 2019
「潜在看護師数」
2002年(平成14年)度末の時点では約55万人
2010年(平成22年)度末において、潜在看護師の推計数は約71万人
(+20万人)
看護大学が増えたから、看護師資格だけ取って辞めてしまうからでは? pic.twitter.com/C7sxT30Siz
看護学校、大学、日本の全ての教育は「単なる利権」にすぎず、学歴を重ねるようりも、現場で仕事をして覚えた方が
圧倒的に早いのです。
資格をとっても使えない、まるでペーパードライバーのようなものなのですから。
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