前回に続き、老舎は当時の政府の文芸政策を暗に批判しています。その最後に出てくるのが毛沢東の詩で、毛沢東の詩を取り上げたところに、作者一流の痛烈な皮肉があると思います。
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■ 缺少含蓄的第二個原因,恐怕是我們以為人民的語言必是直言無隠,一泄無余的。不錯,人民的語言若是和学生腔比一比,的確是干脆嘹亮,不別別扭扭。可是,我們還没忘記在五八年大躍進中,人民写的那些民歌吧?那也是人民的語言,可并不只是干脆直爽。那些語言里有很高的想象与詩情画意。那些民歌使我們的一些詩人吓了一大跳,而且願意向它們学習。可惜,戯劇語言却似乎没有受到多少影響;即使受了些影響,也只在干脆痛快這一方面,而没有充分注意到人民的想象力与詩才如何豊富,従而使戯劇語言提高一歩,不只紀録人民的語言,而且要創造性地運用。
・直言 zhi2yan2 ありのままに言う。
・学生腔 xue2sheng1qiang1 学生口調。この場合、“学生”の“生”は軽声ではなく、一声で発音する。
・嘹亮 liao2liang4 高らかに響き渡る。
・別扭 bie4niu ひねくれている。さっぱりしていない。
□ 含蓄が欠けている二番目の原因は、おそらく私たちが人民の言葉というのはありのままで隠し事が無く、余すところがないと思っていることにあります。そう、人民の言葉は、学生の言葉に比べると、確かにはっきりとしていて、ひねくれたところがありません。けれども、私たちは1958年の大躍進の時に、人民が歌ったあの民謡をまだ忘れていません。あれも人民の言葉ですが、単にはっきりして率直であるだけではありません。その言葉には高い想像力と詩情豊かな絵心があります。あの民謡に我々何人かの詩人はびっくりし、それらを学ぼうと願ったのです。残念ながら、芝居の言葉は何ら影響を受けなかったようです。たとえ多少影響を受けたとしても、はっきり率直にという面だけで、人民の想像力と詩の才能が如何に豊かであるかに注目し、そこから芝居の言葉を一歩高め、人民の言葉を単に記録するのではなく、創造的に運用するということがありませんでした。
■ 所謂鋒芒,即是顕露才華。在我們的劇本中,我們似乎只求平平妥妥,不敢出奇制勝。我們只求説的対,而不要求説的既正確又精彩。這若是因為我們的本領不够gou4,我們就応該下苦功夫,使自己得心応手,能够gou4以精辟的語言道出深湛的思想和真摯深厚的感情。
・平妥 ping2tuo3 穏やかで当を得ている。当たり障りがない。
・出奇制勝 chu1qi2 zhi4sheng4 [成語]相手の意表を突いて勝ちを制する。
・本領 ben3ling 技能。腕前。学習や訓練によって得られる高度な技術のこと。
・得心応手 de2xin1 ying4shou3 [成語]思い通りの結果が現れる。事がすらすら運ぶ。
・精辟 jing1pi4 見識や理論が深く鋭い。透徹している。
・深湛 shen1zhan4 深くて詳しい
・真摯 zhen1zhi4 真摯(しんし)な。誠実な。
□ いわゆる“鋒芒”(矛先)というのは、才気が表に現れることです。私たちの芝居では、ただ当たり障りの無いことを求め、意表を突いて勝ちを制しようとする勇気が欠けているように思えます。私たちは正しいことだけを言うようにし、正確でしかも素晴らしいことを言おうとしていません。これがもし私たちの技能が不足しているためなら、私たちはしっかり修業し、思い通りの結果が出せるようにし、深く鋭い言葉で深遠な思想と、誠実で温かい感情を表現できるようにするべきです。
■ 若是因為有什麼顧慮呢,我們便該去多読毛主席的詩詞与散文。看,毛主席的文筆何等光彩,何等豪邁,真是光芒万丈,横掃千軍!我們為什麼不向毛主席学呢?怕有人説我們鋒芒太外露嗎?我們応当告訴他:劇本是文学作品,它的語言応当鏗鏘作金石声。写劇本不是打報告。
・顧慮 gu4lv4 心配(する)。懸念(する)。気懸り。考えの中で、まだどこかすっきりしないところがあり、心配なこと。主に名詞として使われるが、動詞としても使われる。
・文筆 wen2bi3 文章の語句の風格。文章のスタイル。
・豪邁 hao2mai4 豪胆である。勇壮である。
・光芒万丈 guang1mang2 wan4zhang4 [成語]光がきらきらとあたり一面に輝く。
・横掃千軍 heng2sao3 qian1jun1 [成語]多くの敵に囲まれる中、地を掃くように短時間で一気に敵を掃討してしまうこと。
・鏗鏘 keng1qiang1 楽器などのリズミカルな音。
・金石声 jin1shi2 sheng1 文章が珠玉のように美しいさま。“金石”は金属や石、或いは堅固なものの喩えだが、転じて、文字や文章が優美である喩えとして用いられる。
□ もし何か気懸りがあるなら、私たちは毛主席の詩や散文をもっとたくさん読むべきです。ご覧なさい、毛主席の文章のなんときらきらとして、勇壮なことか。本当に、光が一面に輝き、一気に全てをひれ伏させるかのようです。私たちはどうして毛主席に学ばないのでしょうか。ひょっとすると、私たちの言葉の矛先(“鋒芒”)があまりに外に露出してしまうのが心配だという人がいるかもしれません。その人にこう言わなければなりません。芝居の脚本は文学作品で、その言葉はリズミカルで、珠玉のような音色がしなければなりません。芝居を書くのは報告書を書くことではありません。
■ 毛主席説:“数風流人物,還看今朝。”風流人物怎可以語言乏味,不見才華与智慧呢?是的,的確有人対我説過:“老哥,你的語言太誇張了,一般人不那様説話。”是呀,一般人可也并不写喜劇!劇本的語言応是語言的精華,不是日常生活中你一言我一語的録音。一点不錯,我們応当学習人民的語言,没有一位語言藝術大師是脱離群衆的。但是,我們知道,也没有一位這様的大師只紀録人民語言,而不給它加工的。
・数風流人物,還看今朝: 毛沢東の詩《沁園春・雪》の一節。
・風流 feng1liu2 功績もあり、文才にも優れた人。[用例]~人物(傑出した人物)
・乏味 fa2wei4 味気ない。おもしろみがない。
□ 毛主席はこう言われました。「英雄を指折り数えてみて、今の世の中を見てみたまえ(今の世の中にはそうした英雄が見当たらない)。」功績も文才もある英雄が、どうして言葉におもしろみがなく、才気も智慧も見られないということがあるでしょうか。そうです、確かにある人が私に言ったことがあります。「兄さん、あなたの言葉は大げさ過ぎる、普通の人はこうは言わないよ。」そうです、普通の人は決して喜劇は書きません。芝居の言葉は言葉の粋でなければならず、日常生活の一言一句の録音ではないのです。私たちは人民の言葉を学ばなければならず、如何なる文芸界の巨匠も群衆から離れることはできないというのは、少しも間違っていません。けれども、人民の言葉を記録するだけで、それに手を加えない巨匠は一人もいないということを私たちは知っています。
【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月
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【付録】
毛沢東《沁園春・雪》(1936年2月)
北国風光,千里冰封,万里雪飄。
望長城内外,惟余莽莽;大江上下,頓失滔滔。
山舞銀蛇,原馳蜡象,欲与天公試比高。
須晴日,看紅装素裹,分外妖嬈。
江山如此多嬌,引無数英雄競折腰。
惜秦皇漢武,略輸文彩;唐宗宋祖,稍遜風騒。
一代天驕,成吉思汗,只識穹弓射大雕。
俱往矣,数風流人物,還看今朝。
【注釈】
・沁園春 qin4yuan2chun1 “詞”を節に乗せて歌うメロディーの一つで、初唐に始まる。“沁園”とは、東漢(後漢)の沁水公主の園苑(庭園)のことで、有史以来、中国第一の皇室庭園と言われたが、当時、外戚として権勢を誇った竇憲に奪われるが、後に皇帝の知るところとなり、沁水公主に戻される。この話が後に唐代、詩に詠まれるようになり、それにメロディーをつけたのが“沁園春”で、その後、同じ韻律の形式の詩も、“沁園春”と呼ばれるようになった。《沁園春・雪》は、毛沢東が雄大な雪景色から着想を得た詩に“沁園春”の韻律を用いたもの。
・惟余 wei2yu2 ただ……だけが残っている。
・莽莽 mang3mang3 広々として果てしがないさま。
・大河 da4he2 黄河を指す。
・頓失滔滔 dun4shi1 tao1tao1 黄河が氷結して、あっという間に波涛の渦巻く勢いが失われてしまうことを指す。“滔滔”は水が盛んに流れるさま。
・山舞銀蛇 shan1 wu3 yin2she2 山並が銀色の蛇のようにくねくねとしている。雪を被った山並の形容。
・原馳蜡象 yuan2 chi2 la4xiang4 高原を白い象が駆け回っている。“原”は毛沢東自身の注釈によれば、秦晋高原のこと。“蜡象”は白い象。
・天公 tian1gong1 天、天を司る神様のこと。
・須 xu1 待つ。
・紅装素裹 hong2zhuang1 su4guo3 “紅装”とは、真っ赤な女性の服装で、ここでは真っ赤な太陽を指す。“素裹”は女性の白い下着で、雪に覆われた大地を指す。
・分外 fen4wai4 非常に。ことのほか。
・妖嬈 yao1rao2 なまめかしい
・.折腰 zhe2yao1 腰をかがめて、お辞儀をする。
・秦皇漢武 qin2huang2 han4wu3 秦の始皇帝と漢の武帝。
・文彩 wen2cai3 文才。文学的才能。
・輸 shu1 負ける。劣る。
・唐宗宋祖 tang2zong1 song4zu3 唐の太宗・李世民と宋の太祖・趙匡胤。
・遜 xun4 劣る。
・風騒 feng1zao1 文学、詩文。《詩経》の《国風》と、《楚辞》の《離騒》から作られたことば。ここでは、文学や詩文の才能。
・一代天驕 yi1dai4 tian1jiao1 “天驕”は、漢代、匈奴xiong1nu2の単于chan2yu2に対して用いた呼称で、“天之驕子”(天の寵児)の略。その後、歴史上の北方の遊牧騎馬民族の君主のことを指すようになった。
・射雕 she4 diao1“雕”はワシのことで、容易に射落とすことができないことから、武芸に秀でた人のことを“射雕者”という。
・風流 feng1liu2 功績もあり、文才にも優れた人。英雄。
・今朝 jin1zhao1 今。現在。
【訳文】
北国の風景の中、あたり千里は氷で閉ざされ、万里にわたって雪がひらひら舞っている。
万里の長城の内側と外側を望めば、ただ果てしない大地だけが広がっている。
大河の流れは、氷結のため、しばしその滔々とした流れを止めている。
山並は銀色の蛇がくねくねと舞うようで、高原を白い象が駆けていく。この高地と天と、どちらが高いか比べたいと思う。
天気が晴れたら、女性の真っ赤な服のような太陽と真っ白な薄絹の下着のような雪の原の対比が、ことのほか艶めかしい。
この大河と山々はこんなにも愛らしいが、これまで数え切れない英雄が腰をかがめ、拱手の礼をして、雌雄を決する舞台となった。
惜しむべきは、秦の始皇帝、漢の武帝は、やや文才に欠けた。
唐の太宗・李世民と宋の太祖・趙匡胤は、やや詩文の才が劣った。
一代の寵児、ジンギスカンは、ただ大空に向け弓を引き、大鷲を射ることしか知らなかった。
しかし、彼らは皆この世を去ってしまった。これら英雄たちを指折り数え、今の世を見たらどうだろう。英雄は(私を除き)一人もいないではないか。
【詩の背景】
長征の後期の1936年2月、毛沢東と朱徳率いる紅軍は、陝北高原で黄河渡河の準備をしていた。地形の偵察のため、海抜1000メートルの雪山に登った毛沢東は、眼前に広がる風景に感激し、この詩を作った。この詩が発表されたのは1945年8月、日本が降伏し、戦後処理で国民党と話し合うため、毛沢東は重慶へ赴いた。重慶での国民党との話し合いは43日に及んだが、その間、詩人、柳亜子との交流があり、柳亜子は何度か詩を毛沢東に贈ったが、その返礼として、毛沢東が同年10月、この詩を柳亜子に贈り、併せて《新華日報》に発表した。
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この講演を読んで、どうやら老舎は1960年当時、意に沿わぬ話劇を書かされたことがあったようです。そのことについて、間接的に自己批判しているように思います。
それを命じた側の人間もこの講演の聴衆の中にいたはずで、老舎は覚悟の上での発言だったのでしょう。
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■ 我們几乎無従避免借着対話説明問題或交代情節。可是,正是這種地方,我們才応設尽方法写好対話,使説明与交代具有足以表現人物性格的能力。這個人物必須有這個独特的説明問題与交代情節的辧法与説法。這様,尽管他説的是“今天天气,哈哈哈”,也能開口就響,説明他的性格。根据劇情,他説的雖是一時一地的話,我們可是従他的生活全貌考慮這点話的。
・開口就響 kai1kou3 jiu4 xiang3 口を開けば、よく響く。ここでは“響”の「音がよく響く」という意味を比喩的に使っている。
・一時一地 yi1shi2 yi1di4 その時その場限りの。“一時一刻”「ちょっとの間」という言葉があるが、それをもじって言ったもの。
□ 私たちは台詞を使って問題の説明をしたり話の筋の解説をすることからほとんど逃れようがありません。けれども、正にこうした場面でこそ、私たちは手を尽くして上手く台詞を書き、人物の性格と能力を表現するに足る説明と解説をしなければなりません。こうすれば、たとえ彼が言うのが「今日は天気が良いね、ハハハ」というようなものでも、口を開けばよく響き、彼の性格を説明することができます。劇のストーリーに基づき、彼が言ったのがその時その場限りの話でも、私たちは彼の生活の全貌から、この台詞を考え出しているのです。
■ 在《茶館》的第一幕里,我一下子介紹出二十几個人。這一幕并不長,不許毎個人説很多的話。可是据説在上演時,這一幕的效果相当好。相反地,在我的最失敗的戯《青年突撃隊》里,我叫男女工人都説了不少的話,可是似乎一共没有几句足以感動聴衆的。人物都説了不少話,聴衆可是没見到一個工人。原因所在,就是我的確認識《茶館》里的那些人,好象我給他們都批過“八字儿”与婚書,還知道他們的家譜。因此,他們在《茶館》里那几十分鐘里所説的那几句話都是従生命与生活的根源流出来的。反之,在《青年突撃隊》里,人物所説的差不多都是我臨時在工地上借来的,我并没給他們批過“八字儿”。
・批 pi1 ここでは“批准”pi1zhun3の略。許可する。承認する。
・八字儿 ba1zi4r 生まれた年、月、日、時に相当する干支(えと)の8文字。古くはこれによって運命判断ができると信じられていた。“年庚nian2geng1八字”、“生辰sheng1chen2八字”とも言う。
・婚書 hun1shu1 結婚証明書
・家譜 jia1pu3 系譜。家系図。
□ 《茶館》の第一幕で、私はあっという間に二十数名の人物を紹介しました。この一幕はあまり長くないので、全ての人物に多くのことを話させることができません。しかし、聞くところによると、上演した時、この一幕の効果はたいへん良かったそうです。その反対に、私の最大の失敗作である《青年突撃隊》では、私は男女の労働者に多くのことを話させましたが、どうも全体的に、聴衆を感動させるに足る台詞は少しも無かったようです。原因の所在は、私は確かに《茶館》の中の人々のことを、あたかも私が彼らに「生年月日の干支の八文字」や婚姻証書を書いてやったかのようによく知っていて、彼らの家系図まで知っています。ですから、彼らが《茶館》の中での数十分の中で言ったあのいくつかの台詞は、皆生命と生活の根源から流れ出たものなのです。それに反して、《青年突撃隊》の中で、登場人物が言ったことは、ほとんど私が臨時に工事現場から借りてきたもので、私は決して彼らに「生年月日の干支の八文字」を書いてやってはいません。
■ 那些話只是話,没有生命的話,没有性格的話。以這種話拼湊成的話劇大概是“話鋸” ―― 話是由干木頭上鋸下来的,而后用以鋸聴衆的耳朶!聴衆是聡明而和善的,在聴到我由工地上借来的話語便軽声地説:老舍有両下子,准到工地去過両三次!是的,正因為是借来的語言,我們才越愛売弄它們,結果呢,我們的作品就肉少而香菜、胡椒等等很多。
・拼湊 pin1cou4 こまごまとしたものを寄せ集める。
・両下子 liang3xia4zi ちょっとした腕前。[用例]你真有~!(君はなかなかやるね!)
・売弄 mai4nong 自分の腕前をひけらかす。よくない意味(貶義)に用いる。[用例]~小聡明(こざかしく振舞う)。~学問(学問をひけらかす)。
□ 彼らの話は単なる話で、生命感のある話でもなければ、性格に根ざした話でもありません。こうした話を寄せ集めて作った芝居(=“話劇”hua4ju4)はおおかた、発音は同じhua4ju4でも“話鋸”(“鋸”はのこぎり)―― 話は中が空洞の丸太から切り出したもので、後でこののこぎりで聴衆の耳を切ってしまうでしょう!聴衆は賢くて優しいので、私が工事現場から借りてきた話を聞くと、ひそひそとこう言うでしょう:老舎はなかなかやるね、きっと工事現場に二三回は行っているよ!そうです、正に借りてきた言葉であるので、私たちは益々それらをひけらかしたくなります。その結果、私たちの作品は肉が少なくて香菜や胡椒などばかりが多くなります。
■ 孤立地去搜集語言分明是不大妥当的。這様得到的語言里,不可避免地包含着一些雑質,若不加以提煉,一定有害于語言的純潔。文字的口語化不等于怎麼聴来的就怎麼使,用不着再加工。
・提煉 ti2lian4 化学や物理的な方法で、化合物や混合物から抽出する、取り出すことが原義。比喩的にも用いる。
□ 単独に言葉の収集だけを行うのは、明らかにあまり適切ではありません。このようにして得た言葉の中には、いくらか不純物が混じるのを避けることはできません。もし精練を加えてやらなかったら、必ず言葉の純潔さを損なうでしょう。文章の口語化とは、耳に聞こえたものをそのまま使うことではなく、使えないところは再加工してやるのです。
■ 対話不能性格化,人物便変成劇作者的広播員。蕭伯納就是突出的一例。
・広播員 guang3bo1 yuan2 ここでいう“広播”はテレビやラジオの通信ではなく、戦時などでの情報伝達の意味。
・蕭伯納 xiao1 bo2na4 バーナード・ショー(George Bernard Shaw 1856-1950)。アイルランド出身の劇作家。
□ 対話を性格化できなかったら、人物は劇作家のメッセンジャーになってしまいます。バーナード・ショーはその突出した例です。
■ 那麼,蕭伯納為什麼還成為一代名家呢?這使我們更看清楚語言的重要性。以我個人来説,我是喜愛有人物、有性格化語言的劇作的。雖然如此,我可也無法否認蕭伯納的語言的魅力。不錯,他的人物似乎是他的化身,都替他傳播他的見解。可是,毎個人物口中都是那麼喜怒笑罵皆成文章,就使我無法不因佩服蕭伯納而也承認他的化身的存在了。不管我們賛成他的意見与否,我們几乎無法否認他的才華。我們不一定看重他的哲理,但是不能不佩服他的説法。一般地説来,我們的戯劇中的語言似乎有些平庸,倣佛不敢露出我們的才華。我們的語言往往既少含蓄,又無鋒芒。
・名家 ming2jia1 著名人。名人。
・才華 cai2hua2 才気。すぐれた才能。文芸面について言うことが多い。
・哲理 zhe2li3 哲理。宇宙と人生に関する奥深い道理。
・平庸 ping2yong1 平凡である。ありきたりである。
・鋒芒 feng1mang2 矛先。そこから転じ、表面に現れた才能。
□ それでは、バーナード・ショーはどうしてそれでも一代の名家に成り得たのでしょうか。このことは私たちに言葉の重要性をよりはっきりと理解させます。私個人について言えば、人物がいて、性格化した言葉のある芝居が好きです。そうではあるけれども、私はまたバーナード・ショーの言葉の魅力を否定することはできません。そう、彼の劇の登場人物は彼の化身であり、彼に代わって彼の見解を伝達しているのです。しかし、一人一人の人物の口から発せられるあの喜び、怒り、嘲り、罵りが皆文章にされると、バーナード・ショーに敬服しているからではないけれども、彼の化身の存在は認めざるを得なくなります。私たちは彼の意見に賛成にしろ、そうでないにしろ、彼のすぐれた才能は認めざるをえません。私たちは必ずしも彼の哲理を重く見ませんが、彼の言い方には敬服せざるを得ません。一般的に言って、私たちの芝居の中での言葉は、ややありきたりであるきらいがあり、あたかも自分たちの才能を表に出す勇気がないように見えます。私たちの言葉はしばしば含蓄が少ないだけでなく、才能の片鱗も見ることができません。
■ 為什麼少含蓄呢?据我看,也許有両個原因吧:第一,我們不用写詩的態度来写劇本的対話。莎士比亜是善于塑造人物的。可是,他写的是詩。他的確使人物按照自己的性格去説話,可是那些詩的対話総是莎士比亜写出来的。在日常生活中,那些人物并不出口成章,一天到晩老吟詩。莎士比亜是依据人物的性格,使他們説出提煉過的語言,嘔尽心血的詩句。
・一天到晩 yi1tian1 dao4wan3 朝から晩まで、一日中。
・嘔尽心血 ou3jin4 xin1xue4 心血を注ぎ尽くす。
□ どうして含蓄が少ないのでしょうか。私の見方によれば、おそらく二つの原因があります。第一は、私たちは詩を書く態度で芝居の台詞を書いていません。シェークスピアは人物を形作るのに長けています。しかし、彼が書くのは詩です。彼は確かに人物にその性格に基づき話をさせていますが、それらの詩的な台詞は常にシェークスピアが書いたものです。日常生活の中で、それらの人物は決して自分の言ったことを台詞にしているのではなく、朝から晩までずっと詩を吟じています。シェークスピアは、人物の性格に基づき、彼らに選び抜いた言葉、心血を注いだ詩の文句を語らせています。
■ 直到今天,英国人写文章、説話,還常常引用莎士比亜的名言妙語。我們写出不少的相当好的劇本,可惜没有留下多少足以傳誦的名句。我們不必勉強去写詩劇(当然,試一試也没有什麼坏処),可是応以写詩的態度去写対話。我們的劇本往往是結結実実,而看起来缺少些空霊之感,叫人覚得好象是逛了北海公园,而没有看見那矗立晴空的白塔。這与劇情、導演、演員都有関係,可是語言缺乏詩意恐怕也是原因之一。
・妙語 miao4yu3 機知に富んだ言葉。警句。
・傳誦 chuan2song4 語り伝える
・結実 jie1shi しっかりしている。
・空霊 kong1ling2 変化に富んでとらえがたいこと。
・北海公園 bei3hai3 gong1yuan2 北京市内、中南海の北に位置する湖の北海を中心とする公園で、嘗ては清朝皇室の御苑であった。湖に浮かぶ瓊華島qiong2hua2 dao3にある白塔は1651年に建てられたもの。
・矗立 chu4li4 そびえ立つ。
・晴空 qing2kong1 晴れた空
□ 今日に至るまで、英国人は文章を書いたり、話をする時、しばしばシェークスピアの名言、警句を引用します。私たちはたくさんの素晴らしい芝居を書いてきましたが、残念ながら、語り伝えるに足る名文句を少しも残してきませんでした。無理をして詩劇を書く必要はありませんが(もちろん、試しに書いてみても何も悪いことはありません)、詩を書く態度で台詞を書くべきです。私たちの芝居の脚本は通常しっかりしてはいますが、見たところ変化に乏しい感じがし、見る者に、あたかも北海公園を遊覧して、晴れた空にそびえ立つ白塔が見えないような感じを持たせます。これは劇のストーリー、監督、俳優の何れもが関係しますが、言葉に詩の味わいが欠けているのも恐らく原因の一つでしょう。
■ 帯有詩意的語言能够gou4給聴衆以弦外之音,好象給舞台上留出一些空隙,耐人尋味。戯曲中的開打,若始終打的風雨不透,而没有美妙的亮相儿,便見不出武松或穆桂英的気概与風度。亮相儿時演員立定不動。這個静止給舞台上一些空隙,使聴衆更深刻地看到英雄形象。我想,話劇対話在一定的時候能够gou4提出驚人的詞句,也会発生亮相儿的效果,使聴衆深思默慮,想到些舞台以外的東西。我管這個叫“空霊”,不知妥当与否。
・弦外之音 xian2wai zhi1 yin1 [成語]言外の意味。話の含み。
・耐人尋味 nai4ren2 xun2wei4 [成語]意味深長である。味わい深い。
・開打 kai1da3 芝居での立ち回り。殺陣(たて)。
・風雨 feng1yu3 危険や困難。試練。
・透 tou4 はっきりする
・亮相 liang4xiang4 役者が見栄を切る。
・風度 feng1du4 風格。
・穆桂英 mu4 gui4ying1 戯曲、小説の《楊家将》中の人物。北宋時代。女性であるが武芸に秀で、当時、西の辺境を騒がせた西夏に遠征するなど、数々の武功を上げた。
・立定 li4ding4 姿勢を決めて動かないこと。[参考]~跳遠(立ち幅跳び。助走無しに立ったまま幅跳びをすること)
・深思默慮 shen1si1 mo4lv4 深く黙って考えをめぐらす。“深思熟慮”(深く十分に考えをめぐらす)という成語をもじったもの。
・管 guan3 [介詞]……を。“管……叫……”の形で、「……を……と呼ぶ」という意味に用いる。
□ 詩の味わいを帯びた言葉は、聴衆に言外の意味を与えることができ、あたかも舞台にまだ余韻が残っていて、たいへん味わい深い感じがします。芝居の立ち回りで、終始、与えられた試練がはっきりせず、役者が素晴らしい見栄を切らないと、武松や穆桂英の気概や風格を見ることができません。見栄を切る時、役者はポーズを決めたら動きません。この静止が舞台に一種の余韻を与え、聴衆により深く英雄のイメージを見せるのです。私の考えでは、話劇の台詞でも、ある段階で人を驚かす文句を提出することができれば、見栄を切るのと同じ効果を出すことができ、聴衆に深い感慨を持たせ、舞台以外のものを想像させることができます。私はこれを“空霊”(変化に富んで、とらえがたいこと)と呼んでいますが、どうでしょう、適当でしょうか。
【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月
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この講演はおそらく1960年代の前半に行われたものと思います。これを読んでいて感じることは、老舎が当時の、文革初期の文学界、演劇界の、思想ばかり追い求め、質の低下を良しとする風潮に対する警鐘が込められているような気がします。
特に、当時の演劇界を支配していた人物(お分かりですね?)を批判する意味が含まれているのではないかと思います。 こうした発言が、その後、文革期の老舎への迫害につながり、最後は自殺せざるを得なくなったのでしょうか。
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■ 明白了作文要前呼后応,脉絡相通,才不厭修改,不怕刪減。狠心地修改、刪減,正是為叫部分服従全体。假若有那麼一句,単独地看起来非常精美,而対全段并没有什麼好処,我們就該刪掉它,切莫心疼。我自己是有這個狠心的。倒是有時候因朋友的勧阻,而耳軟起来,把刪去的又添上,費不少的事叫上下貫串,結果還是不大妥当。与其這様,還不如干脆刪去!
・刪減 shan1jian3 削減する
・狠心 hen3xin1 思い切って。心を鬼にして。
・切莫 qie4mo4 くれぐれも……してはいけない。
・倒是 dao4shi [副詞]人の態度に不満を感じた時のじれったさや、問い詰める気持ちを表す。いったい……ではないか?
・勧阻 quan4zu3 忠告してやめさせる。制止する。
・耳軟 er3ruan3 他人の言うことを信じる。“耳軟心活”という成語があり、「他人の言葉を軽々しく信じて、定見がない」という意味。
・費事 fei4shi4 手間がかかる。手間をかける。
□ 文を作る時に、前後が呼応し、脈絡が互いに通じていないといけないことが分かると、修正が厭でなくなり、文を削るのを恐れなくなります。心を鬼にして修正し削除することは、正に部分を全体に服従させる為なのです。もしある文句が、単独で見るとたいへん美しくても、その段落全体で見ると何らメリットが無いなら、私たちはそれを削除しなければならず、くれぐれもそのことを気に病んではなりません。私自身はそうした思い切りを持っています。いったい、時に友人の忠告を受け、それを素直に信じて、削ったものをまた付け足して、時間をかけて前後のつながりをもたせたところで、結果としてやはり不適切なのです。こんなことをするくらいなら、きっぱり削除してしまった方がましです。
■ 我并非在這里推銷旧体詩、鼓詞,或相声。我是想説明一個問題:語言練習不専仗着写劇本或某一種文体,而是需要全面学習。在写戯写小説之外,還須練基本功,詩詞歌賦都拿得起来。郭老、田漢老的散文好,詩歌好,所以戯劇台詞也好。他們的基本功結実,所以在語言文字上無往不利。相反的,某劇作家或小説家,既富生活経験,又有創作天才,可是缺乏語言的基本功,他的作品便只能在内容上充実,而在表達上缺少文藝性,不能情文并茂,使人愛不釈手。代秀的文学作品必須是内容既充実,語言又精美,缺一不可。缺乏基本功的,理応設法補課。
・基本功 ji1ben3gong1 基本的な技能。ある種の仕事に従事するのに必ず修得しなければならない基本的な知識と技能。
・拿得起来 na2de qi3lai2 原意は持ち上げることができる。そこから転じて、担当することができる。……ができる。
・無往不利 wu2wang3 bu4li4 [成語]どこでもうまくいく。順調にいかないところはない。
・情文并茂 qing2wen2 bing4mao4 [成語]文章の中身、スタイル、レトリック(修辞表現)が共に素晴らしいこと。
・愛不釈手 ai4 bu4 shi4shou3 [成語]大切にしていて、手放すに忍びない。愛読書や愛玩する品物について言う。
・理応 li3ying1 当然……すべきである。
□ 私は別にここで旧体詩や鼓詞、或いは相声のセールスをしているのではありません。私は一つの問題を説明したいのです。それは、言葉の練習は専ら芝居の脚本やある種の文体を書くことに頼っているのではなく、全面的な学習が必要だということです。芝居を書いたり小説を書く以外に、基本的な技能を学ばねばならず、詩、詞、歌、賦が皆できなければなりません。郭(沫若)老や田漢老は散文も上手いし、詩歌も上手いので、芝居の台詞も素晴らしい。彼らの基本技能はしっかりしているので、言葉や文字の上では何をやっても素晴らしい。その反対に、ある劇作家や小説家は、生活経験が豊富で、創作の才能もあるのですが、言葉の基本技能が欠けているので、その作品は内容の上では充実していても、表現上の文芸性が欠けていて、「文章の中身も表現も素晴らしくて、手放すに忍びない」と思わせるものがありません。優秀な文学作品は、内容が充実しているだけでなく、言葉も美しくなければならず、どちらが一方欠けてもいけません。基本技能が欠けているなら、当然それを補う勉強をするべきです。
■ 説到這里,我必須鄭重声明:我不提倡専考究語言,而允許言之無物。
・鄭重 zheng4zhong4 厳かに。厳粛に。真面目に。
・考究 kao3jiu1 研究する
・言之無物 yan2zhi1 wu2wu4 [成語]文章や言葉の中身が空っぽであること。
□ ここまでお話しして、私は厳粛にこう声明を出さねばなりません。私は専ら言語を研究するよう提唱するものではないが、言葉の中身が空っぽであるのを認めると。
■ 我們須従両方面来看問題:一方面是,近几年来,我們似乎有些不大重視文学語言的偏向,力求思想正確,而默認語言可以差不多就行。這不大妥当。高深的思想与精辟的語言応当是互為表里,相得益彰的。假若我們把関漢卿与曹雪芹的語言都扔掉,我們還怎麼去了解他們呢?在文学作品里,思想内容与語言是血之与肉,分割不開的。没有高度的語言藝術,表達不出高深的思想。
・精辟 jing1pi4 見識や理論が深く、透徹している。
・互為表里 hu4 wei2 biao3li3 互いに補完する。“表里”は表と裏。“表里不一”(言行と考えが一致しない)という言い方をする。
・相得益彰 xiang1de2 yi4zhang1 [成語]互いに補完し合うことで、結果がいっそう良くなる、より大きな効果が得られること。
・関漢卿 guan1 han4qing1 元代の劇作家であり、古代の代表的な戯曲作家。「元曲四大家」の筆頭。先出の現代の劇作家、田漢がちょうど1958年初演で話劇《関漢卿》を発表したところであったので、この名が出たものと思う。
・曹雪芹 cao2 xue3qin2 清代の小説家で、現代の白話文学に大きな影響を与えた《紅楼夢》の作者。
□ 私たちは両面から問題を見なければなりません。一面では、ここ数年、私たちは文学で使う言葉をあまり重視しない傾向があるようで、思想の正確さを追い求め、言葉はそこそこであれば良いと黙認しています。これはあまり適切ではありません。高邁な思想と秀逸な言葉は、互いに補完し合い、そこから、より大きな効果が得られるものです。もし私たちが関漢卿や曹雪芹の言葉を捨て去ったら、私たちはどうやって彼らを理解するのでしょうか。文学作品の中で、思想内容と言葉は血の肉との関わりで、切り離すことはできません。高度な言語芸術が無ければ、高邁な思想は表現できないのです。
■ 在另一方面,過于偏重語言,以至専以語言支持作品,也是不対的。我自己就往往犯這個毛病,特別是在写喜劇的時候。這是因為我的生活経験貧乏,不能不求救于語言,而作品勢必軽飄飄的,有時候不過是游戯文章而已。不錯,写写游戯文章,乃至于編写灯謎与詩鐘,也是一種語言練習;不過,把喜劇的分量減軽到只有筆墨,全無内容,便是個很大的偏差。我応当在新的生活方面去補課。軽視語言,正如軽視思想内容,都是不対的。
・勢必 shi4bi4 [副詞]いきおい……するにちがいない。きっと……となるにきまっている。
・軽飄飄 qing1piao1piao1 ふわりと浮き漂うさま。(動作が)軽やかで素早いさま。
・灯謎 deng1mi2 元宵節に、飾り提灯になぞなぞを書いたものを吊り下げておき、答えを当てさせる遊び。
・詩鐘 shi1zhong1 昔、文人が集まり題を決めて詩を作るのに、銅銭を紐で吊るし、下に銅の盆を置き、線香で紐を炙って、紐が切れて銅銭が盆に落ちて音が鳴るまでの間に書きあげて、それで出来た詩の優劣をつける遊び。
・筆墨 bi3mo4 文字や文章。[用例]我們的激動心情難以用~来形容。(私たちの感激は筆舌に尽くしがたい)把無関緊要的話刪去,不要浪費~。(文が冗長にならないよう、よけいな文句は削ったらいい)
・偏差 pian1cha1 誤差、ずれの意味から派生し、過ち、まちがいの意味にも使う。
□ もう一つの面では、言葉に偏重し過ぎて、専ら言葉で作品を支えるのも、正しくありません。私自身もしばしばこの過ちを犯します。特に喜劇を書く時に。これは私の生活の経験が乏しいがために、言葉に助けを求めざるを得なく、そうすると作品はいきおい、軽やかに舞うようになりますが、時にこれは言葉の遊びに過ぎなくなります。そう、言葉遊びの文を書いたり、“灯謎”や“詩鐘”を本にまとめるのも、一種の言葉の練習です。けれども、喜劇の分量が削られていき、文字や文だけになってしまい、全く中身が無くなってしまうのは、たいへん大きな過ちです。私は新しい生活の中で勉強し直さないといけません。言葉を軽視するのは、正に思想の内容を軽視するようなもので、どちらも間違っています。
■ 這様交代清楚,我才敢往下説,而不至于心中老藏着個小鬼了。
・交代 jiao1dai4 説明する。釈明する。
・不至于 bu4zhi4yu2 ……までには至らない。……するようなことなない。
・心中藏着個小鬼 “鬼”は悪巧みやうしろめたいこと、の意味。[例]心里有鬼(心中やましいところがある)。
□ このようにはっきり説明してはじめて、私は続きを話すことができますし、心の中にいつもうしろめたさを持っているということがなくなります。
■ 我没有写出過出色的小説,但是我写過小説。這対于我創造(請原諒我的言過其実!)戯劇中的人物大有幇助。従写小説的経験中,我得到両条有用的辧法:第一是作者的眼睛要老盯ding1住書中人物,不因事而忘了人;事無大小,都是為人物服務的。第二是到了適当的地方必須叫人物開口説話;対話是人物性格最有力的説明書。
・言過其実 yan2 guo4 qi2shi2 [成語]話が誇大で、実際とかけ離れている。大げさに言う。
・盯 ding1 見つめる。凝視する。
□ 私は素晴らしい小説を書いたことはありませんが、小説は書いたことがあります。このことは、私が芝居の中の人物を創造する(言葉が大げさになるのを許してください)上で、大きな助けになりました。小説を書いた経験から、私は二つの役に立つ方法を習得しました。第一に、作者の眼はいつも話の中の人物を見つめていなければならず、何かの出来事のせいで人のことを忘れてはなりません。事の大小にかかわらず、全てが人物のためにあるのです。第二に、適当なところに来たら、人物に口を開いて話をさせなければなりません。対話は、人物の性格の最も有力な説明書です。
■ 我把這両条辧法運用到劇本写作中来。当然,小説与劇本有不同之処:在小説中,介紹人物較比方便,可以従服装、面貌、職業、階級各方面描写。戯劇無此方便。假若小説中人物可以逐漸渲染烘托,戯劇中的人物就一出来已経打扮停妥,五官俱全,用不着再介紹。我們的任務是要看住他。這一点却与写小説相同,従始至終,不許人物離開我們的眼睛,包括着他不在台上的時候。能够gou4緊緊地盯ding1住人物,我們便不会受情節的引誘,而忘了主持情節的人。故事重情節,小説与戯劇既要故事,更重人物。
・渲染 xuan4ran3 大げさに表現する。誇張する。“渲”、“渲染”というのは、本来は中国画の輪郭をぼかす表現技法のことをいう。
・烘托 hong1tuo1 際立たせる。引き立たせる。これも本来の意味は中国画の画法で、水墨や淡い色彩で輪郭の外側を塗りつけ、画像を引き立たせること。
・停妥 ting2tuo1 処理や処置がうまくいく。手落ちなく片付く。[用例]料理~(万事遺漏なく処置する)
・五官 wu3guan1 目、耳、鼻、口、皮膚の五官。或いは、目鼻立ちや顔立ちのこと。
・情節 qing2jie2 小説や芝居の筋、プロット。
・引誘 yin3you4 誘惑。
□ 私はこの二つの方法を芝居の脚本を書くのに使っています。もちろん、小説と芝居には異なったところがあります。小説では、人物を紹介するのがわりと便利で、服装、容貌、職業、階級などから描写することができます。芝居はこんなに便利ではありません。小説の中の人物であれば、次第に誇張し際立たせることができるのに対し、芝居の中の人物は、登場するやその身なりはうまく処置され、その姿は完璧で、改めて紹介する必要もありません。私たちの仕事はその人物を見つめることなのです。この点についてはしかし小説を書く場合も同じで、始めから終わりまで、人物が私たちの視覚から離れることは許されず、それはその人物が舞台にいない時も含まれます。人物をしっかり見つめていることができれば、私たちは話の筋の誘惑を受けることなく、話の筋をつかさどる人のことを忘れることができます。物語は話の筋を重んじますが、小説や芝居では物語性が必要なだけでなく、人物がより重要なのです。
■ 前面提到,在小説中,応在適当的時机利用対話,掲示人物性格。這是作者一辺叙述,一辺加上人物的対話,双管斉下,容易叫好。劇本通体是対話,没有作者插口的地方。這就比写小説多些困難了。假若小説家須老盯ding1住人物,使人物的性格越来越鮮明,劇作者則須在人物頭一次開口,便顕出他的性格来。這很不容易。劇作者必須知道他的人物的全部生活,才能三言五語便使人物站立起来,聞其声,知其人。不錯,小説家在動筆之前也頂好是已知人物的全貌,但是,既是小説,作者総可以従容叙述,前面没写足,后面可再補充。戯劇的既較短,而且要在短短的表演時間内看出人物的発展,故不能不在人物一露面便性格鮮明,以便給他留有発展的余地。假若一個人物出現了好大半天還没有確定不移的性格,他可怎麼発展変化呢?有的人物須隠藏起真面貌,説假話。這很不易写。我們似乎応当適時地給他机会,叫他説出廬山真面目来,否則很容易始終被情節所駆使,而看不清他是何許人也。在以情節見勝的劇本里,往往有此毛病。
・双管斉下 shuang1guan3 qi2xia4 [成語]絵を描く時に2本の絵筆を同時に使うことから転じて、両方から同時に同じ作業を進めること。ある目的に達するために二つの面から同時に活動を進めること。
・三言五語 “三言両語”と同じ。二言三言、わずかな言葉という意味。
・頂好 ding3hao3 ……がいちばんである。……に越したことはない。副詞として文頭に用い、話し手が最良と考える選択、或いは最も望ましいと考えることを表す。
・従容 cong2rong2 落ち着き払って。ゆったりと。
・篇幅 pian1fu 書籍などのページ数。枚数。文章の長さ。
・廬山真面目 lu2shan1 zhen1 mian4mu4 [成語]複雑な事物の真相。“廬山真面”とも言う。[出典]宋・蘇軾《題西林壁》の詩:横看成嶺側成峰,遠近高低各不同。“不識廬山真面目,只縁身在此山中。”(廬山の本当の姿が分からないのは、自分がその山の中にいるからだ)より。
・駆使 qu1shi3 駆り立てる。
・何許 he2xu3 どこ。いずこ。/~人(どこの人、どういう人)
□ 前に言いましたように、小説では、適当なタイミングで対話を利用し、人物の性格を示さねばなりません。これは作者が叙述をしながら、人物の対話を加えるわけで、同時に事が進められるので、容易にうまくやることができます。芝居は全体が対話ですから、作者が口をはさむ場所がありません。このことは小説を書くのに比べずっと困難です。小説家が人物をずっと見つめていれば、人物の性格はますます鮮明になっていきますが、劇作家は人物が最初に口を開くや、その人物の性格を顕わさなければなりません。これはたいへん困難なことです。劇作家はその人物の生活の全てを知っていなければならず、そうしてはじめて、わずかな言葉で人物を立ち上げ、その声を聞けば、それが誰であるか分かるようになります。そう、小説家はペンを走らせる前に、既にその人物の全貌を知っているに越したことがありませんが、小説であれば、作者は常にゆったりと叙述し、前で言い足りなかったことは、後でまた付け足すことができます。芝居の文章は比較的短く、しかも短い上演時間内に人物の成長が見てとれなければなりませんから、人物が登場するや、その性格を鮮明にせざるを得ず、それによってその人物が成長する余地を残してやらねばなりません。もし一人の人物が登場してからしばらくしても、性格がはっきりしなかったら、この人物はどうやって成長、変化していくのでしょうか。ある人物は本当の姿を隠す必要があり、嘘を言います。これはたいへん書き辛い。私たちはおそらく、適当なタイミングで彼に機会を与えてやり、彼に事の真相を語らせねばならないでしょう。さもなければ、始めから終わりまで話の筋に駆り立てられて、彼がいったいどんな人物なのか分からぬままで終わりがちです。話の筋が勝った芝居では、しばしばこうした欠点が見られます。
【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月
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老舎は“話劇”と呼ばれる芝居の脚本をいくつか書いていますが、その文は耳に快く、またユーモアがあります。今回紹介するのは、若い劇作家との交流会で、老舎が芝居を書く上での言葉の使い方について語った講演の内容です。
講演とはいえ、言葉の使い方が軽妙で、無駄がありません。老舎は、事前に原稿を作っていたのでしょうか?
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■ 這次我来参加会議,実在是為向青年劇作家們学習。這并不是説,我不願意向老劇作家們学習。事実是這様:対老劇作家們和他們的作品,我已略知一二,得到過教益与啓発;今后還応当継続向他們学習。対青年劇作家呢,或相識較晩,或請益乏縁,理応乗此机会取経学藝。是呀,近几年来的劇壇上主要是仗着他們的努力而活躍,深入工農兵生活的多半是他們,接触創作問題較多的也是他們。不向他們学習,便不易摸清楚問題所在,也就難以学到解决問題的辧法。是的,我是抱着這種学習熱情而来的。那麼,叫我也作個報告,我就不能不感到惶恐!不過,礼尚往来,不容推却。既来取経,理応献曝,就談一談戯劇語言上的一知半解吧。
・略知一二 lve4zhi1yi1er4 [成語]多少は知っている。“三”以下の数字を並べる時は、数が少ないことを表す。この場合は、(数は多くないが)多少は知っている、という意味。
・教益 jiao4yi4 教えが役に立つこと。
・理応 li3ying1 当然……すべきである
・請益 qing3yi4 “請”は“請求”で請い願うこと。“益”は“増益”で増やすこと。
・取経 qu3jing1 (他人の)経験を吸収する
・壇 tan2 文芸やスポーツなどの世界。分野
・仗 zhang4 頼む。頼る
・摸 mo1 手探りする、模索する。
・惶恐 huang2kong3 恐れ入る。恐縮する。
・礼尚往来 li3shang4wang3lai2 [成語]礼を受ければ礼を返さなければならない。贈り物をもらったら返礼すべきである。
・推却 tui1que4 断る
・献曝 xian4pu4 [謙譲語](建言、献言のこと)愚見(“曝”pu4は日に当たる、という意味で、昔、宋の貧しい農民が世の中に暖かい衣服があることを知らず、王様に日向ぼっこをすれば暖かくなりますよと献言した、という故事から)
・一知半解 yi1zhi1ban4jie3 [成語]生半可。生かじりであること。
□ 今回私が会議に参加しましたのは、実際は若い劇作家の皆さんに学ぶためです。このことは決して、私がベテランの劇作家には学びたくないと言っているのではありません。事実はこういうことです。ベテランの劇作家や彼らの作品を、私は多少は知っており、それが役に立ったり、そこから啓発を受けたことがあり、今後も引き続き彼らに学ばないといけないと思っています。若い劇作家は、知りあったのがわりと遅く、もっと知りたいのですがご縁が無かったので、この機会に経験を吸収し、技術を学びたいと考えています。そうです、ここ数年、演劇界は主に彼らの努力と活躍に支えられています。労働者の生活の中に深く入り込んでいるのはたいてい彼らです。創作の問題に触れることが多いのも彼らです。彼らのことを学ばなければ、問題の所在をはっきりと理解するのが困難で、問題解決の方法も学ぶことが困難です。そうです、私はこうした学習の熱意を持ってここに来ました。それなのに、こうして報告をさせていただくというのでは、恐縮せざるを得ません。でも、礼を受ければそのお返しをしなければならず、断るのは許されません。経験を吸収させていただいた以上は、愚見を申し上げねばなりませんので、芝居で使うことばについての、生かじりの話を少しさせていただきます。
■ 我没有入過大学,文化水平不高,対経典文学没有作過有系統的鑚研。因此,執筆為文,我無従作到出経入史,典雅富麗。可是,我也有一個長処:我的愛好是多方面的。因為我知道自己学疏才浅,所以我要学習旧体詩歌,也要学習鼓詞。我没有什麼成見,不偏重這個,軽視那個。這与其説是学習方法問題,還不如説是学習態度問題。心中若先有成見,只要這個,不要那個,便把学習的範囲縮小,也許是一種損失。
・経典 jing1dian3 古典
・鑚研 zuan1yan2 研鑽する。掘り下げて研究する。
・無従 wu2cong2 [副詞]……する方法がない。……しようがない
・学疏才浅 xue2shu1 cai2qian3 “疏”は疎遠でなじみがない、良く知らないこと。“浅”は程度が低いこと。学が無く才能も低い
・成見 cheng2jian4 先入観
・旧体詩 jiu4ti3shi1 中国の現代文学での用語。“旧体詩詞”或いは簡単に“旧詩”とも言う。五四運動で文芸改革が唱えられて後、中国伝統の形式や韻律のたいへん厳格な詩体、例えば五言や七言の絶句、律詩などを含む旧来の詩の形式を呼ぶ時の総称。
・鼓詞 gu3ci2 普通、鼓や拍子木を叩いて拍子をとり、歌を歌う演芸の形式を言う。昔の学問のある人の書いた“旧体詩”に対して、大衆演芸という意味で言ったのだろう。
・与其 yu3qi2 [接続詞]次の句の“不如”と呼応して、「……よりも(“不如”以下)のほうが……だ」。
□ 私は大学に行ったことがなく、文化レベルは高くなく、古典文学について、大系的に研鑽を積んだことはありません。ですから、筆を執って文を書くにも、古典から引用したり歴史の話題に入ったり、上品で華麗な文章など書きようがありません。けれども、私には一つ長所があります。私の愛好は多岐に亘っています。私は自分が学問が無く才能も低いことが分かっていますので、旧体詩の勉強もしますが、鼓詞など大衆芸能の勉強もします。私には何の先入観も無いので、こちらを重視してあちらを軽んじるということがありません。このことは、学習方法の問題というよりも、学習態度の問題です。心の中に先入観があって、これだけが必要であれは要らないと思うと、学習の範囲が狭まり、一種の損失と言えるかもしれません。
■ 我没有詩才,既没有写成驚人的詩歌,也没有生産過出色的鼓詞。可是,詩歌的規律限制叫我懂了一些造句遣詞応如何厳謹,這就大有助于我在写散文的時候也試求精簡,不厭推敲。我没有写出好的詩歌,可是学会一点把写詩的方法運用到写散文中来。我不是為学詩而学詩,我把学詩看成文字練習的一種基本功夫。習写散文,文字須在我脳中轉一個圈儿或几個圈儿;習写詩歌,毎個字都須轉十個圈儿或几十個圈儿。并不因為多轉圈儿就生産絶妙好詩,但是学会多轉圈儿的確有好処。一位文人起碼応当学会脳子多轉圈儿。習慣了脳子多轉圈儿,筆下便会精致一些。
・既 ji4 [副詞]……の上に……だ。次の句の助詞“也”と呼応し、並立成分を接続する。後ろの助詞は“又”、“且”なども使われる。
・造句遣詞 zao4ju4 qian3ci2 通常は、“遣詞造句”と言う。言葉遣いに気を配って文を綴ること。
・厳謹 yan2jin3 慎み深い。いささかも疎かなところが無い。
・轉圈儿 zhuan4quan1r 「ぐるぐる回る」という意味の時は“轉”は三声でなく四声でzhuan4と発音する。
□ 私は詩才が無いので、人を驚かすような詩歌は作れませんし、素晴らしい鼓詞を作ったこともありません。しかし詩歌の規律や制約から私は言葉遣いに気を配ることが如何に厳格なものであるかが分かり、このことは大いに、私が散文を書く上でも簡潔を追い求め、推敲を厭わないことの助けになっています。私は良い詩歌を書いたことはありませんが、詩を書く方法を散文を書くときに運用することを少し学びました。私は詩を学ぶ為に詩を学んだのではなく、詩を学ぶことは文を練習する一種の基本技能と見做しています。散文を書く練習をするには、文字を頭の中で一回、或いは何回か廻らしてみなければなりません。詩歌を書くのを練習する時は、文字を一つ一つ十回、或いは数十回廻らしてみなければなりません。決して多く廻らせれば絶妙な素晴らしい詩が作れる訳ではありませんが、何回も廻らせてみるのを学ぶことは、確かに良い点があります。一人の文人として、少なくとも頭を何度も廻らせることを学ばねばなりません。頭を何度も廻らせることに慣れれば、筆を下せば文はより精緻なものになります。
■ 習写鼓詞,也給我不少好処。鼓詞既有韵語的形式限制,在文字上又須雅俗共賞,文俚結合。白話的散文并不排斥文言中的用語,但必須巧為運用,善于結合,天衣無縫。習写鼓詞,会教給我們這種善于結合的方法。習写戯曲的唱詞,也有同様的益処。
・韵語 yun4yu3 韻文。韻を踏んだ詩、詞、歌詞など。
・雅俗共賞 ya3su2 gong4shang3 [成語]文芸作品などが、鑑賞眼の高い人も低い人も共に楽しめる。通俗的でありながら、上品なこと。
・俚 li3 粗野である。低級である。[例]~語(俗語、スラング)。~歌(低俗な歌)。“文”はこの場合、雅やか、という意味で、対の意味で使っている。
・白話 bai2hua4 話し言葉。“文言”(書き言葉、文章語)と対をなす。
・天衣無縫 tian1yi1 wu2feng4 [成語]天女の衣には縫い目が無い、という意味から転じて、物事が些かの隙間も無く、完全であることの喩え。
□ 鼓詞を書くのを練習することも、私にとって良い点がたくさんありました。鼓詞は韻文の形式的な制約があるだけでなく、文字の上でも通俗的であってしかも上品でなければならず、雅(みやび)と粗野を結合させなければなりません。話し言葉で書かれた散文では、決して文章語の用語を排除するものではありませんが、うまく使い、結合が上手で、天衣無縫でなければなりません。鼓詞を書くのを練習することは、私たちにこうした上手に結合する方法を教えてくれます。戯曲の歌詞を書くことを練習することにも、同様のメリットがあります。
■ 我也習写相声。一段出色的相声至少写両三個月。我没有那麼多的時間。因此,我没有写出過一段反復加工,値得保留下来的相声。但是,作為語言運用的練習,這給了我不少好処。相声的語言非極精煉、極生動不可。它的毎一句都須起承前啓后的作用,以便発生前后呼応的效果。不這様,便会前言不搭后語,枝冗羅[●索](“索”は口偏),不能成為相声。写別的文章,可以従容不迫地叙述,到適当的地方拿出一二警句,振動全段,画龍点睛。相声不満足于此。它是遍体長満了大大小小眼睛的龍,要求毎一句都有些風趣。這様,尽管我没写出過完美的相声段子,我可是得到一個写文章的好方法:句句要打埋伏。這就是説:我要求自己用字造句都眼観六路,耳聴八方,不単純地、孤立地去用一字、造一句,而是力求前呼后応,血脉流通,字与字,句与句全挂上鉤,如下棋之布子。這様,我就能够gou4写得較比簡練。意思貫穿,前后呼応,就能説的少,而包括的多。這様,前面聴説的,是為后面打埋伏,到時候就必有效果,使人発笑。是的,写相声的時候,往往是先想好一個包袱,而用一些話把它引出来,這就是好比先有了第五句,而后去想前四句,巧妙地把第五句逗出来。這様写,前后便必定連貫,叫人家到什麼時候発笑,就得発笑。写相声,説笑話,以至写喜劇,都用得着這個辧法。先想好包袱,而后設法用几句話把它引逗出来,便能有效果。反之,先把底亮了出来,而后再解釈:您聴明白没有?這句非常可笑啊!怎麼?您不笑?好吧,我再給您細講講!恐怕呀,越講越不会招笑了!喜劇不就是相声,但在語言的運用上不無相通之処。
・段 duan4 [量詞]事物の段落、一区切りを数える。“唱一段京劇”なら、京劇をひとくさり歌う。
・承前啓后 cheng2qian2 qi3hou4 文章などの前を受けて後ろを導き出す。これに類似することばで、“承上啓下”という成語がある。前後が上下に変わっただけで、意味は同じ。
・搭 da1 つながる。“前言不搭后語”で、話の前後がつながらない、の意味。
・冗 rong3 余計な。無駄な。“枝冗羅[●索](“索”は口偏)“で、余計な枝葉が多く、煩わしい。
・従容不迫 cong2rong2 bu4po4 [成語]落ち着き払って慌てないさま。
・画龍点睛 hua4long2 dian3jing1 [成語]画龍点睛。文章を書く時に、肝心な締めくくりのことばを一つ二つ付け加え、全体を引き立たせる。
・遍体 bian4ti3 体じゅう。[用例]~鱗lin2傷(全身傷だらけである)
・長満 zhang3man3 いっぱいに生える。“長”は生える、生じる。
・風趣 feng1qu4 ユーモア。諧謔み。
・埋伏 mai2fu (敵などを)待ち伏せ(する)。(次の動作への)伏線。
・眼観六路,耳聴八方 yan3guan1 liu4lu4, er3ting1 ba1fang1 [成語]六方に目を利かし、八方に耳を利かす。非常に目敏く、耳聡いこと。昔の小説で、武術に長けた人の喩え。“六……八”で数のたいへん多いことを表す。
・血脉 xue4mai4 血管や血液の循環。
・挂鉤 gua4gou1 連結器で車輛を連結する意味から、関係をつける、つながりをもつ、という意味。
・包袱 bao1fu 本来の意味はふろしき、ふろしき包みの意味だが、相声(漫才)では、ギャグのこと。
・好比 hao3bi3 あたかも。まるで……のようなものだ。ちょうど。
・逗 dou4 笑わせる。
・引逗 yin3dou4 誘惑する。誘う。
□ 私は相声(中国の掛け合い漫才)を書く練習をしたこともあります。素晴らしい相声(漫才)をひとくさり書こうと思うと、二三ヶ月必要ですが、私にはそんなに時間がありません。だから、私は何度も手を加えた、残しておく値打ちのある相声が書けたことがありません。けれども、ことばの運用の練習として、このことは私にとってメリットがたくさんありました。相声のことばは、極めてよく練れて、生き生きとしていなければなりません。そのことばの一句一句が、前を受けて後ろを導き出す働きがなければならず、それによって前後が呼応する効果が生まれます。そうでないと、話の前後がつながらず、余計な枝葉が多くて煩わしい感じになり、相声になりません。別の文章を書くのであれば、ゆっくり落ち着いて叙述していき、適当なところに来たら、警句を一つ二つも持ち出し、その一区切り全体を揺さぶってやり、画龍点睛を加えることができます。相声はこういうやり方では満足されません。相声は全身が大小の眼がいっぱいに生えた龍(のようなもの)で、文の一つ一つにユーモアが無ければなりません。このように、私には完璧な相声のひとくさりが書けたことはありませんが、しかし文章を書くうまい方法を会得しました。文の一つ一つに伏線を仕掛けておくのです。それはつまり、自分に対し、文字を選んで文を作るのに、六方に目を利かし、八方に耳を利かし、単純に、それだけで文字を選び文を作るのではなく、文の前後を呼応させ、血を循環させ、文字と文字、文と文に、囲碁を指す時の布局のように、つながりをもたせるのです。こうすることで、簡潔で練れた文が書けるようになりました。意味が貫かれ、前後が呼応していると、言葉は少なくても、含蓄が多くなります。このように、前で言ったことが、後の伏線になり、頃合いになると効果が出てきて、人を笑わせます。そうです、相声を書くときは、しばしば先にギャグを考えておき、いくつかの話でそれを引っ張り出してやります。これはちょうど最初に第五句を作っておき、その後で前の四句を考えると、うまい具合に第五句で笑わせることができるようなものです。このように書いてやると、前後が必ずつながり、読者をどこで笑わせようと思えば、そこで笑わせることができるのです。相声を書くのも、笑い話を言うのも、コメディーを書くのも、この方法を用いることができます。先にギャグをちゃんと考えておき、その後で手を尽くしていくつかの言葉でそれを誘導できれば、効果があります。それに反して、先に落ちが分かってしまっているのに、後でまたこう説明をしたとします。「あなた、聞いて分かりましたか?この文句はたいへん可笑しいね!どうして笑わないの?分かりました、もう一度詳しく説明してあげましょう!」おそらく、話せば話すほど面白くなくなるでしょう。コメディーは相声とは違いますが、言葉の運用の上では相通じるところが無い訳ではありません。
【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月
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■ 語言的運用対文学是非常重要的。有的作品文字色彩不濃,首先是邏輯性的問題。我写作中有一个竅qiao4門,一個東西写完了,一定要再念再念再念,念給別人聴(聴不聴在他),看念得順不順?准確不?別扭不?邏輯性強不? …… 看看句子是否有不够gou4妥当之処。我們不能為了文字簡練而簡略。簡練不是簡略、意思含糊,而是看邏輯性強不強,准確不准確。只有准確邏輯性強而又簡単的語言才是真正的簡練。
ことばの使い方は、文学ではたいへん重要です。ある作品で文字の色彩が濃くないとしたら、先ず論理性の問題です。私は創作で一つ秘訣があり、一つのものを書いたら、必ず何度か読み返してみます。他の人に聞いてもらいます。(その人が本当に聞いてくれているかは相手次第ですが。)読んでみて、すんなり耳に入るかを見てやります。内容が正しいか、くどくどと煩わしくないか、論理性は十分あるか……。文に妥当性が不十分なところが無いかどうかを見てみます。私たちは文字を簡潔にするために簡略にすることはできません。簡潔とは、簡略で意味があいまいであることではありません。論理性は十分あるかどうか、正確かどうかを見ることです。正確で論理性が十分あり、且つ簡単なことばで書かれているものこそ、真の簡潔と言えるのです。
■ 運用文字,首先是准確,然后才是出奇。文字修辞、比喩、聯想假如并不出奇,用了反而使人感到庸俗。講究修辞并不是濫用形容詞,而是要求語言准確而生動。文字鮮明不鮮明,不在于用一些有顔色的字句。一千字的文章,我往往写三天,第一天可能就写成,第二天、第三天加工修改,把那些陳詞濫調和廃話都刪掉。這様做是否会使色彩不鮮明呢?不,可能更鮮明些.文字不怕朴実,朴実也会生動,也会有色彩。斉白石先生画的小鶏,雖只那麼几筆,但墨分五彩,能使人看出来許多顔色。写作時堆砌形容詞不好。語言的創造,是用普通的文字巧妙地安排起来的,不要硬造字句,如“他們在思謀 ……”,“思謀”不常用,不如用“思索”倒好些,既現成也易懂。寧可写得老実些,也別生造。
・出奇 chu1qi2 普通でない。珍しい。変わっている
・濫調 lan4diao4 くだらない議論。たわごと
・刪掉 shan1diao4 削除する
・朴実 pu3shi2 =朴素pu3su4 質素である。(“朴実”は「うわべを飾らない」ことに重点がある。“朴素”は「華美でない」ことに重点があり、服装などの形容に用いる)
・堆砌 dui1qi4 れんがなどを積み重ねる。文章に美辞麗句を並べる
・生造 sheng1zao4 新語などを無理に作る
ことばの活用は、第一に正確かどうかで、次いで新奇性です。文字の修辞、比喩、連想にもし新奇性が無いと、読む人に低俗な印象を与えてしまいます。修辞を追求することは決して形容詞を濫用することではなく、ことばの正確さと躍動感を追求することです。ことばが鮮明かどうかは、色彩のある文字を用いることではありません。一千字の文章でも、私はしばしば三日かけます。一日目におそらく書き終るでしょう。二日目、三日目は加工修正し、陳腐なことばやたわごと、よけいな話は削除してしまいます。このようにすると色彩が不鮮明にならないでしょうか。いや、おそらく更に鮮明になります。ことばは質素であることを恐れてはならず、質素でも躍動感が生まれ、色彩のあるものになります。斉白石先生が描いたひよこは、ほんの数筆で描かれたものでも、墨は五色の色彩を放ち、見る者が様々な色彩を見出すことができます。創作の時に形容詞を並べたてるのはよくありません。ことばの創造は、普通の文字を巧みに配置して出来上がるもので、無理やりことばや文を作り出すものではありません。例えば、“他們在思謀 ……”(「彼らは~に思いをめぐらせている」)の“思謀”という語は通常は使われません。ここは“思索”を使った方が、一般的だし分かりやすい。素直に書く方がよく、無理にことばを作ってはいけません。
■ 文学是語言的藝術,我們是語言的運用者,要想辧法把“話”説好,不光是要注意“説什麼”,而且要注意“怎麼説”。注意“怎麼説”才能表現出自己的語言風格。各人的“説法”不同,各人的風格也就不一様。“怎麼説”是思考的結果,侯宝林的相声之所以逗人笑,并不只因他的嘴有功夫,而是因為他的想法合乎笑的規律。写東西一定要善于運用文字,苦苦思索,要譲人家看見你的思想風貌。
・逗 dou4 (ある感情を)起こさせる(“逗”はこれ自身、笑わせるという意味があり、“這話真逗”この話は本当にユーモラスだ、という使い方もできるが、ここでは首記の意味で、“逗人笑”で人を笑わせる、という意味となる)
・合乎 he2hu1 ~に合う。~にかなう。[用例]合乎規律:法則に合う
文学はことばの芸術であり、私たちはことばの活用者です。「お話」をうまく語ろうと思ったら、「何を言うか」に注意するだけでなく、「どう言うか」に注意しなければなりません。「どう言うか」に注意してはじめて自分のことばのスタイルを表現することができます。一人一人「言い方」は異なり、スタイルも異なります。「どう言うか」は思考の結果であり、侯宝林の漫才が人を笑わせるのは、決して彼の話術がすばらしいからだけでなく、彼の考え方が笑いの法則に合っているからです。ものを書くにはことばの活用が上手でなければならず、懸命に思索を行い、他人に自分の考え方のスタイルをわかってもらわなければなりません。
■ 用什麼語言好呢?過去我很喜歓用方言,《龍須溝》里就有許多北京方言。在北京演出還好,観衆能懂,但到広州就不行了,広州没有這種方言。連翻訳也没法翻訳。這次写《女店員》我就注意用普通話。推広普通話,文学工作者都有責任。用一些富有表現力的方言,加強郷土気息,不是不可以,但不要貪多;没多少意義的,不易看懂的方言,干脆去掉為是。
・気息 qi4xi1 息吹
・貪 tan1 欲張る
どんなことばを使えばよいでしょうか。嘗て私は方言を使うのがたいへん好きで、《龍須溝》の中では多くの北京の方言を使いました。北京で上演する時はまだ良く、観衆も理解できるのですが、広州に行くとだめです。広州にはこんなことばは無いのです。翻訳しようにも翻訳しようがありません。今度《女店員》を書くに際して、私は普通話(標準語)を用いることに注意しました。普通話を広めることには、文学関係者は皆責任があります。表現力に富んだ方言を用い、郷土の息吹を強めることは、だめではないのですが、あまり欲張ってはいけません。それほど意味がないのであれば、理解しづらい方言は、きっぱり消し去るのが正しいと思います。
■ 小説中人物対話很重要。対話是人物性格的索引,也就是什麼様的人説什麼様的話。一個人物的性格掌握住了,再看他在什麼時間、什麼地点,就可以琢磨出他将会説什麼与怎麼説。写対話的目的是為了使人物性格更鮮明,而不只是為了交代情節。《紅楼夢》的対話写得很好,通過対話可以使人看見活生生的人物。
・索引 suo3yin3 索引。インデックス
・琢磨 zuo2mo よくよく考える。思案する、熟慮する。(“琢磨”はzhuo2mo2と発音すると、磨きをかける、彫刻する、鍛え上げる、という意味になる)
・活生生 huo2shengsheng1 生き生きとした
小説の中の人物の対話はたいへん重要です。対話は登場人物の性格の索引のようなもので、どのような人だったらどのような話をするというものがあります。一人の人物の性格をしっかり把握して、そのうえで彼がどんな時間に、どんな場所にいるかによって、彼がどんなことを、どのように言うかを考えだすことができます。対話を書く目的は、人物の性格をより鮮明にするためで、ただ単に話のいきさつのやりとりをするためではありません。《紅楼夢》の対話はたいへんよく書けており、対話を通じて読者に生き生きとした人物を見せてくれます。
■ 関于文字表現技巧,不要光従一方面来練習,一棵樹吊死人,要多方面練習。一篇小説写完后,可試着再把它写成話劇(当然不一定発表),這会有好処的。話劇主要是以対話来表達故事情節,展示人物性格,毎句話都要求很精煉,很有作用。我們也応当学学写詩,旧体詩也可以学学,不摸摸旧体詩,就没法摸到中国語言的特点和奥妙。這当然不是要大家去写旧体詩詞,而是説要学習我們民族語言的特色,学会表現、運用語言的本領,使作品中的文字千錘百煉。這是要下一番苦功夫的。
・一棵樹吊死人 通常は“不要一棵樹吊死人”ということばで比喩的に用いられます。意味は、同じ方法をずっと続けるのでなく、状況に応じて融通を利かさないといけない、という意味です。[用例]老舍 《勤有功》:“這一本写失敗了,即去另写一本。新事物是取之不竭的,何必一棵樹上吊死人?”
・摸 mo1 手で触る、手探りでつかみ取る、という意味から派生して、模索する、模索して理解する、という意味に使う。
・本領 ben3ling3 腕前。才能。能力。技能。(学習することによって得られるかなり高度な技術)
・千錘百煉 qian1chui2bai3lian4 [成語]鍛えに鍛える。詩文などで推敲に推敲を重ねること。
ことばの表現のテクニックは、一面からのみ練習してはなりません。同じやり方にばかり固執するのでなく、多くの面から練習をしなければなりません。一篇の小説が書き終ったら、試しにそれを芝居に書き直してみる(もちろん必ずしも発表はしませんが)のも、良いかもしれません。芝居は主に対話により物語の内容を表現し、人物の性格を表します。一つ一つのことばが練れていて、意味を持たないといけません。私たちは詩を書くことも学んでみなければなりません。旧体詩も学んでみなければなりません。旧体詩に触れてみないと、中国語の特徴や奥深さを理解することができません。これはもちろん皆が旧体詩のことばを書かなければいけないと言っているのではなく、私たち民族のことばの特色を学び、ことばを表現、活用する技能を習得し、作品の中のことばを鍛えなければならないと言っているのです。これには一定の修業が必要です。
■ 写東西一定要求精煉、含蓄。俗語説:“寧吃鮮桃一口,不吃爛杏一筐”,這話是很値得深思的。不要使人家読了作品以后,有“吃膩了”的感覚,要給人留出回味的余地,譲人看了覚得:這両口還不錯呀!我們現在有不少作品不太含蓄,直来直去,什麼都説尽了,没有余味可嚼。過去我接触過很多拳師,也曾跟他們学過両手,材料很多。可是不能把這些都写上。我就撿最精彩的一段来写:有一個老先生槍法很好,最拿手的是“断魂槍”,這是几輩祖伝的。外地有個老人学的槍法不少,就不会他這一套,于是千里迢迢来求教槍法,可是他不教,説了很多好話,還是不行。老人就走了,他見那老人走后,就把門鎖起来,把自己関在院内,一个人練他那套槍法。写到這里,我只写了両個字:“不伝”,就結束了。還有很多東西没説,譲読者去想。想什麼呢?就譲他們想想小説的“底”―― 許多好技術,就因各人的保守,而失伝了。
・筐 kuang1 かご
・回味 hui2wei4 [名詞]後味。(用例) 回味無窮。[動詞]後味を味わう。(用例) 回味他説的話。
・両口、両手 “一両口”、或いは“両三口”、“一両手”、或いは“両三手”の意味で、数の少ないことを表す。
・直来直去 思ったことをはっきり言うこと。包み隠さず、あけすけにものを言うこと。
・槍法 qiang1fa3 長槍を使う技能。
・迢迢 tiao1tiao1 道が遠いさま。[用例]千里迢迢:千里はるばる
・底 di3 事の仔細。真相。(漫才などの)話の落ち。[用例]謎底:なぞなぞの答。摸底:内情を探る。露底:(しかけなどの)種がばれる。
書かれたものはよく練られ、含蓄がなければなりません。ことわざにも「一籠の腐った杏より、ひと口の新鮮な桃」と言いますが、このことは深く考えてみるべきです。人に作品を読んでもらった後、「食傷感」を感じさせてはならず、余韻を味わう余地を残さないといけません。読んだ後に、「この一節は悪くない」と思ってもらわないといけません。現在は、多くの作品にあまり含蓄が無く、あけすけにものを言い、全てを言い尽くし、味わうべき余韻がありません。嘗て私は多くの拳法家と接触があり、彼らから多少の型も学び、話のネタもたくさんあります。けれども、これらを皆書いてしまうことはできません。私なら最も精彩を放つ部分を選んで書きます。一人の老拳法家の槍の技がすばらしく、最も得意とするのが“断魂槍”で、これは何代にもわたり伝えられてきたものとします。外地に一人の老人がいて学んだ槍の技は数多いが、彼のこの技はできないので、千里の道をはるばるこの槍の技を学ぶためにやって来ましたが、彼は教えないと言い、いろいろ説明したのですが、それでもだめでした。老人はそれで帰って行ったのですが、彼は老人が行ってしまうと、門に鍵をかけ、自分で中庭の中に閉じこもり、一人であの槍の技術を練習しました。ここまで書いてきて、私はただ二文字のこと、つまり“不伝”(伝承しない)と書いただけですが、これでおしまいです。まだたくさんのことを言っていませんが、読者に考えさせるのです。何を考えさせるのか。読者に小説の「眼目」――多くのすばらしい技が、個人の保守的な考えのために伝承されなかったことを考えさせるのです。
■ 小説的“底”,在写之前你就要找到。有些作者還没想好了“底”就写,往往写到一半就写不下去,結果只好放棄了。光想開頭,不想結尾,不知道“底”落在哪里,是很難写好的。“底”往往結尾時才表現出来,“底”也可以説是你写這小説的目的。如果你一上来把什麼都講了,那就是漏了“底”。比如,前面所説的学槍法的故事,就是叫你想想由于這類的“不伝”,我們祖国従古到今有多少宝貴的遺産都被埋葬掉啦!写相声最怕没有“底”,没有“底”就下不了台,有了“底”,就知道前面怎麼安排的。
小説の「落ち」は、書き始める前に見つけておかないといけません。作者の中には、「落ち」を考えずに書き始めるものですから、しばしば半分くらいまで書き進めると、後が続かなくなり、結局書くのをやめざるを得なくなります。書き出しのことばかり考え、結末を考えていないと、「話の眼目」をどこに置いたらよいか分からなくなり、うまく書けなくなります。「落ち(眼目)」はしばしば話の最後のところでようやく出てきますが、「落ち」は小説を書く目的だと言うこともできます。もし書き出すや何でもかんでも話してしまうと、それは「種(落ち)」をばらしてしまうことになります。例えば、前で言った槍の技を学ぶ話で言うと、このように「伝承しない」ことで、私たち祖国が過去から現在までどれだけの貴重な遺産を埋もれさせてしまったかを読者に考えてもらうのです。漫才の脚本を書いていて最も怖いのは「落ち」が無いことです。「落ち」が無いと、舞台から降りることができません。「落ち」があってこそ、その前をどう組み立てたらよいかが分かるのです。
■ 小説所要表達的東西是多種多様的。由于我国社会主義建設的需要,当前着重于写建設,這是正確的。当然,也可以写其他方面的生活。在写作時,若只凭有過這麼回事,湊合着写下来,就不容易写好;光知道一個故事,而不知道与這故事有関的社会生活,也很難写好。
・湊合 cou4he2 寄せ集める、という意味から派生して、我慢する、間に合わせる、いいかげんにお茶を濁す、ということ。
小説で表現したいものは多種多様です。我が国の社会主義建設の必要から、当面は建設に重点を置くというのは、正しいです。もちろん、その他の面の生活を書いても構いません。創作の時に、こんなことがあったという事実だけに基づいて、いいかげんに書くと、うまく書けません。一つのことだけ知っていて、その話と関係のある社会生活を知らないと、うまく書けません。
■ 小説的形式也是多種多様的,有書信体,日記体,還有 …… 資本主義国家有些作品,思想性并不強,可是写得那麼抒情,那麼有色彩,能給人以藝術上的享受。這種作品雖然没有什麼教育意義,我們不一定去学,但多看一看,也有好処。現在我們講百花斉放,我看放得不够gou4的原因之一,就是知道得不多,特別是世界名著和我国的優秀伝統知道得不多。
・書信 shu1xin4 書簡。手紙
・百花斉放 bai3hua1qi2fang4 [成語]百花一時に咲き出す。様式や風格の異なる芸術作品が自由奔放に発展する譬え。
小説の形式も多種多様で、書簡体や日記体などがあります。資本主義国家のいくつかの作品は、思想性はあまり強くありませんが、たいへん叙情的に書かれ、色彩があり、読む者に芸術的な味わいを味あわせてくれます。こうした作品はあまり教育的な意義はないので、必ずしも学ぶ必要はありませんが、そういうものを読んでみるのも、役に立ちます。現在私たちは百花斉放を唱えていますが、私の考えでは実施が不十分な原因の一つは、知識が不十分であること、特に世界の名著や我が国の優秀な伝統作品をあまりよく知らないことにあると思います。
■ 生活知識也是一様,越博越好,了解得越深越透徹越好。因此,対生活要多体験、多観察,培養多方面的興趣,尽可能去多接触一些事物。就是花木鳥獣、油塩醤醋也都応注意一下,什麼時候用着它很難預料,但知道多了,用起来就很方便。在生活中看到的,随時記下来,看一点,記一点,日積月累,日后大有用処。
・透徹 tou4che4 事情の把握や事理の分析が詳しくてはっきりしていること
・日積月累 ri4ji1yue4lei3 長い期間にわたって少しずつ積み重ねること。
生活の知識も同様で、知識が広ければ広いほどよく、理解がより深く明確であればある程よいのです。したがって、生活をより多く体験し、多く観察し、多方面への興味を養ない、いくつかの事物にはできるだけ多く接触するべきです。つまり花鳥風月や、料理の各種調味料にまで注意を払うべきです。調味料はどんな時に使うか予測するのは難しいですが、多くのことを知っていれば、使う時にたいへん便利です。生活の中で見たものは、随時記録しておきます。一つ見たら、一つ記録し、それが少しずつ積み重なり、将来大いに役立ちます。
■ 在表現形式上不要落旧套,要大胆創造,因為生活是千変万化的,不能按老套子来写。任何一種文学藝術形式一旦一成不変,便会衰落下去。因此,我們要想各種各様的法子衝破旧的套子,這就要敢想、敢説、敢干。“五四”時期打破了旧体詩、文言文的格式,這是個了不起的文化革命!文学藝術,要不断革新,一定要創造出新東西,新的様式。如果大家都写得一様,那還互相交流什麼?正因為各有不同,才互相観摩,取長補短,共同提高。新創造的東西,可能有些人看着不大習慣,但大家可以辧論呀!希望大家在文学形式上能有所突破,有新的創造!
・千変万化 qian1bian4wan4hua4[成語]千変万化。めまぐるしく変化すること。
・一旦 yi1dan4 ひとたび~すると。いったん。
・一成不変 yi1cheng2bu4bian4 [成語]一旦できあがってしまうと、もはや変更できないこと。永久に変わらないこと。
・観摩 guan1mo2 互いに見習う
表現形式で、古いやり方にとどまってはなりません。大胆に創造し、生活はめまぐるしく移り変わるものですから、古い決まり文句で書いてはなりません。如何なる文学形式でも、一旦できあがってしまうと、もはや変更ができず、衰退してきます。したがって私たちは様々な方法で古いやり方を打ち破らなければなりません。これはつまり、勇気を持って考え、話をし、実行することです。「五四運動」の時期に、旧体詩や文言文の形式を打ち破りましたが、これはすばらしい文化革命でした。文学芸術は、絶えず革新し、新たなもの、新たな様式を創造しなければなりません。皆が同じようなことを書くなら、お互いに何を交流するのでしょうか。正に各々が異なっているからこそ、互いに見習い、優れた点を吸収して欠点を補い、共に向上することができるのです。新たに創造したものは、何人かの人は見慣れないと感じるかもしれませんが、皆が議論すればよいのです。みんなで文学形式の上で殻を破り、新たな創造ができることを希望します。
【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月
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